ミモザと名乗った老婦人の勢いに気圧されたシュトルは、一瞬身を引きかけて踏みとどまり、ぐっと顎を引いて低い声を出した。


「……お嬢ちゃんじゃない。私は、そこの人と同じ探索者だから」

「お嬢ちゃんの立っている姿を見れば、そんなものはわかるさね。若者っていうのは、どうしてわかりきったことを主張したがるのかね」

「お嬢ちゃんはやめて」

「お嬢ちゃん呼びが気に食わないかい? 私は呼ばれたいけどねぇ。それじゃ、お客様とでも呼ぼうか?」

「シュトルでいい……」

「シュトルちゃん、ね。いらっしゃいませ、私の愛すべき城へ。さて、どんなものをお望みだい?」


 そう尋ねながら、ミモザは首からかけていた金のチェーンをつけた眼鏡をかけた。ぎいと車椅子で慣れたように移動すると、棚の引き出しを開けて幾つかのグローブをポンポンと取り出していく。小さな山になったそこから、一つひとつミモザはかざしながら商品を説明していく。


「大きく分けて、こっちが魔獣の革で、こっちが殻獣の革だね。魔獣のほうが安いし、水洗いできて楽、薄い生地だから通気性がいい。逆に殻獣のほうはちょいと多めに払ってもらうが、摩擦に強いし、耐熱性もある、厚めの生地だ。探索者なら、殻獣の革がいいかね」

「じゃあ、殻獣の革かな」

「よしよし。そんで、殻獣の革にも幾つか種類がある。熱に強いもの、耐久性に優れたもの、それから伸縮性に優れたもの。これなんか、手の上で思いっきりハンマー振り下ろしても平気っていうサキミの革でできたグローブさ」


 がんがんと耳を揺さぶるように言葉を投げ掛け、次々とグローブを手にとってはこれはどうだ、あれはどうだとミモザは勧めていく。雨上がりの川の勢いのように激しいそれに対して、シュトルははい、いいえとしか答えられず、アレクは2人の後ろで口も挟めずうろうろと狭い室内で右左に行ったり来たりするだけだった。

 ある程度購入するグローブの候補が定まったところで、ああっとミモザはしゃべるの一旦止めて、手を叩いた。あれほどしゃべっていたというのに息切れ一つなく、探索者2人は息切れしたように肩で呼吸をする。


「一番大事な予算を聞いてなかった。私としたことが、久しぶりの新しい客に舞い上がってたのかね。潤いってのが足りなかったんだよ」

「金なら、俺が払うから大丈夫だ」

「ああ、そうなのかい。だったら、こっちも遠慮なく幾らでもふっかけられるね」

「え、いや、そんなに高いものじゃなくてもいい」


 それはいいとさらに熱気を持って腕まくりをしかねないミモザに、さすがにシュトルが遠慮しようと止める。そして、ついさっき金を払うと言ったアレクをちらっとうかがった。なぜこちらを見られたかわからないアレクはとりあえず口の端を持ち上げておいた。不意ににやっと笑われてシュトルがびくっと肩を揺らすと、ミモザがはーっと長いため息をついた。


「いつもどおりだからと何も言わなかったけど、アレク、あんた誰かに物を買ってやるつもりなのなら、もっと良い格好をしてきな」

「似たようなことを、さっきワメルトにも言われた。そんなに、この格好は駄目なのか?」


 ミモザにも指摘されて、アレクはもう一度自分の格好をざっと見下ろす。金がないわけではないが、自分の格好にこだわりがないアレクは、市場でまとめて安売りされていた無地の木綿シャツとズボンの色違いを日替わりで着ていた。色しか違わないので、たまに着替えていないのかと勘違いされることもあるほどだった。しかし、格好だけを見れば町を歩くには普通とも言える。


