第41話 制裁

 嵐は去った。地下七階は静寂に支配されている。


 そこにはもう何もない。荒地は魔王との戦いによってさらに破壊され尽くし、岩山ですら木っ端微塵になっている。


 だが、あらゆるものが消えたからこそ、姿を現したものがある。


 次の階層へ向かうための扉。その付近に大きな穴がいくつも姿を現していた。奈落と呼ばれている大穴だ。


 しかし、奈落はもっと下の階まで行かなければ出現しないはずだが、実は地下七階にも存在していたのである。フウガと魔王が地形を破壊したことにより、隠されていた穴が剥き出しになったようだ。


 彼は奈落から少し離れたところで目を覚ました。


「あ……あれ? 俺、どうして? な、なんか痛え……」


 痛みに堪えながら体を起こすと、まるで取り残されたかのように一人ぼっち。記憶も曖昧になっていて、頭の中がぼうっとしていた。


 現状が理解できず悩んでいると、歪になった岩の影から歩いてくる者の存在に気づいた。


「リヒト! なんだよ。今ってどうなってんの? なんで俺寝てたんだよ?」

「全ては終わりました。皆さん帰りましたよ」

「は? 帰ったって? フウガ達が?」

「ええ。無事にお帰りになりました」


 ここまで話して、ようやくキョウジは少しだけ思い出すことができた。モンスターゲートを召喚して、あの男を殺すつもりだった。


 しかし、どうやら失敗したらしい。戸惑いが徐々に怒りへと塗り替えられていく。


「どういうことだよ!? ここでやっちまう筈だったろーが。話が違うっての。くそ、使えねえな!」


 勢いあまって、自分を見下ろす男への本音が漏れた。しかしリヒトは顔色ひとつ変えていない。まるで無機質な目で、キョウジを観察しているようだ。


「私も今まさに感じていますよ。あなたと同じことをね」

「はあ? なに言ってんだ」


 座りこんだキョウジは、鬱陶しいとばかりの反応をしたが、男が右手に持っている剣を見て目の色を変えた。


「お、おいおい。なんで今、そんな物騒なもん手にしてるわけ? 何? 魔物とか、まだいんの?」


 男はキョウジの問いには答えず、彼が放置して倒れていたドローンの元へと静かに歩みを進めた。


 埃まみれのドローンを手に取り、ハンカチで汚れを拭き取ってからスイッチを入れる。どうやら機材は死んではいないらしく、すぐにライブをスタートさせることができた。


「なんで今配信するわけ? あ、あー! そっか。最後に雑談配信して帰ろうってことね」

「しっかり流す必要がありますから。あなたの遺言をね」

「ゆい……」


 ドローンが活動を開始し、飛行状態に入る。ライブの待機時間も終了し、あっという間に同接が膨れ上がっていく。


 キョウジは自分の武器がなくなっていることに気づき、ますます青ざめてしまう。実は彼が気絶している間に、リヒトは奈落へと剣を捨てていた。


 恐るべきことはリヒトだけではない。徐々にフロアの魔物が再出現を開始しており、遠くからゾンビ達が近づいているのが分かった。


「ここでフウガさんを襲う計画を立てた際、あなたは私に約束をしました。決して姫が危険な目に遭わないよう配慮すると。ところがどうでしょう。いざ始まってみると汚らしい連中が彼女に襲いかかったのです。しかも我々の逃げ道を塞ぐようにモンスターゲートまで出現していた。キョウジさん、話が違いますよね?」


 キョウジはようやくリヒトの意図を理解した。ライブ配信をして不特定多数の人間に、自分の悪行を晒そうというのだ。彼にとっては絶対に認められないことだった。


 だが、神父のような姿をした男は、ナイフのような鋭い視線を向けたまま、こちらに近づいてくる。嘘など言わせないと、眼光が物語っているようだった。


 しかし、それでもキョウジは本当のことを語るわけにはいかない。語ってしまったら全てが——終わり。


「あ……あ、あ」


 キョウジは混乱の最中にいて、自分がフウガと語った内容をすっかり忘れていた。


 終わってしまうのではない、もう終わっているのだ。あの時、フウガは配信を切り忘れていたようで、そうとも知らず完全に自白してしまった。何十万人という視聴者の前で。


 記憶が戻りつつある。彼は頭の中が真っ白になった。白い脳内を、黒い絶望が徐々に侵食している。


「おっと失礼」

「ぅぎゃあっ!?」


 リヒトはキョウジの横腹を剣を持っていない左手で握りしめた。フウガに致命傷にならぬよう浅く傷つけられた部位は、万力のような握力でさらに痛手を負うことになった。


「やはり怪我をしておられる。普段ならば治癒させていただくところですが、その前に大事な話があります。モンスターゲートを召喚できることを、あなたは私に黙っていた」

「あ、あああ。お、俺は。俺は!」


 見かけによらない腕力に怯んだキョウジだったが、次の言葉は出てこない。


「どうやらまだ意識が朦朧とされているようだ」

「うぐあーー!?」


 今度は剣で足の甲を刺した。ちょうどリヒトの体に隠れていて、ドローンからは実態が分からない。


 表情ひとつ変えず拷問を続けるリヒトに、キョウジは怯えた。ようやく回らない頭で口を動かす。


「ふ、フウガの配信で俺の魔法はバレたんだろ。じゃあこんなことしたって無意味だって。アンタはさっきから何をしたいんだよ」

「おや? 私が何に怒りを感じているのか、あなたには理解できないのですか」

「理解できねえよ! さっきから、」

「あの日、モンスターゲートを使って、ヒナタさんを殺そうとしたのは、あなただったのですね?」

「あ、そ……それはー」


 突如、鬼の形相になったリヒトがキョウジを殴り飛ばした。


「ぐえ!?」

「姫はあの時、本当に殺されていたかもしれない。私が駆けつけても間に合わなかったかもしれない。同志がいたことで幸いにも救われたが……許せん。お前のような下衆な魂を、私が粛清しないとでも思うのか!!」

