狂人は英雄になれない
1
空を見上げれば、穏やかな青空が広がっていた。いくつか浮いている柔らかそうな白い雲が強い日差しを隠している。やさしい風が近くの果実畑からあまい香りを運んでくる。地下に潜る探索者にとって、日の光の下で過ごす平和な時間というのは心癒す一時でもあった。
持ち上げていた視線を落として、目の前にある現実を直視する。
「おらおらおらっ! 逃げんじゃねぇ!」
「そっちに追いたてろ!」
「まとめて引き潰してやれっ!」
荒々しい探索者の男たちが、手に自分たちの武器を持ち、畑を荒らす魔獣たちを追いかけている。舞う土埃、響く怒声、飛ぶ血飛沫。荒んだ日常だった。シュトルは現実逃避にもう一度空を仰いだ。いい天気だった。
「おいっ! 何を一人で突っ立ってやがるっ! 根でも張ったか? 動けないなら、その足を引っこ抜いてやろうかぁ!」
ただでさえ不穏な空気をさらに乱す男の声がシュトルの意識を現実に引き戻した。そこには、初対面から衝突ばかりする探索者の男、オシカが泥で汚れた顔で睨んでいた。わざわざ大きく舌打ちを聞かせてくる相手に、シュトルはギルドから貸与された弓を手に、いざというときには狙える位置まで距離を取った。
「騒動の原因が、偉そうに口ばっかり動かしていてもいいの? 手がお留守みたいだし、やる気もなかったんだから、おとなしくギルド本部でお留守番でもしていたらよかったのに。あなたのせいで気が散る」
「だからっ! あの馬鹿どもと俺は無関係だって言ってんだろうがっ! わざわざくそめんどくせぇ慈善活動に従ってやってんのによぉ……お前の減らず口を黙ってきいてやってんのも、これが慈善活動だからだぜ?」
「それが、あなたの黙っている状態だったなんてびっくりする。あなたがしゃべりだしたら、どんなに言葉があっても足りないんじゃない?」
「お前こそ、余計な言葉をいくつ付け足せば気が済むんだろうなぁっ!」
距離を取った分、オシカの怒鳴る声が大きくなっていく。これでは一緒にいる自分まで悪目立ちしてしまうと、シュトルは自分の仕事に戻ることにした。
天気のいいこの日に行われているのは、ギルドからの緊急全体任務。町の畑を魔獣から救いだすことだった。
その知らせがもたらされたのは、朝のギルドだった。
無事に地殻洞から帰還したアレクとシュトルは、しかしギルドがもう閉まる時間だということで納品処理をすることができなかった。また明日の朝に来てくださいと言われ、採ってきた素材だけを預けて一旦宿に帰還することになった。
そして翌日の朝、アレクとシュトルは共に朝のギルドにやってくることとなった。仕事の依頼を受けるために集まっている探索者たちが、アレクの姿を見て、緊張したように一瞬静まり返る。そして、その横にいるシュトルを見て、不思議そうにアレクと繰り返し視線が反復される。視線が自分に集まっても、シュトルは半分ひきつった顔を真っ直ぐ前へ向けた。
ギルドのカウンターへと向かうと、待ち構えていたアーネストがひらりと手を振った。そして、2人を防音措置の施された衝立のあるカウンターへと移動させる。
「おはようございます。昨日に受け取った素材の納品確認手続ですね。質も状態も大変良いものでした。最初に提示した金額から、この程度上乗せさせていただきました。ご確認ください」
2人の前に、ギルドのシンボルである地を這う竜の印影入りの紙が出される。細かく何によって増額されたかという説明と数字がつらつらと並べられていたが、シュトルはそれらを無視して一番最後の行に目を向けた。合計金額が記されている箇所には、記憶よりも多い数字がある。これほど大きな金額が動くのかと内心で驚きながら、シュトルは冷静に見えるようにゆっくりともったいぶって頷いた。
「こちらでよろしいですね。それでは、現金と口座振込のどちらがよろしいですか?」
ギルドでの報酬の受け取り方は幾つか存在する。現物支給という変わったものもあるが、主には現金かギルド口座振込の2つとなる。探索者それぞれが持つギルド証のデータにギルド専用の口座も紐付けられている。報酬を口座で受け取り、必要なときに引き出せるというシステムだった。ギルドは国が運営しているということもあって、ギルド口座からの支払いというのは信用性があり、国内での支払いや送金を楽に行えるという利点がある。問題を起こすとすぐに口座が差し押さえられるので、後ろ暗い探索者は現金を好む。
