ぐらりと揺れる頭をアレクが持ち上げると、仁王立ちしているワメルトが玄関口に立っていた。


「だからっ、私の城に傷をつけないでっていつも言ってるでしょ! 荷物ごと叩き出すわよ! それと薬!」

「あ、ああぁ……。でも、今回はまだ傷はつけてないぞぉ」

「さっき、私の銀トレイを握りつぶしたの忘れちゃった? あれも私の城の一部よ。壁も嫌な音が鳴ったし」


 説教をしている最中、そろりと食堂から遅れてついてきたシュトルがワメルトの背後から顔を覗かせた。それに気をとられていると、アレクの気が自分の説教から反れているとわかったワメルトが盛大にため息をついた。そして、宿の主人はアレクの前でぱんっと一つ手を打った。


「あ、なんだぁ?」

「く、す、り」

「……ああぁ、くすり」


 アレクはいつも自分の服の内側のポケットに入っている紙の包みを取り出した。あと少ししか手持ちがない。その一つを広げて、鼻からすうすうと吸った。

 その様子を確認したワメルトは、背後で近づきたくなさそうに一定の距離を保ってこちらをうかがっているシュトルを手招いた。近づくように指示され、後ろ手を組んでいたシュトルは一歩一歩確認するようにしてアレクの前に進んだ。自分の前に影がかかったと気づくと、座り込みながら薬を吸い込んでいたアレクが慌てて立ち上がる。


「も、もう、行くか?」

「さっさと貸し借りを清算したいから、行こう」

「あ、ああ。そうだなぁ」


 ワメルトに見送られながら、アレクを先頭にしてシュトルが二歩分距離を取りながらついていくこととなった。

 前を歩きながら、アレクはちらちらとシュトルのほうを振り返る。その視線に気づいていながらも、シュトルは前だけを見て、たまたま同じ方向を歩いている他人かのように振る舞った。アレクはどう話しかけるかどうか迷いつつも、声をかけるために口を開いた。


「そ、その、君は……」

「言っておくけど、私はあなたの妹じゃないから」

「それは、分かってるんだぁ。ええっと」

「……シュトル。こう見えて、探索者としてはベテラン。そもそも孤毒の地殻洞に挑戦できるんだから、そこまで弱い探索者じゃない。あなたと比べたら、それは弱いかもしれないけど」

「わ、わかった、シュトルさん」


 そこで会話がぷちんと切れて、アレクはまだ上手く回らない頭の中で、おいしい食事処か、便利な道具屋か、掘り出し物のあるジャンク屋か、と話題を探る。

 一方、シュトルは会話を一応成り立たせているアレクに少し気を緩め、少しだけ二人の間にある距離を縮めた。油断だけはしないまま、何とか話を続けようとするアレクの動きを観察する。後ろ姿だけ見ると、背中は細く頼りなさそうで、ふらふらと緊張感なく歩いている平凡な男にしか見えない。あの想像を絶する力を振るう姿を実際に見ていなければ、油断しそうな姿だった。けれど、そんな生やさしい存在でないということが歩いているだけでもわかる。

 明らかに見た目が普通ではないシュトルに対しても特に反応しないはずの町民が、アレクに気がつくと自然と道を開ける。怯えるというほどではないが誰もが警戒しており、朝の人通りの多い通りを歩いているというのにすいすいと楽に歩くことができる。そして、そんなアレクと付かず離れず一緒に歩いているシュトルも目立っていた。アレク本人はいつものことなので、気にしないでどんどんと進んでいく。

 幾つかの探索者向けの防具売りの露店を通り過ぎたところで、シュトルからアレクに声をかけた。


「どこのお店まで行くつもりなの?」

「俺がよく行ってるところ。そこなら、多少は融通がきくから」

「ふうん」


 変なところに連れていかれそうだったら適当に逃げようとシュトルが考えているうちに、アレクはぴたっと足を止めた。止まったのは、広場から住宅地へ通じる道の間にある掲示板の前だった。町のお祭りのお知らせや人手を募集するチラシ、またフルドノ町の小さな地方新聞が貼られていた。アレクが見ていたのは小さな地方新聞の記事だった。誰でも読めるように簡単な文字と丁寧な絵で構成されている。最近咲いた花だとか最近人気の晩御飯レシピや流行りの靴下などばかりで大した事件はない。しかし、アレクは一つの記事に目を奪われていた。

