極彩色の世界に盲目の中学生のころの知人が居る。それは385cmほどもあり、彼らの関節のそれぞれは相異なる素数個のノードを持つ分節点であり、それぞれが悪性腫瘍を有しており、5年以内に消滅する。しかし、各分節点は消滅の際に友人が有する関節の総数に等しい個数のノードを生成する。したがって、そのサイクルは、この世界が悠久であると仮定した場合に無限に発散し、一方で全長は385cmだったのだから、内的にフラクタルを形成する過程とみなせる。もちろんここで当然の疑問が湧くはずであり、それは本当にフラクタルになるのであろうか、と。これに素朴に答えるのは難しい。それは時空が連続性を持つかに留まらず、ここに実在する証明論的順序数が何であるかに極めて依存するからだ。そもそも私たちはもともと有限的な性質しか持っていないのであって、最先端の量子力学が主張するところによると時間はまやかしであり、ところで知識とはなんであろうか。仮説に過ぎないものは知識と呼べるだろうか。検証された合理的な信念は知識と呼べるだろうか。知識とは何かに付随することだろうか。これらはすべて嘘である。知識とは現実と自然言語からなる二項関係であり、それはあらゆる意味で外延的に定義する必要があった。この外延的な定義を与えるものが極彩色であったし、これが含む色の種類はℵ₁個あるため、私たち有限的な性質とは本質的に隔絶している。


 わたしがキャストドリームを体験する機会を得られたのは、全くの偶然だった。キャストドリームは複数の技術が複合されて出来たデバイスである。頭部数箇所にシリコンで出来たシートを貼り付け、自身の夢を30日分取得し、そのデータをデバイス本体に内蔵されている深層学習アルゴリズムが学習し、それを元に、ユーザーはVRを利用して夢の世界を体験できる。そういった仕組みだ。しかし、この無害そうなデバイスは、市場にほぼ流通しないまま消滅していった。内心の自由は可制限的な概念とは認められなかったのだ。同意があったとしても殺人として裁かれるように、内心を直接スキャンしてメモリに保存できる可能性は、大幅に縮小的に解されることとなり、専ら医療用麻薬のような(つまり、より高度な行動認知療法のために)立ち位置に収まっていった。これは変な話でもなく、判例が生まれるより前に専門の弁護士からはそのような見解が標準的であろうとの分析になっていたし、世論からも概ね肯定的に評価されることとなった。しかし、S社は法整備が整うよりはるか前から、このテクノロジーを使ったホビーに資本を大量に投下しており、メインの製品が商品化に漕ぎ着ける少し前に、お蔵入りが決まったそうである。開発陣は忸怩たる思いであっただろう。そこで開発者の損切り力の低さと、法の穴をくぐり抜けてやろうという執念がキャストドリームを生み出したというわけだった。もっとも、発売からすぐに販売停止命令が出されたため、損失を拡大させただけではあった。株主総会で怒号が飛び交ったのは言うまでもない。そんなわけで結局夢の解析まで包括的に禁じられるという結末になったのだが、夢は内心と言えるのかという議論は今も残っている。そんな時代の狭間に生まれ、ほとんど市場に流通することのなかった機械で遊べるというプレミア感は、確かにわたしを興奮させた。


 わたしの地元は海がとても近くて、通学路も海に面しており、波がテトラポットで砕ける光景を視界の端で捉えていたのをよく覚えている。いざそのころを回想すると、友達と下らない話をしていたこととか、志望校に対して偏差値が足らなくて単語帳を読みながら涙をこぼして歩いていたこととか、初恋の男と手を繋いで坂を下ったこととか、東京に出てから潮風のことをよく思い出すようになったこととか、思い出が連鎖してどこでもない箱から飛び出てくる。朝が弱い方でもないけど、6時には起きて身支度をして7時の電車に乗らないと間に合わないので、見た夢の一つさえ思い出している時間はなかった。オフィス街はどことなくどんよりとしている。


