衝立の向こうへ出ると、丸テーブルだけ置かれたギルドの談話スペースに不自然な空白ができているのがシュトルの目に入った。そこには、恐らく待っているであろうアレクがぽつんと立っている。シュトルと目が合うと、ぎこちない様子で手のひらを見せるように腕が上がった。そこへシュトルは戸惑いなく近づく。


「もう帰ったかと思ってた。何か用事でもあった?」

「用事というか、べつに特別なことはないんだがぁ……」


 そこへ、バタンッと勢いよくギルドの出入口となる両開きの扉が勢いよく開いた。飛び込んできたのは、ギルドの制服を着た職員だった。ここまで走って乱れただろう息を整えもせず、震える声で叫んだ。


「緊急、事態ですっ!」


 しんと静まり返った。

 叫んだギルド職員は限界だったのか、膝に手をついてごほごほと苦しそうに咳き込んでいる。そこへ、カウンターから出てきた代表代理であるアーネストが靴音をカッカッと鳴らして近づいていく。


「どの程度の規模ですか?」

「至急対応を、ということです。危険度は低いですが、場合によっては町民への被害が大きくなる。できるだけ多くの人手が必要です」

「わかりました。……今から、全てのカウンターの受付を停止します。緊急事態につき、この場にいる全探索者たちにギルドからの緊急任務を依頼します。ギルド前の広場に集まってください。情報を整理次第、ギルドからの依頼内容を伝えます」


 大きくもないはずなのによく響く声を出したアーネストはざっと室内にいる探索者たちの顔を見回したかと思うと、飛び込んできたギルド職員と情報のすり合わせをするために奥へ足早に引っ込んでいく。

 突然のもたらされた出来事にそれぞれが顔を見合わせてざわめいたが、ギルドの機能が停止してしまえば依頼を受けることもできない。ぞろぞろと探索者たちが広場へと出ていく。従順な様子の探索者もこの町の特色の一つかと思いながら、シュトルもその団体に続いていく。当然、その後ろにはアレクもついていく。


「ギルドの緊急依頼って遭遇したことないんだけど、ここではよくあることなの?」


 広場に集まったほとんどの探索者たちは、あれこれと憶測を飛ばしつつも、それほど動揺した様子もなく、慣れている様子だった。

 ギルドからの緊急依頼とは、憲兵や自警団が手に負えなくなる事態、それこそ災害級の何かが起こったときにしか要請されない。探索者は戦闘のエキスパートではなく、地殻洞の探索におけるエキスパートである。そういう意味では、人手が足りないときの最終要員という位置づけになる。噂で聞いたことがあるぐらいで、シュトルが実際に体験するのは初めてだった。


「そう、だな。この町では、頻繁に起きるほうかもしれない。半年に1回は、あるんじゃないか」

「そんなに?」

「ここは、ほかの町や村から離れていて、憲兵も置かれていないし、自警団もほぼない状態だ。近くの騎士団は、早くても3日の距離だな」

「だから、代わりを探索者ギルドが担っているの?」

「うちは町と密着型のギルド、ってアーネストが言ってた、気がする」


 そうはいっても、こんなふうに集められる緊急事態とは何なのか。

 様々な意見が飛び交う広場へ、情報整理を終えたアーネストが出てきた。真剣な顔をした彼は、手に持った折り畳み式の踏み台の上に乗って、少し高い位置から集まった人々の顔を眺めた。


「魔獣の群れが、迷い込みました」


 既に幾つか出されていた憶測が当たった。魔獣、しかも群れとなると手強いことになる。そもそもこの毒の大地において、生き抜けるのは強いものだけだ。

 緊張の走る空気の中、アーネストがさらに言葉を続ける。


「魔獣は、ハタグソクロウと見られます。人は襲いませんが、畑の作物が全て食い荒らされる危険があります」


 ハタグソクロウとは、草食の魔獣だ。常に群れで行動し、ほかの強い魔獣に対抗している比較的弱い分類のもので、広い地域で生息している。ただ、農家には一番嫌われている魔獣とされている。毒性のある植物すら、一つも余さず例外なく食い荒らしていく。これらのせいである土地の森が半分消えたこともあったらしい。討伐隊が組まれることもある。

 思ったよりも大したことないと思っていたシュトルを見透かしたように、アーネストは厳しい声色を変えずにさらに話を続けた。


「この辺境の、まともな土地もほとんどない場所において、数少ない畑の作物は町民の命綱です。商会からもたらされる食料だけで全てが賄われるわけではありません。速やかな討伐を皆さんに求めます」


