2-4:人殺しと処刑選挙


 ◇ ◇ ◇



 昼過ぎから雨が降り出した。土砂降りの雨は窓をバチバチと叩いてうるさかったが、遠くの空は日差しが差しこんでおり、通り雨だと判明すると皆安心した。

 生徒会選挙も無事終わり、校内は次の期末テストへの憂鬱さに満ちていたが、円道はその憂鬱さに加えて一抹の不安を抱えながらも呼び出された生徒会室へと向かっていた。

 ドアをノックすれば、中から「入れ」と返事がする。


「失礼しまーす……今日は何用で」


 円道は思わず途中で言葉を止めてしまったが、氷樫は固まった円道に早く中へ入れと催促した。

 そして用事を済ませたのか、中にいた男子生徒。

 榎原は、氷樫に軽く声をかけて出て行ってしまう。


「……あのー、榎原先パイは何を」

「文化祭の委員会に入っているからな。その資料を見せて欲しいと言うので持って行かせたんだ。あぁ、そこにかけていてくれ」

「……失礼します」


 生徒会選挙当日。円道の不安は的中し、榎原が出馬を辞退したという発表が教師からあり、会場はしばらく騒がしかった。

 理由は公表されず、結局氷樫のみが会長枠に出馬することとなり、今年の支持率は九八%という結果になった。

 円道は予定通り何の迷いもなく氷樫へと投票したが……さて、榎原のことである。


「またやらかしたんすか。人殺し会長サマ」

「そう呼んでくれるのはお前だけだな」

「気に入ってるんです?」

「『女王』なんて呼び名、嬉しい訳がないだろう?」

(『人殺し』はいいんかい)


 心の中で静かにつっこむと、氷樫が淹れてくれたコーヒーが運ばれて来た。

 相変わらず黒い水面が張っているが……何と、今日は驚きのものがついてくる。


「ミルク!?」

「報酬と思ってくれ。お前のお陰で無事、榎原を手に入れることが出来たんだからな」

「……」


 そう言われるとイヤな報酬だなと思ったが、頂けるものはもらっておこう。

 ミルクを入れてかき混ぜて、いただきますと口に含んで、眉間にシワを寄せた。


(……これ絶対前のより苦い奴だ)

