2-3:人殺しと処刑選挙
日曜日はバレー部が休みで、榎原は友人と外へ遊びに出ていた。
昼前からカラオケに行き、夕飯をファミレスでとり…………そして。
そして?
「あれ……俺…………」
いつの間に寝ていたのか、目を覚ますと辺りはすっかり暗くなっていた。
しかし、視界が鮮明になるにつれて今が何時なのかという疑問などどうでもよくなってしまう。
「なっ……な、ん」
全身の筋肉が硬直し、一気に血の気が引いた。
やや強く吹く風、見通しのよい夜景、まるで“空でも飛んでいる”ようだ。
「おぉ、やっと目が覚めたか。榎原」
「っ!?」
閉まっている喉から声は出せず、身動きの取れる範囲で声のした方を振り向くと、そこには氷樫が立っていた。
風に、彼女の長い髪が揺られる。
「ひ、……かし……!? な、何で……」
「薬の分量が多すぎたせいですっかり夜中になってしまった。近所から苦情が来なければいいんだが」
「なっ、何でお前が……これは一体どういうことなんだよ!?」
大声を上げると背中から〝ギシッ〟と軋む音が聞こえて思わず身構える。
場所の特定はできないが、どこかのマンションか、高い建物の屋上に違いないはずだ。
榎原の目下にははるか遠い地面があり、人は一人も歩いていない。
今彼は、どこかの屋上から吊るされているらしい。
下手に暴れないよう腕は胴と一緒にロープでしっかりと縛られ、首をひねって見てみると頭上の太い鉄骨にロープが三本結ばれている。
恐らくこれだけで榎原の体重を支えているのだろう……。
足場などは一切ない。
「どうもこうも、それを聞く権利は今のお前にはないさ。ちょっとしたクイズに付き合ってもらおうと思ってな」
「そ、そんなの知らねーよ! っていうか、どうやって俺をこんなところに!? だって、お、俺……普通にただ」
目が覚める前に自分がしていたことを思い出そうと冷静になり始めた時。
狭まっていた視野が広くなって、氷樫以外にも人がいるのが認識出来た。
だがそこのいたのは、昼に榎原と遊んでいた友人二人。
榎原の生徒会選挙出馬の推薦者である二人だった。
「……なんで……お前ら」
「あぁ、これ等を責めるのはよくないと思うぞ。薬を盛ったのは確かにそうだが、ここまで運んだり設置したりは別の奴にやらせた」
氷樫の後ろにいる男子二人は気まずそうに榎原と目を合わせないよう俯くが、氷樫の一挙一動にビクついてもいた。
一体、彼等と氷樫の間には何があったんだ?
「それよりも榎原、クイズをしようじゃないか。何、単純で簡単なクイズだ。私がこれから問題を出すから、それに『はい/いいえ』で答えてくれればいい」
「な、何だよ……い、いいから下ろしてくれよ! そしたらクイズでも何でもやるから!」
「クイズに正解したら下ろしてやるさ。それじゃあ第一問」
気が気でない榎原を置いて、氷樫はさっさとクイズを始めてしまう。
後ろの二人は一切口出しせずに、そしてそこからゆっくりと去ってしまった。
(何なんだよ!? 何で……お、俺が氷樫の弱点なんて知ろうとしたからか!? だからってここまですることなんて!)
時折強い風が体に当たると肝が冷えた。
ロープの太さは十分に見えるが、落ちないとは限らない状況だ。
いくら完璧主義者の氷樫が相手であっても、このロープも完璧に結ばれたものかどうかはわからない。
「問題、『私はコーヒーに砂糖を入れるか』。これは○か×かで答えてもらおうか。因みにどれだけ時間をかけて考えてもいいぞ」
「……何で、そんな問題」
「問題に対する質問は受け付けていない」
拍子抜けする問題に榎原は戸惑ったが、この問題に正解すればここから下ろしてもらえるんだ。早く答えて終わりにしよう。
(コーヒーに砂糖……って、氷樫が普段何飲んでるかなんて知らねーよ。昼飯も生徒会室で食ってるっぽいし。でも、もし飲むとしたら……)
「ま、
「残念、不正解だ」
バチンッ!