 さらにと、ここでアーネストは張りつめた表情を少し歪め、額に手を当てた。それは、頭が痛いとでもいうような仕草だった。


「本来であれば、ハタグソクロウは魔獣避けで十分に対処できるはずなのですが……原因は、群れを刺激して連れてきてしまった元・探索者たちのようです。元ではあるといっても、探索者が起こした事態をこのまま放置するわけにはいきません」


 その場にいた、恐らく全員の頭に元・探索者たちの顔が思い浮かんだ。少し前にアレクとシュトルを相手に絡み、騒ぎを起こした丸刈りと長髪の男二人。小さい町で、彼らの話は既に知れ渡っていた。

 自然と、彼ら2人とチームを組んでいた男、広場の端のほうで面倒くさそうに腕を組んでいたオシカに視線が集まった。自分が注目を集めてしまっていることに舌打ちをして、オシカはぎらっと前に立つアーネストを睨んだ。


「俺は関係ねぇよ! あいつらとは元チームを組んでただけだ! それとも、ギルドってのは一度ハラマルウサギが転んだ場所で二度目を狙って永遠と待ち続けるタイプか? 書類と見つめあってばっかりだと、見える世界も歪むのか? 俺は朝からギルドにいたし、お前とも会話したはずだけどなっ!」

「オシカさんが、今回の件に関わっていないことはわかっています。ただ、元チームの2人は逃亡中で、君のところにもしかすると来るかもしれません。見かけたら、誰でもいいので捕まえておいてください」

「……くそがっ! 牽制のつもりか?」


 アーネストとのやり取りの中で関係ないという言葉が出てきたので、一旦は周りから突き刺さっていた視線がオシカから離れていく。オシカは腹立たしそうに爪先で地面を蹴ったが、その苛立ちを向けられたアーネストは軽く流した。


「少し前置きが長くなりましたが、緊急依頼です。ギルドに所属する全探索者に、畑を荒らすハタグソクロウの討伐を依頼します。報酬は参加したもの全員に一律で支払います。手持ちの武器に不備があるものについては、こちらから貸与するので申し出てください。それでは、健闘を祈ります」


 おうっと広場に野太い男たちの声が上がる。山賊か何かの集まりにしか見えないのにとシュトルは自分がその一員であることを忘れ、そんなことを考えた。


 そうして、シュトルはギルドから貸与された弓を構えていた。慣れているわけではないが、扱えないわけでもない。放った弓は真っ直ぐに飛んだが、機敏に羽ばたくハタグソクロウには当たらなかった。


「おいおい、遊んでんのか? それとも遊ばれてるのか? 空に矢が刺さると信じている夢見がちだったか?」

「人の行動に一々口を挟んでくれるなんて、親切のつもり? お返しにあなたにもしてあげたらいいの? 両手に鞭と槍を持っているくせに、どっちも血の一つもつけないなんて。武器を汚さないように気をつけてるの?」

「上等だっ。お前の前に屍の山を築いてやるよ!」


 煽られたので同じように返すと、オシカはぱしっと鞭を鳴らしながらハタグソクロウの群れに向かっていく。しかし、血の気の多い実力者の探索者たちによってもうほとんど狩られ尽くしていた。端でシュトルがオシカと無駄な会話をしていたのも、やることがないからということもある。

 シュトルはもう一度弓を引こうとして、グローブをはめた自分の左手を見た。こういうときに頼りになる自分の蔦は、今日は眠ったように動きがない。先日千切れてから、再生するために休んでいるのだ。


「無茶、させすぎたな」


 一人だったとしても、ずっと傍に根付いていた蔦がシュトルを本当の孤独に落とさないでいた。しかし、今は騒がしい喧騒の中にいても心もとない感覚になっていた。

 気分を切り替えようと大きく息を吸うと生臭い空気が肺を通った。さっきまであったはずの畑からの甘い果物の香りが血臭によってかき消えていた。あちらこちらでハタグソクロウが血だまりに横たわっている。薄暗い地殻洞ならまだしも、気持ちのいい空の下での光景にシュトルのやる気をすっかりなくしてしまった。


「こんな光景見たら、探索者のイメージが下がるんじゃないの……」


 もちろん、現在は危険だからと町民たちには近づかないようにという注意が回っているはずだった。探索者に寛容な町といえども、こんな光景はそうそう見せられないだろうとチラリと後ろをシュトルは振り返った。遠くに並ぶ民家を眺める気分で、誰もいないことを予想していたために、そこに人が一人立っていたことに驚いた。

