4人目:聖母と予定調和

4-1:聖母と予定調和


 足元に転がっているリンゴはオレが渡したものだった。

 そのリンゴは一口だけ齧られていて、そこから果汁が染み出ている。

 毒リンゴではない。ただのリンゴだ。

 ただ、このリンゴは食べた彼女が、自分が「聖母」だと自覚するきっかけにはなった。

 知恵の実、と言った方が的を射ているとオレは思う。



 ◇ ◇ ◇



 初めての中間テストを終え、新入生も学校に慣れ始めた初夏。

 テストという呪縛から解放された生徒達は伸び伸びと暖かな春を過ごし、運動部所属の生徒は迫りくる地区予選へ向けて励んでいる。

 そんな運動部の自主練を窓から見つつ、帰宅部の円道は大変だなぁと昼食を手に東棟へと来ていた。

 生徒の教室は全て西棟にあり東棟には特別教室しかない。

 また、東と西に分かれているこの学校の校舎は四階まであり空き教室がいくつかある。

 彼はそんな誰もいない空き教室で一人静かに昼食をとるのをたまの楽しみにしているが、今日はお誘いを受けてある教室へ向かっていた。


「先パーイ、こんち……」

「あ?」


 空き教室のドアを開くとある生徒と出くわした。

 髪を染めた人相の悪い男子生徒だったが、お目当ての人物は彼ではない。


「円道くん、いらっしゃい」

「あ、はい」


 男子生徒に睨みつけられながらも入れ違い、声が聞こえた方へと向かった。

 教室内は乱雑に並べられた多くの棚とダンボールが立ち並び、声がした方向がどこかと探さなければならない。

 誰か少しでも整理してくれればよいものを……。


「こっちよ」

「お、見つけた。先パイこんちは」

「こんにちは」


 円道を昼食に誘った人物は窓際に椅子を寄せ、開けた窓に半身を向けつつペットボトル飲料を飲んでいた。


「さっきの目つきの悪い奴は? 今日の相談者っすか?」

「そうだけど、そうでもないかも」

「?」

「あの子、わたしの幼馴染なの。もし睨んでたらごめんなさいね」


 入れ違う時に上履きの色を確認したが、円道と同じ一年生だった。

 睨んで来た理由は恐らく……彼女に自分が手を出さないかどうか、という疑心からだろうか。

 今、ここ東棟四階第三資料室(実質物置部屋)には円道と先輩しかいない。


「でも何でよりにもよってこの教室なんですか? ここ、何かいるって話ですよね」

「さすが円道くん! 話が早いわ! 選んだ理由は特にないんだけど」

「ないんすか」


 何だと拍子抜けして、円道も近くにあった椅子を寄せて腰を下ろした。

 この第三資料室は少し変わったところがあり、〝開かずのドア〟というものが存在する。

 校庭からも確認出来る外向けにつけられた謎のドアなのだが、元々は西と東を繋ぐ連絡通路があり、そこに出られるドアとして多くの生徒が利用していた。

 だが老朽化に伴い四階連絡通路は二本の内一本を撤去され、今ではそのドアを開くと断崖絶壁になっている。

 危険なのでドアには鍵が掛けられ、〝開かずのドア〟と呼ばれている。

 そしてこの〝開かずのドア〟がある第三資料室には「天使」がいると言われ、色々と話題豊富な場所なのである。


「その『天使』にお願いをすると、何でも叶うっていう」

「わたしの二つ前の代では『死神』だったけどね」

「えっ、何すかその物騒な噂」


 円道は思わず〝ドア〟の方へ視線をやった。


「『あの子が不幸になりますように』ってお願いをすると、一週間以内に事故とか不幸な目に遭うっていうね」

「へぇ~。先パイやりました?」

「やらないわよ~。わたしそういうのやる風に見える?」

「全然」


 なら良かったと彼女は胸を撫で下ろし、膝上に置いてある弁当のおかずを口に含んだ。

 まぁ「天使」だとか「死神」だとか、時代によって呼称や形が変わる。

 そんな〝学校の怪談〟みたいな噂を持っている教室でもある。

