第9話 四使(三)

 素顔を見せるのは信用した人にだけ。

 あの人の部下である玄冬の言葉は、にわかには信じ難かった。


 だってあの時、私たちは初対面だったのだから。素性どころか、互いの名すら知らない状態の相手をどうやって信用するというのか。

 それに、あれは突然吹いてきた強風による不可抗力だったし。


「風?あの方なら風くらいどうにかできるでしょ。両手が塞がってても反応なさると思うんだけど」

「まあそれはそうなんだけどね。現実世界で遊びすぎると色々と問題があるんだよなあ」

「ああ、そうでしたね…って」


 その瞬間、御簾の向こうの玄冬が素っ頓狂な声を上げ、さっきから見えていた黒色が大きく体勢を変える。

 黒と赤の後ろに、いつの間にか穏やかな黄色と薄紫が現れていた。


「やあ玄冬、朱夏。随分楽しそうだけど、何の話をしているのかな?」

「げ、主上」

「お帰りになられましたか、主上」

「ああ、ただいま」


 そういえば、今日は薫が外出していたなと思い出す。聞いていた所ではもう少し遅くなると聞いていたが、少々予定が早まったようだ。

 主である彼が居なかったからこそ、従者である二人(…というよりは玄冬だけだろうが)もこうして自由にしていたのだろう。


「向こうに居るのは鈴だね?」

「…はい」


 それを察したのかは分からないが、従者二人にかけられる彼の声には少々の棘がある。しかし、私にかけられる声は普段通りだった。


「では鈴様、私はこれで」

「…ああ朱夏、少しいいか」


 危機感を感じたのか、それとも慣れているのか。一礼した朱夏は早々と退室しようとしたようだ。

 だがそれを、薫は即座に呼び止める。


「いかがなさいました?」

「さっき冬の庭を通ったのだが、猫か何か入り込んだようでね。椿が枝を落としていたよ」

「これは大変失礼致しました。すぐさま片付けて参ります」

「すまないね。別に急がなくて構わないよ」

「はい」


 もう一度一礼して、朱夏は足早に部屋を出て行く。そして薫は、次に玄冬を「先に出ていなさい。少し話があるから」と、部屋から追い出した。

 障子戸の閉まる音が聞こえてから、彼は私のいる御簾の方へやって来る。


「鈴、ただいま。何もなかったかい」

「…おかえりなさい。いえ、特に」

「それは何より。すまないが、一人で部屋に戻れるか?」


 本当なら送って行きたいのだがね、と添えられた問いに、私は無言で頷く。

 それでようやく、彼は機嫌を直したようだった。


「では鈴、また夕飯の時に」


 普段通りの穏やかな声音でそう言い残し、薫は去って行った。


 ◇◇◇


「…だから誤解ですって~…。お妃様が外にお出になろうとしてたところを止めてただけなんですよ」

「だとしても、わざわざ連れ出す必要は無かっただろう。あの娘の部屋に入らなかったのだけは褒めてやってもいいが」


 応接室を出た二人は、清明宮の廊下を歩いていた。玄冬の泣き言のような言い訳も切り捨て、薫は突き放すように返す。

 しばらく歩き、応接室からも鈴の自室からも離れた場所で、薫はふと足を止めた。


「玄冬よ。今後私の不在時、緊急時を除き鈴にそなた一人で近付くことを禁ずる。破った場合、どうなるかは分かっておろうな?」

「はい、心得ております…」


 玄冬は主の命令にしょぼくれたような声音で返事をしたが、抜け穴を見つけたかのように顔を上げた。


「…って、一人じゃなければいいんですか?」

「朱夏か白秋、もしくはあの娘につけた者たちと一緒であればよかろう」

「うへえ、信用されてないっすね」

「勘違いするな、そなたのことは信用しておる。…まあ、そなたが普段遊び歩いているのが仇になったというところか」

「お言葉ですけれど、俺は基本一途なんですよ?なんでかあっちから離れていくだけで」


 こう見えても玄冬は忠誠心の高い男である。仕事第一が故に、一途だという相手は大抵二の次。

 それを知っているが故に、薫はどうしようもないとでも言いたげに「はあ」と息をついた。


「それにしても主上」

「…なんだ」

「やけにあの子に入れ込んでますよね、そんなにお気に召されたんですか?」

「…何の話だ」


 先程までのしょぼくれた様子はどこへやら。

 警戒する主をからかうように、彼は「やだなあ、とぼけちゃって」と薫の傍へと近寄っていった。


「これまで他のどんなご婦人に対してもさして興味を持たれなかったというのに、鈴ちゃんに対してはやけにお優しいし。なんでも、顔までお見せになったそうじゃないですか?」

「…あの娘を、そのように呼ぶことを許した覚えはないが」


 薫は玄冬をキッと睨みつけるように見たが、当の本人は面白がるように首を傾げている。

 その様子にまたもや溜め息をつくと、薫は観念したように呟いた。


「…やはり、そなたの女好きが仇になったようだ」

「役に立ったの間違いでしょうに」

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