狂ったアレクは英雄になりたい
運転手
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ぼうっと薄暗い空間がほのかに明るくなった。その光に応えるように各所でぼう、ぼうっと緑や紫色など毒々しい色の淡い光が壁から噴き出した。それらの光は宙にむかってゆっくりと上昇していき、天井にぶつかって空間全体に広がっていく。その光の正体は胞子だった。よくよく観察してみると、壁にびっしりと黒いキノコが生えている。それらが断続的に色彩豊かな胞子を吐き出して、暗闇を照らしていた。
この光る胞子は見た目の特徴から予想を裏切らず強い毒性を持っていた。一息吸い込めば、胞子がすかさず眼球の底や肺、脳に根を張り、そしてゆっくりと痛みもなく全ての機能を麻痺させ、人は昏倒する。そこからじっくりと生きたまま栄養たっぷりの苗床とされてしまう。たまに地面を見ながら歩いていると、人の形にキノコが群生していることを見かけることもあるという。
そんな厄介な胞子ではあるが、集めると金になる。
毒の胞子の採集にやってきたまだ年若い探索者の男は、ふらっと少しおぼつかない動作で腰を曲げて、地面に膝をついた。そして、探索者者組合から貸し出されたアルケミー加工が施された皮袋を荷物から取り出し、腰のスコップでざりざりと地面の胞子をすくい入れる。瓶の中に入ってしまえば、きらきらと色を放つ胞子は室内を彩る調度品になりそうにも見える。半分ほど入れたところで、ひっくとしゃっくりを上げた。その勢いで、防塵マスクも何もつけていない無防備な装備だった男は大きく息を吸って、胞子を体内に取り込んでしまった。
「口の中がじゃりじゃりするなぁ」
ひっくともう一度しゃっくりを上げた男は胞子を詰めた皮袋を鞄にしまうと、ベルトに引っかけていた酒瓶をつかんで大きくあおった。そして、ぺっと口の中のものを地面に吐き出す。その身体に毒の影響が出ることはなく、男自身もそれを気にすることはなく、はぁっと深く息を吸う。
「この胞子、まずいんだよなぁ……。酒の味も悪くなる」
男はもう一度水筒の中身を勢いよく呷り、満足そうにぷはっと息をつく。暗闇でわかりにくいがその顔は赤らんでおり、酔っぱらっているようだった。またぐいっと酒を流し込み、飲み込み切れなかった分が顎の先からぽたぽたと地面に落ちる。ぐいっと乱暴に袖口で口元を拭いていると、男の視界はだんだんと二重になってきて、そのくせ頭が煮えるように熱くなってきていた。
「あー、そろそろ帰るかぁ……。なんか地面が揺れてきたもんなぁ。ああ、何だぁ? お前もぉ酒が欲しいのか?」
赤ら顔の男は暗闇の中に声をかける。そこにはらんらんと輝く3対の目。ぐるるっと低いうなり声と共に、胞子の明かりがぼうっとその正体を顕わにする。それは三つ頭の獣だった。しかし、不気味なことにそれぞれの頭はまるで別の生き物のようにバラバラだった。1つはぬるりとした鱗を持ったトカゲのようで、2つ目は立派なたてがみを持つ獅子のよう、最後に3つ目はグルンと無機質な目をこちらに向ける人形のようだった。3つの頭を、岩のような四つ足の胴体に無理やりくっつけたような自然ではあり得ない生き物。それがバラバラに目を動かしながら男を視界捉えて、刃のような歯をむき出しに近づいていた。
「あー、これはもらいもんの酒だからあげられないんだよなぁ。町に戻ったら、代わりに何かおごるぞぉ」
ほとんど飲んでしまった酒の入った瓶をぷらぷらと揺らして、男は酔った頭を上下左右に揺らす。こちらの命を狩ろうとしている三つ頭の獣サキミの姿がまるで見えていないようだった。背負っている大斧に手すら伸ばさず無防備に立つ男に、じりじりとサキミは近づいていく。
音もなく、地面に生える無数キノコを踏みつけにして獣は大きく跳躍した。その鋭い爪と牙は寸分たがわず男の喉笛と向けられる。
そして――轟音が響き、血が飛び散った。
「これ、何だったっけ? 三つ頭の獣……あぁ、頭が回らない」
男の拳は血に染まっていた。しかし、それは男の血ではなかった。男の足元には三つ頭の獣サキミが腹を見せて転がっていた。三つ頭の一つは強い力で潰され、もう一つは白目をむいており、もう一つは苦しみにのたうっていた。
大して筋肉のついていない男性の平均的な腕を振って、男は拳の血を払った。そしてしゃがみこんで、じろじろと苦しんでいるサキミを検分する。
「この毒の中でも、活動してるってことはぁ、めずらしい殻獣のはずだったよなぁ。とりあえず、持って帰るかぁ……」
男が小ぶりのナイフを振りかざしたときだった。三つ頭のうちで唯一意識を保っていた獅子頭が決死の動きで牙をむいた。とっさに頭をかばった男の腕に牙を食いこませようと顎に力を込めるが、なかなか肌を食い破ることができない。噛みつかれた男はじっとそれを見てから、首をかしげる。
「……痛いか? 痛い、痛い気がする? あ、痛いな、痛いっ!」
ぽたりと男の腕から血が垂れたところで、やっと痛みを感じた男が大きく腕を払った。なすすべもなくサキミは強烈な力に押しつぶされ、それが生き物だったのか判別できないような哀れな姿で地面に埋まった。ふーっと息をついた男は、酔いが覚めかけた頭で目の前の屍を眺める。圧倒的な腕力で押しつぶされた哀れな獣だ。
「こんなものを見られたら、また嫌われそうだなぁ。……ごめん、こんなことしかできないお兄ちゃんでごめんな、ごめんなぁ。だから、いっぱい稼いでくるからな、お金の心配だけはさせないからなぁ」
ここにはいない誰かに向かって謝りながら、男は無心で潰されたサキミにナイフを突き立て、金になりそうな素材を剥ぎ取っていく。まだ若い探索者である男――アレクは、ただ金のために狂いながらに『孤毒の地殻洞』に潜っていた。
まるで地図に落とされたインクの染みのように各地に点在する地殻洞。そこは現実のものは思えない動物や植物、鉱物、謎の遺物が存在する巨大な地下空間だった。そこは地上にとって学術的にも、金銭的にも価値があるものの宝庫であり、同時に一歩進むだけ命の危険にさらされる。それでも、財を求めて殻洞に挑む命知らずたちは探索者と呼ばれた。
そして、国から特に危険とみなされてA級指定を受けている『孤毒の地殻洞』に、この日も財を求める探索者が一人やってきた。
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