 探索者たちの邪魔にならない距離に立って、しかし興味深そうに背伸びをしたり、身をのけぞらせたりして様子をうかがっている。目深にかぶった帽子で表情はよくわからないが、体格もシュトルと同程度ぐらいの少年か少女のようだった。その手にはペンと紙が握られている。

 夢中になって探索者たちが暴れまわっている姿を観察していた少年は、シュトルに気がつくとぺこりと頭を下げた。そして、周囲を確認したかと思うと、たたっとシュトルのほうへ駆け寄ってくる。


「こんにちは。フルドノ地方紙のグゼですっ!」

「フルドノ地方紙……」

「はいっ! 掲示板を見たことありませんか? 週に1回貼り出している町の新聞をつくっているんですっ!」

「……ああ、あれ」


 はきはきと元気よく挨拶をしてくるグゼのそばかすの散った屈託のないかわいらしい笑顔に、少女特有の歌う鳥のような無邪気な声に、シュトルは顔をそらした。苦手というより、関わったことがない種類の人間だった。いわゆる普通の人と話した経験というものが、シュトルはほとんどない。オシカの嫌味を聞きながら弓を構えているのと、ここで目に痛い輝きの目と相対するのとどちらがましか、シュトルの心の中の天秤が揺れていた。

 グゼと名乗った少女は顔を背けるシュトルと無理に目を合わせようとはせず、血の中で暴れまわる男たちのほうに身体を向けた。


「皆さん、お強いですよねっ! すごいなぁ……憧れます」

「あこ、がれる?」

「はい。自分、探索者になりたいって小さい頃は憧れてたんですよっ。でも、ギフトが戦闘向きがじゃなかったっていうのもあって諦めましたけど、憧れはまだ残ってますっ」

「そういうものなんだ」


 探索者なんて、憧れてなるような職業ではない。それとも町の特殊性のせいだろうかと横目でグゼを見ると、その目は間違いなく憧れで輝いていた。見えているものが違うのかと、シュトルはもう一度自分が立つ地上にあるものを見る。悲惨な光景しか見えなかった。


「そうだっ! 今度、シュトルさんに取材をしようと思っていたんでした! 今度お願いできますか?」

「何で、私の名前を知ってるの?」

「あ、すみません、勝手に……。女性の探索者はこの町では珍しいので」

「どうでもいい。取材は受けない。つまらないことしか話せないから」

「そうですか? そっか……。せめて、アレクさんとの探索の話を聞けたらと思ったんだけど」

「あの人の?」


 会話を避けたくなるような素っ気ない言い方に終始していたシュトルは、飛び出てきた名前に思わず声を揺らしてしまった。その反応を感じとって、グゼはそうなんですと会話をさらに広げていく。


「アレクさんって、強すぎて近寄りがたいじゃないですか。かっこいいですよねぇ……。孤高の男って感じがします。一人だけ、空気が違うっていうか」

「かっこいいんだ……?」


 強いには強いが、それは災害と呼ばれるような強さであり、恐れが先にくる。また、シュトルの前ではひたすら謝ったり、気遣ったり、弱気になったり、情けない姿ばかりである。シュトルは助けてもらった身ではあるが、そのときは強い衝撃に揺さぶられるだけで、細かい感情の種類を気にかけることもできなかった。

 アレクさんの活躍も見たいとキョロキョロ探しているグゼが、おかしな感覚の持ち主であるようにシュトルは思えてきた。


「なんか、変わってる」

「それ、自分の幼馴染みにも言われました。すっごく馬鹿にもされちゃって。でも、幼馴染みは多分素直じゃないだけで、アレクさんのことは無視できないくらい気になる存在だとは思うんですよ。肝試しとか言って、しょっちゅうアレクさんに突っかかっていくし」

「……あの人相手に、肝試しなんてするんだ」


 グゼは、子どものいたずらも軽く流してくれてかっこいいと頬を上気させて語っている。シュトルは、この町の子供は災害相手に肝試しするぐらいしか娯楽がないのかと不憫にすら思っていた。

 現在、姿の見えないアレクは、もちろん探索者として緊急依頼に参加している。しかし、さすがに狂気に囚われている男と一緒に戦って攻撃に巻き込まれるのは嫌だということで、ほかとは別行動になっている。シュトルは、目を細めてアレクがいるであろう場所を探した。

 遠目からの立ち姿は、ひょろっとした細身の青年だ。道で擦れ違えば、どこにでもいる普通のちょっと気弱そうな、印象の薄い人物だろう。その背中の大斧の威圧感がそれらを裏切っている。


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