再びの探索
1
あの日の失敗を乗り越えて、再びシュトルは地殻洞の前に立っていた。ミモザの手によって選ばれた、するりと新しいベルト式のグローブをはめた手を何度か握って開いた。首には防塵ゴーグルを引っかけ、ベルトにはアルケミー加工のロープがあり、仕込みナイフも定位置に収まっていることを確認する。
宿主の緊張を感じとったのか、グローブの隙間から左腕の蔦がしゅるりと蠢く。それを指先でそっとシュトルはなぞった。彼女の額で咲いている大ぶりの寄生花も、しゅっとあえぐように花弁を揺らしているのがひきつった肌から伝わってくる。
「大丈夫。やることはいつもとは変わらないから」
いつもとは明らかに変わっている状況ではあるけどという言葉は、口には出さなかった。
寄生植物たちに声をかけるシュトルに、いつもとは違う同行人が反応した。動きやすさを重視した、ほとんど防護機能を有していない装備と服装、腰に引っかけられているカンテラ、それから身体の半分はありそうな大斧を背負っているのはアレクだった。
「その、探索を始める前に知りたいことがあれば、何でも聞いてくれ。長い間、俺はここを専門に潜っていたから、教えられることもあるはず」
不思議なことに、並外れた力を発揮するギフトとこちらに無理やりお詫びの品を献上しようとする強引さを持ち合わせているはずなのに、シュトルに対してはどこか自信なさそうに語りかけてくる。
はっきりと言えば、あまり一緒に行動したくない。半ば狂気中は自分を妹だと思い込んでつきまとってくる男なんて厄介以外の何ものでもない。しかし、ギルドから正式に依頼されてしまっては逃げることもできない。
「今さらだけど、どうしてこんなことになったの……」
「え?」
ただの独り言として呟いた言葉が聞き取れなかったようだった。アレクは聞き直そうとして、どう聞けばいかわからなかったらしく、自分の両手を揉み込んだり、ブーツの先で地面をつついたりと落ち着きがない動きをする。しかし、大したことは言っていないのでシュトルは言い直すこともしない。
はぁっとため息をついたシュトルに、アレクが子どもに蹴り飛ばされた木の枝のようにびくりと肩を揺らした。
こうなったのは、つい先日シュトルが巻き込まれ、アレクが主犯とも言える往来破壊事件のその後、ギルドまで連行されたときのことだった。
ギルドのカウンターの向こう側、いわゆる事務方の領域へ連れていかれ、そのうちのソファとテーブルだけがある応接室のようなところに2人は通された。腰を抜かしてまともに歩くこともできなくなった丸刈りと長髪の男は、ギルドから派遣されたという額に火傷のある男にまた違う場所へ引きずられていったようだった。火傷痕の男は別れ際に、何で来たばっかりなのにこんな厄介事に巻き込まれているのかと、シュトルに憐れみの目を向けていた。そんなこと、本人でさえもよくわかっていない。
ギルドの備品であるソファは随分と古いのか、破れた布地部分に別の布を縫い付けて補修しているような痕跡があった。そこにおとなしく座って待つシュトルの横で、アレクが何故か部屋の隅から木製の丸椅子を持ってきて座る。隣に座ってほしいわけでもなかったが、あと2人は座れるぐらいの余裕がソファにはあった。つくりが甘いのか、がたがたと音を鳴らす丸椅子に、思わず声をかける。
「あのさ、ソファに座らないの?」
「え? いや、大丈夫。こっちには座れてるから」
「それ、どう見てもがたがたで座り心地が悪そうだけど」
「何回か、ソファ壊したことがあるから。その、それの直されている部分も、俺がソファの底ぶち折った跡なんだ」
「ああ、そう……」
隣に座られてソファの底を真っ二つにされても困るので、シュトルはもうそれに触れるのは止めた。話すこともなくなり、あとはがたがたとバランスの悪い丸椅子が慌ただしく鳴る音ばかりが室内で響く。
ちらりとシュトルは壁にかけられている時計に目を向けた。実用のためというよりは装飾の意味合いが強いらしく、時計盤の回りで鳥が羽ばたき、花がほころび、太陽と月が同じ空に浮かんでいる様子が彫刻されている。本来数字があるはずの場所に、それらが取って変わっている。ただ、長い針と短い針のどちらも空を指しているのはわかった。それが昼近くを表しているということを、シュトルは覚えていた。
