第36話 本当の敵

 フウガの周囲には多くの魔物達が群がっていた。


 巨大な蜘蛛、二本角の生えた悪魔、青紫色の不気味な巨大ムカデ、熊に骸骨剣士にローブだけの存在となった亡霊に地を這う赤いドラゴンなど。


 数え上げればキリがないほど、沢山の魔物達が埋め尽くすように襲いかかり、そしてあっという間に散っていく。少なくとも高所から見下ろしているキョウジにはそう映っていた。


「なんなんだ……なんなんだよ。あいつ」


 彼は自分の歯が一人でにカチカチと音を立てていることに気づいた。明らかな恐怖がそこにはあった。


 急に迫ってくるタイプではない。規格外の力を持つ少年はゆっくりと確実に歩みを進めてくる。


 それは時間をかけている分、殺意を向けられている相手を揺さぶるのに効果的だ。


 恐怖が恐怖を塗り替え、正常な思考を奪っていく。フウガは無自覚に最も彼が嫌がる追い詰め方をしている。


 本来ならば、リヒトを嗾けていた筈だった。そして、頃合いを見て二人同時に仕留めてやろうと思っていたのに、キョウジの計算は狂う一方となっている。


「落ち着け、落ち着け落ち着け。こうなったら、少し逃げ……」


 形勢を立て直す為と割り切り、その場を離れようとしたまさに時だった。キョウジの数歩前で風の刃が横切る。


「ひいやぁ!?」


 それは普段のものとは違い、縦方向に長い刃だった。地面を大きく削り取り、横一線に傷跡を残している。体を震わせながら、キョウジはもう一度魔物と戦っている男を垣間見た。


 フウガは涼しい顔で魔物を倒し続けている。そして瞳は、魔物ではなくずっと自分を見つめ続けている気がした。


 絶対に逃さない。そして、先ほどの行為から察するに、やろうと思えばいつでもやれるのだ。なぶり殺しにするというメッセージなのかと、キョウジは彼の心中を大きく誤解した。


 誤解はひたすらに恐怖を膨張させた。冷静な判断力を削ぎ落とされながらも、それでもプライド高き配信者は抵抗を試みる。


「う、うおおおおお! 舐めんな! この程度で俺がやられるわけねえだろ!」


 才能というものがもし超常の存在から与えられるとしたら、神は魔物を召喚する力を授けるべき人間を確実に誤ったことを悔いているに違いない。


 この後、キョウジは与えられた才能を無意味に、無謀に、無秩序に使い過ぎてしまう。無我夢中で新しいモンスターゲートをフウガの近くに召喚し続けた。


 代償として彼は強烈な渇きと徒労感にのしかかられ、立っていることもできずに地面に突っ伏してしまう。


「が……はあ……や、やべ……」


 音が聞こえる。魔物達のトチ狂った叫びや苦しみに悶えるそれとは違う。何かが地を這いずっているような音だ。尋常ではないほどに大きな影が、キョウジの全身を覆い尽くしていた。


 ◇


「こんなに召喚できるのか」


 フウガはまるで舞踏のように体を動かしながら魔剣を操り、向かってくる魔物達を切り続けた。不意をつこうとする敵も、背後から狙ってくる敵も、戦闘経験豊富な彼にしてみれば慣れた相手である。


 オーガや巨大蜘蛛、ガーゴイルやレッドベアーが一度に群がってくる。彼は慌てることなく左手を握り締めた。腕全体に現れた漆黒の雷はやがて巨大な成長を遂げると、そのまま横なぎに腕を払う。


 放電は屈強な魔物達ですら一撃で感電死させ、周囲の魔物達をひたすらに道連れにしていく。本来の雷とは違う、魔剣ならではの歪な悪意を持った裁きの光だった。


:ええええええ!?

:なんだその黒い雷

:電気代浮きそう

:そんな雷知らないけど

:え? 東京の雷って黒いの?

:し、死んでる!? みんな死んでるよお

:すげえええええ!

:ま……マジか

:強すぎるだろ!!


「あ、これは魔剣の力の一つで、ブラック……なんだっけ。後で確認します」


 なかなかに決まっている名前だった気がしたが、戦闘中のため咄嗟に出てこない。しかし、そんなことに気を取られている場合ではない。フウガはキョウジの元へと足を進めた。


 ダンジョンで殺人に手を染めていた配信者は、なぜかうつ伏せに倒れていた。どうやら魔力切れを起こしているようだ。


 魔物を蹴散らしながら、彼は自分のいく先にキョウジ以外の何かが存在していることを知った。


「あれは……」

『危険生物を検知。Sランクを超える厄災級の魔物が召喚されています』


:Sランク以上!?

