第10話 街歩き

 ─少し、街に出てみないか。


〈彼〉からのそんな提案は、相も変わらず唐突だった。


 ◇◇◇


 色々な意味で記憶に残る忠臣との偶然の邂逅を果たしてから、数日ほど後のこと。私は今、冥界のメインストリートとでも言うべき通りを歩いている。


、足は疲れていないか?疲れたらすぐに言うんだぞ」

「ええ、まだ大丈夫です。…


 もちろん、隣にはぴったりと寄り添うように歩く薫の姿があるわけだが。



 この冥界は中心部に主である薫の邸宅、現世との境目とは反対側の端の方に、死後の世界であるあの世へ向かう舟が出ている渡し場、という作りになっている。

 薫の邸宅のある辺りから少し外れた所には、現世さながらに店や物の集まる通りがあるのだ。城の周りに作られる城下町のようなものだろうか。


 ここには、霊や妖怪、鬼といった、この世ならざる者たちが集まるのだという。


「…あれは?」

「とある蜘蛛の妖怪が作った特殊な布で作った着物だそうだ。非常に丈夫でありながらも肌触りが良いのだが、なにせ数が少ないものだから高値になっているらしい」

「…本屋さん」

「ああ、行きたいのなら後で行こうか」


 小声で尋ねる私に、彼は一つ一つ丁寧に答えてくれた。

 ちなみに私は、普段薫の邸宅に滞在している時同様、自分の素顔を晒している。彼は普段から私に何かしらの術をかけているようで、今も私にはそれがかけられたままなのだという。

 ただし、彼と四使のかけた結界で覆われていて、よっぽどのことがなければ破られることもない薫の邸宅と違い、外では何があるか分からない。

 だから私は今、薫がくれた梅を象った髪飾りを身に着けている。何かあれば、これが私を護ってくれるのだという。



 今、私たちがこうして街に出ているのには、少々事情がある。


 あの日薫は、玄冬との『お話』で聞いた事情をひとまずは信じたそうだ。事情と言ってしまうと分かりにくいが、要は私が此処で退屈している…ということ。

 確かにこの屋敷は、薫の不在時はお付きの侍女以外に話し相手も特にいないし、暇を潰せるような嗜好品にも限りがある。そんな状況では退屈するのも仕方ないし、屋敷の庭にすら出てはいけないというのはいくら何でも過保護すぎだった、庭はまた今度案内しよう、…という謝罪とともに、提案されたのがこの街歩きだったわけだ。

 現世にはない珍しいものもあるし、死後の世界とは言っても賑わいのある場所だから、興味があるなら連れて行こうか、と誘われたのである。


 退屈と興味心から、私はその誘いを承諾した。

 とはいえ、元々薫には予定があったようだ。予定の変更については問題なかったらしいが、予定外の外出ということになる。


 一応話を通しておこうと、私たちはこの屋敷の内政を取り仕切る人物の元へと足を運んだ。

 白秋─特殊な立ち位置にあるらしい蒼春を別にすれば、この時まで唯一顔を合わせていなかった四使である─と、私はこの時初めて顔を合わせたわけだが…何と言うか、想像通りの人物だった。

 薫らと同様に顔は隠していたものの、玄冬らから聞いていた通りの白い着物、きっちり整えられた短髪という出で立ちは、見るからに生真面目そうだ。安定感こそあれどどこか張りの無い声色は、さながら上司に振り回される中間管理職のようで、正直同情を禁じ得ない。


 ただ、仕事を放り出して街へ出るという主にその代わりにとお使いを頼んでくる辺り、案外ちゃっかりした人物のようだ。精神が図太いと言うのかもしれないが。

 この白秋が玄冬や朱夏と同じくらい薫に仕えているのかは分からないが、それくらい長く傍にいれば、この自由奔放な神様の扱い方も手慣れてくるということなのだろうか。


「従者のことももう少し大切にするべきじゃないの」

「何か言ったか、凛」

「…いいえ」


 凛、というのは彼のつけた偽名だ。

 いくら神的な存在とはいえ、そこは為政者の性だろうか、この場所には彼を恨む者も少なくない。それに、ここでは顔と同様、本名を明かすこともあまりよろしくないとされているとのこと。お付きの侍女さんたちも四使も、薫以外は全員、他人に明かしている名前とは別に、真名というものが存在するようだ。


 鈴から連想して"リン"。ということで、安直ではあるが外での私の名前は決められた。私も別の名前で呼ぶべきかと思ったのだが…何故か『あなた』と呼ぶように強制されたのである。

 一応は夫婦なのだから、別におかしくはないだろう?それが彼の言い分だった。


「他に行きたい所はあるか?」

「…いえ、特に」


 その時、私はふと通りの向こうに目を向けた。

 大きく広がった通りは、渋谷のスクランブル交差点にも劣らないくらいの幅をもつ。大量の霊体が通りを通行しているせいもあってか、通りの向こう側は霞がかかっているのかというくらいにぼんやりして見える。


 ─そこで私は、〈彼〉を見た気がした。

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