孤毒の地殻洞

 普通、町や村に入るためには、厳しく監視された入場門で護衛官、自警団などから審査を受けることとなる。しかし、この町、フルドノにはそういったものがほとんどない。町の入口には、野ざらしで表紙が崩れそうな入場票が無造作に置かれ、入町の際は名前をお書きくださいと書かれているのみ。記名覧はほとんど白紙だった。最後に書かれた名前は、インクがかすれてほとんど読めない。

 入町審査をする小屋の前で立ち止まる少女がいた。その姿は、いろんな意味で目を引く容姿だった。髪は緑がかった黒髪と老婆のような色を失った白で、3対7でくっきりと色が分かれていた。その2色の長い髪を素っ気なく一つに結っているが、華やかさを足すように顔の半分ほどある花、しかも生花が絡まっていた。大ぶりの花を差した少女の顔立ちはかわいらしく、しかし顔の半分が絞られた雑巾のようにひきつって色を失っているせいで顔をそらしてしまう人は多い。しかし、少女は真っ直ぐに顔を上げた。


「読めない文字でページを汚すよりも、なにもしないほうがいいか」


 少女はそう自分で納得して、町へと入っていく。

 道を進むとすぐに何軒かの宿が並んだ通りへと出る。1軒の宿の前では、いかにも探索者を生業にしているといった体格の男たち数人が椅子を並べて昼から酒を呑んでいるようだった。そのうちの一人が旅装の少女と目が合ったが、特に驚くでも露骨に目を背けるでもなく、すぐに興味が酒に戻って仲間たちに注がれたグラスを逆さにした。


「あんたたち、昼間っから酒の飲み過ぎで暴れたり、ごみ増やしたりするんじゃないよ。さっき、玄関前はきれいにしたばっかりなんだからね」


 男たちのすぐ後ろの窓から宿の主人らしい女性が顔を出す。顔に傷もある迫力の男たちに怯えまず、むしろ叱りつけるように言いながら窓からチーズの載った皿を突き出した。


「この間、玄関前で吐いたのをまだ怒ってんのかよ」

「それとも、溜まった洗濯物が駄目だったかもな」

「機嫌直してくれよ、アンネ」


 ツマミのチーズを頬張りながら、男たちは陽気に笑う。アンネと呼ばれた女主人がまったくとため息をついたところで、こちらの様子を窺っていた旅装姿の少女に気がついた。


「あんた、今日、町に来た探索者かい?」

「……そうだけど」


 窓から身を乗り出して声をかけてきたアンネに少し警戒しつつ少女がうなずくと、にっかりと快活に笑って、窓の前で酒盛りする男どもの3つ並んだ背中を叩く。


「うちはこいつらみたいな探索者相手に宿をやってんだ。1部屋空いているよ。もしうちに滞在してもいいっていうなら、探索者ギルドで手続きしてからまたおいで」

「……どうも」


 人混みにいても目立つような見た目をしている少女にも物怖じせず、親しみを込めて女主人のアンネは話しかける。とりあえずうなずいていると、3人のうち額に火傷の痕がある男が酒の入ったグラスから口を外した。


「この道をまっすぐ行った広場の、井戸の前にあるでかい建物がギルドだ。一本道だから迷うことはないだろ」


 独り言のようにぼそっと言ったかと思うと、何事もなかったように豪快にまた酒を呑み始める。予想外に親切な同業相手に、少女は取りあえず小さく頭を下げてギルドに向かうことにした。

 同業の助言は間違っておらず、広場までは一本道だった。昼という時間もあり、広場には町の住民たちが多く行き交っていた。移動式の出店がいくつも開かれており、食材や衣類、石鹸などの生活必需品から、探索者が必要であろうロープやナイフ、採取用スコップ、他にも防塵マスクや色のついた何かのメーターなども売られていた。行き交う人々は旅装の少女をちらりと見るだけで、慣れたように生活を続ける。


「噂どおり、果ての町ともなると私のような変わり者には慣れてるか。でも、それにしては……」


 思っていた以上に穏やかな町の風景に首を傾げながら、井戸の前にある建物を見上げる。かなりの年季が入った木造の建築物だったが、しっかりと手入れされているおかげかいい味といえる趣きがあった。