隣でぐきゅっと穴から空気が抜けたような音が鳴った。丸椅子に座っているアレクが胃のあたりを両手で押さえている。シュトルが聞かなかったことにしようかと思ったところで、さらにきゅるるっと間延びした音が主張してくる。
「ご、ごめん、ごめんなぁ、いやしいお兄ちゃんでごめん……」
「だからっ、私はっ、あなたの妹じゃ、ないのっ!」
「あ、ああ、そうだ。シュトルさんだ、シュトルさん……」
すぐに狂気に傾いていくアレクに、シュトルは大声で対抗するが、どうも心もとない。あいかわらずアレクの頭は、狂気という金槌で叩かれてでもいるようにふらふら揺られている。ソファの上でずりっと横にずれながら、シュトルはそっと額の上の寄生花に手をかざした。
わざわざ見せびらかすものでもないが、正気でない男にいつまでもかかずらっているわけにもいかない。隠れるように花弁を硬く閉じている寄生花に念じて、開いてもらう。ぼこぼこっとシュトルの頬の下に張っている根が蠢いて、皮膚が引っ張られるのがわかった。
「ほら。あなたの妹、こんな顔もしてないでしょ」
「そ、そう、か?」
「絶対そうだから。長年会ってないからって、こんな顔にはならない。それに、額から花だって咲いてないでしょ、ほら」
「そうだった、かも、しれない」
「だから、そうなんだって」
狂気に入ると目も悪くなってしまうのか、しょぼしょぼとアレクが瞬きしながらシュトルを見る。自分の顔を他人に見られる居心地悪さに、シュトルがぐっと両手を強く握っていると、左手の平の上で蔦がぐるぐると身じろぎする。
「君は、シュトルさん、妹じゃない。そうだ、そうだった……ごめん、ごめんなぁ、兄ちゃんはいつも間違ってばかりで、迷惑かけるなぁあ」
「ああ、もうっ、だからっ!」
しかし、言い聞かせたところでまたぐるんとアレクの意識は狂気の方向へと吹っ切れてしまったようだった。いっそのこと平手打ちでもしたほうが、正気に戻るのだろうかという考えが浮かび、シュトルは無意識のうちに左腕を持ち上げていた。お腹が空いていて、苛立っていたのも原因の一つではある。そんなシュトルに呼応するように、しゅるりと伸びた蔦もしなる。
「申し訳ありません。お待たせいたしまし、た……」
その瞬間に、応接室の扉が開いた。紙袋を片手に顔を覗かせたのは、この町のギルドの代表代理のアーネストだった。にこやかに入ってきた彼は、頭をぐらぐら揺らしながら焦点が合っていないアレクと腕を振り上げ、蔦を伸ばしているシュトルを交互に見て、おやとのんきな声を漏らした。そして、室内に入ったかと思うと丁寧に扉を閉める。
ぱたんという音で正気に返ったシュトルは、うつむいて、咄嗟に振り上げていた腕で顔の左側を覆った。ひきつる指先が癖でフードを探していたが、シュトルはこの町を目指すに当たってフード付きの服は全て処分していた。爪の先まで炙られているかのように熱く感じられ、乱れそうな息を無理やりシュトルは飲み込んだ。
「この町での問題行為は、ギルドで取り締まるのが決まりになっていますからね。喧嘩はほどほどにしてください」
乱れのない歩調で向かい側のソファに座ったかと思うと、アーネストが干したばかりの布団のようにやわらかくそう告げた。ふわふわしすぎていて幻聴か疑ったシュトルが、そっと顔を隠していた腕を持ち上げてうかがうと、こちらを見て真っ直ぐ笑っている顔が目に入り、思わずひっとシュトルは悲鳴を上げた。
狂っていてもそれは聞き逃さなかったらしいアレクが、ふわふわと揺れていた視界をようやく現実へと向けた。そして、自分の幼馴染みがいつの間にか目の前に座っていたことに気づく。
「アーネスト? ……いつからいたんだ。まあ、それはいいか、この子をいじめないでくれ」
「そんなことしませんよ。むしろ、君がいじめていたようにも見えました」
「そ、そうか、そうなのか。ごめん、ごめんなぁ……兄ちゃんが――」
「いい加減、妹から離れて」
「……あ、ああ。そうか、シュトルさんだった」
目が覚めたような台詞を吐くが、それを今日何回聞いたことかとシュトルはテーブルの端で揺れている卵を見る気持ちで見つめる。そんなアレクを前にして、アーネストはごそごそと持ってきた紙袋の中身を探り始めた。そして、ソファの前のテーブルに並べ始める。ふわりと漂う香りがぐうっとシュトルのお腹を鳴らした。