また、チームでの依頼の場合は、メンバーそれぞれ均等に分ける場合のみ口座振込も可能となる。しかし、そう簡単に丸くは収まらない事態が多く起こるため、チームでは現金支払いも多くなる。現金にすると、その金をまたギルドに持ち込んで口座へ預けるという二度手間が起きるが、ギルド側も探索者同士の争いに関わりたくないのである。そのため、ギルド側も均等に分ける以外の口座振込には応じない。
今回の2人での探索において、明らかにアレクの力量に頼ったものであることは明らかだったことはシュトルも認めるところだった。均等に分けられてしまえば、自分の側に旨味が多くなりすぎる。いろんな事情を加味して、現金とシュトルは返事をするつもりだった。
「いつもどおり、口座振込でいい」
その前にアレクがそう答えてしまった。それに、アーネストも承りましたと普通に返して、そのまま処理しようとしているのを見て、思わずシュトルはカウンターを叩いた。グローブはめているせいで音は響かなかったが、アレクとアーネストの視線を集めることには成功する。
「待って。何で、口座振込なの?」
「え、あ、シュトルさんは、納得いかなかったか?」
「……そっちは納得してるの?」
「俺は、してしまったんだが……7対3かぁ?」
まだ納得できる答えをアレクが出してきたが、どうも自分の考えていることとずれているような気がして、シュトルはおそるおそる確認する。
「それ、どっちがどっち?」
「シュトルさんが7で、俺が3……8のほうがよかったかぁ?」
「数字の大きさの問題じゃない」
半分でも多いと感じていたのに、渋るシュトルにアレクはどんどん数字を半分よりも多くしていく。動揺したようにアレクの目線が不安定になるが、このまま流すわけにもいかなかった。
そんな2人の間に穏やかな声が差し込まれる。
「とりあえず半分ずつというわけではないんですね? それでは、現金で準備します」
「ア、アーネスト、こういうとき、どうすればいいんだぁ?」
「ギルドは、探索者同士の話合いには、余程の問題が発生しない限り関わりません」
「お、俺だけじゃあ、うまく話せないんだよぉ」
「……とりあえず現金は用意しました。あと少しだけなら時間がありますから、その間に話し合いを終わらせてください。特例ですよ」
「た、たた助かる」
「その前に薬を吸ってください。薬です、薬」
「あ、ああぁ」
懐に手を入れたアレクがいつも気鎮めの薬をすうすうと吸う。そうやって身を屈めた拍子にぶつかったアレクの肘が、木製のカウンターの角をばきっと割ってしまう。木片が刺のように飛び出る惨状に、アーネストが身を乗り出して慣れたように布を当ててピンで留めてしまう。
「ここの修理代、あとで君の口座から引き落としますね」
「あ、ああぁ」
「さて。時間もないですから、僕のほうから話を進めましょうか。シュトルさんの希望の分け前というのは幾らですか?」
狂気を落ち着けるのに必死のアレクを放って、アーネストがシュトルに話を向けた。いまだアーネストに対しての警戒が解けないシュトルは、微笑んで細くなった目から顔をずらしつつ主張する。
「私は、自分が半分よりも少ない働きをしたと思ってる。だから、こっちが2か3? そのぐらいが、いいと思う」
「たくさんもらえるのはうれしくありませんか?」
「うれしいけど、不相応なほどもらうと、後々面倒なことになるのはもうわかってる」
「なるほど……それでは、君のほうは?」
シュトルの答えを肯定も否定もせずに聞いた後に、アーネストは誠実な態度として次はアレクの意見を求めた。顔を上げたアレクは、ぼんやりとしつつも返事をする。
「俺か? 俺のほうは、シュトルさんが、納得してくれるなら」
「それでは、君が7のシュトルさんが3ということで収めますか?」
「ううん? でも、おかしな話だな? もとの素材納品分のお金は一緒に採ってきたから、俺としては半分でいいんだ。ただ、ここの……」
