ギルドを出たシュトルは、まだみしみしと引きつる左頬を押さえながら、元来た道を戻った。穏やかな日常を送る人々の横をすり抜けて、顔だけは隠さないと決めて、堂々と足早に道を進む。これで植物を操る不気味な女が来たという噂が広まれば、警戒はされても、不用意にこちらに触れてくる者もいなくなる。そんな達成感に、シュトルの足は少しだけ強く地面を蹴る。


「でも、来て早々、面倒なことになったのは確かかな……。さっきの人たちが利用していなさそうな宿を探さないと」


 頭の中に、来て早々親しげに自分に話しかけてきたアンネのことが浮かんだ。しかし、自分の腕の下で蠢くものを見れば嫌悪感を覚えるだろうと、シュトルはその瞬間の顔すら思い浮かべることができた。すぐにアンネの宿屋という選択肢を消す。


「……探索者の世話を焼くようなところでなくて、もっと無関心そうなところにしないと。どんな探索者でも淡々と仕事をこなすような」


 探索者用の宿の軒先には、基本的に探索者ギルドが公認したマークが置かれている。探索者を表す地を這う竜がその目印だった。

 シュトルは注意深く宿屋の外観を見て、あまり目立ったところに印が置かれていない、建物と建物の間の陰にひっそりとある宿屋を見つけた。暴れた探索者でもいたのか、窓枠や扉の一部が新しく木材で修繕されている様子はあるが、きちんと清掃されていて不潔な感じはしない。

 シュトルはここと宿を決めて、扉を開いた。


「……いらっしゃい。探索者さんね」


 地鳴りのような低い声がシュトルを迎えた。宿のカウンターに座っていたのは、長い髪を肩から流している目付きの悪い男に見えた。しかし、暗い雰囲気に反してその宿の主人は柔らかい口調でシュトルを招き入れる。


「いらっしゃい」

「どうも。1人部屋は空いている?」

「空いているわ。ギルドに所属している探索者なら全室1部屋1日で10カラン、先払いよ。朝食の用意や洗濯をしてほしい場合は別途料金をもらうわ」


 実際に宿の雰囲気を見ても、ほかの探索者とトラブルになりそうな荒んだ空気もなく、耐えきれないほど汚くもなく、値段も悪くない。宿の主人の受け答えも無駄がなく、大してこちらに踏み込んでこなそうだ。

 シュトルは交渉成立だとうなずいた。


「ここにする」

「気に入ってもらえたなら、よかったわ。ギルドで所属登録はしたかしら? それなら、ギルド証を預かるわね」


 宿の主人が伸ばした手の甲の骨のあたりに、明らかに殴りなれている傷跡があった。ギルド証を受け取った無骨な手は、しかし思いのほか丁寧な仕草でギルド証を専用の道具に差し込んで、それが青く光ったのを確認するとまたすぐに返却した。


「ギルド登録されていることは確認したわ。改めて、このカゲカケの宿の主人ワメルトよ」

「私はシュトル。そうだね、とりあえず10日宿泊の予定で」

「わかったわ」


 ワメルトは後ろの棚から一枚の紙を取り出して何事かペンで書き込むと、重く分厚い宿台帳に挟み込んでしまった。


「10日で100カランいただくわ」

「えっと、1、2、3、4、5……これで」


 自分の腰のポーチから金を取り出してカウンターの上に置く。それをワメルトの指でさっと流れるように数えてうなずいた。


「ちょうどね。これが部屋の鍵になるわ。3階の301号室よ。その階には部屋は一部屋しかないから、迷わないと思うわ」

「わかった。それじゃ、これからよろしく」

「ええ。ぜひとも長生きしてね」


 鍵を受け取ったシュトルは必要以上話さず、宿の階段を上った。まだ日が高かったというのに、立地のせいか、窓からほとんど光が差し込まないので薄暗く、よく磨かれた木製の手すりを伝って3階まで上った。

 これからの根城となる部屋は思ったよりも広かった。ベッドが大部分を占めるが、小さなタンスや手洗い場があり、何より窓が大きく開放感があった。床にはカーペットが敷かれており、汚れて帰るのが常の探索者の部屋でこれは珍しいとシュトルは思わずしげしげと眺めた。


