2人目:人殺しと処刑選挙

2-1:人殺しと処刑選挙


 この舞函まいはこ高校には名物女会長がいる。

 「氷の女王」なんてあだ名をつけられ、校内では知らない人間がいないという程の有名な生徒会長だ。

 だが、正直その会長が「氷の女王」と呼ばれるのにはいささか違和感がある。

 そんな可愛らしいあだ名で済んでいいものだろうか、と。

 彼女に愛称をつけるなら、「人殺し」という方がしっくりくるだろう。

 人を人とも思わない、「人殺し」だと。



 ◇ ◇ ◇



「『氷の女王』の弱点を教えてくれ」

「……弱点、すか?」


 放課後の二年生の教室はもぬけの殻だ。

 皆部活に出たり帰宅したらしい。

 それでも放課後にお喋りをしている生徒がいるはずではと尋ねると、隣のクラスに移ってもらったんだと聞いて用意の良さに驚いた。

 六月上旬。春雨から梅雨へと移ろいゆくこの季節の湿度は高く、窓を開けて換気してもジメジメとした空気が教室を満たしている。


「弱点なんて聞いて、どうするんです?」


 円道は頭に浮かんだ疑問を素直に口にした。

 せっかく今日は早く帰って今月発売のコミックスを読みふけようと思っていたのに、教室を出たところで突然二年生に囲まれてしまった。

 そして「円道だな?」と名前の確認をするや否や、二年生の教室へと連行されて突然の「弱点を教えてくれ」である。

 話が唐突すぎてよくわからないし、そもそも一年である円道にとってこの教室の居心地はいいものではなかった。


「俺は次の選挙に会長役員の座を狙って立候補しようと思っている」


 目の前に座っている榎原えのはらという男子生徒が答えた。

 榎原の両脇には一人ずつ二年生男子が腰かけているのだが、別段不良生徒のような威圧は感じられず、どちらかというと真面目な雰囲気を醸し出している。


「……あ、再来週の生徒会選挙に会長として」

「そう。その選挙の為に、何としてもあの『女王』の化けの皮を剥ぎたいんだ!」

「そんな化けの皮て……」


 榎原の力説に苦笑する円道だったが、今のやり取りだけで榎原達が何を目論見、何を円道に求めているかが把握出来た。




 舞函高校の現生徒会会長は、二年A組特進科の氷樫ひかし珠李しゅりという女子生徒が担っている。

 「氷の女王」というあだ名がついて回る会長だが、その由来は至って単純。

 人前で笑顔を見せたことがない、というのが命名の由来だ。

 毎年六月の中旬に生徒会選挙がある舞函高校では早めに生徒会引継ぎが行われ、三年生が受験に専念できるようにという体制を取っている。

 だが、現在二年生の氷樫が現在の生徒会会長であるということはとんでもないことなのだ。

 昨年、一年生であった彼女は入学してからたったの二か月ぽっちで生徒会会長に立候補し、見事当選してしまったのである。

 円道が興味本位で春先に先輩達へ聞き回ったが、支持率は九十五%という驚異の数字。

 おまけに会長は文武両道の超優等生。仕事もこなせる完璧主義者だというのだから異議の唱えようがない。

 しかし、そんな氷樫に榎原は挑もうとしているらしい。

 入学したてのぺーペーの円道ですら、それは無謀な挑戦だとしか思えないが。


「榎原先パイは生徒会長やりたいんですか? それとも氷樫会長を引きずりおろしたいんですか?」

「引きずりおろしたいと言ったら聞こえが悪いが、まぁそんなところさ。あの氷樫による〝生徒会独裁政権〟は何としても、俺の手で変えてやろうと思ってな!」


 榎原は拳を握った。

 まるで正義のヒーローのような彼の姿は円道には眩しかった。


「ははあ、なるほど。でも、だったら普通に選挙で戦えばいいじゃないすか。何で弱点なんて……」

「あの氷樫に何のハンデも無しに勝てる訳ないだろう!?」

(あぁ何だ、それはわかってんだ)


