第37話 剣技神髄


「ああ……ああ……」



 魔女。

 クソ上司。

 そう思っていたヴァンプの、聞くに堪えないほどしわがれた声が響く。


 人の気配がしない『宝華殿』。総軍長に与えられた執務室の窓際で、もう自力で立つこともできなくなったマルゼナ様が、虚ろな目でやせ細った手を伸ばした。



「しんおうさま、いなくなってく。わたしの、くにが」



 以前はムカついた口調も、長命なだけなのに偉そうな態度も、外見とつり合ってない表情も……僕らの知るマルゼナ様の面影は、どこにも残っていない。



「やだ、いかないで。わたしをおいていかないで」


「大丈夫です、マルゼナ様。オレさ……いいえ、私が最期までお側におります」


「けほっ、けほ」


「さあ、ベッドへ参りましょう。お体に障りますよ」



 あのバカは、それでも彼女に寄り添っている。

 外を見たいと言われれば肩を貸し、咳をすれば優しく寝かせる。「あんたキャラが弱いから、今日からオレ様口調ね!」なんて馬鹿げた命令だけは、僕たちの顔を忘れてしまって以降やめてるみたいだけど。


 お前、本当にマルゼナ様のことを好きだったんだな。

 向こうは全く何も想ってないの、丸わかりなのに。それでも最期まで想い続けるんだな。

 

 やっぱりバカなんじゃないか。


 何となく、この2人から離れられない僕は何なんだろう。


 ……一番のバカは僕か。


 

「ひゅー、ひゅうー」


「マルゼナ様、しっかり息をしましょう。お腹に力を入れて、さぁ、吸って」


「ひゅうー、ひゅ」


「頑張りましょう、マルゼナ様。お願い、お願いだから……」



 さっきの咳が不味かったのか。

 それとも、神王陛下があの化け物に食われているのがよほどショックだったのか。

 見せない方が良かったんだろうな。

 でも、僕にはあのバカを責める事なんて出来ない。

 だって、宝神様だぞ。神様だぞ。

 獣に負けるなんて誰が想像できる? 死にゆくマルゼナ様に、ここまで必死に時間を稼いだ彼女に、崇敬する神王陛下が勝利する所を見せてやろうって……そんなに間違った考えか。


 いや……そうじゃない。

 僕はどこかで、神王陛下でもあの災獣には敵わないんじゃないか、って思ってた。

 確信してたかもしれない。

 それを認めるのが嫌だったから、自分を騙してマルゼナ様と共に外を見ていたんだ。

 きっとあのバカもそうだ。

 

 だから今、僕たちは変に落ち着いていられるんだ。

 


「よォ、ちっと邪魔するぜ」



 ノックもせずに、アカシア師匠が部屋の中に入ってくる。

 デリカシーが無いのはいつもの事だけど、今日はなんだか無性に腹が立つ。



「ったく2人して辛気くせぇツラしやがって。いよいよか?」


「師匠ッ、そんな言い方ないでしょう!」


「何だウンコ漏らし。お前お嬢のこと嫌いだったんじゃねェの? ……いや、んなワケねェか。こんな時までここに居るんだから」



 掴みかかって、いなされる。

 石造りの床に顔面からすっ転んだ。

 痛い。

 立ち上がる気力が湧かない。



「……何をしにいらしたんですか」


「あ? お前こそ急に変な喋り方―――いや、元はそっちが素か」


「何をしに、いらしたんですか!」


「怖ェ顔すんな。約束のモノを貰いに来たんだよ」



 師匠はそう言って、横たわるマルゼナ様の枕元に立った。



「ひゅうー、ひゅー」


「ようお嬢。賭けは俺の勝ちだなァ。まさか本当に最期を看取るなんて思わなかったが」


「ひゅうー……、そう、ね」


「マルゼナ様、無理に喋らないで」


「うるせぇんだよバカ。テメェはずっと何のつもりだ? こんな状態のお嬢を一秒でも永く生かしたいって? 正気の思考か」


「……師匠に私の何が!」


「テメェの心なんざ知らねェよ。今はお嬢の話をしてんだよ。看取んのが怖ェなら……引っ込んでろ」



 バカも僕と同様に掴みかかって転ばされる。

 よりによって隣に倒れて来やがった。

 そして、堪えるように、喉で息をしながら泣き始めた。立ち上がる気力が無いのも一緒か……。



「ったく。2人とも、終いまで心は育たなかったな。技だけいっちょ前になりやがって」


「あ、あんたに、いわれたく、ないでしょ」


「くっくっく、そりゃそうかもなァ。俺ァ結局、人の想いだのなんだのは分からねェ」


「ふ、ふふ」


 

