午後十一時十五分
なんとなく、大須を歩こうということになった。
お年寄りと若者、リア充とオタク、日本人と外国人。混沌に満ちた人種のるつぼのようなこの商店街も、深夜は人一人いないゴーストタウンだ。
高校時代から仁詩とは何度もここに来た。
「私にはね、年の離れた姉がいるの……
かつて二人で足を運んだ喫茶店も。電気屋さんも。このあたり一帯の地主の寺も。アニメショップも。ボードゲームカフェも。ゲームセンターも。ういろう屋さんも。今はどこも眠りについている。
「姉さんが好きだった男の人もね、全国転勤をするようなサラリーマンで、東京や大阪を飛び回ってたんだって」
眠れないのは私だけ。
「でも彼はもう結婚してるから、私はただの現地妻だって、姉さんは言ってた」
「それで……お姉さんはよかったのか」
「どうだったんだろうね」
肯定も否定もせず私は言葉を続ける。
「私達だって似たようなものじゃない」
「…………」
「それが悪いとは言わない。あなたが東京の大学で女の子と付き合おうが、ジャイアンツファンになろうが、私にあなたの人生を決める権利はないもの」
仁詩が東京の大学に進学した時点でこれくらいの覚悟はできていた。
それなのに縁を断ち切れず未だにこうやってこそこそ会っているのは私の方だ。
「言っておくけど、今は彼女はいないよ。ちょっと前に別れたばっかりなんだけど」
「別にそれならそれでいい。寂しさを紛らわせるために、私を使ってくれたって」
「あのなぁ……んぐっ」
人差し指を仁詩の唇に押し付けてその先の言葉を塞ぐ。
「姉さんはこの場所で件の男の人に対してこう言ったの」
間髪入れずに私は言葉を続けた。
「男の子と女の子がお互い好きになって、身も心も交し合って、一緒に時を過ごすことが当たり前になっていたら……もう夫婦生活は始まってるんだよ」
うふふ、と笑みを浮かべながら、私は左耳の後ろの髪をかき分けた。
「あの頃の私達はきっとそうだったんだろうな。今は……どうなんだろうね」
「はぁぁ」
唇から指を離したとたんに仁詩は大きく溜め息をつく。
そして。
「一緒に時を過ごしてなかったら夫婦じゃないのか?」
「えっ」
ここまでの全てをひっくり返す、とんでもないことを口走った。
「世の中に単身赴任をしている旦那なんてごまんといるわけだが」
「そりゃそうだけど……」
「古文の豊橋先生にお尋ねするけど、平安時代の貴族って別居が普通だったんだよな」
待って。ちょっと待って。
「妻問い婚……だね」
「平安時代の貴族にできて令和の日本人にできない理由はないよな」
さすがに平安と令和では経済的な事情だとか子育てのことだとか、違うことが多すぎる。
こんなの所詮、大学生の屁理屈だと言われればそれまでだ。
ただ――。
「まぁ、今のは流石に極端な話だけど」
そうこう言っているうちにちょうど大須観音に到着した。
「お参りしていこう」
この話はいったん終わりといわんばかりに、仁詩は本堂へ向かって歩みを進める。
「……そうだね」
ねぇ、観音様。
自分の気持ちに向かい合えていなかったのは、私の方なのでしょうか。
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