 わたしは信号が青になるのを待っていたが、それは待つ意味がないことを忘れるほどVRの世界がリアルであったからだった。私はとりあえず学習が済んだ世界にダイブしたが、行くあてもなくて、漠然とした色の住宅地を進むしかなかった。わたしは明晰夢を見たことは無かったので、夢が舞台なのに自由意思感があること自体奇妙な感覚だった。しばらく進んでいると、いつかの通学路に合流して、私は懐かしさと、その鮮明さに感動を覚えた。その通学路は、ほとんど当時のものだと言っていいように思えたが、何かが足りない気がして辺りを見回すと、潮風とか、波の音とか、そう言った感覚からの入力がないことがそう思わせるのだと気付いた。同じ地形がしばらく続くと、3Dテクスチャの貼り付けミスのように、突如として海になる境界を見つけた。そこに踏み出すと、わたしはそれをそれまでは知覚していなかったのに、地平線の向こうまで続く海の上に、道路が不規則に敷き詰められており、目の前に扉があることに気付いた。扉は鉄製で、ややピンクがかった、安アパートにありそうな作りをしていた。やや年季が入っており、塗装が少し剥がれている。わたしはそれを見たことがある気がしたが、どこで見かけたかは思い出せなかった。他に進む道が見当たらなかったので、わたしはその扉を開いた。扉の先は何もなかった。黒でバケツ塗りしたかのようだ。あまりの何もなさに心臓が縮む思いをしたが、持ち前の好奇心でしばらく接触可能なオブジェクトがないか探索している内に慣れた。わたしはうろうろしても何の成果も得られなかったし、VR機器のクッションで目元が蒸れていたので取り外してしまった。


 学習量を増やすと、色々なことが起きた。思い出の場所とか、いつもの通勤電車とか、色んな景色が生成された。人が現れたことも多々あった。友達、親、かつての恋人、同僚、知らない人。彼らは概ね意味が通っているようで、突然話が飛ぶような場合がほとんどで、ある種の不気味の谷現象というか、小さなズレが気になって仕方なくて、いつしか積極的な会話は控えるようになった。異形のものがスポーンし追いかけ回されたのは流石にトラウマになりかけたが、たまに見る夢といえばそうだ。なんだかんだで、キャストドリームはとても楽しめる。一方で、不思議なのは扉はいつもどこかしらにあったことだった。そしていつも扉の先はデータが欠けてしまったかのように何もない。割と不気味ではあったが、変なことに首を突っ込むタイプのわたしは、性懲りも無くそれを調べ続けてきた。何のためにこの空間はあるのか、と問いたくなったが、意味のないことだろう。夢に意味などない。もうフロイトの話はいいだろう。わたしはどうしても扉の先の景色が何であるべきかが気になって、わたしの夢をひたすらに学習させ続けた。


 W社は1918年に創業し、ライターの製造を主たる事業としていた。1910年代は近代的なライターが出始めた頃で、その成功を見て、二匹目のドジョウを狙って有象無象の起業家が湧いて出てきた頃でもある。W社もその内の一社であり、1940年ごろまでライターの製造をしていたが、第二次世界大戦期に軍需品の需要が高まったことを受け、売上の低迷していたライター事業に見切りをつけた。同社は1955年に廃業している。したがって、W社は20年ほどライターを製造したことになる。現在に至っては、ヴィンテージのライター市場自体大して大きなものでもないし、骨董品的価値を積極的に認められているものは僅かだが、特にW社製ライターは安く取引されている。それは、当時の平均的より多少悪い程度の品質で、特筆すべき点が何も無いからなのもあるが、現存数がやたらと多いからでもある。


