4-2:聖母と予定調和
◇ ◇ ◇
数日後の放課後。
五時限目が終わったばかりだが、今日は委員会活動と職員会議が被った為、生徒達は早帰りとなった。
といっても運動部は大会目前。
バタバタと慌ただしく部員達が練習場へと向かっていた。
「……最悪」
「まあまあ、オレ図書室で時間潰して待ってるからさ。な?」
「……そういう問題じゃない」
円道は図書委員の仕事がある友人とのろのろと階段を下りつつ、他の生徒の邪魔にならないよう壁伝いに歩いていた。
委員会にも部活にも所属しないという、高校生活の何を楽しむんだと言われる円道だが頭ではもう図書室に何の漫画があったかなぁ等と呑気に考えている。
週刊誌をいくつか取り寄せている図書室なので、バックナンバーがどこまで揃っているかにより潰せる時間も変わるが。
「…………邪魔」
「あれ? なんでこんなとこに長机?」
友人の低い声の文句に前を見ると、階段の踊り場に大量の長机が置かれていた。
階段を塞いでいるものもあるので皆避けつつ下りていくのだが、少し押せば崩れ落ちてしまいそうだ。
「スンマセン、何ですか? この机」
「え? あぁ、文化祭の備品チェックを兼ねて整理してるんだよ」
「文化祭って九月じゃないすか!」
「今年はやけに備品の破損が多いから、念入りに全部にチェック入れてるのさ」
(だからってこんなとこに出すかなぁ)
リストを持った三年生が長机を一つずつチェックして、危ないものをはじいていく。
階段付近に並べられている机は、これから倉庫へしまわれるもののようだ。
「気を付けて下りてね」
「はーい」
「…………」
図書室は一階にある為もう二つ階段を下りなければならない。
階段を下りていく円道の頭上から長机に対するクレームの声が聞こえてくるが、やっぱり邪魔だよなぁと文化祭委員会の生徒に対して不満を抱く。
しかしあれでも彼等の仕事なのだからそこまで気にしてられないのだろう。
だが、階段の途中で前を歩いていた友人がピタリと進むのをやめた。
「? どした?」
「……あれ」
「?」
彼が指差す先は円道の後方、先程の長机が溜まっている踊り場。
そして円道が顔を上げたちょうどその時、ガクンと机が不自然に揺れた。
「……まっ!」
次の瞬間、階段付近にあった長机が一つ動き、足が絡まっていた机に連鎖し、計三つの長机がガタガタガタと大きな音を立てて階段を雪崩れて行った。
雪崩が始まった音に驚いた生徒達の悲鳴と落下音が辺りに響き渡り、結局机は全て階下の踊り場で静止した。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
直後、辺りに響き渡る女子生徒の悲鳴。
階段の上からある方向を指差して固まっている。
円道が慌てて階段を駆け上がると、そこには赤い水溜りが出来ていた。
「あ、藍原先パイ!?」
上の階では生徒達の騒ぎと早く先生を呼べという怒号が聞こえる。
机が遮って野次馬が集まれない状況だったが、代わりに下の階から何だ何だと多くの生徒が沸いて来た。
赤い水溜りを作っているのは二年の藍原だったが、どうやら頭を打ったのか意識は無く、額の傷から出血している。
雪崩れて来た長机三つと壁とに挟まれているものの、そこに出来たスペースに上手く入っていて腹を打つ等はしていない。
が、赤くなっている右膝が妙に気になった。
◇ ◇ ◇
不運な事故から数日が経過した。
まだ校内は落ち着かず、またあの階段の使用は何となく大多数の生徒が避けていた。
特に現場を目撃してしまった生徒は、極力反対側の階段を使うようにしている。
「円道くん」
「あ、伊富貴先パイ」
円道は階段上からあの日藍原が倒れていた場所を眺めていた。
三階は二年生の階の為、伊富貴は偶然通りかかったのだろうか。
それとも、彼女もまた見に来たのか。
「円道くんが藍原さんを助けてくれた、って聞いたけど。やっぱり気になるわよね」
「助けたなんて。机に挟まれてちゃ、担架に乗せにくいかなって……思っただけすよ」
「……陸上部の地区予選、明後日よね」
「……そうっすね」
藍原はまだ学校に復帰していないと聞いている。
そろそろ病院から帰って来られると噂は聞いているが、まさかあの事故により靭帯断裂を引き起こすなんて。
これ以上の不運はないだろう。
「手術とかするんですっけ、ああいう怪我って」
「手術をする場合もあるし、リハビリだけっていうのもあるらしいわ。でも、完治させてスポーツをやる人は手術だって」
「だと、もっと時間かかりますよね」
部活の相談を聞いてしまった手前、必要以上に藍原のことが気になり同情してしまう。
彼女をいじめていたという三年の先輩も、それどころではないだろうが。
「……でね、円道くん。ちょっと来て欲しいんだけど」
「? 何ですか?」
こっちと伊富貴の後をついていくと、何故か保健室まで連れてこられた。
ノックをして中に入り保健医の姿を探すと、窓の脇に立っている背中を見つける。
「えっ……藍原先パイ!?」
