第6話

   ❤


 通勤用のバッグからクリアファイル入ったアパートの契約書を取り出す。先週の昼休みに会社近くの不動産でもらったものだ。えなちゃんの引退ライブの後から少しずつ英太との間に気持ちのすれ違いが起こり始めた。すぐのころはえなちゃんのいた頃のように夕食をとりながらライブ映像を観たり、休みの日は一緒に買い物や観光へ出かけた。しかし、お互いに仕事が忙しくなってきたこともあり、1カ月を過ぎたころからそれまでの魔法がとけたかのようにすれ違い、えなちゃんの話も、楽しかった思い出も口にしなくなっていった。私たちの時間て、こんなにつまらなかったんだっけって悩んだ。嫌いになったわけじゃない。でも。別れよう。それが、私が出した答えだった。幸いなことに私にはえなちゃんのライブに行く以外の趣味がないので、荷物は多くない。空き室があればすぐにでも引っ越しができる。えなちゃんのライブと、えなちゃんのことを考えたり、話したりすることの他は仕事とここでの生活が私のすべてだった。

 でも、それは本当なの?

 彼と離れれば、彼と出会う前の楽しい生活に戻れるの?

 ぺたん座りしている右脚の隣に契約書を置き、カーテンの隙間から差し込む真っ赤な夕日を見ていたら、喉に涙が溜まった。

 英太と離れれば離れるほど、嫌いになって嫌いになって、このまま終わりにしようと思ったのに、英太を嫌いになろうとすればするほど、全部が嫌いになりそうになりそうな自分がいた。英太との時間を否定しようとすればするほど、えなちゃんとの大切な思い出も時間も全部嫌いになっちゃいそうだった。思い出せば思い出すほど、えなちゃんの大切な大好きな時間の全部に英太がいた。この部屋を出たとしても、その前の日々にはもどれない。もう英太と出会う前には戻れない。

 別れるのにあんなに悩み、この部屋を出ることをあんなに考えて決めたのに、こっちの答えを出すことになんの不安も躊躇(ちゅうちょ)もなかった。喉にたまっていた涙を飲み込んで立ち上がった。

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