第17話 六本木ダンジョンへ

 土曜日の昼過ぎ、キョウジがダンジョンに入った数分ほど後のこと。


 電車に揺られながら彼は、そろそろ近づいてくるであろう挑戦の場に思いを馳せていた。


(相当ハードな場所らしいな。まあでも、なんとかなるんじゃないか)


 フウガはダンジョン探索については楽観的である。ルーキーだった一年目は何度も死にかけたものだが、どういうわけか殺すか殺されるかという場に恐怖を感じなくなった。


 だが、配信で失敗することには恐怖を感じる。明らかに気にすることを間違えていそうな男は、電車を降り、六本木の地下鉄から出るとヒルズ方面に向けて歩き始めていた。


(しくった……これ、どのくらい持つかな)


 スケールの異なる都会の景色を眺めながら、彼は荷物の点検をしていたところ、ゴーグルの電池量が心もとないことに気がついた。


 実は昨日の夜、仕事で遅くなるという父親から電話が入り、とある建築ゲームを進めてほしいと頼まれたのだ。


 ちなみにだが、フウガの父親はVTuberでもある。しかも設定上は十七歳の女子という、息子からしたら誰にもバレたくない親の秘密があった。


「時代はVTuberだぞ」と、十年近く流行りに遅れていたくせに堂々と言い放った親の顔を思い出す度、彼はげんなりしてしまう。


 さらにいうと、母親も母親で大変な曲者であるのだが、ひとまずは話を戻そう。とにかくフウガは人にはいえない事情と苦労があり、普段はしないようなミスを犯してしまった。


 できる限り省エネで行くしかない、と気持ちを切り替える。次に彼が考えていたのは、これから挑むダンジョンのことだ。


 大都会の中心部にダンジョンが出現してしまった。その衝撃は、今までダンジョンや魔物を他人事として見ていた裕福な大人達を震え上がらせてしまった。


 富裕層は必死になってダンジョンの消滅を望み、探索者達はのらりくらりと冒険を楽しみ、高い報酬をもらってはほどほどに魔物を減らして去っていく。そんなことがもう二ヶ月ほど続いているらしい。


 ただ、最深層まで辿り着ける力を持った探索者は、むしろ他のダンジョンを攻略している者が多く、実際に破壊しきれないことも事実ではあった。


 しばらく歩くこと数分。とうとうフウガは話題の場所へとたどり着いた。巨大かつ黒く澱んだ建物は、元々は白く清潔感あふれる外観をしていたという。


 周囲には天幕が張られ、警備や素材の交換所が並んでいた。彼らもまたここを新たな仕事場にしている。


 もしこのダンジョンが消滅したら、次の新しいダンジョン前に引っ越すのだろう。フウガはなんとなく、ダンジョンって必要悪なのかなと物思いに耽った。


 だが、あまりダラダラもしていられない。彼は魔剣が入っていた布を取り、ポケットにしまっていたゴーグルをかけ、まるでホラー映画の舞台になりそうなオーラが漂う正面扉に入ろうとした。


「フウガ君、だよな?」


 呼び止められ振り返ると、そこには五人連れの男女がいた。声をかけてきたのは恐らくリーダーと思われる。金髪はサイドを刈り上げていて、背が高く筋肉質でいかにも強そうな男だ。


 フウガはハッとした。探索者にとって、この男を知らない者はいない。


「ロックさん、ですよね……ランクAチーム【紅蓮】の」

「ああ。ご存じだったとは嬉しいな。君の配信はベリーナイスだ! ところで、今日はどこまで潜るんだ?」


 ロックは関東でも有数の探索チームを束ねる男であり、チーム全体の強さは日本トップクラスに入るとさえ噂されている。


 結成された探索チームには、必ずランクというものが存在する。ランクはC、B、A、Sの順に強いとされ、Sは日本ではごく僅かしか存在せず、紅蓮はSランク昇格がほぼ確定しているという声もある。


 しかし、そんなチームを束ねる大物リーダーは、表面上は落ち着いていたが心の中では動揺していた。


(……なんだ。この男のプレッシャーは……)


