察したミモザが、お腹を両手で押さえたままのアレクを急かすように外への扉を開いた。


「腹が空いてんなら、表で孫に肉でももらってきな! 床を踏み抜くんじゃないよ」

「ああ……」


 比較的頭の中はおとなしかったので、アレクは床の上を擦るように足を移動させて外に出た。店の入り口をくぐっていく姿を見て、シュトルも同じく外に出ようとして、一歩手前でとどまって視線だけ動かした。その横顔を眺めていたミモザは、にやっと笑う。


「ちゃんと20日後に来るんだよ。オーダーメイドのグローブは、お前さんにしか渡せないんだからね」

「わかってる。ちゃんと来るよ、ありがとう」


 空気のこもった室内から表に出ると、肉屋の主人が簡易な丸椅子に座って、カウンターで客を待っていた。その手元で手のひらサイズの木片をいじっている。出てきた2人に気づくと、待っていたとばかりに立ち上がってカウンターから串に刺さった肉を取り出した。


「いい買い物はできたか? ついでにこれも食っていけ」

「助かる。ちょうど腹が減ってたんだ」

「腹空かせてんのはよくないな。なら、もう一本サービスするか」


 赤いソースがたっぷりかかった焼き肉の串からは、口から唾液が出るようなぴりっとした香草の良い匂いが漂っていた。肉の皮の部分はこんがりと焼き目がついて、脂がつやつやと光っている。

 うまそうだと思いながらアレクが手を伸ばしたところ、ぱきんとあっけなく串の持ち手部分が砕けた。落ちそうになった肉を咄嗟に反対の手で受け止めて、べったりとソースがついた。どうしものかと考えたのは一瞬で、アレクは手のひらの肉を全部口の中に放り込んだ。喉の奥がカッとするような熱さと舌に残るほのかな甘味、そして厚みのある肉は咀嚼すればするほど肉汁が溢れさせてくる。それらを一まとめにごくりと呑み込んだ。

 えっと声を上げたのは、シュトルだった。信じられないと凝視してくる目に、行儀が悪かったかと遅れてアレクは気づいた。


「悪い。汚い食べ方だったな」

「……野営中は手掴みで食べることだってあるから。ただ、落とした肉に串が刺さったままなのに食べられるのかと思っただけ」


 口の中でぱきぱきと噛み応えのある音がする。肉とは違う、鼻に抜ける爽やかで青くさい苦味は香草かと思っていたが、途中でそれが肉に刺さっていた串だとやっとアレクは気づいた。肉屋の男は、あきれつつもいつものことだと首をすくめた。


「一応、食べても、消化に悪いだけでやばいものではないな。せっかくの肉の味が変わっちまうが」

「そこまで変な味にならなかった。ソースが良かったからじゃないか」

「そいつはありがとよ。喜んでいいのか、いまいちわからねぇが。……そちらさんも一本どうだ?」


 肉屋の男は、シュトルの方にも串の肉を渡そうとして、途中で手の向きを変えてアレクに渡したものとはまた別のものをつかんだ。香草に漬け込んだ肉を焼いただけのシンプルなもので、焦げ目のついた脂たっぷりの肉の横顔が食欲をそそる。


「たしかこの町に来たばっかりだったよな。それなら、こっちのほうがいい。したたる肉の脂がたっぷり楽しめる」

「それは、どうも」

「ああ。……今日、特別胃の調子が悪いってことはないよな? いや、聞き方が悪いな。これぐらいなら、来たばかりの人でもちょっと腹が痛くなる程度だと思うんだが」

「何て?」


 脂でつやつやと輝いている肉を頬張ろうとして、シュトルは手を引っ込めた。不穏な言葉にじろじろと手に持っていた串を検分していると、肉屋の男は慌てたように手を左右に振った。


「味は問題ない! ただ、よそから流れてくるまともな食材は、大体探索者のための宿や食堂に流れてる。だから、町の人間は基本この土地で採れる、比較的毒性の弱い食材を口にしている。毒に馴染みのある俺たちには平気だが、来たばかりの人間は注意しなきゃならない」