「どうだ? 豆を変えてみたんだが口に合うか?」

「……会長サマからのお心遣いは感じられました」


 恨めしく答えると、氷樫は微笑む。




 さて、今回のこの一連の選挙に関する……というか、榎原が巻き込まれたちょっとした事件。

 円道が氷樫のぐるだったかというと別にそういうわけではないのだが。

 氷樫に“殺された”被害者であるかと言えば頷ける。


 円道と氷樫の接触は早く、入学式の翌週だっただろうか。

 円道はある〝弱み〟を握られ、それだけに飽き足らず念押しの拷問にかけられた。

 ある放課後、円道は氷樫に視聴覚室へ呼び出された。

 部屋は明かりも付けず、暗幕も閉じ切っていた。

 中央の席に座らされると氷樫の傘下の奴等が円道を椅子に縛り付け、頭を固定され、「目を瞑ったと判断したら三十分の延長」とだけ告げられて取り残される。

 スクリーンが明るくなったと思い、何が始まるんだとドキドキしていると、画面いっぱいに映し出された、様々な種類の幼虫。

 蠢き、BGMもない大音量が視聴覚室内に響き渡り、羽虫に変わったかと思うと食事シーンや食べ物に群がるシーン、大群で羽音を鳴らしたりという上映だった。

 叫び、暴れ、いつ終わるか不明だったが延長だけは勘弁してくれと目を瞑ることを我慢し、めまいがしてきて吐く寸前で映像は切れた。

 部屋に明かりがつき、誰かが上映室から出てくる音が聞こえると、目の前に現れたのが氷樫だったのだ。


「オレの場合は確かに虫が苦手だし、ああいうのはホントいやですけど。榎原先パイは高所に関する拷問、ですか?」

「クイズをしたんだ。不正解になる度にロープを切ると言う単純な遊びだ」


 その簡単な説明だけで榎原がどんな目に遭わされたのか容易に想像出来、心の底から同情した。

 やはり、彼も氷樫に殺された被害者となってしまったのか……と。


 氷樫に拷問をかけられた者は、人としての尊厳や自由を奪われ彼女の手駒となる。

 このことを円道は「人殺しに殺された人間」と形容しているのだ。

 人を人とも思わない、人殺しの手によってと。


 精神的ダメージ、トラウマを植えつけられ、彼女からの命に逆らえばその拷問はどんどんエスカレートしていく。その流れに逆らえる者なんて存在しない。

 円道でも、現在彼女に殺された人数がどれだけいるかはわかっていない。

 もしかしたらもう学校のほとんどの人間が彼女の傘下にいる可能性もある。


「今回は何が一番の目的だったんですか?」

「目的?」

「生徒会長の座を守りたかったのか、それとも榎原先パイを確実に手中に入れたかったのか」

「本来の目的は後者さ。前者が目的になることはない。確定事項だからな」

「その自信がうらやましいです……」


 実を言うと、榎原が円道に目を付けて声を掛けて来たあの日。

 あの日よりも前から氷樫は榎原に目を付けていたのだ。

 彼の能力は自分にはないもので、きっと手に入れて置けば彼を慕う者がたくさんついて来るぞと目論見、そのタイミングで彼が選挙へ出馬したので好都合だった。

 榎原の周辺人物は何人か手配がつくので協力させ、精神的に優位に立ったところでもてなしてやろう、と。

 榎原が氷樫に対してどんな対策を取ろうと、彼女の計画に影響が出ることはなく。

 初めから全てが彼女の手の平の上だったというわけだ。


「弱点を明かしてもいいって言った時は何かと思いましたけど。っつーか、榎原先パイの高所恐怖症、オレ教えてませんよね?」

「去年の内から知っていることだ。準備に少し時間が掛かったからな。しかしいいタイミングで話が出来てよかった」


 あの夜、最後のロープが切られた時。

 榎原は死んだと思った。

 雑草が刈り取られるように、自分も首を切り落とされたのだと。

 しかし、切られたロープは目の前を落下していったが、体に巻き付いているロープが外れることはなかった。

 一体何が起こったんだ? と頭を上げると、光の当たり具合で太いワイヤーロープが目視で来たのだ。

 ロープを全て切ってしまっても、彼が落ちることは初めからなかった。


「……俺、助かった……のか?」

「どうだ? 楽しんで貰えたかな?」


 放心する榎原に氷樫はそう声をかけて、合図をすると隠れていた数名の男子が榎原の回収に当たっていた。

 見覚えのある彼等の制服は、黒函高校近くのあの不良校のものだ。


「……氷樫、お前…」


 最後まで言うまでもなく、榎原は静かに悟った。

 何者だとか何をしたんだとか、そんな言葉は彼女に通じない。

 次元の違う、全く別の生き物なんだと。



