3-4:自殺霊と幽霊騒ぎ


 ◇ ◇ ◇



 望永という少年には、あの女子生徒に対する殺意など微塵もなかった。

 殺意はなかったが、同時に聞く耳も持っていなかった。

 会う度に生傷を増やし、人目につかないところをよく探して、年がら年中長袖を着て、円道が「帰って来なくなってしまうのでは」と心配をする要因。

 それがコレだ。

 彼は自傷癖持ちの、俗にいう死性愛者タナトフィリアというものらしい。

 死を連想させるものや、死の間際を好むことを指す。

 円道は昨日の衝突事故を聞いてまたやらかしたと頭を痛めた。

 一般人ならまだしも、望永が衝突事故に遭ったなんて……そんなのは確信犯でしかない。

 彼は自分から車に当たるように踏み出したのだ。

 致死に限りなく近い痛み、苦しみ、痛覚を求めている。

 これらにこの上ない快楽と悦びを感じる、そういう脳みそをしているだとか。

 そして厄介なのは、望永は常に「心中相手」を探しているということ。

 彼はいつも生き死にのギリギリの狭間を愛し、愉しんでいる。

 だがそのたった一度きりの命を落とす時は誰かと一緒が良い。

 それもきちんと、その相手自信も「死を望んでいること」が絶対の条件だそうだ。


(あの先輩も、可哀想に)


 彼に目を付けられてしまうなんて。

 だが、目を付けられてしまうということは。


「あの先輩、自殺か何かしようとしてたのか?」

「……何で?」

「だって、お前が目を付けるってことはそういうことだろ?」


 彼は死を望んでいる人物を見つければ、誰彼構わず近付こうとする。

 自分の同類、同士を見つけたと。

 だが残念なことに彼と同じくらい「死」を望んでいる者が滅多にいるはずもない。

 大抵の人間は「死にたい」と言いながらも「死にたくない」と思っている。

 それに、彼ほど「死」を望んだ者はとっくにこの世を去っているはずだ。


「……一緒に死んでくれなかった人のことなんて、もうどうでもいいよ」

「……そっか」


 血のように真っ赤だった空は、段々と痣のような青紫に変わっていく。

 春の夕方は生暖かい風が吹き、肌を撫でていく感触が気持ち悪かった。


「ほら、帰るぞ。昨日あんなことがあったばっかなんだから、母さん心配するぞ」

「……うん…………」


 いつものように望永の首根っこを掴んで立たせると、彼はフラフラと頼りなく起き上がる。そして、手すりが外された場所を無言で見つめた。

 名残惜しそうに、または恨めしそうに。

 暗い瞳は虚空を見つめている。


「未来」

「わかってるよ、ハル。……帰ろう」

「……何か食って帰るか」

「カレー食べたい」

「夕飯は」

「夕飯は別腹」

「……はいはい」


 そこでハハハとようやく円道は笑い、望永と肩を組んで歩き出した。

 


 ◇ ◇ ◇



 翌日から四階連絡通路は一時立ち入り禁止となり、手すりが直されるまでは誰も通れず、一々三階の通路を使用しないといけない羽目になった。

 しかも解放されてから見に行ってみれば、手摺には全て鍵が付けられており簡単に外れないものに変わっていた。

 件の幽霊騒ぎの正体は、円道が助けたあの女子生徒。

 三年生だったらしいが、どうやら長いこといじめに悩まされていたらしく、彼女は早々に他校へ転校して行った。

 だが、あれ以来彼女は高い所がめっきり駄目になってしまった……という話は、後になって円道の耳に入った。


「どんな状況であっても、どんなにひどい目に遭ってても……簡単に『死にたい』なんて言うべきじゃないんだよ…………」


 そう望永は体育座りをしたまま、両手でスマホを持って呟く。

 横目で画面を覗くとまたプレイヤーキャラクターの死亡画面になっており、望永は淡々とコンテニューを押していた。

 自転車置き場と部室棟の間の日の当たらない狭い空間に、望永と円道はいた。

 もう今日の授業は終了している為、グラウンドからは部活動のランニングの掛け声が聞こえる。

 所々隅っこに煙草の吸い殻が捨ててあるのが目についたが、円道は見て見ぬふりをしようと口を閉じた。


「『生きてる意味がない』とか『どうせ死んでも誰も困らない』とか……そういうのはただの、……なんだろ、自意識過剰?」

「まぁそんなのが多いよな。結局、皆『死にたくない』からこうやって生きてるんだし」

「…………」

(あぁ、お前は違うか)


 中学でも確か二回ほど、今回に似たような事件があった。

 それにはどちらも望永が絡み、円道が助けて難を逃れられたという結末だったが。


「でもさ、あの先パイも。まぁ中々口に出せないというか、溜め込みがちな人はやっぱりああいう風に言っちゃうんだって。自殺未遂はやり過ぎだけどな」

「誘ってくれれば一回で死ねたのに?」

「だから『死にたくない』んだって、ああいう人達は」


 辛い現実から逃げたい、でも逃げ出せない。

 あぁ自分はどこに行けばいいんだろう……どこに行けばこの苦痛から解放される?