 だから彼女が自分をこの教室に呼んだ時、一体何の目論見が? と思ってしまったのだ。

 だが、何の意味もないようで一安心。


「でも火のないところに煙は立たない、っていうじゃないですか。あの本棚だって、そういう理由で置かれたんですよね?」

「そういう理由?」

「この教室の噂を信じたのか、恐れたのか。そこの〝ドア〟が開かなかったから窓から飛び降り自殺したっていう生徒」

「あぁ、それもあったかどうかわからない噂ね」

「この学校噂好きですね~。ありすぎですよ」

「でも円道くんそういうの好きでしょ? だから知ってるんだろうけど」

「じゃなきゃ先パイのあだ名もすぐには知らなかったでしょうしね」

「そうね」


 ふふふと口に手を当てて笑う柔らかい声。

 柔らかく明るい色をした長めの髪は緩く巻かれ、少し垂れた目が彼女の印象を更に柔らかくする。

 二年A組、伊富貴いぶきあい

 それが彼女の名前であり、校内では「聖母」と呼ばれている人物だ。

 二年生の二大名物生徒として生徒会長の氷樫ひかしという女生徒もいるのだが、氷樫と伊富貴で「氷の女王」と「聖母」という愛称が当然とされている今日この頃。

 正反対の愛称とそれに相応しい性格をしているが、なんとこの二人は親友だと聞くので女子というのはわからないものだ、と円道は首を傾げる。


「へぇ知らなかった。あの本棚だけどうして綺麗に壁についてるんだろう、って思ってたけど、窓を塞いでいるのね」

「と言っても、簡単に動くから見ためだけなんですけどね」

「動かしてみたの? 円道くん」

「……検証ですよ、検証~」


 ハハハハと円道が笑って誤魔化すと伊富貴もアハハハと笑った。

 二年と一年。教室も三階と四階で別れているし、調理部の伊富貴と帰宅部の円道は接点がまるでない。

 しかし円道の楽しみであった空き教室ランチをしてたある日、ばったり出くわしたのが彼女だった。

 それがきっかけだったと言えばそうかもしれない。


「それで円道くん、今日は何か面白い話ないかしら?」

「そうっすねー。じゃあ、またあのセンセーの話でいいですか?」

「あ、あの先生ね! こないだの騒ぎ、そうじゃないかなーって気になってたの」

「じゃあ話せる範囲で話しましょっか」


 伊富貴が円道を昼食に誘うのは頻繁ではない。

 彼女だってクラスの友達とお喋りをしながら弁当をつつくのが定番のはずだが、用事がある時はどうしてもどこかしらの空き教室で昼食をとらなければならないのだ。

 そんな時に、彼女は円道を「お昼一緒にどうですか?」と誘うのである。

 校内の噂や騒ぎによく出くわす彼の話を聞きたいために。

 もちろん円道にとってはこんな男子人気ナンバーワンの美人先輩と、しかも誰にも邪魔されない場所でのランチとなるのだから断る理由がない。

 毎度毎度、「是非」の二言返事である。


「で、結局オチはいつも通りでしたけど、いい加減センセーも学んで欲しいって話ですよ」


 やれやれと肩をすくめると伊富貴はクスクスと笑った。


「でも円道くんも大変ね。先生に気に入られちゃって」

「んぐっ!?」


 ビックリしてパンが喉に詰まりそうになったがコーヒー牛乳で流し込んだ。


「気に入られるなんて。そんな、おぞましい……」

「そこまで言ったら可哀想よ。あの先生、寂しがり屋なんだから」

「知りませんよ、独身男性教師が寂しがろうと嘆こうと、泣きつくなら女子にしてくれって感じで」

「そしたらセクハラになっちゃうじゃない」

「男に泣きつく方がキモイっすよ」


 ガララという音が会話を遮り、二人は同時にドアの方へ振り返る。

 いそいそと入って来たのは円道には見覚えのない女子生徒で、上履きを確認すると二年生だった。


「あ、伊富貴さん。食事中、だよね」

「ううん、大丈夫よ。藍原あいはらさん」

(……あ、いつものね)

