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もう一度ソファに座り直したアーネストは、さてと言って両手を組んだ。その一言で空気が変わるのを感じ、シュトルは渇いた喉を潤すために唾を飲み込んだ。
「ああ、そんなに緊張しないでいいですよ。お茶でも飲みながら、気楽に聞いてください。そうですね。話は初めから、一つずつ進めていきましょう。まずは、君たちが起こした事件から」
「……私は、巻き込まれただけだけど」
つぶやいたシュトルの声は聞こえなかったのか、アーネストは反応することなく話を進める。
ここに来る前に、酔っ払っていたあの探索者2人組から事情を聞いたのだといった。
「どうも、組んでいたチームの不和により自暴自棄になっていたようですね。しかし、町民への迷惑行為は看過できません。この町での探索者認定を一時停止しました。場合によっては、所属ギルドを移動してもらうことになるかもしれません」
「そんなに重い処分なの?」
探索者認定を制限されるのは、探索者にとっては致命的だ。地殻洞に潜って素材をとっても換金してもらえない。また、探索者として補助される宿代を余計に払わなければいけなくなる。また、町での身分証明ができなくなったりと行動が大幅に制限される。実質的に追放処分と言えるかもしれない。
彼らは問題行動を起こしたとはいえ、怪我人は出ていなかった。いくらギルドといえども、あまりにも強引な判断に思えた。そうシュトルが思っていることに気づいたのか、アーネストが笑顔のまま少しだけ眉を下げた。
「最初は罰金処分にしようかと思ったんですが、どうも悪いことを考えていたようですから。地殻洞からの素材を、ギルドを通さずに裏に流して大金を手に入れようとしていたとか。特にAランク地殻洞の素材は裏に流すというのは、重い罪に問われます」
「……思いついて、それをギルドにペラペラしゃべちゃうくらい、あいつらって軽い頭だったんだ」
「そもそも彼らのブレーンがオシカさん、元チームのメンバーに判断を全て任せきりという体制だったようですね。……彼らだけでは実力不足という意味でも、この町での活動は向きません」
「それって……あいつらと一緒にいた、鞭使ってる奴のこと?」
「そうです。シュトルさんは、ここに来た初日にオシカさんに話しかけられていましたね」
「話というか、喧嘩売られていただけでしょ」
地殻洞でも、鞭を持ったあの男が主体となって動いているようだった。そこを狂気状態のアレクと遭遇して、チーム解散になるほどの軋轢が生まれてしまったと予想できる。考えてみればみるほど、自分は関係ないなとシュトルは今の状況への不満が積もった。やけくそ気味に、テーブルに残されていた蜜たっぷりのドライフルーツケーキを一切れつまむ。
「まぁ、今はオシカさんは関係ありませんね」
「そう? そいつがリーダー分だったのなら、その素材の横流しにも関わっているんじゃないの?」
「いえ。はっきりと彼は関係ないという発言が得られたので」
「そんなの誤魔化せるでしょ。口先だけなんてことは、いくらでも」
「ああ、それは心配いらないんです。僕に"嘘"はつけないので」
アーネストは穏やかにきっぱりとそう言い切る。無意味な善性への信仰でもなく、怠惰による雑な言葉選びでもなく、自分の見識への絶対的な自信というわけでもない。ただ、事実がそうであるという音だった。
ぞわりとシュトルは得たいの知れない存在に身震いする。ギルドの代表代理にしては、若く、舐められそうな戦闘に向かない体つきと穏やかな話し方だが、やはり油断ならない相手だった。何を考えているかわからない分、アレクよりもシュトルにとっては恐ろしい存在に見えた。
そこへ、低い声が割って入ってくる。
「……アーネスト、いじめるなと言ったのに」
「すみません。僕も人のことを言えないようですね。普段は荒くれの男ばかり相手にしているせいで、年頃の女性への話し方を忘れてしまったようです。これでは怒られてしまいますね」
「べつに、いじめられたつもりはないわ。ただ、代表代理を名乗るだけのことはあるのかと、ちょっと認識を改めただけ」
いつの間にかいじめられているということにされそうになって、慎重に丁寧に、つまったりどもったりしないように落ち着いてシュトルは声を上げる。できるだけさりげなさを装って、手つかずだったカップで冷えた指先を温めた。