「あのワメルトって人の趣味かな……」


 荷ほどきをして、手洗い場で旅で汚れた顔を洗う。ぽたぽた落ちる水を袖でぐいっとぬぐって一息をつき、シュトルは窓の前に立った。それほど建物も高くなく、向きも町の中央とは逆のため、大した風景は見えない。ただ、少し見上げれば空が近くにある。

 自分の腕がざわざわとうごめいて、寄生する緑の蔦がぞりぞりと肌を撫でた。それをもう一方の手でつついて、シュトルは人に見せない笑顔を小さく浮かべる。


「うん。明日からがんばろうね。私たちが平和に暮らしていけるように」


 シュトルは体をくるっと反転させて、そのままベッドに背中から倒れこんだ。地面の上で寝ていたときに比べて、柔らかくて心地がよい。まだ早い時間だったが、シュトルのまぶたはとろとろと重くなってきた。その眠気を促すように、柔らかな緑の感触が額にまで伸びてきた。


「……おやすみ。また、明日」


 シュトルはゆっくりと眠気に身を委ねた。



● ● ● ● ● ● ● ● ● ●



 次の日になって、早速シュトルは依頼を受けるためにギルドへ向かった。朝の時間ともなると、昨日の昼過ぎに訪れたときよりも人が多い。ちらっと視線を向けてくる者もいたが、人が多いためかわざわざシュトルにちょっかいをかけてくるものはいなかった。むしろ昨日騒ぎを起こしたにしては、視線が刺さるような感じはしない。

 シュトルは人の間をすり抜けて、一番自分に向いていそうな依頼を受けるためにカウンターへと向かう。カウンターには、昨日とは違う三白眼の職員が受付をしていた。


「シュトルの名前で、依頼ナンバー、さん、いち、ななを受けたいんだけど」

「シュトルさん、新顔っすね。……317番はフルドノ産のオドリグサの捕獲依頼っすね。フルドノのオドリグサは大きさとか色、生態も他産と違うんで、よく確認しといてくださいっす。生捕りが条件なんで難しいっすけど、大丈夫っすか」

「問題ないわ」

「まぁ、登録されてる情報的にいけるっすかね。知っているとは思うっすけど、ここの地殻洞は常に毒にさらされるっす。また、そこを根城とする殻獣も毒を持っているのが多いっすよ。強さもそれなりなんで、ソロでの探索はお勧めできないっす」

「ここに来る時点で知ってる」


 A級指定を国から受けているのは国内で6か所。その中でも、フルドノの『孤毒の地殻洞』は最も探索者に人気がない。まず、この地まで来るのに、国営鉄道を乗り継いで、やっとフルドノ近辺の町まではたどり着ける。しかし、そこからまだまだ道のりは遠い。半月に一度中央からやってくる商会の車に運良く乗り合わせられれば1日で町まで着ける。シュトルのように徒歩で来るには5日ほどかかる。昔は流刑の地であった、辺境の毒の地。ここまで来るのは、ここに来るしかない訳ありばかりだった。

 シュトルは、自分の特性に合っているという理由でここまでやってきた。


「ま、一応決まりなんで聞いておいたっす。そんじゃ、シュトルさんに正式に依頼するっす。期限には余裕があるんで、じっくり取り組んでください。納品がない場合は、評価が下がるんで気をつけてほしいっす」

「わかってる」

「でしょうね。オドリグサ納品用の道具だけ貸し出すっす。紛失した場合は弁償してもらうんでよろしくっす」

「知ってる」

「はいはい。じゃ、ほかの道具は自分で調達してください。検討をいのってるっすよ」


 ひらっと軽く手を振ってこちらを見送る職員に、眉間にしわを寄せながら納品道具をシュトルは受け取った。こちらを腫れ物のように扱う職員には会ったことはあるが、こんな軽い調子の職員には会ったことがないので困惑していた。前のギルドの職員は、職務は全うしていたものの目を合わせてくれることはなかった。探索初日なのに調子が狂うと、シュトルは採取用の袋をベルトに挟んで足早にギルドを出た。

 既に探索するための装備を身につけていたシュトルは、手持ちになかった防塵ゴーグルだけギルド近くの店で購入した。ほかにもアルケミー加工が施されたロープを勧められるが、まだ手持ちのロープがあるので断った。品物と金のやり取りをした後、店の主人はひしゃげたフォークのように曲がった指先をこすりながら、シュトルの顔を見て目を細めた。さて、どんな罵倒が飛び出すかとシュトルは身構えたが、耳に届いたのは異なる言葉だった。