 ハハハと心の中だけで笑ったが、それでも円道は乗り気になれない。

 自分には氷樫に対して怨みはないし、榎原に加担してやる義理もない。

 それに、生徒会への立候補には立候補者本人、推薦者二名、顧問の合計四人の著名が必要なのだ。加えて推薦者になる為には〝部活動への所属〟と厳しく決まっている。

 帰宅部である円道は推薦者にはなれない。


「著名は全て集めてある。それに来週からの挨拶運動もするし、きちんと正面からも勝負するさ」

「じゃあオレを呼び出す必要ないじゃないすか。つか何でオレ?」

「それはな円道。聞くところによるとお前、随分な情報通だそうじゃないか」


 じろりと見られたが、円道はぎくりと肩を揺らすだけで余計なことは口にしないようにと頭を回す。


「別に情報通ってーか。そのー、何でもかんでも首だけは突っ込みたくなるんですよ。深くは関わりたくないんで部活も委員会も入りませんけど」

「お前の噂は三年の先輩にも聞いてるぞ?」

「三年の知り合いなんてそれこそほとんどいませんよ。多いのは二年です」


 男が情報通などあまり聞こえがいいものではない。

 まさか自分がそんな風に裏で呼ばれているなんて知らなかった円道は「今度からはもっと口の堅い人に色々聞こう」と反省した。


「……じゃあ、そんな情報通なオレから言わせてもらいますとね、榎原先パイ。先パイだって人望厚いって聞きますし、目立つ方の人ですよね? だったら別に姑息な真似しなくたって」

「あの氷樫に正面から渡り合えると思えるか!? あいつが会長になってから大幅に委員会や部活の予算はえぐく削られるし、それに抗議をしようもんなら上から強制退部や部長除斥をさせられたり。文化祭では生徒会に提出した書類以外の出店や装飾をしようもんなら、出店停止どころか行事中は学校から追い出されて入場禁止。あんまりにも生徒会からの圧力が強いからと立ち上がった先輩達は抗議の後日、何も変えられなかったどころか氷樫を見る度にビクビク怯えちまって……」

「へぇ~そんなことが~」

「それに、お前だって俺と氷樫が対立したらどっちに票を入れるんだよ!?」

「氷樫会長すね」

「ほれみろ! 氷樫の独裁っぷりをまだ見てないから!!」


 残念ながら円道は氷樫会長と少々面識があるし、迷うことなく彼女に票を入れるのは初めから決まっている。

 彼女は違うのだ。

 彼女は無差別に人を惹きつける、いわゆる〝カリスマ〟に違いない。


「榎原先パイも顔かなり広いですけど、会長が相手になるってーと……ね?」

「だからこうやってお前を捕まえて交渉してるんだろう、円道」


 あらゆる手を尽くした結果、円道が最後の砦だったのだろうか。

 榎原はがっくりと項垂れてしまい、そんな先輩の姿を目の前に円道もこのまま「じゃあさよなら」と立ち去る訳にも行かない空気になってしまい、短いため息を一つ。


「それじゃあ、先パイの『弱点』を教えて下さい。そしたら先パイの『弱点』と同じレベルでの、会長の『弱点』を調べてあげます」

「……俺の『弱点?』」


 円道からの譲歩に榎原の顔色は一瞬で良くなった。


「オレだって怖いからあんま調べたくないですけど。タダで人様の『弱点』を流すのはオレの信頼性に関わりますから、等価交換って奴で」

「高い所が大嫌いです!」

「あー、だからこんな教室の真ん中の席」


 二年生のフロアは三階にある。

 三階でダメだと言うのならそこそこな高所恐怖症だが、そんなに胸を張って言えることではないなと思える弱点だ。


「よし! 俺の『弱点』は教えたんだ。氷樫の『弱点』を頼むぞ、円道!」

「は~い」


 交渉成立が決まった途端元気になった榎原は、がっしりと両手を掴んで熱く語ってくる。

 しかし円道はただただ面倒なことに巻き込まれたなぁというのと、この後の展開が怖くて仕方なかった。

 先程から尻ポケットに入っている携帯のバイブが止まない。

 きっと、お呼び出しのメールが来ているのだろう。



 ◇ ◇ ◇



 ドアを開くと、打って変わってそこはカラッとした空気だった。

 窓を閉め、エアコンが「乾燥」の表示になっている。

 多くの書類は全て綺麗に棚やファイルへと収納され、それらは時系列順に並び、また観葉植物なんかが置かれた洒落ているこの部屋は生徒会室だ。職員室よりも綺麗に片付けられている。