正気のような顔をしたアレクはそんなシュトルを見て、アーネストのほうに一瞬眉間にしわを寄せた顔を見せてから、またシュトルをちらりと見た。その表情は読めないが、落ち着かない指先がぱたぱたと服のすその上で踊っていた。
「アーネストは、“誠実”なんだ。だから、嘘もつかないし、約束も破らない。その点は、安心していい」
「言葉が足りないですよ、アレク。厳密には、“誠実”のギフト持ちなので、嘘をついたり、約束を破ったりすることが、あまり望ましくないということです。このギフトについては、アレクと同じくらい有名ですね。僕としても、多くの人に知ってもらっていたほうが信用と抑止力になりますから」
「ギフト?」
「はい。戦闘に向かないのが残念なギフトではありますけど」
これでもギルド職員として鍛えているんですけどとアーネストは細い腕を曲げて力こぶをつくろうとする。しかし、シャツ越しにも細い事務員の腕をしているのが見てとれた。なだらかな二の腕を残念そうにアーネストは撫でて、自分のギフトについて説明する。
「僕のギフトは、僕自身が誠実である限り、相手にも誠実であることを強制できるという能力です。具体的に言えば、嘘をつかない僕に嘘はつけないし、約束を守る僕に約束は破れないんです」
「あなたが、嘘をついた場合は?」
「そうしたら、相手も嘘をつけるようになりますね。そうならないように、些細なことにも正直であることを心がけています」
つまり、今の言葉も正直な言葉であるということだろうか。ある意味嘘をつけない人間というのなら、疑う必要もないだろうかと思いつつ、シュトルはいまいち信じきれなかった。今から、適当な嘘でも言ってみようかとさえ思えてくる。嘘をつかない人間の前は、シュトルにとって座り心地が悪かった。
「まぁ、そういうわけで、僕のギフトを活用しつつ、彼らの嘘偽りない証言を得たわけです。黙秘を実行されては時間がかかってしまいますが、協力的だったので。ついでに、もう君たちに喧嘩を売らないようにとも"約束"させました。逆恨み防止ですね」
「それは、どうも」
「いえ、必要なことですから。その後、この昼食を買って、すぐにあなたたちのところへに来たわけです。そう、脱線を繰り返して長くなりましたが、ここからが本題ですね」
「ところで、これって尋問、聴取、面談のうちどれなの?」
「僕の気持ちとしては面談です」
建前としては、面談というわけだとシュトルは目の前の微笑みから視線を落とす。抱えていたカップの表面では、しかめ面をした顔が揺れていた。シュトルは冷めてきたお茶をぐいっと半分ほど飲み込んだ。急に大量の水分を摂ったせいで少しむせた。
「先に聞いた話や状況証拠から、あなたたちは喧嘩を売られた側であるというのはわかりました」
「なら、もう帰らせて。あいつらから真実そのままを聞けたっていうなら、今さら私たちから聞くべきことなんてないでしょ」
「いえ。しかし、町への被害というものがありますから。きっかけは彼らとはいえ、町民の利用する通りが陥没させたのは彼らではありませんから」
「私は関係ないけど」
「これに関しては、いつもどおり、無報酬でギルドが指定した素材をアレクに採ってきてもらいます」
「わかった」
関係がないと主張するシュトルの声はまたしても流されてしまう。ここまできたらわざとだろう。笑顔を崩さないアーネストに向けて、シュトルが内心で呪いの言葉を吐いていると、微笑む顔がぐるりと不満顔の少女へと向いた。
「お待たせしました。ここから、シュトルさんにも関係がある話になります」
「……なるほど。そっちで私にも関係ある話をつくってたわけね」
「恐れ入ります。アレクは優秀な探索者ではありますが、欠点としては理性的な行動ができないことにあります。取扱いに慎重さが要求されるような素材を扱えないんです。同行者をつけようにも、回りも目に入らない戦いぶりからソロで活動するしかなく……それが人をかばうことができるなんて」
「それ以上はっ、言わなくてもいいよ」
「そんなこと言わないでください。話を聞かなければ、はいもいいえも答えられないでしょう」