「もっと平和的に勧誘とかすればいいじゃないすか。確かに会長サマと普通に話すと怖いけど」

「ただ座って話すだけなんて何が楽しいんだ? それに、私の庭にいる生き物なんだ。私が何をしようと問題ない」


 完璧主義者の氷樫は加虐主義サディストであり、また手段を選ばないでもある。

 最悪の組み合わせ、歴史の教科書にでも載りそうな凶悪人物だ。

 一番身近な彼女の異常っぷりを上げるとすると、この舞函高校の校舎内には至るところに監視カメラが設置されているらしいのだが、それを見つけることは難しい。

 職員玄関に設置されているカメラはもちろん学校のものだが、その他の全て、どこかに仕掛けられている数百個の監視カメラは全て氷樫の私物。

 この学校内の平和を守り、全てを把握し、全てを思うがままにし。

 争いが起きそうならそれを止め、いじめがあるなら撲滅し。

 氷樫の理想の庭造りは、到底常人に真似出来るものではない。


「ま、まぁ確かに先月の爆破事件の時はお世話になりましたけど。ホント、どこにカメラつけてるんですか?」

「それはお前が知らなくていいことだ。それに、私はお前に頼まれたからカメラの映像や放送委員達を紹介したわけではないぞ」

「え!?」

「後舎先生のピンチに動かないでどうする? あんなに素晴らしい先生はなかなかいないぞ」

(そっちかーい……オレの頼みは二の次)


 そんなぁ……と項垂れる円道だが、思い返してみれば今回の選挙。

 彼女の出馬の顧問は、テロリストとして名高いあの後舎だった。

 学校一の嫌われ教師が氷樫のようなカリスマ生徒に頼まれたのだ。

 大喜びして感涙したに違いない。


「しかしな円道。今回、榎原を手に入れるのに関わってくれたのはありがたかったが、そう易々と人の手伝いをしないことだぞ。特にお前は」

「特に、とは?」

「疫病神が自ら進んで人間に関わっては、巻き込まれた奴が可哀想じゃないか」


 バサリと机に置いたファイルは、先日彼女が目を通していたファイルだ。

 開かれているページは円道の顔写真を始め、様々な個人情報が事細かに書かれていた。

 絶句しつつも、恐る恐るページをめくれば数ページ先に榎原のことも書かれている。

 この間見ていたページは、もしかして。


「っていうか! オレのあだ名についてはおいといて、それって榎原先パイにオレが厄ふっかけたってこと言ってます!?」

「なんだ、理解出来たか」

(じゃあ榎原先パイに降りかかった厄は会長サマってことになるけどやっぱり自覚あるんじゃねーかこの人殺し!!)


 こんな他愛もない会話でも踊らされてしまう。

 この会長はつくづく化け物だと円道は思うものだ。

 絶対に人間なわけがない。


「さて、報告会もこの辺りで終わるか。お前は察しがいいから話していて楽しいな」

「会長サマから振られる話題に察しが良くても、嬉しい気がしないんすけど」


 苦々しく言っても、氷樫の機嫌が損なわれることはない。

 こんな憎まれ口をきける人間がそもそも少ないのであり、また彼女の本性を知る人間の数もそれと同じだ。


「また何か面白いことでも起きたら声を掛けるからな。その時は宜しく頼むぞ」

「……面白いこと、ですか」

「なんだ?」

「いえ、別に」


 氷樫は必要以上に人と接触しない。

 つまり円道が呼ばれる時というのは、円道を働かせるということだ。

 だがそれを断ろうとすればまたあの拷問にあわされてしまう。


(文字通り、生きた心地がしないな)


 氷樫は先程のファイルを手に取ると、デスクの引き出しにそれをしまった。

 その際目に入ったが、その個人情報ファイルは一体いくつあるんだろうか?

 せっかく出してもらったコーヒーを飲まないわけにはいかず、円道は苦みに耐えながらも何とかコーヒーを飲み干し、鞄を手に取った。


「それじゃ、オレ帰ります」


 しかし、その言葉に返答はなかった。

 氷樫は書類を手に自分の机についてもう仕事を始めていたのだ。

 仕事熱心な生徒会長? そんな言葉で済ませないでほしい。

 そこにいる人殺しはもう興味がないのだ。

 自分が殺した死人など、何をしようと何を喋ろうと。

 興味を失われた死人、円道はそれ以上声を掛けることはなく、静かに生徒会室を後にした。

 いや、出る直前小声で「コーヒーご馳走様でした」とまた苦々しく言ったのだが、ほんの些細な反抗でしかない。

 バタンと閉められたドアを一瞥しながら、人殺しは微かに笑っていた。

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