「円道くんも行かなくて大丈夫。むしろ一緒に聞いてくれないかしら?」


 そう言われて席を立とうとした円道は足を止め、代わりに藍原という生徒へ新しく椅子を出した。

 藍原は円道に一言礼を言い、伊富貴の方へ向けてから座る。


「それで、どうなったの? 陸上部」

「……それが」


 そして藍原は部活での悩みを語り初め、伊富貴はそれをうんうんと気持ちの良い相づちで聞いて行く。

 完全な部外者である円道だったが伊富貴が一緒に聞いてと言った為に、一応話を折らないように話を聞いた。

 だが、昼休みは限られている。

 円道は音を立てぬようパンを食べ、話が終わるまでなくならないよう飲み物をチビチビと飲んだ。




 この学校の「聖母」もとい伊富貴に何故そんな呼び名が付けられたかというと、このように「相談役」になることが多かったことが発端である。

 彼女が人並にお喋りが好きだということもあったが、喋り上手というよりは聞き上手な方だった。

 そして尊敬するべきはそれがただの楽しいお喋りでも、誰かに対する愚痴でも、泣きながらの相談でも、他人への怒りを八つ当たりされるとしても。

 彼女はそれらの話を真摯に聞き、受け止め。

 〝返して欲しい言葉〟を必ずくれるのだ。


 ただのお人好しや同情なのかと、一度彼女の化けの皮を剥がしてやろうと仕掛けた者が何人かいたらしい。

 しかし、結局わかったことは常人の域を超えた許容・包容力があるということだけ。

 泣きながらの相談には同調しすぎて彼女も涙し、話がまとまらないことに苛立てばそれを解決まで導くように応対し、どんなに理不尽に怒っている成人男性相手にも否定せず、かといって肯定もせず。冷静になれるよう誘導していく。

 相談役を引き受けることに対しても、弱音や泣き言、悪口を言うなんてことも絶対にありはしない。

 絶対的な公平さとどんな人間でも受け止めるその器の大きさから、いつからか彼女は「聖母」と呼ばれ、彼女に救われた者全員に崇められた。


(でもよくこんな毎日毎日、自分と全く関係のない他人の話を何時間も聞けるよなぁ)


