第4話 清明宮にて

 唐突な求婚に思考が停止し、何も考えられなくなっていた私を、彼はとある場所へと連れて行った。


 彼に連れられてやってきた先は、この世界の中心にあるという大きな屋敷だ。冥界の主だという彼が住まう地にして、一種の仕事場でもあるというこの場所は〈清明宮せいめいぐう〉と呼ばれているらしい。

 大きくはあるもののどこか質素で静かな佇まいの屋敷は、外から見るだけでも神聖な雰囲気を醸し出しているのが分かる。神が暮らす家と聞いてもう少し華美で豪奢な建物を想像していたが、此処の主は案外倹約家なのかもしれない。


 どちらかと言えば、この場所で豪華と称するべきは屋敷を取り囲む広大な庭園の方だろうか。先程少しだけ案内してもらったが、屋敷の倍はあるであろう其処には四季折々の花や植物が植えられており、そのどれもが時折心地よさそうに風に揺れていた。

 現世では初夏だったはずだが、この場所では季節という概念はないのだろうか。私が見ただけでも、梅や朝顔、桔梗や椿といった花々がみなそれぞれに等しく見頃を迎えていた。唯一桜だけは見当たらないが、これは「散らない桜などつまらないだろう?」という彼の考えによるものだそうだ。

 広さこそ恐らく違うだろうが、『源氏物語』にて晩年の光源氏が建てた六条院が現実にあるとすれば、このような場所なのだろうか。


 そんな夢のような場所が、この清明宮である。


◇◇◇


 庭と屋敷を一通り案内してもらってから、彼はとある障子戸の前で足を止める。

 障子戸を開けば、畳の敷かれた、小さいけれど落ち着いた部屋がそこにあった。


「此処で暮らしていくのなら、この部屋を使うといい。洋室が良ければ用意させるが…」

「…和室も慣れてるから」


 棚と箪笥、机など、家具は和風のもので一通り揃えられているし、頼めば他のものも用意してくれるらしい。普通に暮らしていくだけなら、十分すぎるくらいだろう。


 また、お世話係として、薫から緑の着物を着た女性を紹介された。

 しかし、不思議と彼女も顔は見えない。顔を薄布で覆っている薫とは異なり、隠しているから見えないというのではなく、首から上にもやがかかっている様。見えないというよりは、首から上がそもそも認識できないという感じだ。

 『よろしくお願いいたします』と、彼女は私に向かって頭を下げた。首から上が見えないという、よくよく考えれば不気味な様相ではあるが、彼女の柔らかい声色に昔亡くなったおばあちゃんを感じて安心する。


 その彼女に、私は隣の部屋に繋がる襖の先に案内された。

 てっきりそこは別の部屋だとばかり思っていたが、この部屋はそこも合わせて一つの部屋としているらしい。この部屋よりも物は少ないがその分広く見えるスペースだった。


 壁際には衣桁いこうが置かれ、そこには真っ白な着物が掛けられている。

 好奇心に負けて手を触れれば、手触りは非常に滑らかだ。そして、着物のあちこちに鈴蘭のような刺繍が施されており、一目で上等だということが分かる品だった。


 …これはもしや、白無垢というやつではなかろうか?特徴的なあの帽子はないから違うかもしれないし、今まで直接見たことはないからよく分からないが…おそらくそうだろう。


「なによ、これ…」


 衣桁にかかったそれを呆然と見上げていれば、後ろから平然とした声が聞こえた。


「ああ、それか?こんなこともあろうかと用意しておいたのだが、どうだ、気に入ったか?」

「気に入る訳ないでしょ」

「おやまあ」


 いつの間にか隣に立っていたその声には、悪びれた様子というものが微塵もない。

 こんなこともあろうかと、って。些か準備が良すぎやしないだろうか。第一、まだ嫁に行くとか言ってないし。


「では、これは片付けておくことにしよう」


 彼が指示すれば、お世話係の侍女さんは白無垢を抱えて出て行った。

 何処に持っていくのかは分からないが、今後二度と見ないで済めばいいのにと願わずにはいられない。


 侍女さんが出て行ってから、彼はおもむろに入り口の障子戸を開けた。「着いて来なさい」とでも言うようにこちらを振り返った彼は、思わず体を強張らせた私に苦笑いしていた。


「…安心しなさい、もうしばらくはその話はしないから」


 そう告げて、彼は部屋を出て行った。

 その後を素直に追いながらも、私は考える。


(…しばらくは?)

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