カウンターに乗せられた紙を引っ張って、ここだとアレクが指を叩く。爪が半分ほど剥がれたのを隠すように、その手には応急バンドが貼られている。
「こことここの金は、シュトルさんが受け取るべき、だろう」
「ここ……良い質と状態分として上乗せした分ということですね」
「そうだ。シュトルさんがいなかったら、俺は雑な回収しかできなかった。それは、アーネストも知ってるだろ?」
「よく知っています。君の持ってくる素材は上級ではあるものの、扱いが雑です」
シュトルにもここだと幾つかの項目の文字と数字を見せられるが、じっと睨むしかできなかった。こういうときにどういう言葉を返せばいいのか、シュトルは今まで一度もわかったことがなかった。できるのは安易に頷かないことだけだ。
「それでは、素材の分のお金が半分ずつ、上乗せされた分をシュトルさんに。残るギルド指名依頼料のところですが、アレクのものという計算にしましょうか」
「そうなのか? いや、でも……」
「それが一番無理のない形でしょう。……これがアレクの求める分け前だそうです。いかがですか、シュトルさん?」
そう言われても具体的な数字が出されていない。シュトルは悩んだ末に、嘘のつけない誠実な男に答えを教えてもらうことにした。
「これって、つまりどういう分け方になるの?」
「アレクのほうが受け取る金額が多くなります。ギルドからの指名依頼というのは、僕が言うのも何ですがなかなか大きいので」
「その分け方って、あなたから見ても妥当なの?」
「妥当だと思います」
「わかった。じゃ、それでいい」
シュトルが頷いた瞬間に、アーネストはささっと2つのトレイを出してそれぞれに今決めたとおりの現金を差し出した。
それでも見たことがないほどの現金にシュトルが戸惑っている横で、アレクはざばっとカランを鞄の中に流し入れていた。
「どうしました?」
「何でもない」
アーネストに声をかけられて、固まっていたシュトルもさっさと自分の報酬を片付けるために手を動かした。
シュトルがカランをしまうことに夢中になっているうちに、カウンターに立つアーネストがもう一枚紙を取り出した。
「それから、シュトルさんにはオドリグサの分の報酬の話もあるんです。なので、アレクは席を外してください」
「え……」
「……わかった。頼んだからなぁ、アーネスト」
あっさりとカウンターから離れていくアレクの背中をシュトルは見送った。顔を戻すと微笑まれてしまう。密室ではないとはいえ、苦手な人物と2人きりで話すのはシュトルにとって気詰まりだった。
「本当に嫌われてしまいましたね。別にいじめたいわけでじゃないんです。これは本当ですよ」
「それが本当だとして、都合の悪いことは、あなたは黙ってそうに見える」
「何でもかんでもぺらぺら軽く話すのも、誠実から遠い行為でしょう?」
「……オドリグサも、あの人がいないと採れなかった。さっき渡された報酬に、オドリグサの分も入っているのかと思ってたのに」
「そうですか。でも、最初に見せた書類にはオドリグサのことは書いていなかったでしょう?」
そう言われてしまうと、シュトルの口は封じられてしまう。ただ、自分に不利な形になったわけでもないのに、騙されているように感じた。
黙り込んでしまったシュトルに、淡々と業務的にアーネストはオドリグサの分の報酬の話を続けた。
「それで、こちらの分の報酬は現金と口座振込のどちらにしますか?」
「あの人の口座に半分入れるのっていうのはできるの?」
「できません」
「このオドリグサを採るのに、あの人の力を頼ったところが多くある。これが嘘じゃないのは、わかるでしょ」
「わかりますけど、これはあなたがソロで受けた依頼でしょう。ソロの報酬をチームの報酬のように勝手に扱うのは規則に反します。つまり、不誠実なのでできません」
「私はあなたが不誠実になってもいい」
「僕は困りますね」
シュトルも口が回らないというわけではなかったが、頭のいい人間というのは相手をするのに分が悪かった。勝てないとわかって黙り込むシュトルに、ふうっと軽く息をついたアーネストがカウンターに肘をついた。そして、内緒話をするようにひっそりと話す。