 今では予約制度なんてものまで出来ているらしい。

 彼女のプライベートの邪魔を避ける為なのか、定期的に相談しないと駄目になってしまう信者でもいるのか。

 そこまではわからないが、円道にはおおよそ理解出来ない世界だ。


「円道くんはどう思う?」

「え? 部活内のいじめですか? そりゃ、そんなのいい気しないですよね」

「そうじゃなくて、あなたはどうするべきだと思う? ってこと」

「えぇ~、オレに聞きます?」


 そんな責任重大なことをと答えずに放棄したかったが、伊富貴はこちらから目を離す気はないようだ。

 藍原の相談とは陸上部内でのいじめ問題らしい。

 いじめと言っても物を隠したり無視したりと、そんな可愛い程度らしいが。

 いじめの原因は三年の先輩の記録を抜いて、彼女が今度の大会の代表になったことだと言っていたが、そういうところは実力社会だから仕方ないと片付けるしかないだろう。


「三年の先パイよりも藍原先パイの方が速かった、それでいいじゃないすか。気にすることないすよ」

「うん。まぁ、そうなんだけど……」


 円道の答えを聞くも、藍原は納得のいかないような顔で首を傾げた。

 そこへ少し間を置いてから、伊富貴が口を開く。


「藍原さんは、その先輩達と仲は良かったの?」

「……去年は、ですよ。ノリの良い先輩達だったし、色々教えて貰ったり、やみくもに練習して駄目になったらどうするんだ、って注意してくれたりも」

「じゃあ、仲直りしたい?」

「……わかんない。でも、私はまだ来年もあるのに、本当にとっちゃってよかったのかなって」

「藍原さんは先輩達が嫌がらせしてくる気持ちもわかっちゃうから、余計にどうしようかわからないのね」

「……うん」

「大会も近いんだし、もやもや悩むのは嫌よね。練習もしなきゃだし」

「うん。でも、やっぱり今は……練習に集中したい」

「そっか。それじゃあ予選が終わってから、一度時間を見つけてお話したらどうかしら? 話し掛け辛かったらわたしもついていくから。ね?」

「……そうだね、わかった。再来週にはもう予選だし、考えてられないや。きみもありがと、一年生君」

「?」

「せっかく私の記録で抜いたんだもん、その記録で勝たないと。それまでは気にしないようにするよ、伊富貴さんも聞いてくれてありがとう」

「ううん、藍原さんがすっきりしたみたいでよかったわ」


 と、話が一段落したところで予鈴が鳴る。

 それを聞き慌てて藍原は立ち上がり、円道は手荷物をまとめ始めたが、あることに気付いた。


「あれ、先パイ。弁当まだ半分も」

「えっ!? あ、私の相談聞いてくれたせいで」

「?」


 驚く二人に反して伊富貴はどうしたの? と首を傾げ、弁当に蓋をして手提げに詰めた。


「伊富貴さんゴメンね、お昼食べれてなかったのに」

「? 別に謝ることないわよ、今日はそんなにお腹も空いていなかったし」

「ほ、本当に?」

「本当本当。ほら、藍原さんのクラス次移動でしょ。急がないと」


 それから何度も「本当にゴメンね」と謝りながら藍原は一足先に教室を出た。

 下の階に下がって行ったということは東棟での授業があるのだろう。

 西棟に戻る円道と伊富貴はそろって教室を出て、四階の連絡通路を渡ることにした。

 校庭にはサッカーをしていた男子生徒数名がボールを飛ばしながら昇降口に入って行くのが見える。


「運動部特有の悩み、って感じでしたね。藍原先パイ」

「あの子前にもわたしのところに来てくれてね、最初の方はもっと酷かったの。靴がズタズタに切り刻まれてたり、練習着から制服に着替えようとしたら、制服がゴミ捨て場にあったりとか」

「怖っ!! いじめこわい!」


 陸上部は男女共に所属しているが、記録の問題で出場云々という問題となるとやはり同性の先輩となるだろう。

 女子はなんて恐ろしい生き物なんだと円道は身震いする。


「でもね、それも今では大人しくなったのよ。どうしてだと思う?」

「どうしてって。あまりにも反応が無かったから飽きた、とか?」

「そうして自然消滅してくれればいいけどね、違うのよ」

「じゃあ何すか?」

「……その三年生の先輩もね、相談しに来たのよ。わたしに」

「はあ!?」

「その時に色々事情を聞いたんだけど……あ、詳しくは話せないけどね? ともかく、その時聞いた限りだと、先輩も一時の感情に身を任せてって感じで、後悔していたから」


 周りの友達にもやり過ぎだと言われて、しばらくしてから冷静になれたけど、何もあそこまでするんじゃなかった。

 でも今更謝りに行くのも気まずい。

 どうすればいいと思う?

 相談役は、年齢を問わずに大人気のようだ。


「だから、嫌がらせをぱったりやめても藍原さんに不審がられるかもしれないし、段々程度や頻度を下げて行って、まだ気にしてるっていうのを示したらどうですか? って。突然やめたら絶縁されたと思っちゃうからってね」

「……思いますかね?」

「藍原さんは、そう思うのよ」


 そう笑う伊富貴の笑顔はいつもの優しさを映すのではなく、全てを見透かしていると言いたげな。

 そんな不思議な雰囲気を出していた。


「大変ですね、先パイも」

「わたしは皆に頼られるのが好きだからいいのよ」

「ペットとか溺愛するタイプでしょ」

「ウチのアイスちゃん可愛いのよ、今度見に来てね」


 なんと、かの「聖母」から自宅へのご招待。

 これまた即答したいものだったが、残念ながらもう一年生の階に到着してしまい周りは人だらけ。

 刺さる視線もひいふうみい。


「いやいや、わかってますから。また写真でも見せて下さい」

「そうね。今度秘蔵のアイスちゃんフォルダを見せてあげる」


 そう言ってご機嫌に伊富貴は手を振り下の階へと下りて行った。

 円道が自分の席に着く頃には本鈴が鳴り、しばらくすると教師がやって来て授業が始まる。

 先の昼休みで初めて見た「聖母」の相談風景を思い出しながら、円道は「陸上部の大会ねぇ」と自分には縁もないことを考えてペンをくるりと回した。

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