第2話 霊感少女、拾われる
いつの間にか私を抱きかかえていたその人物は、不思議な様相をしていた。
身に纏うのは、上品な色合いの着物。形状は、アニメや漫画で陰陽師のキャラが着ているやつと言えばお分かり頂けるだろうか。
抱きかかえられたこの体勢からはよく分からないが、背中の辺りまで伸びた黒髪は後ろで一つに括られている。
私の身体を支える腕は男性らしく力強いもの。しかし、その真っ白な指先はほっそりとしていて、艶やかな長髪も相まってか、どこか女性的であるようにも見える。
とにかく現代人とはかけ離れた見た目のその人物が、男性なのかも女性なのかも定かでないのは、顔が見えないからだ。
私を抱えるその人物は、ヒラヒラとした薄布でその顔を隠していたのである。
『なんだ、そんなに見つめられては恥ずかしいな』
この距離とはいえ、彼の顔は輪郭と口元の辺りが微かに見えるような気がする程度。少し離れればもう、その気配すら感じ取れないかもしれないと思う。
ただ、濃い紫色の薄布の向こうから注がれている視線だけは、顔の見えない状態でも何となく感じられる。あちらからはどう見えているのか分からないが、とりあえず前は見えているらしい。
…ところで。
突然現れた存在の所為で忘れかけていたが、さっき私は崖の上から飛び降りたはず。今は何処にいるのだろうと何気なく見下ろしたのだが、この後の私はこの考えなしに起こした行動にひどく後悔させられることになる。…見なきゃよかった、と。
そこから見えた風景は、崖の上から見たそれと同じもの。投げ出された足は宙ぶらりんの状態で、その浮遊感に心臓が破裂しそうになる。
声も無しに絶叫しそうになるのと同時に、私は思わず彼に縋りつくようにくっついてしまった。
『…ああ、心配せずともよい。このままそなたを抱えているくらいの腕力は持っておるからな』
まるで幼子をあやすかのように穏やかな彼の声色は優しく、私を抱える手は力強い。その言葉通り、彼が手を滑らすようなことさえなければ。私たちはこのまま海へと落ちていくようなことにはならないだろう。ひとまずは助かったようだ。
─助かって、しまったのか。
「…どうして助けたの」
「助けてくれ」なんて、一度も言った覚えはない。彼にも、誰にも。
そう、気が付いてしまったから。心に湧き上がった感情は、無意識に口から零れ出して、止まらない。
『何か問題か?』
その瞬間、さっきまではどこか馴れ馴れしいと言ってもいいくらいに尊大かつ穏やかだった彼の声音が途端に冷ややかなものとなる。身体を張って助けたのに何か不満でもあるのか、とでも言いたげだ。確かに、普通ならその言い分は尤もなのだろう。
底冷えするような彼の迫力に怯えたのか、さっきまでは周囲に山のように漂っていた霊たちが蜘蛛の子を散らすかのように、一目散に逃げていくのが見えた。
「…生きてたって、意味ないもの」
でも、今の私について言えば、問題は大ありだ。
平穏に暮らしていた途中で、私は父を、母を、妹を亡くした。あまりにも突然に、誰も憎めない状況で。ここにはもう、大切な家族もいない。愛してくれる人も愛する人もいない。
そんな世界、生きていたって仕方ないではないか。
『そんな理由でこちらに来られても困るのだがね』
フン、と彼は鼻を鳴らす。忌々しそうに、というよりはただひたすらに面倒臭そうな声色で、彼はそんなことを口にした。
私の一世一代の覚悟も、彼には伝わらなかったらしい。
(…そんな理由で、って)
あなたに何が分かるの。何も知らないくせに。そう言いたいのに、声を張り上げる気力はない。
でもどうにか抗議したくて、顔を上げたその時、私と彼の周囲にぶわっと強い風が吹くのを感じる。
何度も言うようだが、今私は彼によって空中で抱きかかえられている。
当然、彼の腕は両方とも私の身体で塞がっているわけで。
『ん?どうかしたか、急に押し黙って』
つまり、彼の薄布が風に翻るのを止める手は、今此処にはない。
不思議そうに首を傾げている彼の言葉も、耳に入らない。見てはならないものを見てしまったような、そんな気分だ。
私の拙い語彙力で表現するのも無粋な気がするので、わざわざここで詳細は説明しないが…、その美貌は、言葉で上手く表現できないくらいには人智を越えた代物であった、とだけ言っておこうか。
そうこうしている内に風は止んで、翻った薄布も元の位置に戻っていく。瞬きすらも忘れて薄布の向こうにあるはずの顔を見つめていたらしい私に、やはり首を傾げたまま、不思議そうに彼は告げた。
『やはり、人間とは難しいな』
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