「ひぃ! ご、ごめんよぉ! あの時は本当に出来心だったんだ。俺の誘いをあいつらときたら断ったから、ついカッとなったんだ! 本当だ!」


 地面に倒れつつ、キョウジは必死に叫ぶように弁明した。しかし、リヒトには何一つ響かなかった。


「ついカッとなったで許されると思っているのか。どれだけの人間がその幼稚な謝罪を許すかな。……ふむ、よろしい。チャットで確認してみようではないか」


 リヒトは静かにその場を離れると、ドローンを捕まえてカメラをいじり始めた。彼は配信機材についても知識が豊富だった。


 ドローンのカメラ部分には、配信の設定をいじることができる臨時操作機能がある。ダンジョン配信には起こるか分からない。その為に設置された機能を、彼は別の用途に使うことにした。


 操作を終えると、残された岩壁に寄りかかり、数秒ほど待った。すると、ドローンから機械的な音声が流れ始める。


 配信のチャットが音声機能によって読み上げられているのだ。


:マジで犯罪者だったじゃん

:なんであたし、こんな奴の配信見てたんだろ

:何人も殺しておいてあの態度ってバカすぎ

:ダンジョンから出たら刑務所だ

:超騙されたんだけど

:最悪

:消えろ

:◯ね

:超うぜーこいつ

:最初からおかしい奴だと思ってたわ


「お前のライブチャットで、庇っている奴など一人もいないぞ。つまり、誰もがお前が裁かれるべきだと判断している」

「く……くそが」


 キョウジは心の中で口汚く罵り続けていた。自分以外の全ての存在を。自分を否定する人間なら誰でも。罵ることしか無くなっていた。


:さっさと○ねよ

:あー超うざ

:人を十一人も殺してるって、もう死刑確定だな

:あたしの好みじゃなかったけどね

:キョウジダセえな

:お前に騙された時間を返せコラ!!


 そんな時、彼は忘れていたことを思い出した。遠くを徘徊していたはずのゾンビ達が、気がつけばもうそこまで来ている。一番先に辿り着くのは四体ほどだった。


「お、おい! ぞ、ゾンビだ! ゾンビが来てるって!」

「そうだ。最後にお前に選択肢をやる」

「は、はあ!?」


 ゾンビ達はリヒトを恐れ、彼には近づこうとしなかった。狙いは明らかにもう一方だ。


 キョウジには勝てると本能で感じたらしく、凝視してよだれを垂らしている。動きは遅いが、腐った体で急いでいる。


「一つ。ゾンビどもを倒してここから逃げる。二つ。私を倒してここから逃げる。三つ。そこにある穴から身を投げる」

「ば、バカ言わないでくれ! どれも無理に決まってる! 助けてくれ! 今は魔法がぁー!」


 今は魔法が使えない。そう言いたかったが、群がるゾンビ達数体が言葉の続きを待たなかった。


「う、うわああ!? た、助けてくれ! リヒト! 早くぅうう! 助けてええ」


 ゾンビが口を開けて、キョウジを食い殺さんばかりに押してくる。彼はずるずると後退していた。


 ここで、かつては彼を応援していたはずの視聴者達が騒ぎ始める。


:イイわー! 最高

:これ落ちちゃうじゃん

:落ちろぉおおおおお!

:いけ! ゾンビ! もっと押しちゃえ

:お・と・せ! お・と・せ!


 もし武器があったのなら。または武器がなくとも、まだ冷静な彼のままだったら。こうもただのゾンビに遅れを取ることはなかった。


「こんなことあり得ない。俺はこんな所で死ぬはずはないんだよ! 助けてくれ! 助けてくれ! いやだぁー!」


 背後には闇が広がっている。底が見えないどこまでも続くかのような大穴。ゾンビにはすでに知性が欠如しており、このままでは自身も落ちることがわからなかった。


 ただ欲望のままに、彼という肉の塊に食いつきたかったのだ。そして四体ほどのゾンビ達は、抱きつくような形でキョウジと共にただ落下していった。


「う……ああああぁあー!!」


 リヒトは周囲にいたゾンビを片手間で倒しながら、キョウジが奈落に落ちていく姿を見守った。全てが終わると自力で地上まで戻り、待っていた警察に両手を差し出した。


 その後取り調べが行われたが、刑事達は困惑していた。


 彼はキョウジを見殺しにしたということを供述しているが、これは罪に問えるものなのか。


 前例などほとんどないダンジョンでの事件は、日本中で大騒ぎとなり、余波は夏が終わるまで続いたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る