6
そこには、ニヤニヤとこちらを嗤うための笑みを浮かべた男2人がいた。力任せにナイフで刈ったのかというような雑な丸刈り男と泥から引き上げられたようなべったりとした長髪の男。身なりからして探索者のようだったが、アレクは違和感を覚えた。探索者も含めて、この町の人間は、不用意に自分に声をかけてこない。声をかけてくるような奇特な人間の顔は全て知っているが、この2人にはまったく覚えがない。少し考えて、それがこの町に来たばかりの人間であるという結論が出た。
新顔の探索者2人を見て、シュトルはさっさと帰ればよかったと舌打ちしたいのを我慢した。最初に町のギルドで、そして次に地殻洞で、鞭を振るっていたあのおしゃべりな男の後ろにいた2人だとわかったからだった。
突然現れた二人組はアレクとシュトルの顔を交互に見て笑っていたが、思っていた反応がなかったのかふんと急に不機嫌な顔になる。一人が手に持っていた瓶を自分の顔の上で逆さまにして、僅かに残っていた数滴を舌でなめとり、それから乱暴に空になったそれを地面に叩きつけて割った。攻撃的な音が響き、周囲を歩いていたはずの町の人々はいつのまにか音もなく消えている。
「憂さ晴らしに酒でも飲んでもやろうと思ったのに、探索者に売れる酒はないんだとぉっ! ……どいつもこいつも馬鹿にしてんのかっ?」
「糞がっ! うまい酒が目の前にあるのに、探索用のエスプリを飲まなきゃならねぇ!」
エスプリは、探索者の携行品の一つであり酒精を含む気つけ薬だろうと判断できる。独特の苦みと頭にがんとくるので、日常で飲む酒としては全く適していない。ただ、町の酒屋には新顔にはきつすぎる毒を含んだ酒しか置いていない。だから、善意で売るのを断られたのだろう。
目の前の男たちを見ると、頬は赤く、目の焦点は合っておらず、まっすぐに立てずに身体の軸がふらふらとぶれている。アレクは鼻をすんと鳴らした。エスプリは、鼻につんと刺すような刺激が来るが、感じたのは発酵した果物の甘ったるい、フルドノ産の酒の匂いだ。
アレクはぎゅっと顔をしかめた。
「売るのを断られたのに、無理やり酒を奪ってきたのか?」
「売りませんで、はいそうですかなんて従う馬鹿がどこにいんだよっ!」
酔っているせいか、何も面白いことなどないというのに男たちは体をくねらせてげらげらとけたたましく笑っている。
「地の果ての無法地帯だっていうから、もっとやりたいように好き放題して、金を稼いでやると思ったのによぉ! どいつもこいつもまぬけな面で張り合いも刺激もねぇっ!」
「そういう勘違いをする奴は、よくいる」
「ああん?」
ただの相づちのつもりの言葉に、酒のせいか気の短い探索者の導火線に火がついてしまったらしい。目の奥にめらめらと不穏なものが揺れている。
アレクとしては、本当によくある勘違いだからなという程度の感想でしかない。さっきミモザが語って見せたように、ここは行き場をなくした多くのならず者たちの行き着く先だ。だからこそ、後がない。ほかに行く場所もない。だから、町の人間も、探索者も、この穏やかで平和な場所を守ろうとする。それを犯罪者の楽園だと勘違いして、好き放題してやろうとやってくる者も来るが、そういうのは大抵淘汰される。
だから、珍しく理性の宿った頭で親切心を思い出したアレクの、これは優しさのつもりでもあった。
「ここは毒に侵されて実りがないだけで、ルールや善悪もないわけじゃない。無法地帯が好みなら、もっと都会のほうへ行ったらいいんじゃないか」
誰かが言っていたが、悪を根差すための大地すらここにはない。地に根も伸ばせず、ごろごろ転がっているクズ連中が、地面に空いた穴の底でひとかたまりになっているんだと。
誰が言ったんだったかと遠い目をするアレクの表情がさらに癪にさわったらしい。怒りで干上がったがらがらの声が怒鳴り散らす。
「さっきから偉そうに、どいつもこいつも説教しやがってっ! そもそも、お前が俺らの邪魔をしたんだろうがよっ! 忘れたとは言わせねぇぞっ!