 中央の机にはコーヒーが二杯用意され、片方のソファには女子生徒が腰かけていた。


「待ったぞ、円道花之」

「……お待たせしました」


 榎原達から解放された円道は生徒会室へ直行した。

 生徒会室は一般教室がある西棟ではなく、特別教室ばかりが設置されている東棟の二階にある。

 副会長や書記、会計の生徒は一人も部屋にはおらず、ソファにはあの「氷の女王」こと氷樫会長だけが座っていた。


「忙しいんじゃないんですか? この時期、もう少しで選挙だし、引き継ぎもあるんでしょう?」

「誰が生徒会を引き継ぐと?」

(端っから譲る気ゼロですよね~)


 円道は失敬して用意されていたコーヒーを啜ったが、残念ながら一気に多くを飲むことは出来なかった。

 ほとんど減っていない黒い水面に天井の蛍光灯が反射している。


「私がよく飲むところのコーヒーなんだが、口に合わなかったか?」

「何っ回も言いますけど、オレが好きなのは『コーヒー牛乳』です、会長サマ」

「そうか、すまんな。私は何も入れない派なんだ」


 そう微笑むと、何事も無かったかのように、そして実に美味そうにコーヒーを啜った。

 机の上にはコンデンスミルクもなければ角砂糖も置いていない。

 今、円道の目の前にいる会長こそ名物会長なのだが、超優等生という点以外にもとても重要なことがある。

 これこそ榎原が懸念してやまない不安点だろう。

 円道が初めて彼女を目にしたのは入学式。

 在校生代表の言葉として生徒会長である氷樫が壇上に上がったのだが、彼女が皆の前に現れた瞬間ざわめきが起こった。

 そして、その瞬間を持って一年生全員が彼女の顔を覚えてしまった。

 成績だけでなく、容姿まで優れてしまえば突くところもなくなってしまう。

 高い位置で結ばれた長く黒い髪は彼女の動作に合わせて揺れ、その涼しい目元は鋭さも相まって氷のように冷たい眼差しを放つ。

 誰がどう見ても百点満点の美人だ。

 こんな美人会長に、しかも二人きりでのお茶を誘われれば円道でものこのことやって行くし、現にこうして生徒会室に来たが、実はこれが初めてのことではない。


「それで、先程は榎原と何を話していたんだ?」

「……聞きます? それ」

「その為にお前を呼んだのだろう?」


 千里眼でも持っているのではないかと大真面目に囁かれている氷樫。

 自他ともに認める完璧主義者には全てがお見通しで、全てが筒抜け。

 その要因は彼女に付き従う数え切れない程の〝傘下の者〟達にあるだろうとも噂されている。


「榎原先パイが今度の生徒会選挙に出馬するらしくて、会長サマと勝負するかもしれないって話でして」

「ふむ」

「……会長サマに対して勝ち目がないんで、弱点を探れ。と」


 円道は包み隠さず素直に答えたが、これは氷樫派だからとか榎原が気に食わないからとかではない。

 ここで素直に答えず嘘なんか吐いた日には、後々何が起こるかわからないのだ。

 円道からの返答を聞き、氷樫は小首を傾げた。


「弱点? 弱み、ということか?」

「はい」

「そんなものを知ってどうするんだ? 彼は」

「さあー? 悪評でも流して票が減るようにしたいんじゃないんですかね」


 おおよそそんなところだろう、と憶測で話してしまったがここまでは本人に聞いてないので真意は知らない。

 氷樫は「そうか」と軽く返事をしただけで、相変わらず涼しい顔をしてコーヒーを嗜んでいる。

 弱点を探られたところで、痛くもかゆくもないのだろうか。

 いや、痛くもかゆくもないんだろう。


「教えてやればいいんじゃないか?」

「えっ!?」

「私の弱点だろう? そんなに知りたいなら教えてやればいい。そして悪評を流したいなら流せばいいじゃないか」