「そんなに気にするのでしたら、そのお金でアレクにご飯でも奢ってあげてください」
「……あなたの案を、仮に呑むとして、あの人って何が好きなの?」
「アレクは、何でも食べます。でも、そうですね、家庭料理をよく食べているでしょうか。できるだけ狂気に陥る要因として、刺激物を避けているという理由だったので、好みとまでは言えないでしょうけど」
「わかった。ちょっと、考えておく」
まだ町に来て間もないシュトルはあまり店に詳しくない。アレク自身に好きなお店を選んでもらって、そこのお代を払うという形でもいいかもしれないと考え込むシュトルに、もう一度アーネストが問いかける。
「それで、現金と口座振込のどちらにしますか?」
「現金で」
「承りました。では、こちらを」
カウンターにまたカロンの乗せられたトレイを出される。さっきと比べると少なく感じるが、今までのシュトルにとっては立派な大金だった。それを自分の荷物の中に仕舞い込む。
さっさとこの場から離れるために、無言で手を動かすシュトルの一部緑に光る黒髪の混じった白い頭を見下ろしていたアーネストがぽつりと呟いた。
「なんだか、アレクがシュトルさんを妹だと思い込むのもわかる気がします」
「……は?」
一瞬聞き流しそうになったが、思わずシュトルは顔を上げてしまった。その感情の高ぶりに合わせるように、大人しくしていた額の寄生花が僅かに花弁を開いた。
「そんなに、私って似てるの?」
「そうですね。話している雰囲気とか似ている気がします。といっても僕は妹さんと親しくはならなかったので、何となくの印象になりますが」
「ふうん。まぁ、私は妹じゃないけど」
強く拒否するほど嫌というわけでもないが、喜んで受け入れることでもない。アレクの妹に似ているというだけで、迷惑もかけられたが、カランという形で得もしている。複雑な気持ちを抱えたシュトルは、きゅっと口を尖らせた。そんな表情の変化を見て、アーネストは微笑む。
「どんな理由であれ、アレクとシュトルさんが共に行動して、こうして無事に帰ってきてくれて良かったです」
「ギルドも、良質で状態のいい素材を手に入れられたから?」
「それもないわけではありませんが。共に行動して、やけくそな気持ちがどこかへいったでしょう? そういう顔に見えます」
「……それ、誰の話? あの人のこと?」
「いいえ、シュトルさんのことです。初めて顔を合わせたとき、このまま地殻洞へ行ったら、帰ってこなくなるかもしれないと感じましたから。長年勤めたギルド職員の勘です」
「…………」
誠実な男の前では嘘をつけない以上、シュトルは沈黙という形で抵抗するしかなかった。それも一種答えを教えてしまっているようなものだった。
見返してやりたい、諦めたくない、負けたくないという気持ちがシュトルの中にあるのは確かだった。ただ、もう頑張りたくないという気持ちがそれらを上回りそうになっていただけで。アーネストに指摘されて、自分の心を地殻洞の闇の底へ引きずり落とそうとしていた感情が、しぼんでいることにシュトルは初めて気がついた。
「私なんかを気にかける必要、あったの? ここのギルドは仕事が少なかったりする?」
「仕事量は少なくありませんが、辺境の地だけあって所属する探索者が少ないですから。全員の顔を覚えています。だから、一人一人の事情もよくわかる。できるだけ多くの探索者に帰ってきてほしいと思っています」
「あ、そう」
既にシュトルは受け取るべきものを全て受け取っている。これ以上アーネストと話す必要もないと、カウンターから身体を離した。一つに結んだ髪を風に揺れる葉のように翻して、さっさと行こうとするシュトルの背中に穏やかな声がかかる。
「困ったことがあれば、いつでも相談ください。それもこの町のギルドの仕事の一つですから」
それに対してシュトルは返事をしなかった。やっぱり、シュトルにとってギルドの代表代理は苦手な相手であって、わざわざ話しかけたい相手ではない。相談するにしても最後の最後だなと決めた。
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