そこまで言われた時点で、話が行き着く先が予想できた。それに、聞いたらいいえとは言えなくなるだろうこともシュトルにはわかっていた。そして、シュトルがわかっていることもアーネストはわかっていた。この場でわかっていないのは、呑気にテーブルに残るデザートをもしゃもしゃ食べ尽くしているアレクだけだった。
アーネストは一拍間を置いて、そして告げた。
「ですから、シュトルさんにはアレクと臨時チームを組んで、同行してもらいたいんです。もちろん、シュトルさんにも報酬をお支払いします」
「ギルドからの指名依頼を、私が? 光栄だね。でも、まだこの町に来てから3日なんだけど」
「探索者歴が長いベテランであることは知っています。それに、来たばかりというなら、なおさら慣れているアレクと一緒に探索で潜ったほうがいいですよ」
「昨日、そこの人に気絶させられて、そのまま持って帰って来られたんだけど」
「そもそも気絶させた人を連れ帰ることができたこと自体が稀です。狂気の中で、誰かを意識できるなんてすごいことなんですよ」
「だからって……!」
「アーネスト」
シュトルばかり焦ってヒートアップしていく話し合いの途中で、アレクが話を止めた。そして、なぜかシュトルの手もとに一つだけ残された芋の揚げ団子を滑らせてくる。
「この子を危ないところには連れていけない。俺に同行者はつけない」
「そうなると、複数回潜ってもらうことになります。道の補修って意外と大変なんですよ。お金もかかるんです」
「今までそうだっただろう。今さらだ」
「そうですか。うちのギルドは常に人手不足ですから、君に希少素材を取ってきてもらえると助かるんですけどね」
「お前には、苦労と迷惑ばかりかけるけど……」
「ま、それは職務ですから、いいんです。でも、そうですか」
不本意な弱者扱いに、二人が視線を向けていないことをいいことに、シュトルは盛大に不満を顔に現した。鏡を見なくても、自分の口の片端がねじまがって、鼻の上あたりにぎゅっと力が入っているのがわかる。しかし、口は挟まなかった。シュトルはアレクと同行したくはなかった。
主な任務の実行者であるアレクの拒否に、アーネストは仕方ないなと肩をすくめた。そこで話が終わるかと油断したシュトルへ、でもと言葉が続けられる。ただし、それは意図を持った必殺の一言だった。
「でも、シュトルさんは探索者ですから、いずれ地殻洞に潜りますよ。そう考えると、一人でシュトルさんが潜るよりも、アレクと一緒に潜ったほうがよいでしょう?」
「それは……そうか?」
「ちょっと待って。そうじゃないでしょ。どういうつもり?」
「どういうつもり……ああ、それは食べてもいい。まだ一口も食べていなかっただろ」
ほらと険のない声でアレクが手つかずのままで置かれている芋の揚げ団子をシュトルに食べさせようとする。正気のようで正気じゃない。それはもう痛いほどわかってしまったので、シュトルは芋の団子をわしづかんで口に放り込み、脱線の元となるものを物理的に消しにかかった。彼の目には妹でも見えているのか、感情の薄いアレクの顔がうっすら満足そうに緩んでいるように見えた。
シュトルはわしわしと噛んで、カップに残っていたお茶で流し込む。ごくんと喉を鳴らし、ぐいっと手で口元をぬぐった。睨んだ先には、こちらの全てを見通しているように座っているギルドの代表代理がいる。
「断らせる気、ないでしょ」
「僕にとっては、それが理想的ということです。僕は、アレクだけでなく、シュトルさんのこれからも期待しています。あなたにとっても、アレクと探索するのが利になると考えました」
「私は、ソロでやっていきたいの。そこをギルドに強制されたくない。今までだって、一人でそうやって……」
「では、あの孤毒の地殻洞をソロで潜って、無事に素材を持って帰れる自信はありますか?」
「一人でやれる自信は、ない。実力不足かも、って……」
当然、あると答えるつもりだった。なのに勝手にシュトルの口から飛び出した。咄嗟に取り消そうと続く言葉すらも、弱音にまみれている。耐えきれずに口を手で塞いだ。
アーネストはこくりと予定調和であるとうなずいた。彼が誠実であったがために、シュトルも誠実に応えた結果だった。
「そうであるなら、やはりアレクと同行して慣れるのも一つの道です。……基本的にギルドは探索者がどのように活動するかまで干渉しません。でも、僕は無闇に死へ向かおうとする者を見送ることもしたくないんです」