 ここは重力が横向きになっているように見えるが、実際には生成されたマップが90度傾いているだけだ。月ほどしか重力の無い草原をぴょんぴょん跳ねながら突き進むと、少しずつ視界が傾いていって、草原の終点と共に重力が元の向きに戻った。しかし、考えてみればVRの視点を操作しているのはわたし自身で、AIは関与していないのだから、生成されたマップ自体が傾いているはずだ。終点は例のごとくテクスチャが継ぎ接ぎのようになっていて、水面に線路が敷かれている。どこかで見た映画のシーンのようだったが、電車は風情も何も無い緑のストライプの2両電車だったため、すぐに地元の思い出と、映画の印象的だったシーンがまぜこぜになっているのだと分かった。夢の世界のシミュレーションを何回もして気付いたことだが、世界はオープンワールドのように見えて、実際にわたしが取れる選択肢は、道なりに進むことと、出てきたオブジェクトに干渉することの二択しかない。元々夢が主観的な視点からしか再生され得ないから、AIにしてもそう解釈するしかないのかもしれない。とにかくわたしはみすぼらしい駅のホームに向かい、開ボタンを押すと、電車はわたしの期待するように開いた。わたしがその辺に腰掛けると、扉が閉まって、わたしに適切な重力がかかると同時に電車が動き始めた。車内は無人で、車掌もいないようだった。電車はのろのろと進んでいく。わたしと海面の相対的位置が変わるたびに、窓の外の海面が反射するのが見える。なんとなく綺麗だ。何分経ったか分からないが、わたしが飽きてVR機器を外しかけたところで、減速するのを感じた。どこかに着いたのだろう。扉が開いて、誰かが乗り込んできた。中学生くらいの子だ。誰だっけ、見覚えがあるような気もする。わたしの中学のときの母校の制服を着ていて、だと言うに、普通に化粧していて、ネイルをバッチリと決めている。中学の頃のわたしといえば、成績だけは良い地味女をやっていたのだから、こんな派手な子、友達にはいなかったはずだ。彼女はわたしの対角にあたる席に座った。わたしは記憶の呼び出しモジュールが暴れ回っているのを、もやもやするという動詞を通じて認知していた。彼女は何も喋らない。わたしは自発的に喋るNPCと喋らないNPCがいることを経験的に知っているが、喋るNPCはわたしのよく知ってる人が多いから、やはりわたしの知らない人なんだろう。わたしは降りるか迷ったが、駅の終着点の方が気になったので乗り続けることにした。それから、確認した限りで駅のようなものを三つ、特に停車はせずに通り過ぎた。なんとなく綺麗な海面も数十分も見たらもうたくさんだった。それからもう少しして、電車は久しぶりに止まった。きょろきょろと周りを見渡すが、景色が変わった気配はなく、乗車駅と同じくみすぼらしいホームのようなものだけがあった。わたしはしばらく待っていたが、一向に動かないし、誰も乗ってくる気配もなかったので、しびれを切らして降りようとした。そして、ドアに視線を遣ると、それは件の扉になっていた。わたしはこの時に、不意に色々なことを思い出した。彼女が誰だったか、この扉が何なのか。なぜ忘れていたのか、なぜ箱は開くのか。


 中学生までのわたしは、とにかく成績がよく物分かりの良い子だったので、良い内申点をもらいやすかった代償として、厄介事を先生から持ち込まれるのだった。うちのクラスに山口なんとかという名前の通りのギャルみたいな、言うまでもなく普段わたしとは縁がない女の子がいた。ギャルらしく不良とつるんでいたし、第一学校は休みがちだったので、その生態は未だ不明である。夏休みに入る前の頃、山口が学校を休んだとき、先生に山口が今日までの重要な提出物を出さないでいるから、提出書類のコピーをもう一度渡してきてくれと頼まれた。嫌で嫌で仕方なかったが、当時のわたしは内申を人質に取られていると本気で思っていたので、二つ返事で了解した。山口の家は学校から少し離れたとこにある団地の二階にあった(わたしの家はまったく真逆だったのに!)。アパートは老朽化が進んでおり、薄ピンクの鉄製の扉の塗装はあちこちが剥げていた。おそるおそるチャイムを鳴らしたが、応答はない。もう一度鳴らすが、やはり応答はない。わたしは顔を合わせず帰る大義名分が出来たと思って、ポストにプリントをねじ込んで帰ろうとしたとき、扉は唐突に開いた。

「あー、京子?」

 山口はなんだか煙たかった。嗅いだことのない匂いがする。わたしは何とかして口を開いた。

「その、山口さん、体調大丈夫?なんか先生が、提出物あるみたいな感じで」

「は?なにそれ。知らんけど。まあいいや、サンキュ。親いないし、寄ってく?」

 山口がまともにわたしの名前を覚えていたこととか、想像以上にフレンドリーな態度とか、そういうので呆気に取られて、そもそも冗談みたいに外が暑くて、脳はほとんど回っていなかった。そんなだから、頭がおかしくなって首肯したのだと思う。

 わたしは足を踏み入れた瞬間に期待してたよりもぜんぜん山口家の空調が効いていないことに大きな不満を抱いたが、山口に物申す度胸などもちろんなかった。そもそもこんな古そうなアパートだし、遮熱性も微妙に違いない。山口は学校の印象よりは遥かに落ち着いていたのが不思議だった。短い廊下を抜けて、4畳半の居間に案内されたが、その部屋に入った瞬間に、何もかもがおかしいということに気付くことになった。まず目に入った不格好な煙草もどきから煙が漏れて、天井に立ち昇っていっている。煙草とも違う独特の匂いがしている。山口は口笛を吹いている。