 同じように記事を眺めていたシュトルは、首を捻って足を止めたアレクに尋ねる。


「これに何か書いてある? すごいことが書いてあるとは思えないけど」

「これ、いいなと思って」

「これ?」


 その記事には、にっこりと笑いじわを顔に刻んで笑う大男が太い腕に何か杭のようなものを手にしている絵があった。じっと目を細めて文字を睨んでいるシュトルの様子に、アレクが横で記事の内容を音読する。男が魔獣除けの罠を発明して、そのおかげで町が助かっているということが書いてある記事だった。地方紙の片隅の小さな功績。それでも、アレクはうらやましかった。


「こうなりたい」

「こうなりたい? ……猟師になりたいのなら、なればいいんじゃないの? あなたのその身体能力なら、いくらでもどうにでもなるでしょ」

「そうじゃない。こう、新聞になって皆に褒められるような、自慢できるような人間になりたいんだ」

「……これ、そんなすごいことじゃないと思うけど」

「新聞に載るのはすごいことだ。俺だったら、一枚新聞をもらって記事を切り取って、妹に速達で送る」


 妹という言葉に反応して、シュトルがアレクから一歩距離を取る。しかし、アレクの目は新聞に向けたまま淡々と落ち着いて話を続ける。


「いいな。いつか記事になるようなすごいことをして、俺の顔をここに描いてほしい」

「この新聞に載ったところで、大して報酬ももらえないと思うけど」

「お金は稼ぎたいけど、自慢の兄にもなりたい。……妹は、探索者しかできない俺が好きじゃないみたいだから。手紙だって、年に一度来るぐらいだからなぁ」


 落ち着いていた話し方がだんだん危うくなってきたアレクに、シュトルは3歩分横にずれる。頭がゆらゆらと揺れはじめたアレクは、ぼんやりと遠ざかられたと感じたが、そこからどうすべきかという思考にまでたどり着けない。焦るほどに揺れるアレクの頭に、身を引きつつシュトルが横から解決策を出した。


「さっきの薬、ないの?」

「くすり、薬か。わかった」


 また胸元のポケットに手を入れたアレクは、さっきと同じ小さい紙を開いて、白い粉を鼻からすうすうと吸い始めた。その姿は危ない薬を使っている人間に似ており、シュトルはアレクと関係ないことをアピールするために背中を向けた。

 落ち着いたアレクは、ごめんと大分遠ざかったシュトルに声をかける。


「落ち着いたし、もう行こう。足を止めて悪かった。君のグローブを買いにいくんだったな、こっちだ」

「ちゃんと使えるものが買えるのなら、そこの露店で買ってもらってもいいんだけど」

「詫びなのに、中途半端なものは渡せない」


 移動を再開したアレクの後ろを、まだ少し広めに距離を開けているシュトルがついていく。露店の並んでいた広場から少し離れて、幾つかの店が並んでいる通りへと出た。広場は探索者たち向けの品揃えが多いが、こちらの通りは町の人間の生活用品を取り扱う店が多いようだった。

 アレクは通りの端のほうまで行って、ここだとシュトルに告げてその店に近づいた。軒先には突き出た杭と引っ掛かった看板があり、そこには国で一番食卓に上がりやすいモンドロ牛が描かれている。まだ開店準備をしている店の前には赤い肉の入った箱をカウンターの上に乗せている、袖をまくっているがたいのいい男がいた。


「おはよう。奥、入ってもいいか?」

「あん? アレクか。いいけど、店の扉壊さないようにしろよ。今度やったら、うちで一番高い肉買わせるからな」


 振り返った肉屋の男の顔はアレクには見慣れたものであり、初対面のはずなのにシュトルにも見覚えがあるものだった。それは、先ほど二人で見たばかりの地方新聞の記事に、絵となって見出しになっていた男とそっくり同じ顔だった。肉屋の男の頬にはうっすらと残る笑いじわの跡が見える。

 そこで肉屋の男のほうも、アレク以外にも人がいることに気づいた。厳つい男がじろっと見るのに、シュトルはずいっと顔を上げて寄生植物によって色の抜けた前髪がかかる引きつれた顔を見せつけるようにして、視線を受けた。殴りかかる拳を待ち構えようとしているふうに見えるシュトルに、この馴染みの男はそんなに厳つく見えるかとぼんやりアレクは考えた。筋肉だるまではあるが、彼はワメルトなどの探索者を相手にする商売人ではない。気のいい一般人だと説明しようとする前に、肉屋の男が朝の日差しに負けないまぶしい笑顔を向けてきた。頬にくっきりと笑いじわが刻まれている。