「物を買ってやろうってときに、安っぽい格好をするなってことさ。安っぽいシャツを着た男に金を出すって言われても、大した金も持ってなさそうだし遠慮しとくかって思うだろ。逆にそれなりに金のかかった格好なら、ちょっとこいつの懐具合に甘えるかって安心して物が選べる。こういった贈るための買い物に一緒に来るんだったら、それなりのもんを着てきな」

「なるほど、そういうものか。気づかなかった。さすがミモザさん」

「たまには、探索以外で自分のために金を使いな。……ま、そんなわけだ。遠慮せず、金に糸目をつけずに良いものを買いな。こういう命に掛かってるもんは良いものであればあるほどいい」

「はぁ……」


 あれほどの実力を見せた探索者がそれほど貧乏だとも思っておらず、ただ単に貸し借りを返す以上のものをもらっても困るからと遠慮していたシュトルは吐息のような返事をする。そうはいっても強く買うように勧めてきたのはミモザだ。これは自分が要求したわけでもないし、過分なお返し扱いにはならないだろうとシュトルも都合のいいように考え直して、候補に並べられたグローブを眺める。そのうちの一組をじっと見つめていると、ミモザがすぐに気づいて説明を入れる。


「それが気に入ったかい? そいつはミミトリカの革だよ。こいつの扱いはなかなかむずかしくてね。専用の薬液につけないと使い物にならない。でも、それでこの独特の色味が出る」


 黄みがかったブラウンの革のグローブをミモザが両手で捧げ持った。ほかの丈夫そうなグローブと比べてすらりと細身のデザインだった。光の当て方で上ったばかりの朝日の色にも見える。温かな色の革は新品でつるりと光沢をまとっており、それが形づくるだろう指の輪郭さえも淡く輝くだろうと想像できる。興味深そうに身を屈めるシュトルに、ミモザがそのグローブを両手で強く引っ張る。


「薄くて軽いが、耐久性はさっき見せたグローブと同じぐらいある。伸びもよくて手にしっかりとなじんで、細かい作業をするのにもいい。性能が良い分もちろん値段も上乗せさせてもらうが、それはアレク持ちだからいいだろう?」

「確かに良さそう。でも、デザインとしてあっちの手首をベルトで調整して留められるやつがいいんだけど。あまり肌にぴったりの手袋じゃなくて、ちょっと余裕があるほうがいい」

「この革で、ベルト式のグローブは手元にないね。ちょっと時間をもらったら、オーダーメイドでミミトリカの革でベルト式グローブを作れるよ。どうする?」

「…………今日も地殻洞に潜って探索をするつもりだから、今日使えるグローブがほしいんだけど」


 ちょっと考える間を取ってからそう答えたシュトルに、そうかとは頷かずにミモザは、ぼうっと二人の話を聞いているんだか聞いていないんだかわからない顔でずっと突っ立ているアレクを振り返る。


「だって言ってるけど、どうなんだい? オーダーメイドも頼みつつ、もう一組今日から使えるのを予備として買うってのもありだけど」

「ん? ……じゃあ、それで」

「よし、決まりだ。こっちに幾つかベルト式のグローブがある。今日はこっから好きなのを選びな。試着してもいいよ。その前に、オーダーメイド用にシュトルちゃんの手の型を取るかね」


 趣味とは言いつつも、商魂たくましく2組のグローブを購入させたミモザはよしよしと満足そうな顔をする。何だなんだかわからないが、とりあえず頷いておけば問題ないだろうとアレクもうんうん頷く。そして、戸惑ったのはあっさりとグローブを2組買うことになったシュトルだった。手の型を取ろうと近づいてくるミモザに、シュトルは思わず両手を胸元に引き寄せて逃げた。その両手には、目に痛いほど白く清潔な包帯がしっかりと巻かれている。