目の前で氷樫が何かを切ったような音がして、しばらくすると榎原の頭にポトリとロープが垂れて来た。
見上げると、三本が二本になっている。
「あぁ、不正解につき一本だ」
暗くてわからなかったが、氷樫のすぐ隣には三本のワイヤーロープがあったらしく、その内の一本を切ったようだ。
手には大きなワイヤーカッターが握られている。
そのロープは鉄骨へと伸び、榎原の体を吊り下げているロープへと繋がっているらしく、今榎原は二本のロープに支えられて宙に浮いていた。
「……なんで……お、お前は……こ、んな……こと……」
理解しようとすればするほど足先が冷たくなっていく。
生暖かい夜風が汗を温くさせ、体が小刻みに震え始めた。
そしてきっと、何度見ても。
今、榎原は地上六階以上の高さにいるはずだ。
「何で、どうして、と聞かれてもな。……どうしてだろう?」
自分の今置かれている状況、突然の命を懸けたクイズ。
そして見たこともない氷樫の楽しそうな笑顔に、頭の中がミキサーで混ぜられたような感覚だ。
「では第二問。『私は他校生から怨みを買っているという噂は真実であるか』」
「……え?」
また出題だけすると、氷樫はそれ以上は何も言わないと両手を上げて準備していた椅子に腰かけた。
そして、また一際強い風が吹いて榎原の気力を削って行く。
(何でそんな問題……俺が円道から聞いたのを知って? いや、でもあの氷樫のことだ。まさかあの時の会話を傘下の連中に盗み聞きでもさせて、……あれ?)
待てよ、と。思い止まった。
そういえば交換条件として、自分は「高所恐怖症」だと告白してしまったのだ。
「だから、俺をこんな目に?」
「うん? 答えは決まったか? 時間制限はないからな、しっかり考えた方がいいぞ?」
(俺の『高所恐怖症』に見合った情報として、氷樫が他校生から怨みを買ってるって話を聞いたんだ……。もし円道が、初めから俺の弱みを知った時からこうなることを予測してたんなら、あの情報は)
嘘?
「いいや! 怨みは買ってない、あれは円道が俺を嵌めようとしたうっ」
「不正解」
バツンッとまた音を立ててワイヤーが切られると、今度は榎原の体もガクンと一メートル程位置が下がった。
「やめてくれえっ!」
位置が下がった時のあの浮遊感、そして直後に体に叩き込まれるロープに引っ張られる力と自分の落下重力に、心臓がバクバクと全身の血管を叩き額から汗が止まらなくなる。
しまった。もう後がない。
このロープ一本が自分を支えているのも奇跡に近いのではないかと思えて来た。
「円道が私に加担していたと思ったのか。信じて貰えないとは、アレも人望がないものだな」
またクスクスと笑っている氷樫だが、その顔が悪人面だったり犯罪者的な顔であればと榎原は心の底から思った。
彼女は心の底から、楽しそうに笑っているのだ。
子供じみた純粋な犯罪者とかそんな形容詞は似合わない、まるで。
まるで誰かから自分の欲しかったものをプレゼントしてもらった時のような、そんな普通の女の子のリアクションだ。
(何なんだよ……意味わかんねぇ……あんな氷樫見たことないし、こんな……こんなどっかの屋上に上げてもらえるように手配したっていうのか? そんな、何でわざわざそんなこと……)
現実味がないこの現状が、夢であったらよかったのに。
いや? むしろこれは、夢なんじゃないか……?
自分は友人等とファミレスで夕飯にパスタを食べて、そのままドリンクバーを取りに行った友人と、もう一人の友人と談笑しながら……眠かったのは確かにあったし、きっとそのまま寝落ちてしまって……。
これはきっとその夢の中なんだ。
「では、最後の問題だ」
氷樫の声が耳を伝ってぼやけた頭を叩く。
ふと上を見上げ、決して下を見ないようにと頭を固定するがそこから見える夜景が自分のいる高さを全て教えてくれる。
めまいがする。
「『私がこうしてお前をもてなしている理由は、お前を買ってこそだ』」
「……え?」
「『お前のその人望の厚さと強い正義感、謙虚で前向きな努力をする姿勢を見て、傘下に欲しいと思ったからである』……という問題だが、どう思う?」
何なんだ、その質問は。
「何言ってんだよ……お前」
こんな時にからかってるのか? と、普段なら怒りがこみあげてくるはずだが、今はそれよりも恐怖が脳を支配してしまっている。
氷樫の一挙一動が、その一言が、ただ、怖い。
「何とは心外だな。私はただ質問しているだけだが、あぁ、気に障ったのならすまない。が、どう思うか答えて貰わなければ……」
「お、おちょくってんのかよ……俺をここまで。こんなことまでする必要あるのかよ!?」
「?」
怒りと恐怖がない交ぜになり、ただ気が高ぶるだけだった。
脳みそが、感情の制御が出来なくなって来てだんだん痺れてくる。
「たかが高校生の、たかが生徒会選挙の為に? なんでこんなっ、お前おかしいだろ!?」
――何がおかしいと言うんだ?