 既に大抵の魔物には怯まなくなったはずの彼でさえ、フウガの謎の圧力に戸惑っている。しかし、有名人に話しかけられて舞い上がっている本人は全く気がついていない。


「今日は、最低でも下層までは行くつもりです」

「行くつもりって……一人でか!?」

「あ、はい」


 ロックは目前にいる少年の発言に唖然とした。すると、黒い長髪かつ長身の男が寄ってきて、リーダーの肩を叩く。


「ロック。みんなが痺れを切らしていますよ」

「お、おう。じゃあなフウガ君。無理はするんじゃねえぞ」

「はい」


 日本でも有数のチームを束ねる男は、あまりの無謀さに驚きを隠せない。本当であれば時間をかけてやめるよう説得したかった。


 しかし実力者を束ねる者は、また苦労多き存在でもある。気難しい他のメンバーが探索前に喧嘩を始めることは常だった。


 それに当初こそ驚きはしたが、少しでも脅威を感じれば大抵の人間は尻尾を巻いて逃げ出す。少年も流石に厳しいと思ったらすぐに引き返すだろう。そう、常識的な人間であればそうする。


 しかし、彼が声をかけた少年は、知らず知らずのうちに常識の枠外にいた。有名人に励ましの言葉をかけられたと勘違いし、彼は感動した。そしていつになく力が胸のうちから溢れてくる。


(よし。大先輩から気合いを入れてもらったんだ。頑張ろう)


 彼は一旦ゴーグルを外して、近くにあったベンチに置いた。ライブ画面が起動し、配信がスタートする。


「こんにちは。えー、今日は最近話題になっています。えー、六本木のダンジョン前にやって来ました。今日はこれより、現在確認されている最下層である十六階以降を目指して潜っていきたいと思います。えー、では始めます」


 やたらと自分の声が早口になっているような気がして、彼はちょっと失敗した気分になったが、すぐに気を取り直してゴーグルをつけ、ダンジョンへ向かい歩き始める。


:ちわー!

:ういーす

:やあやあ

:やったぁ! 今日ダンジョン配信じゃん

:待ってました!

:六本木ダンジョンはアツい!

:このダンジョンって超怖いらしい

:十六階までソロでいくのかぁ

:流石にヤバくね

:他のダンジョンより階層多いよね

:途中までは楽勝だって噂もある

:フウ君ならやれるって信じてる!

:頑張れー

:すげー! マジで始まった!


 コメント欄の盛り上がりは今までにないほどの加熱っぷりだ。なんと始めたばかりで同接八万を超えている。


(え? 俺のチャンネルの登録者数って、もう五十三万もいるの!?)


 ライブ画面に表示されている登録者数が想像の斜め上に伸びていることを知り、彼は全く落ち着けなくなってきた。そんな中、AIから音声が流れてくる。


『本日のライブより、ハイパーチャットの送付が可能となりましたのでお知らせします』


¥1,000:少ないですけど、どうぞ

¥200:ジュース代にmm

¥50,000:成功を祈って


「あ、応援ありがとうございま……え!?」


 突然の金額入りのチャットに、彼は歩きながらも飛び上がりそうになる。登録者数が増加し、どうやら投げ銭とも言えるハイパーチャットが解禁されたようだ。


(いきなり五万円も入れてくれた人がいる……なんていうか、これでつまらない姿は見せられないな)


 フウガは投げ銭により、よりしっかりライブをやらなくてはと気持ちを引き締めた。暗い美術館の扉を開き、正面に進んだところにポッカリと大きな穴が空いている。緩やかに地下へと続く悪夢への道であった。


「ハイチャありがとうございます。なんていうか、とにかく嬉しいです。後でお礼配信させて下さい。では、六本木ダンジョンに入ります」


:フウ君いい子やね

¥10,000:無理は禁物ですよ

:ヤバいと思ったら引き返してね

¥2,000:とにかく応援してます

:ワクワクするぜー!


 六本木ダンジョンは他のダンジョンよりも、現状難易度が高いのではないかという噂である。今現在のところ死者は確認できていないが、潜ったことのある配信者は口を揃えてこう言う。


 あのダンジョンは地獄だった、と。


 だが、そんな地獄とさえ呼ばれる場所でもソロで潜っていくのがフウガだった。

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