 少女がギルドに足を踏み入れると、一気に視線が集まる。すぐに視線を外す者もいるが、じぃっと粘っこい視線を張り付ける者もいた。ギルドはどこも同じだなと一種の安心感を覚えながら、少女はまっすぐに受付カウンターへと向かった。

 昼過ぎたの中途半端な時間ということもあり、ギルドの受付はがらんとしていた。カウンターの番をしていたらしい一人の男性職員が顔を上げて爽やかに微笑んだ。


「こんにちは、新顔さんですね。所属移動のお手続ですか?」

「そう」

「かしこまりました。ギルド証の提出をお願いいたします」


 少女が自分の身につけているベルトから、石を薄く長方形に切ったようなプレートを取り外した。一見すると何も刻まれていないように見えるが、光を当てると表面にうっすらと彫られた紋が見える。この紋を専用の器具で読み取ると、ギルド証に刻まれた情報--名前や経歴、ギルドでの実績、そして“ギフト”を知ることができる。

 少女からギルド証を受け取った職員は器具にさっとかざして、手元に現れた情報を見てうなずく。


「シュトルさんですね。無事、フルドノの町へ移動手続を完了しました。今日からこの町での探索者としての活動が認められ、探索者専用宿での宿泊が割引となります」


 いつもの決まりきったギルド職員の説明を話半分にふんふんとシュトルはうなずく。その目は、依頼の紙が貼ってある掲示板に向けられていた。依頼は文字を読むのが苦手な探索者向けに、大きく依頼対象の絵と報酬の数字が並んでおり、学がほとんどないシュトルにもわかりやすい。以前所属していたギルドとは違って薬草、毒草などの採集依頼が多く並んでいる。全体的に危険度が高く、そして報酬が倍ほど違った。

 シュトルが掲示板から視線を外して前を見ると、誠実そうな笑顔が職員から向けられる。


「僕はこのギルドの代表代理を務めておりますアーネストです。何か問題事が起きましたら、僕が担当いたします」

「それは、どうも」

「では、ギルド証を返却いたします。それから、こちらが地殻洞の地図です。これからよろしくお願いいたします」


 折り目正しく頭を下げられ、その清潔そうな頭を一瞥して、シュトルはギルド証と地図を受け取った。

 ここにしばらく滞在して、ある程度の金を貯めるのがシュトルの目的だった。できるだけ早く宿を見つけ、長旅で疲れた身体を一旦休めようと考えている彼女の進行方向に影が立ちふさがった。右に避けようとするとあちらも動き、無理に進もうとすると腕を掴まれそうになる。伸びてきた手を払って、シュトルは目の前で口の端を歪ませている男を見上げた。先ほどからシュトルをじっとり観察していたうちの1人のようだった。

 にやにやと嫌な笑い方をする男に、シュトルはあごを上げて相手の目を見据えた。


「あなた、声がすっごく小さいの? 引き止めるならちゃんと聞こえる声で言ってくれないかな。世の中は、私みたいに察してあげる親切な人ばかりじゃないんだから」

「そいつは親切なお嬢さんだ。ところで、俺も同じく親切な人間でな。この町に来たばっかりのお前に親切な話があるんだ」

「親切な人が親切な話をもって、親切な私に声をかけてくれるなんて。親切が重なりすぎてちょっと不気味になってくる」


 軽口を交わしながら、お互いを油断なく観察する。

 その男は一目でわかるほど軽装だった。色褪せたシャツに、擦り切れたズボン、取れかけのポケットが目立つジャケット、そして男の獲物であるらしいナイフと鞭は随分と使い込まれているようだった。実際に男はベテランではあるようだが、採取用の細い瓶が男の腰のベルトにぷらぷらと不安定に引っかけられているのを見てシュトルはこの男もまだこのフルドノに来たばかりの探索者であると判断した。