「そんなことをされても勝てる自信がある、……ってことすか」

「別にそこまで言ってはいない。が、支障をきたすことはないだろう」


 そういうのなら余裕の笑みを見せてくれ、という円道の願いは虚しく。

 表情を崩さない「氷の女王」はほとんど空になったカップを置くと一息ついた。


「それに、あの榎原のことだ。そんなことをしなくても中々いい勝負になるんじゃないか?」


 そう言うと氷樫は机の上に置いてあったファイルを手に取りパラパラとめくり出す。

 今の彼女の言葉は榎原に対する過大評価でも皮肉でもなく、ただの事実だった。

 榎原から「会長の座を狙っている」という言葉を聞いた時から円道自身も正直少し心配した点でもある。

 榎原という生徒は確かに今回こそ狡い真似をしようとしているが、彼への評判は高いものだし、それこそ氷樫と真逆の生徒であると言ってもいい。

 勉強も部活もたゆまぬ努力の末好成績を残し、いつも笑顔を絶やさない明るい男だ。

 それに女子にもそこそこモテるらしい(が、現在彼女はいないとのこと)。

 教師への印象も良いし、男子バレー部エースでありながら後輩の面倒見がよいとか何とかで、一部の男子からは嫉妬の声が上がるくらいだ。

 だから強敵に違いない。

 それに、氷樫の「弱点」がもし校内に広まってしまえば、種類によっては致命的に作用を及ぼすことも考えられる。

 円道にとって榎原はこれといって嫌いな上級生ではないし、〝いい先パイ〟にカテゴライズされているが、氷樫との仲もあるので必然的に彼女の味方側にはなる。


「もし榎原先パイが、演説でめちゃくちゃいいこと言ってたりしたら、勝てますか?」

「いいこと……というのはわからないが、私はただこの学校の平和を保ちたいだけだ。彼が何を言おうと私の心持ちが変わることなどないぞ」

「学校の平和、ですか」


 こんな冷酷な人の口から〝平和〟なんて言葉が出るなんて、笑える話だ。


「しかし、榎原が今の風紀に波風立てようというのならそれ相応の処置。……草刈りでもしないといけないな」

(会長サマの場合草刈りじゃなくて首刈りなんじゃ……)


 テーブルの中央に置かれた観葉植物をジッと見つめていた氷樫だったが、そこから視線を少しずらすとあるものを見つけた。


「……なんだ? まだ全然飲んでないじゃないか」


 円道のカップを指差し、早く飲めと催促する。

 円道は渋々カップを口に運ぶが、やはりコーヒーの苦みには耐えられず眉間に深いシワを刻む。

 お子様の舌だと笑われたって、こればかりは飲めない高校生は山といるはずだ。

 苦みに舌を痺れさせながら、震える手でカップをソーサーに戻すとこちらを向いている顔が目に留まった。

 まただ。また、微かに笑っている。


「ふむ、今度は苦みの少ない豆を持ってきてやろう。それなら飲めるかもしれんな」

「……ミルクと砂糖さえあればいけるんですけどね」

「私には必要ない」


 フフ、と笑うと手をヒラヒラと振った。

 もう退室してよいという合図だ。


「じゃ、失礼します」

「またいつでも遊びに来い。来月もな」

「……はい」


 口元を拭うと、遂に氷樫はニコニコと笑った。

 年相応の、可愛らしい十六歳女子の笑顔。


(……本当に、「弱点」なんて流して大丈夫なもんか)


 笑顔を見せない、冷たい眼差しから誰かが命名した「氷の女王」。

 いいえ、彼女は笑いますとも。

 とても可愛らしく、それもギャップ萌えなんてしちゃうくらいの……。

 彼女が笑顔になるのは決まって、〝他人が苦しんでいる所を見ている時〟である。

 典型的な、加虐主義サディストのそれだが。


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