 マルゼナ様とアカシア師匠には、余人の入れない独特の空気がある。


 この国に生まれた、『最初の闘冠級グラディウス』。

 ホブゴブリンからハイゴブリンへ進化できなくても、技を磨くことで強さに特化した進化の道があると見いだした男。剣聖アカシア。


 その才能を見抜き、いち早く側近にした、建国から神王陛下を支え続ける『最初の十宝剣』。不滅のマルゼナ。


 半世紀もコンビを組んで戦った、生ける伝説だ。

 マルゼナ様が災獣の炎で記憶を焼かれ、僕やバカの顔を忘れても……師匠のことは忘れなかった。

 2人にはそのくらいの絆があったのだ。

 



「で、お嬢。約束の物は」


「しってるでしょ、机のうえ、研磨剤の、となり」


「なんだ。まだ手入れしようってのか。使い方忘れちまったんだろ」


「こまる、でしょ。斬れないと」


「そんくらいテメェで出来るっての」



 師匠がベッドから離れ、こっちに向かってくる。

 未だに床で寝ている僕を跨ぎ、マルゼナ様の机へ。

 そこには手入れの途中だった刀が置かれている。


 『非時香菓トキジク』。所持者との繋がりがある限り、その再生力を極限まで引き上げる魔剣。剣そのものも再生するという、まさに不滅の剣だ。

 宝神様が最初期に造ったもので、ほとんどマルゼナ様専用の効果だという話だが……。


 まさか、師匠が交わしていた約束って?



「おー……。いいねェ。やっぱこれだわ。刃渡り、重さ、柄の感触。ああ、間違いなくしっくり来る。コレは俺の剣だ」


「あんたじゃ、ひゅうー、さいせい、できないでしょ」


「何度も言ったろ。んな事ァどうでもいいんだよ。魔法の力なんざァおまけだおまけ。つーか剣自体の再生力は誰が使っても発揮すんだろ? 充分じゃねェか」



 やっぱり、そうなのか。

 そりゃあ「最期を看取る」って条件になるわけだ……。



「早速素振りして馴染ませねェとな。ありがとうよ、お嬢」


「……なんで、それ、なの。ひゅうー、他にも似たような形のけん、あるじゃない」


「んー? ……まあな。でもダメなんだよ。『剣技神髄』っつってな。剣の技は剣ありき。消耗品だと分かってても、ピンと来るものが見つかったら拘れ……って言われてんだ」


「ケンギ、シンズイ? きいたこと、ひゅうー、ない」


「だろうよ。……昔に、ここじゃねェ遠いところで教わった言葉だからなァ」



 師匠の視線が窓の外に移った。

 なんだろう、不思議な表情だった。どこを見ているのか分からない。

 まるで、この世界のゴブリンじゃないかのような……。



「ふふ、ふ」



 マルゼナ様が笑った。



「初めてね。お爺が自分のことを喋ったの」



 その時だけ、いつもの……クソ上司だった頃のようなはっきりした声で。



「良かったぁ。ちゃんと渡せて。これで思い残すこと、無いわ―――」



 本当にすっきりした表情をしながら、息を引き取った。


 



 ◆





 ガキ共が俯いて、しみったれた顔をしていやがる。

 こいつらにとってお嬢は不滅の存在だった。自分が死んでも、お嬢だけはずっと生きているのが当然だった。だからこんなに凹んでるんだろう。


 人死になんて慣れなんだけどな。

 悲しみを外に出してる内は、まァ剣を極めるなんて無理な話だ。



「お前ら、これからどうすんだ?」



 別に面倒を見る義理はねェが、一応問いかける。

 逃げたいってんなら、道くらいは教えてやるつもりだったが。



「……決まってます。仇を討つ」


「ああ。マルゼナ様はクソ上司だったけど、返しきれないくらいお世話になった」



 ま、そうなるわな。


 どの道サザンゲートは終わりだ。よしんば、あの獣がこの瞬間に満足してどこかに去ったとしても、軍神国あたりに滅ぼされる運命だろう。

 だったら派手に散るのも一興だ。

 止めやしない。



「師匠は……ついて来てくれませんよね」



 バカが諦めたような顔で訊いてくる。

 わかってるじゃねェか。



「そうだな。俺ァもう好きにやる。まずは、こいつの感触を確かめるのが先だ」


「……わかりました」


「お元気で」



 悪いな。失望させて。


 でもよ、嫌だろ? 弟子の前で負けるのなんて。

 