「……貴重な素材を、取ってきてくれたら、うれしいって話じゃ、なかったの?」
「そういった面もあります。けれど、これも僕の本音の一つですよ」
一つ一つ、確認しながら慎重に言葉を発するシュトルに、誠実にアーネストも返答をする。それは嘘の一つもなかった。
依頼をこなすことさえできれば、ギルドは評価をする。シュトルは、自分が植物たちに寄生され、殻獣たちから植物として扱われる体質を利用して、ほとんど戦うことなく成果を上げていった。それがズルであるような、自分の実力と評価が見合ってないような感覚を押し殺して、最難関の地殻洞まで来た。自分の弱さと浅ましさを、嘘偽りなく言い当てられたと感じた。
ぎりっと痛くなるほど奥歯を噛み締める。左腕から伸びてきた蔦が歪んだシュトルの頬をそわりと撫でる。
「そういうことなら、俺はシュトルさんと地殻洞に潜るってことでいい」
「そうですか。それでは、今回お願いする素材ですが……」
「ただなぁ」
がっしゃんと転がる音が響いた。立ち上がった勢いが強すぎて、アレクの座っていた丸椅子がばらばらに分解されて床に転がっている。その一部品を足で蹴って、アレクは前に出て、アーネストの首元をつかんだ。いい素材の服のおかげか、怪力で引きちぎれることなく、ぎゅっと布地で首が絞められる。
「いじめるなって言ったよなぁ。泣かせてどうするんだぁ? 俺は馬鹿な兄ちゃんだがぁ、泣かされる姿を見逃すような目はしてないんだよぉっ」
アーネストが何か返そうとはくはくと口を開け閉めしているが、空気の抜ける音しか出てこない。両手でアレクの握り拳を叩いているが、効果はないようだった。
シュトルは目元を触って、それが濡れていないことを確認して、立ち上がった。
「泣いてないっ。それから、代表代理の首を絞めるのはもうやめたほうがいい。無償労働どころか、あいつらと同じ探索者認定取消しにはなりたくない」
伸ばした手をさまよわせて、ぐいっとアレクの服の裾を引っ張った。振り返ったアレクがぼんやりとした目でシュトルの顔を真正面から見下ろす。
数秒後、ぱっと手が離されて、締め上げられていたアーネストは床に膝をついて咳き込んだ。
「げほげほっ。ああ、久々に酷い目を見ました。アレクとは約束ができませんからね……」
「さっきの話、ちゃんと受けるよ。そもそもギルドからの指名依頼なんて、そうそう断れないし」
「それは、よかったです……」
よろよろとソファに腰を落ち着けたアーネストは、背もたれに全身を預けて、はーっと深呼吸をする。その姿に、シュトルは少しだけ清々した気分になった。
「ええっと、何でしたっけ? そうそう、依頼したい素材のことでした……」
「ご、ごめんごめんなぁ。いつも正気になれないんだぁ。ちょっと、やりすぎたよなぁ」
「いいです。でも、君の分の椅子は壊れてもうないので、今からの話は立って聞いてください。あと、壊した椅子は後でちゃんと君が直してください」
「ごめんなぁ」
「アレク、薬飲んでおいてください」
気にしないと言いつつも、アーネストは明らかにぶっきらぼうな返し方をする。アレクはふらふらとしながら、言われるとおりに、腰から薬の包みを開いて吸った。
すうすうと薬の吸引をするアレクを脇に放って、アーネストはシュトルのほうに向き直った。
「今回依頼したいのは、第5階層に存在するサキミの頭部です。割れないように、慎重に持って帰ってほしいのです。わかりやすい図もお渡ししましょう」
最初から準備していたらしい紙を懐から出して、渡すためにアーネストの腕が伸ばされた。シュトルが受け取ろうとしたところで、シュトルよりも先に蔦がアーネストの鼻先を掠めるようにしなって、紙に絡みついてしゅるりと回収していく。
「え、あ、今のは、わざとじゃない。嘘じゃない」
「わかっています。誠実ですから。……でも、随分と嫌われてしまいましたね」
怒った様子もなく、アーネストは笑った。最初に感じていたよりも、今はそれほどその笑顔も気味悪いとはシュトルは感じなかった。
「無事に帰ってくるのを、ここで待っています。気をつけていってらっしゃい」
その言葉も決して嘘ではなかった。
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