テーブルに広げられたのは、どこかで購入して持ち帰ったらしい昼食だった。黒パンに黒胡椒で焼いた肉を挟んだサンドイッチや赤いソースが上からかけられた黄金色に揚げられた野菜スティック、それからよく漬け込まれた香辛料たっぷりの肉を葉野菜で包んだロール。デザートには、芋を丸めてたものを揚げて砂糖をまぶしたものやドライフルーツの混ぜ込んだ生地に蜜をたっぷり浸したケーキもある。
「アレク、お腹空いているんじゃないですか。何度も言っていますが、狂気へ陥りやすくなるから健康的な生活をしてください……という話も今はしても無駄ですね。先に食べてください」
「ああ……いつも悪いな、ありがとう」
遠慮なく手を伸ばしたアレクは、礼を言うために開いたその口にそのままサンドイッチを突っ込んだ。口いっぱいに入れたそれをもしゃもしゃと咀嚼したかと思うと、またすぐに口に食べ物を入れ、吸い込まれるようにテーブルの上のものが消えていく。
食べ物があっという間に消えていく見世物だろうかとシュトルが思っていると、穏やかでやさしい声が彼女の名前を呼んだ。顔を隠すようにうつむき加減だったところから、ますます隠れるように背中を丸めかけてから、床の汚れを睨んで、シュトルは顔を上げた。正面には、相変わらず笑っているアーネストがいる。
「シュトルさんも遠慮せずにどうぞ。お腹も空いているでしょう」
「……これ、あの人のためのものじゃないの?」
「いっぱい買いましたから。それにお待たせしてしまいましたので。迷惑料だと思ってください」
「私、本当に巻き込まれただけで、ここで待たされて迷惑なんだけど」
文句をつけつつ、シュトルは肉の葉野菜ロールを手に取った。漬け込まれた肉のタレが端からこぼれそうになり、シュトルは片端にがぶりと食いついた。苦味の強い葉とぴりり甘辛い肉はさっぱりと食べやすく、もう一本と手を伸ばした。
勢いよく食べていたアレクはある程度満足がいったのか、指先についたパンくずの粉を払いながら、ぼんやりとした目でシュトルを見る。そして、夢から急に覚醒したように身体を揺らして、ばたついた足で床を蹴った。ばきんと嫌な音が鳴ったが、それもアレクは気がつかない。
「これ、これこれ、これはどこで買ったんだぁ? シュトルさんは来たばかりだから、たべ、食べるものは気をつけないとぉ」
「大丈夫です。シュトルさんが食べられるものばかりです」
「そう、そうか。アーネストが、そんな失敗、しないか」
狂気に揺れるアレクをアーネストは慣れたようにいなし、宥められてあっさりとアレクのほうもテーブルの上のものを食べる作業に戻っていく。
実際のところ、食べたときの感覚で毒があるというのが、寄生花と一部を感覚を共有しているシュトルにはわかっていた。それなりに強い毒で、常人ならすぐに嘔吐感を覚えて、立っていられないほどの手足の痺れが襲うだろう。
ギルド職員であるからには、シュトルがどんなギフトを持っているのかも知っており、毒が効かないこともわかっているだろう。シュトルのギフトを明らかにしないような言い回しをしたことには助かったが、平然と穏やかな笑顔で話を流すアーネストに、警戒心がぎりぎりと強くなっていく。そもそも一見優しそうで穏やかな人間が、シュトルは苦手だった。喧嘩を売ってくる探索者のほうがまだ親しみを持てる。
デザートを口に運ぼうと動かしていた手を途中で止めたシュトルに、一人食べずに見守っていたアーネストがああっと声を漏らした。
「そういえば、飲み物を用意していませんでした。食べてばかりでは喉が詰まるでしょう。さっき、部下の子に後でお茶を持ってきてほしいとお願いをしたんですけど……」
タイミングよく扉がノックされ、返事をしたアーネストが立ち上がった。両膝に手を当てながらのんびり立つ姿は、戦えるようにも思えず、また自分が戦って負けることもないだろうと予想できる。それでも隙を見せられない何かを感じて、シュトルはそっとソファの上で距離を取った。
「代表代理、お茶っす」
「はい、どうもありがとうございます。仕事を中断させてしまって、すみません」
「そんなら、代理もお茶ぐらい淹れられるようになってくださいっす。そんじゃ」
お茶を受け取って戻ってきたアーネストは、3人分のカップをそれぞれの前に置いた。淹れたてのお茶は湯気を立てて、なみなみたっぷりとある。
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