3-2:自殺霊と幽霊騒ぎ
望永の「幽霊を見た」という言葉がただの妄言ではないと証明されたのは翌日だった。
学年を問わず、幽霊の目撃情報が校内を飛び交っていた。
「幽霊ってどんな?」
「どんなって……ぼんやりと。でも浮いてたよ」
「女子の霊かな~。スカートのシルエットだったし」
「ぼくも見たけど、カーテンの見間違いだと思ってた」
「西棟の三階って言ったら二年の階でしょ? 二年のイタズラじゃないの?」
朝から騒がしい校内はHRにやっと静かになり、しかし休み時間を迎える度に騒ぎはまたぶり返し、教師陣は辟易していた。
昼休みになると円道はC組に急いで顔を出し、教室から出て行こうとする望永を何とか捕まえてそのまま四階の連絡通路へと移動する。
「で、未来はいつ見たんだよ? 〝幽霊〟」
「ん? ……えっと、昼前」
「アバウトだな~つか教室にいなかったってことだろ、それ?」
「…………」
「未―来―くーん?」
詳しく聞き出したところ、望永が件の幽霊を見たというのは四時限目の授業を抜け出し、特別教室しかない東棟をフラフラと散歩していた時だという。
窓から向かいの西棟を眺めている時、ある教室の窓に変わった人影が見えた。
あんなに天井に頭が近い生徒がいるのか? とよく目を凝らしてみる。
そして、足が宙に浮いているのを目撃したとのこと。
「幽霊が幽霊を目撃、か。笑えるね」
「でも、俺以外に見た人があんなにいるなんて……正直ビックリ」
「いやいや、多分お前が見たのとは違う奴だよ。今日の騒ぎは」
「?」
「HR終わってすぐにさ、あんまり噂が凄いことになってたから先パイに聞きに行ったんだよ。そしたら『みんなは夕方、下校間際に見たって言ってるよ』って」
「……じゃあ、俺が見たのは……本当の幽霊だったりするのかなぁ」
「嬉しそうにしなさんな」
地面に座り込んで弁当をつつく望永からおかずを盗みつつ円道はため息を吐いた。
相変わらず望永家の弁当は美味いなぁと舌鼓をしていると、下から「ハルは」と声がかかる。
「信じてないの?」
「お前の話はそりゃ信じるけど、でも幽霊は信じてないなー。誰かがいたのは信じる」
「……そっか」
あそこだよ、と望永は改めて指差した。
教室の奥の方は見えないが、窓からわずかに様子がうかがえる。
明かりはついておらず、机もまばらに並べてあるようで、ベランダにいくつか机が出されていた。
「空き教室……」
「でも、たまり場だよ。毎日中にある物変わってるから……誰が何をしてるのかわからないけど」
「うっわ、絶対行きたくない」
菓子パンを食べ終わった円道はゴミを袋に詰めて、空になった紙パックも綺麗に畳んだ。
望永も空になった弁当を布で包むが、その手元を見て「げ」と円道が声を漏らす。
「また傷増えてる……しかも手の平て」
「……?」
手の平の大きなガーゼを指摘すると、へら……と望永は緩く口元を開けて笑った。
その笑みに文句は言わず、早く立てと円道は彼の首根っこを引っ張る。
「ま、こんだけ騒ぎになってれば皆あの教室に行くだろうし、もう目撃もなくなるんじゃねーの?」
「……さあ?」
「……お前さ、探しに行くなよ?」
円道の言葉を受けて、ガチャンと望永の足元で音がした。
空の弁当箱が大きな音を立てた。
「……」
「……わかってるよ、ハル。……幽霊には近付かない」
幽霊同士、話せると思ったんだけど……。
と、勿体無さそうな顔をして、望永は円道より先に廊下へ戻って行く。
うつむいたままの彼の顔は、影で覆われていた。
◇ ◇ ◇
死ぬのは一瞬。
死なない程度と言うのは、随分長い時間を体感する。
死なない程度に加減をするのは、殺さない程度に加減をするのは、長い長い時間が掛かる。それに多少力も必要だ。
額に脂汗が浮く。
しかしそれでもやめることは出来ない。
やめてはいけないと誰かに命令されているわけではないが、やめてしまったらそれこそ……。
自分が生きているのか死んでいるのか、わからなくなってしまう気がするのだ。
◇ ◇ ◇
春の日差しはただ暖かいだけならいいが、日によっては強く、上着を脱ぎたくなる日もある。
だがそんな日でも望永はその上着を脱ぐことはない。
年がら年中、半袖にもならない変わった人間だ。
そんな熱い日差しの下、彼は一人で信号待ちをしていた。
本来なら円道と一緒に駅前のゲームセンターに行くはずだったのだが、昇降口で突然校内放送で円道が呼ばれてしまいそこで別れた。