「糞がっ! 酒と宿代、それからいい女もだっ! 用意してくれなきゃ、どうにも収まらねぇぞっ! ああ、くそ痒いっ!」
赤くなった顔で、男たちが腹立たしそうに肌を爪でかいた。ばりばりと傷がつくのではないかという乱暴さに、アレクはぼんやりと町に来た新人特有の毒の影響による皮膚炎だなとぼんやり考えて……、妹は大丈夫だろうかと意識がそれる。後ろにいたのが、妹だったかそうでなかったか、境界が曖昧になりかけたところで、おいっ!と怒鳴られる。
「……邪魔と言っても、俺が手を回して、それで酒が買えなかったわけじゃない」
「ちげぇよっ! お前がっ、地殻洞で暴れたせいでっ! 獲物を逃がしちまったんだろうがっ!」
「怪我はするし、装備は壊れるし、入るはずの金も手に入らねぇしっ! おまけに、オシカの野郎にも役立たず呼ばわりでチームから切られちまうしっ! 糞がっ、むかつくんだよ!」
ぐちぐちと責められるが、アレクにそのときの記憶はない。いつの話だったかと思い出そうとしても、ぐにゃりと狂気に歪んではっきりしない。最近といえば、妹のときのように怪我をさせてしまったシュトルのことぐらいしか覚えがない。
覚えていないことは簡単に鵜呑みにしないことと幼馴染みから口酸っぱく言われているアレクは、首を横に振った。弁解のつもりだった。
「悪いが、地殻洞のことを言われても話にならない」
「ナメてんのかっ!」
火に油だった。
横で言い争いを聞いている形となったシュトルは、何とも噛み合っていない上に無駄でうるさい不愉快なやりとりから気を反らすように視線をずらした。早くこの場から離れたいのはやまやまだが、周りに人がいない中では動くと目立つ上に、シュトルもこの二人組と因縁をつくってしまっている。
一方的に怒鳴る男たちと聞いているようでよくわかっていないようなアレクの応酬が続いて、ある一点からぷちりと切れた。
「もういい。……せっかくの酔いがさめちまう」
いまだに収まらない怒りで肩を震わせながら、一度大きく息を吐く。そして、長髪の男もほうがぐりっと血走った目を走らせた。やっと終わったかと様子をうかがっていたシュトルとばっちり目が合う。長髪男の顔に浮かんだ不快感のある笑みに、ひくりとシュトルが顔の隆起した歪みごとひきつらせる。
「糞がっ。とりあえず、この女とそいつの有り金もらっていこうぜ」
「ああ? 半分しかかわいがるところねぇじゃねぇか。しかも気味悪くて、触れもしねぇ」
「憂さ晴らしだったら、別に問題ねぇよ。こんなしけた町じゃ、こんな顔でも女ってだけで上等だ。それに、こいつにだって借りがあんだろ」
それが当然であるかのように好き勝手言い始める男たちの顔を見ながら、シュトルは一番切れ味が悪いのはどれだったかと後ろ手でナイフを探った。それに気づく様子もない男たちは、酒の代わりに安易な妄想に酔っていく。
「しばらく女の泣き叫ぶ顔とはご無沙汰だしな」
「っち、仕事でヘマさえしなきゃ。もっといい女を両腕に抱えてやれたのによぉ、糞が」
「嫌なこと思い出させんじゃねぇよ。……ちっ、奪った酒ももう残り一本だ」
同じ人とも思っていない、これから気晴らしに蹴るのにいい石ころだろうかと見定めるような目で男たちは揃ってシュトルを捉える。シュトルのほうも、目の前の男たちをどうボロ雑巾にしてやろうかと見返す。
しかし、そこへ影が差す。
両者の間に、アレクが静かに立った。かばわれる形となったシュトルは文句を言おう口を開きかけて、ぐいっと自分の腕にいる蔦に庇われるように引っ張られて止められる。
ギルドで、そして地殻洞で、圧倒的な力の差を見せつけられたアレク相手に、なぜか男たちは余裕の態度を崩さない。
「なんだよ、狙ってる女を横取りされるのは嫌かぁ?」
「いいじゃねぇか。こっちだってお前に獲物を奪われたんだからよ」
「だから、そのことについては俺ができる話はないし、この子に何かしようとするなら、その前に俺がどうにかしないといけない」
「はぁっ?」
明確なアレクの敵対宣言に、丸刈りの男は大袈裟に身体を仰け反らせて、長髪の男は聞き返すように耳に手を当てて前のめりになった。挑発的な態度に、しかしそれ自体には特に何も思うことはない。
無に近い表情のアレクに、舌打ちした長髪の男が舌打ちをしてから、どろっと汚泥を混ぜたような笑顔でとっておきの脅し文句を唱えた。
「もう知ってるんだぜ、俺たちはお前の“ギフト”をなぁ」
「そうか。たぶん、新顔以外は町中が知ってると思う、有名だからな」
「……頭悪ぃのか? だから、俺達はお前の弱点がわかってるって言ってんだよっ!」