「親切な話とやらは、もっとこの町に詳しい人に教えてもらうことにするから。来たばかりの人にわざわざ聞かなくても大丈夫」

「あ? なんで俺が来たばかりだってわかる?」

「この町の依頼は、見たところ毒草や毒の胞子を採取するものが多いみたいだった。その瓶はそのための道具でしょ。それをそんな慣れない扱い方しているぐらいだから、この町の主な採取依頼も受けたことがないぐらいにはあなたも私と同じこの町の新顔ってことだね」


 そして、来たばかりの慣れない探索者にこうやって声をかける時点で小物には違いないとシュトルは心の中でつぶやく。

 へえへえと男は不愉快そうに返事をしてから、男はぐいっと上半身を傾けてシュトルの顔を覗き込んだ。男から漂う煙草のきつい臭いに顔をしかめたシュトルが後ろに下がろうとするが、それを許すまいと再度手を伸ばされる。それを肩で弾いて、シュトルは真っ向から睨んだ。


「さっきから、勝手に触ろうとするのをやめてくれる? 女性の扱いっていうものをわかってないみたいだけど」

「俺はふさわしい扱いってもんをしてやってるつもりだぜ? お前、ろくに武器も持っている様子がねぇ。しかし、随分と旅慣れた様子で探索者としても年季が入っている様子だ。ろくな攻撃手段も持っていない奴が探索者としてやっていけるとしたら、特別な“ギフト”を持っているか、そのかわいいお顔で男をたぶらかして俺たちのおこぼれをもらっているかのどちらかだろ?」

「それで、私がおこぼれをもらっているように見えるって?」

「俺も長年探索者をやっているから、それなりに見てきてんだよ。強いやつっていうのは、男だろうが女だろうが、それなりの面構えってのがある。お嬢ちゃんには、その半分かわいいお顔しかねぇがな」


 男の武骨な手が伸びて、シュトルの顔をさらおうとする。舌打ちをしてその手から逃れようとするが、それよりも男のほうが早かった。ざらついた固い指先がぐいっとシュトルの顔を無理やり前と向ける。間近で見る男の顔は、不健康そうに青白く、目が充血していた。


「ぐだぐだ言ってねぇで協力しようぜ。お前だって、このゴミ捨て場みたいな場所にまで来て、金を稼ぎに来たんだろうが。ここから逃げたって地獄だけだぜ? なら、俺たちが有効に活用してやるよ」

「……触らないでって言ったのがわからなかった? 聞いてわからないのなら、目で見ればわかる? あなたにはちゃんと目がついているみたいだし、わかるよね?」

「あ? いい加減にしろよ、この白髪女……っ!」


 ざわりと風もなく揺れたのは、シュトルの頭を飾っている花だった。花弁が大きく身震いしたかと思うと、まるで獣のように大口を開けて男の頭を飲み込もうと伸びてきた。驚きつつも投げ捨てるようにシュトルの顔から手を離した男は、その花の捕食からは逃れたが何かに足をひっかけられてバランスを崩し、床に膝をついた。男の足を引っかけた正体はシュトルの左腕から伸びた緑の蔦だった。

 引きつっている顔がぴくぴくと脈動するの感じながら、シュトルは肌を隠すようにつけていたグローブを取り外した。そこには、手の甲から長袖の隠れた先までぼこぼこと植物の根を張っていた。色をなくして肌が引きつり、完全に植物に寄生された腕を伸ばすと、宿主を守るように緑の蔦がしゅるしゅると男に向かって伸びていく。


「あなたは私にいらないの。だって、何より頼もしいこの子たちがいるんだから。……この子たちの養分になりたくなかったら、触らないでくれる?」

「それがお前のギフトかっ! なめやがってっ!」


 蔦から逃げるように下がりながら、男は腰からナイフを抜いた。その衝撃で、腰に下げていたはずの瓶が落ちてぱりんと割れる。シュトルはうごめく植物たちに顔左半分をみしみし引きつらせながら、右目で今にもこちらに突進してきそうな男を観察する。ちらりと横眼でカウンター席を見ると、さっき対応したアーネストという職員が慌てたようにこちらに向かってこようとしている。