円道を呼び出した
信号が赤から青になるタイミングを見計らって、彼は少し早めに足を前へ出した。
瞬間、ゴンッという鈍い音が響いて彼の体は宙に浮く。
まだ人通りの少ない学校近くの横断歩道に、ドサリと彼は倒れた。
近くを歩いていた生徒の一人は悲鳴を上げ、一人は彼に駆け寄り、一人は逃げ去る車のナンバーを呆気にとられながらも見ていた。
「だ、大丈夫か!?」
悲鳴を聞きつけた通行人等がわらわらと集まって来て、あっという間に小さな人だかりが出来る。
道路に寝転んでピクリともしない望永だったが、出血は無いようだ。
駆け寄った生徒が携帯を取り出して「救急車を……」と番号を打とうとした時。
「平気です……」
と、むくりと起き上がった望永は呟いた。
ぶつけた脇腹辺りを押さえつつ、何もなかったかのように立ち上がるとフラフラと歩き出す。そんな彼を目の当たりにして、野次馬達は目を丸くする。
「へ、平気って……でもさっき凄い音っ」
「大丈夫ですから、ご心配なく」
長い前髪からのぞく暗い瞳が「これ以上話し掛けるな」と静かに訴え、引き留めようとした生徒は戸惑いつつも決まり悪そうに、足早にそこから立ち去った。
覚束ない足取りで歩き出す望永の背を誰もが気味悪げに見続ける。
が、彼はふいに振り向いてある人物と目を合わせた。
「っ!?」
「……」
不気味な少年に睨みつけられたその人物は思わず息を呑んだが、望永は何も言わずにまた前へと向き直り、自宅へと真っ直ぐ帰って行った。
という話は翌日回りに回って円道の耳にも届くのである。
「何してんだよ未来!! ちゃんと病院行けって!」
「別に……平気だったし……」
名前がわからなかった為、交通事故に遭ってそのまま普通に帰ると言う奇行を取った少年が誰かと言うのは知られなかったが、円道はその話を小耳に挟んで真っ先に望永の元へとやって来た。
今日は保健室のベッドにいる。
「平気だったからとかじゃないだろ!? 轢き逃げだぞ轢き逃げ!」
「……俺が言わなきゃ、向こうも俺も面倒にならなくて済むじゃん」
「そういうことじゃなくて~……!!」
しかしそうは言っていても、打った患部を度々さすっているのはやはり大丈夫ではないのだろう。
本人は湿布を貼っとけば治る、なんて言っているが普通の人間はそんなことじゃ治らない。
「あのな、いやまぁ口出ししても直らないのは知ってるけどな? でも、あんまり目立つと問題になるだろ?」
「それはそうだけど……」
「昨日だって、まさかそんなことがあったってのに日付変わる前まで家に帰らないって……どこにいたんだか」
ペラと薄いシャツをめくると、彼の脇腹には痛々しそうな痣があり、まだ赤いが絶対に青くなると円道は確信した。
わざと大きなため息を吐いて聞かせても、望永は他人事のようにゼリーを食べている。
そのゼリーは一体どこから持って来たのだか。
「こんなん続けてたらな、ホントに幽霊になっちまうぞ」
「ならないよ」
「?」
望永は珍しく即答した。
「だって、幽霊になるってことは……肉体が無いってことでしょ? それはイヤだし」
じろりとこちらを見る目は反省の色も、後悔の色も無い。
そうだ。
この望永未来という親友は、こういう奴だった。
「だからきっと、あの〝幽霊〟も……〝幽霊〟じゃないよ」
「? 幽霊って、あの西棟の?」
「そう」
幽霊が幽霊じゃない、では説明になってないぞ。
と言おうとしたところで、出ていた保健医が帰ってきてしまった。
円道はもう退散しようとベッドから離れ、ちゃんと手当しろよと望永に声をかけたが。
すぐに布団を被ってしまった彼にちゃんと聞こえたかは、正直微妙な所だった。
◇ ◇ ◇
死ぬかと思った。
本当に人が死んでしまうのはどんな風なんだろう? なんて悠長なことも思わず、ただ焦った。呼吸をするのを忘れ、一瞬、体の全機能が止まってしまったと思った。
大きな音に足が竦んで、もう立ち上がれないんじゃとハラハラした。
でも起き上がった姿を見て、その次に思ったのは、やっぱりあんな風に死ぬのはイヤだ……と。
感想は、その程度。
結局死ぬことはなかったけど、それでも自分は……あんなに痛そうなのはイヤで。
もっと楽な方法がいいと思った。
やめようと思えないのは、やっぱり。
自分が生きているか死んでいるか、わからないからだろう。
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