男たちの言葉に、アレクの後ろのシュトルが反応する。昨日、それから今日と目の当たりにした小さい災害のような男をどうやって勝つつもりでいるのか。
丸刈りの男が、自分が優位であると見せつけるように、余裕たっぷりにゆっくりと指先をアレクに突きつけた。
「お前の狂化っていうギフトは、狂気状態で化け物みたいな力を発揮するんだろ? つまり普通じゃない精神状態のときにしか力が使えねぇ。安穏と気の抜けている状態の今なら、お前なんて雑魚なんだよっ!」
恐らく、挨拶代わりに怯えませるための一発だった。顎に向かって振りかぶられた拳を、難なくアレクは手のひらで受け止めて、握り込む。
「ぐああっ!」
それだけのはずが、男は大きく苦痛によって身体をのけぞらせた。力が入りすぎたと、アレクは握っていた手をぱっと離す。
さっき言われたアレクのギフトについては、間違いでもないがそう単純でもない。狂気に陥れば力は強くなるが、その狂気とは何なのか。何も感じていないフラットな状態から、少しでも感情がはみ出すと狂気と見なされた。むしろ、狂気に引きずり込まれるようになった。喜んでも、悲しんでも、怒っても、その後意識が混濁するような狂気に落とされ、もて余す力を振り回すことになる。お腹が空いても、眠くなっても危ない。友達とはしゃいで遊べば血の海だし、悪夢を見ればベットを破壊し、好きな子の手も握れない。
常に狂気と隣り合わせにある。弱点をつくれるものならつくってみてほしい。その隙をついて攻撃されたとしても、その痛みによってまた狂気に呑まれるが。
自分たちが握っていると思っていた弱みが、実は竜の尻尾だったと男たちはやっと気づいたようだった。抑えているはずの感情が、チリチリとアレクの狂気を刺激する。
しばらく睨みあったところで、ぐっと咳き込む音とともに腕を庇っていた丸刈り男が血反吐を吐いた。ぽたぽた垂れていく血の臭いが狂気をさらに煽っていく。
「て、てめぇ、何しやがったあああぁっ!」
口から血を吐いた相方に、長髪男が恐慌状態になって怒鳴ってくる。しかし、これにはアレクは関係ないが、それを伝えるための正気が足りない。おそらく、毒性の強いフルドノ産の酒のせいだろう。
「く、糞があああぁああっ!」
圧倒的不利な状況に耐えられなくなったのか、叫び声を上げながら長髪の男が向かってくる。しかし、狙いはアレクではない。後ろにいるシュトルだった。だから、アレクは自分の怒りを狂気に捧げることにした。
どかんっと間近で爆発が起こったような衝撃と揺れに、シュトルは咄嗟に地面に膝をついた。
目の前には、地面に下ろされた足。抉れ、ひび割れ、砕けた地面。その横でひっくり返って倒れている長髪男。そして、ゆらゆらと狂気に頭を揺らすアレクだった。
「ちが、違うだろぉ、俺と喧嘩してたんだろぉっ? 勝手に相手を変えるなよぉっ」
ひっとか細く弱い悲鳴が男たちから漏れた。しかし、狂気に陥っているアレクには同情を持つ余裕もなかった。あと一歩、踏むべきか踏まないべきかのあやふやな境界が頭と一緒に揺れる。人の形をした災害を止められるものはない、はずだった。
「うわっ」
すぐ傍で起こった轟音と衝撃のせいで耳鳴りと目眩を起こしていたシュトルが、膝をついてもいられず、尻餅をついていた。彼女の自律のギフトは、摂取した毒を無効にはできるが、彼女の身体に起こった負荷に付随する影響までは無効にできなかった。
その姿を瞳に映したアレクは、その場で両膝をついた。そして、頭を地面に叩きつけて、それがまた衝撃となって地面がたわんだような衝撃が起こる。
「お、俺はぁ、駄目なだめな兄ちゃんだぁ。ごめんごめんごめんごめんなぁああっ」
またかとシュトルはあきれるが、この事態を引き起こした原因の2人にとっては恐怖でしかないらしく、腰を抜かしたままずるずると距離を取って、お互いにお互いを押し退けあっている。こんな小物のくせになぜ喧嘩を売ったのか、小物だからこんな喧嘩を売れたのかわからなかった。
「これは、今、どういう状態だ?」
町の騒ぎを聞き付けたギルドから派遣された探索者、額に火傷痕のある男がやって来たことによって、事態は収集された。
結果として、騒ぎを起こした原因の男2人ぐるぐる巻きにされて連行され、アレクとシュトルも無関係というわけにはいかず、事件の関係者ということで一緒にギルドに連れていかれることとなった。
「何でこんなことに……」
隣で小さくぼやいたシュトルの声を聞き取って、アレクは何をお詫びに渡そうかとわずかに正気が戻った頭で探っていた。
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