:え? どういうこと? Sが最上級じゃなかったっけ

:いや、厳密にはSランク以上はいる

:ほぼ知られてないけどいるよ

:あれってそんなヤバいやつなの!?

:あのゲートから一体だけ出てきたみたいだけど

:なんかホラー感すごい

:配信にホラータグお願いします!

:怖すぎて漏れちゃう


 遠くに視線を送れば、キョウジの背後にあったモンスターゲートが消滅しかかっていた。もしかしたら、あのゲートから現れたというのだろうか。


 フウガはふと過去に学んだ知識を思い出していた。モンスターゲートというものは、種類毎に魔物を召喚できる限界数が決まっているらしい。


 ゲートの種類と敵の組み合わせにもよるが、あまりにも強力な魔物が召喚された時は、一回で閉じられてしまうこともある。


 初めはただの黒い塊のように見えた。まるで羽をしまっている蝙蝠だ。だが、目前にいる倒れたままの男に徐々に近づいている。


 ぬるりと黒い触手のような何かが伸びていき、キョウジの左足に巻き付くと、勢いよく自分のほうへ引き摺りこんだ。


 フウガは片手間にモンスター達を蹴散らしながら、その光景をただ観察していた。


 黒く細長い体にキョウジの体が沈み、やがて見えなくなる。すると、徐々に黒い何かは巨大な黒き竜へと変貌を遂げた。長く大きな翼が伸びきった時、今度は背中から何かが生み出されていく。


 やがてぬるりと竜から分離したそれを見て、フウガはあっと驚いた。


 彼の視界に映ったのは、全身を黒い甲冑に身を包み、髑髏だらけの装飾がついた槍を手に持つキョウジであった。


 黒い槍は刃が異様に長く、付け根には巨大なダイヤが嵌め込まれている。


「はあぁ。なんていうか、あんまりイケテない体なのよね。まあいいわ、今のところはこの子で勘弁してあげる」


 キョウジの口から出てきた言葉は、普段の彼とは比較にならないほど重みがある。何かに体を乗っ取られたようだ。


 この時、フウガよりも視聴者達のほうが認知が早かった。そしてチャット欄にかつてないどよめきが起こる。


:嘘だろ!? あれ、Dブレのデヴォンそのまんまじゃん!

:えええええええええ

:ゲームのボスキャラだっけ

:え? え?

:なんで現実に出てきてんの!?

:事件だ!

:Dブレのボスって創作じゃなかったってこと?

:もしかしたらこれ、マジでヤバいかも

:フウガ! もう逃げろ!


「Dブレのデヴォン……ってなんですか? すみません。やったことなくて」


:国民的ゲーム知らんくて草

:ディバインブレイドっていうゲームの初代ラスボス

:バランス崩壊してたから鬼強いって評判だったっけ

:もしあの設定通りなら絶対無理!

:怖すぎてお漏らししちゃった

:嘘だろ……

:どうなってんの?

:俺は有識者だから知ってる。あのオカマ口調は間違いない

:逃げろおおおおおおお!


(そんなに? そんなに強いのか)


 フウガは少々天邪鬼なところがあった。逃げろと言われると逃げたくなくなるし、押すなと言われると押したくなってしまう。


 日常生活ではそういった部分は出さないように努めているのだが、ことダンジョンでの戦いとなると疼いてしょうがない。


「ふ、フウガさん!」


 風鈴のように爽やかな声がした。魔物達が溢れかえる地獄のような世界とは真逆のオーラを持った少女が、友人と神父を連れて彼の元へと駆けてくる。


「粛清、粛清、粛清、粛清、粛清」

「こ、怖いわ! この兄ちゃん怖すぎ!」


 ヒナタと共に走るリヒトは、信じがたいほど大量の呪殺魔法デスを飛ばしまくり、襲いくる魔物を倒し続けている。リィは二人を援護しながら、矢を飛ばして熊や火鳥の急所を射抜いていった。


 漆黒の竜の背に立つ男(本来は男であったか定かではないが)は、静かに真下で巻き起こる闘争を眺めていた。


「どこに呼ばれたか知らないけど、いるのよねぇ。可愛くないおバカさん達が。……あら? あの技……もしかして」


 デヴォンの氷のような瞳に強い興味が宿った。紫色になった唇を舌で濡らし、静かに戦いに参加しようとしている。

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