 そこでひゅっと息を呑んだのは、アレクだった。彼は今の今まで、シュトルが両手に包帯を巻いていることに気づいていなかった。瞬間的に、地殻洞でシュトルと出会ったときのことが不安定な記憶の中から飛び出してきた。倒れ込んでいたその姿を見て、手を差し出してしまい、制御もできない力で握って――自分よりも小さくてやわらかかった感触が自らの手の中でつぶれていく感触を思い出した。ぐらりと脳天から溶岩が流されたような熱さと痛みを感じる。

 何かにぶつかったことにも気づかず、アレクはシュトルに迫る。置物のように立っていたところから、噴き出した間欠泉のように突然近づいてきたアレクに反応できず、シュトルは目を白黒させる。


「き、気づいてなかった。頭だけだと思って、……手まで怪我させていたなんてなぁ。ごめん、ごめんなぁ。い、いまからでも、診療所にいくかぁ。い、痛くないかぁ? わるい悪いお兄ちゃんでごめんなぁ」

「え、いや、ちょっと……っ!」


 完全に正気を失ったアレクは、グローブを買いに来たことも全て忘れてそのまま診療所に向かおうとする。ただ、自分の力で握ってはいけないという意識だけは働くのか、シュトルの手を引くこともできずに手をうろうろと宙でゆらめかせる。自分に触れるか触れないギリギリまで近づいてくる恐ろしい手に、シュトルはうまく反応することができない。だから、宿主の代わりとでもいうように近づくそれを弾いたのは緑の蔦だった。包帯の隙間からするりと伸びて、触れようかどうかと惑っていたアレクの手を弾いた。シュトルの額の上で花弁を閉じていたものもふわっと開いて、脅すように震えてしゅうっと音を出す。

 大した痛みなどなかったが、明確な拒否という衝撃を受けて、アレクは動けなくなる。


「さわらないでっ」


 言葉の強さとは裏腹にあまりにもか細い声がシュトルの喉からこぼれた。引きつっていた顔に這っている寄生植物たちの根が激しく蠢いているのが、薄い皮膚越しに見てもわかる。言葉でも拒否を受けたアレクは、それでも伸ばしかけた腕を引くことすら思いつかず、ただ触らないという要望のために一切の動きを止めるしかできなかった。

 シュトルは顔を滅茶苦茶に歪めながら、ぐいっと口元に弧を描いてみせた。


「ああ。……こんなんじゃ、手の型を取るなんて無理だね。怖がらせたならごめんなさい。でも、この子たちも悪い子じゃないから。気味が悪いっていうのなら、すぐにでも出ていくから。それじゃあ」


 前もって準備していたようにつらつらと話すと、いまだ警戒して宙を波打つ蔦と花弁を揺らす寄生花をそのままにシュトルは扉から出ていこうとする。それを動けないアレクは目線で追いかける。去っていこうとするその背中を呼び止めたのはミモザだった。


「両手を挙げな。手は広げて」

「……なに? 別にナイフも暗器も、毒物ももっていないつもりだけど? ちょっと人と違うからって、変に疑われるのは――」

「うん。もういいよ、手を下ろしな」


 両手の人差し指と親指で小さな四角い窓がつくられる。その爪には華やかな黄色で彩られていた。片目を閉じて、指でつくった窓を覗き込んだミモザがよしと言った。素直に両手を挙げていたシュトルはその切替えについていけず、自分の歪んだ表情を変えることができずに固まった。ミモザは気にすることもなく、ベルト式のグローブの幾つかを手に取ろうとして、何年も前からある銅像のように硬直しているアレクを邪魔そうに見上げる。


「ちょっと、アレク邪魔だよ」


 その言葉がきっかけになったように、腕をだらんと落としたアレクはそのまま足の力も抜いて膝から崩れ落ちた。その衝撃で、がんと部屋自体が揺れる。そして、その頭は床に勢いよくこすりつけられた。床には、さっきアレクが無意識にぶつかって割った棚から落ちた革製品が散らばっていた。散らかした床の上で、アレクはがつんと自分の頭を思い切り殴った。狂った感覚では痛みは遠い。それを見たミモザがため息をつきながら避難する。

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