強く吹く風の音を切り裂くような、鋭い声が頭に刺さった。
氷樫は笑うのをやめ、いつもの冷ややかな、目を離せなくなるような真剣な顔で、こちらを見据えていた。
「たかが高校生、たかが生徒会選挙。本当にお前はそう思っているのか? 榎原。だとしたら、やはりお前に〝会長〟の座は譲れないな、絶対に」
普段話す時よりも言葉が強い。
彼女が全校生徒の前に立って演説をする時にも、こういう声でスピーチをするのを思い出した。
「立候補の言葉を読んだぞ、榎原。どうやらお前は『生徒達の納得するような学校作り』をスローガンに掲げているようだが、まさか民主主義制度でもとるつもりなのか?」
彼女から目が離せなくなった榎原は頷けず、氷樫はそのまま続ける。
「私はな、榎原。生徒会選挙を〝たかが〟等と思ったことは一度もないぞ。会長の座を得ると言うことは、学校という一つの庭を手にするということなんだ」
庭の中にはあらゆる動植物が自由に生活をしている。
性格の違う生徒は種族の違う生き物であり、仲の良い生徒は共生関係にある生き物と言って良い。
そんな生き物達が争うことなく、縄張り争いをすることなく、共食いをすることもなく勝手に食物連鎖を崩すようなこともないようにするには、どうすればいいと思う?
私の庭は平和でなくてはならない、血で血を洗うようなことは決して起こさせないし、起こってしまったらこの手で潰し、土に埋め、平らにならし、わからせなければならない。
この庭はお前達のものではない、私のものなんだと。
「私の愛する庭には、確固たる秩序が必要なんだよ。私という秩序が」
氷樫は前へ突き出していた手を握った。
まるで、全てをその手の中に入れたかのように。
「自分の庭は自分の手で手入れをする、かの女王のようにしもべにやらせるものか。雑草はこの手で刈り取り、害虫がわくなら徹底的に駆除しよう。庭の為に」
学校の平和を脅かす外敵を葬り去り、平和を内から蝕むものがいれば刈り取ってしまう。
それが彼女の方法であり、今の学校の平和を維持している。
「な、……何でそこまでして」
「どうしてとはくどいな、お前も。それでは聞こう、自室に一匹の蚊が現れたら、お前はどうする?」
「……蚊?」
耳元で羽を鳴らし、部屋の中を飛び回り、血を吸おうものなら痒みというストレスを与えてくる。こちらの許可も無しに。
「私なら、すぐにでも摘み出すか、潰してしまうな」
つまり、彼女にとって学校という場所は庭や自室と同じ扱いなのだ。
学校という建物の中にどんな複雑な組織や役職の位がついていたとしても、彼女には関係ない。微々たる問題に過ぎない。
こんな頭を持つ少女を、相手にしようとしていたのか、俺は。
それも、まさか勝つ気でいたなんて。
「さあ、第三問についての答えを聞こうか」
氷樫が榎原にここまでするのは、自分に歯向かおうとすればこんな目に遭うぞという恐怖を植えつけてまで、自分の傘下に入れたいのか?
(……もう、わけわかんねーよ)
彼女の考えていることは自分とは次元が違う。
榎原が考えていた方針は、学校の皆と仲良く楽しく高校生活を送る。
その為に尽力しようと、その程度でしかなかった。
視野が小さかったとか、そういう問題ではないはずだ。
どうしてだろう。
「俺みたいな奴が……お前から期待されるような人間なんて……冗談、やめろよ」
どうして、俺は気付かなかったんだろう。
こんな……。
「そうか。残念だな」
こんな化け物が、すぐ身近にいたなんて。
最後に残った一本のワイヤーが、バチンと音を立てた。
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