霊感少女の冥界暮らし

駒野沙月

第1話 霊感少女は現世を儚む


 ─あの日、私は死んでいたはずだった。



 私たち家族が交通事故に遭ったのは、今からちょうど一年ほど前のこと。

 一家全員で行ったドライブの帰り道だった。突如私たちの通っていた山道が崩れて、私たちの乗った車は運悪く巻き込まれた。

 後部座席にいたのもあってか、私だけはどうにか一命を取り留めたものの、お父さんとお母さん、そして妹の日葵ひまりは帰らぬ人となった。


 幸いと言って良いのか、発見された時の私は気を失っていただけだったようで、怪我も精々がかすり傷程度。

 経過観察も兼ねて2週間ほど入院していたらしいが、その頃の記憶は正直言ってほとんどない。


 退院後、私は親戚だという夫婦に引き取られた。その夫婦は私の家からもほど近い辺りに住んでいたから、通っていた高校にもこれまで通り通えたし友人たちにも会えた。

 何もかも、これまで通りの生活だ。


 ただ、家族がいない。


 あの事件から、気づけば早一年が経つ。

 季節は巡り、今はあの時と同じ夏。それでも、あの事件は私の頭から離れない。考えずには、いられない。


 もしあの時、日葵と私の座席が逆だったら?お母さんの代わりに、私が助手席に座っていたら?

 日葵だけでも、お母さんだけでも。運転していたお父さんだけでも、助かっていたら。


 私も一緒に"向こう"へ行けていたら─と。


 優しかったお父さんとお母さん、たった一人の可愛い妹。

 大切な家族を一瞬のうちに亡くしてしまった私の心は、いつの間にやら壊れてしまっていたらしい。



 そしてその日、自分でも気づかぬうちに、私はそこに立っていた。

 海に臨むこの崖は、近辺でも有名な絶景スポットの一つ。それと同時に、国内有数の自殺の名所でもある。


 この場所から見える夕陽は、今日も格別だ。

 だけど、いつもは綺麗なオレンジ色の夕陽が、今日は不思議なくらいに真っ赤だった。血のような…いや、もっと鮮やかな赤色に染まった眩い光が、少しずつ崩れていくのが見える。


 幼少期から当たり前のように見てきたこの絶景も、これで見納めだ。

 もう少し眺めていてもよかったけれど、早くしないと夜になる。私は夕陽から目を背け、履いていたローファーを脱いで、揃えて置いた。

 正直、この場所に何も遺して行きたくは無いのだけど、親戚の家からここまで靴を履かないで来るわけにもいかないし、処分する方法もない。仕方ないから、残して逝く。


 進んでいく先は、崖の端。ほんの少し身を乗り出せば、海面が見える位置だ。

 小さい頃、好奇心からこの場所に近づいて、お父さんに思いっきり叱られたっけ。何もなくてよかったと泣くお母さんに、柵の向こうには行っちゃ駄目よと諭されたんだっけ。そんな過去の思い出も、今となっては懐かしい。

 あれ以来近寄ることもなかったこの場所に、行っちゃ駄目だと諭された柵の向こうに、私は今立っている。


 お父さん、お母さん。親の言いつけも守れない娘でごめんね。

 向こうで、ちゃんと謝るから。


 これで最後だと、深く息を吸ってから前を向く。未だ明るい夕陽から目を背けることなく向き合うと、私の背後と周りで、何かがぶわっと溢れ出るように現れるのを感じた。

 幼少期から見えていた"それ"は、あれ以来見ることはなかったけれど、今は不思議と感じ取ることができた。彼らの意図はよく分からないが、私を見守ってくれているのだろうか。

 その中に、両親と妹がいるかは分からないけれど。


 意を決して─というよりはもう少し気楽に、気軽に"向こう"へ遊びに行くように、私は一歩踏み出した。


 だけど、私が辿り着くはずだった水底は、いつになっても現れない。

 それどころか、体が宙に浮かんでいるような。力強い手と体が支えてくれているかのような、そんな感覚すら覚える。


『危ない所だったな』


 そんな声が聞こえてきたその時、生臭い磯の香りとは似ても似つかない、どこか艶やかでありながらも優しい匂いが私の鼻をくすぐった。

 ここまでその香りを届けてくれたのであろう、この場所には似つかわしくない温かい風は、私の頬を優しく撫でていく。

 まだこっちには来ちゃ駄目と、言ってくれているような、そんな気がした。


 おそるおそる、目を開けた先には。


 ─私を抱きかかえた、〈彼〉がいたのである。

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