 もういっそのこと……。

 死んでしまいたい。


「あんまり言うもんじゃないけどな。未来みたいな奴に聞かれたら本気にするってのに」

「言葉の綾、とか言うんだっけ……?」

「おぉ、何だよどうした? 勉強したのか?」

「……こないだ読んだ本に書いてあった」


 何の本を読んだのかは聞かないでおこう。

 ともかくはこれで一件落着。

 部活のオリエンテーションも新入生歓迎会も来週には控えているし、まだまだ高校生活は始まったばかりだ。

 あの三年の先輩はそんな高校生活が終わって欲しいから、誰かに見つけて欲しいからと、ああして誰にでも見つかるように行為に及んでいたのだろうが。

 本当に、見つかった相手が悪かった。

 だが彼女の願い通り、この学校での生活が終わったのだから良いのではないかとも思う。


「センセー達に目ぇつけられてるだろうから、しばらくは自粛しろよ?」

「……多分ね」


 完全にすねている。

 石のように動かない望永だが、昔ならまだしも高校生となった今ではそろそろそのすね癖もやめろと思うが。

 果たして彼にかけた言葉の内、ちゃんと響いた言葉は一体いくつあっただろうか。


「そういや、あの『幽霊が幽霊じゃない』ってのは結局どういうことなんだよ?」

「え? ……あー、それは……ほら。『死にたくない』なんて言いながら死のうとしてるのは、『人間』だなって」

「あぁ、わかってんじゃん」


 だから彼は幽霊なのだ。

 皆が幽霊というあだ名をつけたのは神出鬼没さや彼の暗さを象徴してだが、円道は全く別の意味で幽霊と呼んでいる。

 「生きたい」と言いながら、彼は死のうとしている。



 ――本当の幽霊になるということは肉体を捨てる、つまり痛覚を持つ肉体を捨てる……なんてこと。一番してはいけないことだ。



 などと望永は昔言っていた。

 皮が切れた時の痛みを、肉にかかる圧迫や骨の軋みを、裂かれた肉の断面から感じる痛みや熱さを……。

 それを感じることが出来なくなるのは、本当につらいことだ。

 だからちゃんと死ぬ時も、人生で一番痛いと感じられる死に方が良い。

 そう常人には到底理解出来ないことを言っていた。


「ホント。オレお前と結構いるはずなのに、わかんねーことばっかだなぁ」

「……俺のことわかってたら止めたりしないじゃん」

「そりゃお前、見殺しには出来ねーし。普通は誰だって人が死ぬのは嫌でしょうよ」

「へぇー」

(コイツ……)


 全く興味の無さそうな返事だ。

 しかし望永がいくら円道の言葉に聞く耳を持とうとしなくとも構わない。

 望永が何と思うと、何と言おうと構うことなく勝手に死ぬことを阻止しようと決めている。

 それが普通の友達という奴ではないかと円道は思う。

 もし円道が彼の死を阻止出来ない時が来るとすれば……。

 きっとそれは、彼の心中相手に邪魔をされる時だろう。


「俺だって、……ハルの考えてること全部がわかるところじゃないよ」

「? オレ結構わかりやすい方って自覚あるんだけど?」

「そうだね」

「即答~」

「でも……よくわからないところはあるよ。……親友から見て、ね」

「あらそう」


 円道からすれば一体何のことやらということだが、どうやらソレを望永は知っているらしい。

 彼が得意げに笑うのは大変珍しいことだ。

 望永は立ち上がると「今日こそゲーセン行こう」とぼやいて、円道は仕方がないな~と嬉しそうに笑って彼の後に続いた。

 正門を出る際、テニス部の団体とすれ違う。

 ウォームアップ帰りの部員達と望永とを見比べて、ヒトはこんなにも違えるのかと要らぬ同情をこっそりしていると、唐突に望永は口を開いた。


「そういえばさ……。ハルって、誰とでも話せる癖に……本当に『友達』って呼べる人、少ないよね」

「えっ!? 何、突然」

「学校から出る時に何か先生に絡まれてたじゃん? 凄く助けて欲しそうだったのに、皆避けていくの見たから……」

「なっ、見てたんなら助けてくれてもいいじゃねーか!?」

「ヤダよ」

「何で!?」

「だって、ハルってほら……『疫病神』じゃん?」


 俺、不幸で死ぬのはイヤだし……。可哀想だったけど。

 そんな同情のコメントと共に意地悪く笑われても何も嬉しくない。

 そう円道は反撃をするも、望永は全くめげることなくああ言えばこう言うを繰り返した。



 ◇ ◇ ◇



 彼等の関係が小学校からの幼馴染で親友だということを聞くと、二人が一緒にいるところを見て人々は皆首を傾げる。

 あんなに明るい少年と、あんなに暗い少年がどうして? と。

 それに「幽霊」というあだ名を知っている人間は更に思うわけだ。

 あんな幽霊と一緒にいて何が楽しいんだろうか? と。

 すると横から誰かが言った。

 一緒にいて楽しいのかってよりは、同情してるからじゃないか? と。

 それに続けて、聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで皮肉を言うのだ。


 彼はきっと、好きで幽霊と一緒にいるんだと思ってるんだ。

 本当はただ幽霊に取り憑かれてるだけなのにね。

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