「初めて地殻洞に行くんなら、怪我だけには気をつけな。ちょっとした傷から、毒に侵されて死んじまった探索者は多い」

「それは、どうも」


 愛想の悪い主人の親切めかした言葉を流して、シュトルは用のなくなった店からさっさと立ち去った。

 『孤毒の地殻洞』は、町を出てすぐの道を下っていき、途中で正規の道から外れてしばらく歩いたところにある。町の外は、地殻洞から漏れ出た毒によって一般人が食せるようなまともな植物はほとんど育たず、凶悪な生物しか生息していないため、一般の人間は近づくことすら許されていない。

 初日にギルドからもらった地図を確認して、シュトルは、人に踏み固められてできた道を進んだ。膝のあたりまで伸びているドクオッポ草がからみつくのと慣れない道を確認しながら歩いているので進みは遅い。不意に後ろからザクザクッと大勢の足が近づいてきた。はっと息をつめてシュトルが様子を伺うと、複数の探索者達がボソボソと今日の獲物について話し合っている声が聞こえてきた。チームを組んで探索をするらしい。

 ぶつからないように道の端に寄っていると、後ろからやってきた探索者達が特に気にすることもなく追い越していく。しかし、その最後尾に、昨日ギルドまでの道を教えてくれた火傷痕の男がいた。


「よう」

「どうも……」

「アンネが、お前が来なかったと嘆いていた。生きて帰ったなら飯だけでも食いに行ってやれ」

「は?」


 すれ違いざまに言うだけ言って、火傷痕の男は行ってしまった。

 一瞬ポカンとしてしまったが、すぐにシュトルは頭を切り替えた。あの親切そうなアンネという宿の主人のことは、どうも苦手だった。ほとんど話したこともないが、ああいう親切そうな人間が自分をどういうふうに扱うのか、シュトルはよくわかっているつもりだった。


「今は、余計なことを考えてないで、依頼を達成することだけに集中しないと」


 ざらりと頬を撫でる感触にシュトルが顔に手を当てると、自分の左腕から伸びてきた蔦の先がなつくようにじゃれついてきた。丸めた指先で軽く遊んでから、遠くなった足音の向かった先に視線を向けて、息を吐いた。


「私は、一人で生きていけるんだから」


 指をひらっと軽く払ってつるを離して、シュトルはドクオッポ草を踏みつけながら道を進んだ。

 進めば進むほど歩きやすくなっていく。つまり、足に絡まる植物が減っていく。多く生えていたドクオッポ草は毒地でのみ観測される毒草だったが、それすらも強い毒気にやられている。何も生えていない不毛の地面は進んでいくと、視線の先には目的の地殻洞が見えた。地面から大口を開けて、静かに獲物が自分から胃袋の中に飛び込んでくるのを待っていた。

 その入り口の前に木の棒が地面に突き刺さっていた。斜めに突き刺さったそれは一度途中で腐食してしまったのか、折れてしまったものを無理やりロープでしばりつけている。そして、釘でうちつけられた看板部分はもうゆるくなってぶらぶらと落ちそうになりながらかろうじてぶら下がっている。文字が書かれているようだがかすれていてほとんど読めない。ただ、警告するように大口を開けた地を這いずる赤い鱗の地竜の絵が描かれている。これは、特定ランクの探索者以外立入禁止を示している。だが、そもそもこの土地に来られる人間は限られている。看板はもはや飾りだった。普通ならある一般人除けの柵も見張りもない。しかし、さすがにギルドが設置するゲートは作動しているようだった。地殻洞の入口が、薄紙のような白い網目で覆われている。

 地殻洞の入り口に近づくには探索者に支給されているギルド証がなければ入れない。ギルド証がなければ、ゲートの網目で蜘蛛の巣のように絡めとられ、ギルドに通報され、拘束される。たまにやましい商売を考える人間が引っ掛かる。

 ベルトにぶら下げたままのギルド証が薄く光り、シュトルは気負うことなくゲートをくぐった。


「行こうか」


 シュトルが声をかけると、応えるようにざわざわと寄生植物たちが揺れる。買ったばかりの防塵ゴーグルを頭につけ、両手のグローブがしっかりと手首で固定されているか確認し、腰のベルトの装備の位置を確認して、シュトルは『孤毒の地殻洞』に飛び込んだ。

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