 わたしが入口で止まっていると、山口はジュースでも飲むかのような自然さで葉巻に口をつけながら、入ったら?と促してきた。わたしはそれがおそらく違法なものであるということ、山口がとんでもないバカだということ、山口の親は本当にやばいと確信した。

「その……それ何?」

「煙草みたいなもん」

 何一つ分からないが、バカな彼女の中では、周りの不良が煙草を吸ってるのを見たりして、それと同じような扱いなんだろう。おそらくは大麻であろうそれを、親がどこから仕入れてきたのかは考えないようにした。

「どんな味がするの」

「まずい。でもすごい落ち着く」

「そうなんだ」

「吸ってみる?タツくんにバレるとやばいからちょっとだけ」

 わたしは自分が誤った方向に進みかけていることを知っていたが、聡いがゆえに子どもなんてものは大抵のことが許されるということも知っていた。わたしは行動力もないしチャラくもないから、この先一生こんなものに触れる機会はないだろうと思った。お母さんはいちいち勉強勉強とうるさい。

「じゃあ、ちょっとだけ。どうやって吸うのこれ」

 山口は驚いたような顔をした。

「京子ってさあ、優等生みたいな顔して結構おかしいよね」

「わたしは山口さんが私のこと認識してたことが意外だけど」

「タクミたちが教室でケン虐めてたとき、うっすら笑ってたよね」

 まさか見られているとは思わなかった。あれは別にいじめを肯定する笑いじゃなくて、ケンがダイビングキックを食らったときに潰れたカエルみたいな、変な声を出してて面白くなってしまっただけだ。

「他の陰キャも見ないふりしてたんだから同罪でしょ」

「まーね」

 わたしが話を露骨に逸らしたのを知ってか知らずか、山口はにやにやしていた。こいつにそんな能はないと思うけど。山口は手際よく大麻を紙で包んで、わたしにライターを投げてよこした。それから疲れたのか大麻が効いているのかわからないが、ビーズクッションに身を投げて虚空を見つめるようになった。

 わたしが慣れないライターを点火させるのに悪戦苦闘していると、ふいに山口が呟いた。

「そのライターはさあ、永遠なの。いつまでもあるの。その炎で燃やしてやれば、わたしたちは永遠になれるの」

 わたしは大麻それ自体よりも、どちらかというとこの発言で背筋を凍らせた。なんとかつけたライターの火のゆらめきが、わたしを何かに誘っている。


 そこは極彩色の世界だった。過剰に開いた瞳孔がめちゃくちゃに光を集めて、明度も彩度も遠近感も壊れて、視覚は生存のためのものとしての感覚器官の役割を忘れてしまった、あの時のような。ここは上も下もないように感じられた。わたしは入ってきた扉に対して、常に距離が最長になるように歩き始めた。進めど進めど景色は変わらない。変わっているのかもしれないが、それをわたしが知覚することは叶わない。わたしはその無限の空間を彷徨うにつれ、感覚というものを失いだしていた。わたしとわたし以外を定める仕切りが、誰かにゆっくりと抜かれている。


 懐疑論者の執拗な懐疑に頼らずとも、わたしたちは胡蝶の夢という話から、現実と夢の区別は原理的に付かない可能性があることを知っている。しかし、今にして分かるのは、現実というのは基底世界であり、夢は一段高階にある世界だということだ。それは夢で起こり得ることは可能世界の要素であるが、現実で起こることは現実という唯一つの世界の出来事でしかないからだ。さらに換言するなら、わたしたちの特異性とは、可能世界を計算する機械であることだったのだと思う。わたしたちの思惟の一つ一つは、有限性を超越した巨大な空間で行われる演算から与えられるのであって、その原始的な終域こそが現実だったということ。分かってしまえば簡単な謎かけだったが、それをわたしたちは実証することが出来ない。わたしの経験はわたしを措いて他の誰もすることができない。だが総体としての世界は認めざるを得ない。感じるというのは身体からの入力でなければならないし、すべては物理的なことの対応でなければならないはずだったが、わたしはわたしの身体性が失われていくのを感じていた。知覚するわたしは何であることになるのか。わたしは何にも答えを出すことはないまま、かつてであればそう表現したであろうように、再び足を踏み出した。□

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