「アレクが誰かを連れてくるなんて珍しいな。――いらっしゃい。商売上、うちはちょっとばかり臭いがきついところだが、ゆっくり見ていってくれ」


 親しみの込められた言葉にシュトルは息を詰めて無言になっていたが、そんなことは気にかけずにっと歯を見せた肉屋の男は店の開店準備に戻ってしまった。背中を向けて、何かのわからないものの肉をせっせと仕分けてトレイに乗せている。

 この町に来て数年、肉屋の男とも随分気安くなったアレクだったが、そういえばと出会ってすぐの頃を思い出した。情緒不安定でいつ飛んでくるかわからないナイフのような人間に対しても、全く気にもかけない態度だった。そのことに大袈裟に反応できるほどの感性を持っていなかったが、鈍い頭の自分でも少しばかり思うところはあった。そんなことを、隣でしかめ面のようなものをつくっているシュトルを見て、アレクは自身の遠くなった心の動きを追体験していると錯覚した。


「じゃ、こっちだ」


 肉売り場の横の扉を取っ払われた入り口から、アレクは奥に入った。足音はすぐにはついてこなかったが、ちらっと振り返るときゅっと口を引き結んだシュトルは身を翻して同じく小さな扉をくぐった。

 室内に入ると、生ぬるい空気とつんとくる臭いが2人の鼻をついた。そこには、魔獣か殻獣の皮をなめしてつくられた商品が幾つか並べられていた。壁にかけられた艶のある上品なバッグ、細く切られた革を編み込んで作られた華やかな髪飾り、ぴかぴかに磨かれて光っている小さな革靴も置かれてる。また、二人が買い求めようとしていた革製のグローブも置かれていた。

 背後でシュトルが並べられた幾つかの革製品に目を奪われているのをよそに、アレクは室内を見回して、目当ての人物がいないとわかってさらに部屋の奥へと続く扉を開いて、そこから声をかけた。


「おおい、いるか?」


 しばらく待っても返事も反応もない。もう一度アレクが声をかけようとしたところで、ぎいぎいと奥から音が近づいてくる。アレクは中途半端にしていた奥への扉を開け放して、その人物が来るのを待った。ぎいぎいときしんでいるのは、古くなった木製の車輪の音だった。両手で自分の座っている車いすの車輪を回して扉をくぐり、年を重ねて細くなった指を撫でながら、その老婦人はアレクをじろりとねめつける。


「朝っぱらから呼び出すんじゃないよ。さっき熱い茶を淹れたばっかりだってのに、こうしている間にも冷めちまうだろう」

「でも、奥に行ってもいいって言われた。今日は買い物に来たんだ」

「そりゃ、ここに来るんだから買い物に来たんだろうよ。また気でも狂って、持ってた万能サックでも捨ててきたか、引きちぎったか、それともついに食っちまったか、どれだかね」


 探索者に対して物怖じのしない態度の様子の老婦人はそう意地悪く笑って、首からかけている金のチェーン付き眼鏡を揺らした。いつもの挨拶のような言葉にアレクは首を横に振る。


「今回はどれでもない。グローブを買いに来たんだ」

「グローブぅ? お前さんの怪力に耐えきれるグローブがあるもんかね」

「いや。俺用のじゃないんだ」

「あん? じゃ、誰のさ……」


 そこで老婦人は胸元で揺らしていた眼鏡をかけた。そして、アレクの後ろでぼんやりと立っていたシュトルを発見して、切れ長の目を見開く。おもむろに挙げられた細い手は、思いのほか強い音をたててぱしんとアレクの腰辺りを叩いた。


「お前さん、新規のお客を連れてきているんなら、先に言っとくんだよ! まったく!」

「今から、言おうとしてたんだ……」

「お前は物事の順序ってもんがわかっちゃいないよ。……さて」


 車いすをきしきしと回して、老婦人はシュトルの前へとやってきた。下からじろじろと観察してくる鋭い目に、シュトルは目を反らそうとして顔を上に向けて、アレクと目が合ってまた顔を下に向けた。ぱちりとシュトルを目を合わせた老婦人はにやりと笑って、自分の膝の上で手を組んだ。


「いらっしゃい、お嬢ちゃん。私はミモザ。魔獣や殻獣の革を使って、まぁ趣味でいろいろ作っているのさ。そこらに置いてあるのは、全部私がつくったものだよ」


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