「これも、毒入りの肉ってこと?」

「そういうことだ。気になるんなら、アレクにやってくれ」

「……いや、食べる。薄いスープよりマシ」


 自分には問題ないと判断したシュトルは勢いよく肉に噛みついた。もごもごと小さい顎を動かして一口、また一口とあっという間に串を食べきってしまう。迷いなく食べる姿を見ていた肉屋の男は、どうだいと感想を聞いた。


「悪くなかったよ。今度、グローブを取りに来たら、また買う」

「そいつはよかった。いい肉を仕込んでおくことにするからよ」


 ごみとなってしまった串を差し出されたバケツの中に投げ捨てて、くっきりと笑いじわを頬に浮かべた肉屋の男と別れる。孫というだけあって、似たような鋭い眼光の持ち主であったが、笑うと雰囲気は違って見えた。

 肉屋を後にして、シュトルは肉汁でベタついた指先を上着の端でぺぺっと拭う。その姿を横目で見ながら、まだ空腹をうっすらと感じているアレクはどうしたものかとぼんやり考える。相変わらず思考は回らないが、もっと何かしてやらないと、自分の奪ってしまった分をどうにか取り返してやらないと、お詫びをしたいという不安感がアレクの胸の中で地団駄を踏んでいた。

 しかし、もう目的だった買い物を終えてしまった。前を歩くシュトルは、もう終わったとばかりに振り返りもせずに通りを進んでいく。このまま自然解散となりそうだった。

 その手を取って引き留めることができないなら、口を出すしかない。


「その、せっかくだからお昼を食べないか? これも俺がお金を出すし」

「……」

「シュ、シュトルさん!」


 一度目の声かけに反応がなく、自分よりも細く小さな背中に向かって名前を呼ぶ。すると、前を歩いていたシュトルがぴたりと足を止めた。振り返ったその顔は、眉間にぎゅっと線が刻まれて、ひどく不信そうだった。


「お昼? そこまでお腹は空いてないんだけど」

「よく行く食堂がある。……ああ、えっと、来たばかりの探索者でも入れるところだ。新参だと、この町は入れる店にも困るから。俺なら案内できる」


 さっき肉屋の男が言ったように、この町で主に流通している食材には毒が含まれている。それは、外からやってきたばかりの探索者たちを苦しめ、最悪の場合は瀕死になる。だからこそ、探索者は自分達のための食堂を探すしかない。

 長くこの町にいる自分なら、探索者が入れる店を教えることができる。うまい誘い方が思いついたと浮かれたアレクは思わず口元を緩ませたが、それを見たシュトルは怪訝そうに首を後ろへと反らせた。アレクの意図がうまく伝わっていない上に、そろそろ自然災害のような男と離れたいと思っていたからだ。


「さっきので、貸し借りは全て解消されたと思うんだけど」

「じゃあ、これは、あれだ、先達からの歓迎とか……」

「何回も言うけど、私はあなたの妹じゃないからね」


 はっきりと拒絶され、アレクののどの奥にこんがらがった言葉を引っかかる。ぐうっと獣のような声が口から漏れて、ふと聞こえないはずの妹の声がばちんとアレクの耳を打った。同じ人間じゃなくて、飢え切った獣みたいと、冬の朝の水瓶みたいな温度で言う。ひやりと米神から首筋にかけて冷えるような心地がしたのに、アレクの頭からてっぺんまでは湯気が出そうなほど熱かった。

 様子のおかしいアレクに、ジリジリと視線を外さないままシュトルが距離を取っていく。警戒されているとまだ判断できるだけの頭が、彼女は妹じゃないと唱える。


「……シュトルさん、シュトルさんだ。いや、ごめん、俺はちょっとおかしいんだ。何が、何が正しくて、正しくないのか自分で判断できない」

「私を妹だと思っているなら正気ではないだろうね。妹じゃないと思って私を誘ってるなら、こっちも騙されている気しかしないから嫌。どのみち一緒には行かない」

「だま、騙す? そんなつもりはぁ……」

「――おいおい、昼間っからこのしみったれた町の往来でナンパかぁ?」


 あと一押しで正気を失うというところで、まるで彼方から飛来してきた石のような不思議な言葉が横からすこんと投げられる。思ってもみないそれに、アレクの狂気がぐんと遠ざかっていく。

 救世主を仰ぐような気持ちで、アレクは声をかけてきたほうを見た。

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