校庭に面した窓は開け放たれ、すぐ脇に置かれるソファに藍原は座っていた。
右足には重たそうなギプスをつけている。
「あ、伊富貴さんに円道君」
「もう、退院したんですか……?」
「今日退院したばっかりだけど、きみにお礼を言いたくて」
円道が藍原を救出したことを伊富貴から聞いたらしい。
ありがとう。と頭を下げられたが、そんなと円道は素直に頷けなかった。
右足のギプスと明後日に控えた陸上部地区予選。
笑顔で退院おめでとう等と言えるわけがない。
「じゃ、先生ちょっと職員室に用があるから」
「はい。ありがとうございました」
「気を付けてね、藍原さん」
保健医は三人を残して保健室を出た。
足音が遠ざかるのを確認してから伊富貴は口を開く。
「藍原さん、よく頑張ったね」
その一言がきっかけに栓が外れたのか、藍原は息を詰まらせ静かに泣き始めた。
部活のことを相談していた伊富貴に言われたからか、それとも彼女の優しい声のせいか。
どちらにしろ、藍原は伊富貴を前にして部活に対しての想いを我慢することは到底出来なかった。
「私っ……こんな、大事な時に」
「あれは事故だったじゃない。藍原さんのせいじゃないわ」
「でも、もっと注意したり……咄嗟に避けることだって、出来た……はず……っ」
「先生達だってあの事故については怒ってるし、……あんまり人のせいにするのは良くないけど。文化祭委員の人達も凄く申し訳ない、って言ってたわ……」
「うん……謝りに、来てくれたけど……でも」
でも、もう明後日の予選には出られない。
変えられない事実をどんなに嘆いたところで、それは全て無意味で無力だ。
どうしようもない右足と悔しさに泣き続ける藍原と、それを優しく宥める伊富貴の姿を見て、円道は藍原に同情しつつ伊富貴にも同情していた。
悔しいのはわかる、悲しいのもわかる。
だがどうにもしようがない。
それに彼女自身も言っていたが、彼女には来年もあるのだ。
今から手術を受けてリハビリをして、そうすれば来年は出られる……はず。
そう考えてしまうのは、当事者ではないからか。と、自分を嘲笑った。
(その切り替えが出来ないのはわかるけど、それに付き合う伊富貴先パイも)
早く怪我に対処するに越したことはないが、伊富貴はそれを絶対口にはしないだろう。
それを言って心の切り替えが出来る人間は、聖母に泣きつきに来ない。
「どうして……どうしてこんな、ことに」
「……そうね。でも、もしかしたら」
――これで良かったのかもしれないわね
「え?」
突然の伊富貴の発言に藍原は顔を上げ、円道は肩をかすかに揺らした。
「藍原さんは明後日の予選に出られない。そうしたら繰り上がりで三年の先輩が出場する。出たがってた先輩がね」
「……」
「それで先輩が勝ち進んでも、敗けて帰って来ても、やり遂げたことになるわ。藍原さんへの想いだって晴れて、もしかしたら仲直りが出来るかも。そのきっかけになったかもしれない」
「……私は、来年」
「そう、あなたには来年がある。だからもしかしたら、今回の事故は遭うべき運命だったのかもしれない」
伊富貴が「運命」という言葉を口にするとやけに信憑性を感じてしまうが、円道は内心つっこまずにはいられなかった。
そんな仕方がない、運命だったから。で納得出来るもんか、少なくともオレなら。
そう思っていると、いつの間にか藍原の涙は止まっていた。
「……運命。……だったら、仕方がない……のかな?」
(……おいおい、マジかよ)
運命だったら神様のせいに出来る、そういうことなのか。
伊富貴から受けた言葉に納得したとでも言うのか、藍原は目元を拭うと顔を上げて伊富貴と対面した。
「ゴメンね伊富貴さん。こんな、相談しちゃって」
「ううん。藍原さんの悔しい気持ちも悲しい気持ちも、伝わったわ。やりきれないことにぶつかってしまったら、誰だって逃げたくなるもの」
「……私、とりあえずは手術とリハビリ。頑張ります」
「うん、頑張って」
そして少しスッキリしたような雰囲気で藍原は保健室を出て行った。校門で母親が車を止めておいてくれているらしい。
彼女が去った保健室には伊富貴と円道だけが残され、伊富貴は開いていたドアを閉める。
「藍原さん、大変ね」
「……よくあんなので納得出来ますね、藍原先パイも」
「?」
「『運命』なんて」
苦々しくそうこぼすと「そうね……」と伊富貴は少し考えて、振り返った。
「でも、彼女はああ言って欲しかったのよ。神様のせいにしてしまえば、誰も責めずに済むし」
「……そんなもんすかね」
それは甘えだろう、なんて厳しい意見は通用しないようだ。
円道はお礼を言われる為だけに連れて来られたが、偶然それ以上のことを聞いてしまったせいで、結果消化不良を感じていた。
対して、伊富貴は窓の外を眺めながら何かを考えるように口元に手を当てている。
「『運命』、ね……」
そんな彼女の呟きを聞いて、円道はため息がちに彼女の後姿を見ていた。
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