 誰がこの騒ぎを終わらせるのか。

 それは、意外なところからやってきた。


「……ごめんなぁ。ちょっと、道を開けてくれ」

「あっ? なんだ、てめぇ! 引っ込んで――……ぐはっ!」


 血走った目をしていた男が、一瞬で吹き飛ばされた。成人男性、しかも鍛え上げられた探索者の男が宙を飛び、そして備品などを壊しながら背中から転がっていく姿はひどく滑稽であったが、あまりにも突然でシュトルは笑う機会を失ってしまった。

 それは、シュトルよりも少し背が高いぐらいの細身の年若い男だった。人を宙に投げ飛ばすようには見えないが、彼が一歩一歩と歩くたびにみしみしと床が悲鳴のような音を上げた。その背中には身の丈ほどはある大斧が背負われており、さらにその刃の先には赤黒い染みで染まった布の塊がつりさげられていた。いまさっき頭から水をかぶったように、ぽたぽたと水が滴っている。

 ふらふらとおぼつかない足取りのその人物は、少し赤くなった顔でゆらっと顔を左右に振り、そして一拍遅れてから床に転がっている男を見た。自分がやったはずのまるで初めて見たというような顔をした彼は、はっと息をつめて驚いたように首を振る。そこへカウンターから出てきたギルド職員のアーネストが、困ったことになったと距離を取りつつ声をかける。


「アレク、ここで落ち込んではいけません。落ち着いてください。いつもの気鎮めの薬はどうしましたか?」

「アーネスト? これ、俺がやったのかぁ? 何か、当たった気はするけどな。……また妹にしかられる、きらわれるなぁ。俺はぁ、どうしてこんなにだめな兄ちゃんなんだろうなぁ」

「アレク、気をしっかり持ってください。気鎮め、気鎮めの薬を使ってください」

「……きしずめぇ? きしずめ、気鎮めって、ああぁ、あれかぁ」


 アレクと呼ばれた人物は指示された言葉をどうにかこうにか噛み砕いて、ポケットに手を突っ込んで何かを取り出そうとする。そのおぼつかない手つきや顔つきからして、アレクは酔っているようだった。突然現れた酔っぱらった不審人物に、シュトルはこの隙に出ていこうかと考える。しかし、壊れた机と一緒に倒れていた男が起き上がったのを見て、思わず声を上げた。


「危ないっ!」

「え……?」


 パンッと破裂したような音が響いた。

 振り下ろされた男の鞭をアレクが反射的に腕で払った。ただそれだけで、反対側の壁に鞭の先がめり込み、にやにやとこちらの様子を観察して楽しんでいたほかの探索者たちをなぎ倒した。鞭を振り下ろした男自身も、返されたあまりの力の強さに再び地面に引っくり返っていた。

 その力を行使した当の本人は自分の手のひらをじっと見つめて、首を傾げ、そしてゆっくりと顔を歪める。


「痛いか? 痛い、いたい、いた……痛いなぁっ!」


 アレクがそう言って足で強く地面を蹴った瞬間に、ギルドの建物自体がずっと揺れた。みしみしと古い建物が悲鳴を上げる。自分の働き場所の悲惨な状況に、ああっと情けないアーネストは情けない声を上げる。それに我に返ったのか、アレクはがっくりと肩を落とす。


「ごめん、ごめんなぁ、アーネスト。いつも、いつもこんな感じでぇ……俺なんかのせいでなぁ」

「いつものことですよ。それよりも、気鎮めの薬です」

「気ぃ鎮め……そうだぁ、そうかぁ、そう、だったなぁ」


 先ほどポケットから取り出したらしい白い紙を広げたアレクは、そこに顔を近づけてすうっと吸い込んだ。傍目から見れば、薬を吸って気を落ち着かせている危ない男にしか見えない。離れたいが、目をつけられるのを恐れて誰も動くことはできなかった。

 紙の上ですうすうっと息を吸うアレク越しに、何度も床に転がされた男はその手の届かないところまで逃げながら、じっと静かに立っているだけのシュトルを睨みつけた。


「お前みたいな気持ち悪い冬枯れ女、こっちから願い下げだっ! そこのヤクチュウに尻でも振りやがれ!」


 捨て台詞を吐いたかと思うと、同じように鞭でなぎ倒されたほかの探索者とともにギルドから出て行ってしまった。残ったのは、薬を吸うアレクとギルド職員のアーネスト、そしてこの町に来たばかりのシュトルだけだった。