 だからま、俺ァ最後がいいんだよ。






 ◆ 





 神、うまー……。


 いや神だから旨いのか、それともデブの赤肌が特別旨いのか分からないんだが。

 とにかく意識が飛んじまいそうな味だった。『自意識過剰』が無かったらたぶん気絶していただろう。口いっぱいに広がる脂の甘み、舌の上で溶ける歯触り、倒す手間に対するボリューム……。余裕の尻超え、100点満点だ。

 機会があったら、また試してみてぇなぁ。


 そんなこんなで宝神肉を余すこと無く堪能した俺は、いよいよ仕上げに入ることにした。


 僅かに残る魔獣の残党を徹底的に駆逐する。

 そのほとんどが建物の中や地下に隠れてやり過ごそうとしていたが、きちんと探して始末した。転移で逃げるヤツは一度街の外まで追ってから殺したりもした。


 中には決死で俺に挑んで来る奴もいる。


 何日か前に取り逃がしたお漏らしコンビもリベンジに来た。男の方も女の方もコケたり腰を抜かしたりせず、最後まで俺を倒そうと足掻いていた。たった2人で一撃入れて来た辺り、赤肌の中じゃあ中々強い方じゃないかと思う。


 無限ババアは城の中で臭いがしていたんだが、お漏らしコンビが襲ってくる少し前に死臭へ変わった。『冥火』で焼かれて1日以上生きてたのはアイツが初めてだ。やっぱり相当な実力者だったんだろうなぁ。


 ……感慨深いものだ。


 ローラたちとの出会いから始まり、下層線と呼ばれていた世界樹の壁からここまで、生きている人型の魔獣を滅ぼして回った旅が、終わろうとしている。


 あと1匹。


 次で最後。


 何の因果か、そいつからはゴブリンの臭いがした。




 ◆




 上層線の内にある街、その中央にある城。

 生きている魔獣がいないというのに、城門を守るようにそいつは立っていた。



「やっぱり来たな。見逃すなんて選択肢、お前にゃねェか」



 ああそうか。

 コイツだな、城から俺に殺気飛ばしてたの。

 宝神とは全然違う気配だった。魔力の量で言えば強いはずがない、ただのホブゴブリン。ローラを背に乗せても戦えるレベルにしか見えない。いや、あの時戦った奴らよりも弱そうに見える。


 しわくちゃの顔。枯れ枝のように細い腕。今にも寝ちまいそうな足取り。

 寿命が近い、老いぼれのゴブリンだ。

 

 ―――それなのに、なぜか。

 ポンゾとしての俺が、「油断するな」「経験してきたことを思い出せ」と警鐘を鳴らしている。



「正直助かったぜ。この歳だと走って追いかけるわけにもいかねェ。見逃されたら、諦めるしかなかった」



 嫌な野郎だ。

 そんな貧相な体で俺と渡り合うつもりでいる。

 工夫で、努力で、理詰めで、技術で世界最強を目指しますってその顔。



「気に入らねェ」



 ああそうだ。



「俺ァ、テメェが気に入らねェ。生まれただけで最強ってか。獣の才にあぐらを掻いて、それを当然だと思っていやがる。テメェの振る舞いからはヒシヒシとそれを感じる」



 俺たちは相容れない。



「だからこそ、嬉しいぜ。テメェみたいなのを斬ることが、俺の存在意義なんだ」



 最高じゃねぇか。

 正直、宝神は飯としては旨くても敵としては今ひとつだった。

 強さって意味じゃなく、気分の問題だ。「ぶっ倒してやる」って熱が入らなかった。



「カロロロ」



 その点コイツは最高だ。

 たった数秒、視線を合わせただけで……ブチ殺したくなりやがる。



「笑ってんのか? ケダモノがァ!」



 やってやるぜ、クソゴブリン。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


次回 白虎とゴブリンのドラマ


明日 6時ごろ更新予定

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る