 騒動の始まりは自分だったとはいえ、こうなってしまったのは自分のせいではないとシュトルもギルドから出ようとしたときのことだった。ぱちりとこちらを振り返ったアレクと目が合ってしまった。

 さっきの圧倒的な力を思い出して、シュトルは背に冷や汗を流しながら動きを止めた。じっと黙って刺してくる視線に、シュトルは一度つばを飲み込んでから口を開いた。


「なに?」

「さっきのやつがぁ、気持ち悪いって言ってたからなぁ」

「……ああ。気持ち悪い女が見たかったの? 別に隠してないから、好きなだけどうぞ?」


 怪物のような力を見せた男も、結局はそんなものかと諦め半分にシュトルは笑ってみせた。

 植物に寄生されたシュトルは、その見た目と植物の性質もあって、どこに行っても腫物扱いをされた。養分をとられて色を失くした髪も、根を張られて引きつった体の左半分も、腕から根を張り伸びる植物の不気味さも、全てがシュトルの武器だった。だから、シュトルはもう顔を隠さない。

 むしろ、自分の左半分を見せつけるようにして立っているとアレクがさっきよりもしっかりした足取りで近づいてきた。しゅるしゅると自分の腕から植物を伸ばしつつ警戒していると、目の前に手が差し出された。その手はなぜか濡れている。


「ほらぁ」

「……はい? なんのこと?」

「気持ちが悪いんだろぉ。……あ、でもぉ、俺のは効果がきついんだったかぁ? たしかぁ、普通の人はぁ、十倍薄めたら気分がよくなるらしいなぁ」

「はぁ」


 シュトルの腕の緑のツルが表面の白い産毛が生えている表面を広げて、アレクが差し出す紙の中のものが何かを探る。それは確かに、一般に使われている吐き気止めだった。ただし、飲み過ぎると体温が急激に冷えて、体液が垂れ流しになる。

 遠回しに喧嘩を売られているのだろうかとシュトルがその手をはたき落とすかどうか迷っていると、アレクの肩が後ろからぐいっと引っ張られた。アーネストが激しく首を横に振って、アレクをたしなめている。


「アレク、それは君専用の薬であって、ほかの人には劇薬になるものです。魔獣だってひっくりかえる代物ですよ」

「……ああ、そうだったかぁ。迷惑をぉかけた、詫びにしようと思ったんだがなぁ」


 そこには本当に悪意がなかったらしく、アレクは素直に薬を乗せていた手を引っ込めた。それじゃあほかに何かと言い出しそうな気配を感じとって、シュトルは言われる前に拒否をした。


「……いや、私は助けられていないしあなたも助けてはいない。だから、貸し借りはなしで。今後はお世話になることもないと思う。それじゃあ、さよなら」


 外していた左手のグローブをはめると、そのままシュトルはギルドから立ち去った。

 その背中をアレクはぼうっと見送る。ギルドの扉が閉まってからも動こうとしないその肩を、もう一度ぽんと今度は軽くアーネストが叩いた。


「少しは気分が落ち着きましたか?」

「……ああぁ、うん。酔いが冷めてきて、ギフトの力も切れてきたなぁ」

「なら、よかった。いえ、ギルドの備品被害とかを見ると全然よくないんですが。今回の報酬から弁償費用を引かせてもらいますね」

「いつも、迷惑ばかりだなぁ」

「気にしないでください。落ち込むと、またアレクの“狂化”のギフトが発揮するでしょう。まぁ、とりあえずカウンターに来てください。と、その前にタオルですね。水をかぶった後はちゃんと拭くようにといつも言っているでしょう」

「わかった」


 もう一度紙に顔を近づけてすうっと息を吸ったかと思うと、アレクはさっきの酔っぱらっていた情緒不安定な様子から落ち着きを取り戻し、さっきとは打って変わって何の感情も浮かばない無表情になった。そして、大斧を背負いなおしてギルドのカウンターへと向かった。

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