第5話・着飾る私たち、おまもり
ということで二人は最寄りのショッピングモールに買い物に来た。ふーむと言いながら化粧品を見るK。カムパネルラは近くの茶器コーナーにいる。
「急須なんて見てどうするのよ」
「だってえ……」
カムパネルラを引っ張ってくるK。リップを見せる。
「口紅だけでもあったら印象違うよ」
カムパネルラは苦い顔をする。
「ほら、この色とかかわいい」
Kはオレンジ色のリップを手に試し塗する。カムパネルラはKを睨んでいる。
「私は……やっぱり、おしゃれとか性に合わないかも……」
しょぼくれるカムパネルラ。カムパネルラは普段から、ずっと愛用しているパーカー、買い替えても何年も同じデザインの靴、高校生のころから履き古しているジーンズなどを着用している。それらは、カムパネルラにまるで肌のように馴染んでいて、カムパネルラを知る人からしたら「ああ、あの子ね」とカムパネルラ自身と一緒に思い出されるものたちだった。Kは、カムパネルラにとって、服は一つの居場所になっているのではないかと予想した。
事実カムパネルラには、同じ服装をすることにこだわりがあった。入学式でスーツなど着たときはどぎまぎしたものだ。いつも一緒にいてくれるもの、その一つが着慣れた服や靴であった。
「ねえ、イヤリングをつけてみたら」
Kはカムパネルラに提案する。キョトンとした顔のカムパネルラ。
「少しでも、気分を変えてほしいの。プレゼントするわ」
Kがそういうなら……。カムパネルラはしぶしぶ承諾した。
そのイヤリングはカムパネルラによく似合った。
ガラスでできた手作りのものだった。手作りゆえの素朴さが、なんともカムパネルラにマッチしていた。
「気に入りました。毎日つけるね」
ぺこりとお辞儀するカムパネルラ。律儀にお礼を言ってくれてとてもかわいらしい。Kは、
「気に入ってくれてうれしいよ」
と言って、こちらもお辞儀して見せた。
夕方、Kが帰ってしまってから、カムパネルラはやっとイヤリングを外した。そして、ハムちゃん様のゲージの横にイヤリングを置いた。そこは、カムパネルラにとって部屋の一番いい場所という認識だった。何をお祈りするでもなく、なむなむ……と言って手を合わせてみる。カムパネルラにとって、新しく始まった学校の事、昼間になったバイトの事、三田君の事、あさちゃんのこと、Kとのことなど、心配事とか不安なことはたくさんあった。それらがいい感じになりますようにと言った言語化しづらいなむなむだった。
ハムちゃん様はこちらを見てあくびをひとつした。
ゆかりの学校やパートも軌道に乗ってきた初夏の事だった。
埴上は仕事の上司から食事の誘いを受けた。恋愛沙汰には興味のない埴上だったが、上司からの誘いということもあっていくことにした。
気持ちが乗らないので、夕方、食事の前にゆかりの家に寄った。ゆかりはこれから学校という時間帯だ。
「社会人のお食事……」
「そんなんじゃないけどね別に。誘われたから行くだけよ」
埴上は洗面所で化粧を直している。ゆかりはイヤリングを微調整しているところだ。ふと考えがよぎった埴上は、
「そのイヤリング今日だけ貸してくれない?」
とお願いした。
「なんだか、そわそわするの」
埴上がゆかりに頼ることなんてめったにないから、ゆかりは驚いた。そして少し迷ってから、
「大事にしてね」
といって渡してくれた。
珍しくポニーテールにした埴上に、そのイヤリングはお守りのように光った。
美術学校の授業中、ゆかりはなんだかそわそわした。多分、最近しているイヤリングがないからだろうと見当をつけて、耳を強くつまんでみたりした。それでも不安はぬぐえず、ゆかりはハムちゃん様のことを考えたり、埴上のことを考えていた。
その日の授業はデッサンで、終わった人から帰っていいとのことだった。なので例によってゆかりは一番に終わり、あさちゃんに挨拶してから学校を出た。
雨が降っていた。
雨が降るならいつもKが傘を持たせてくれるのに、今日は食事で頭がいっぱいで忘れてしまったのだろう。自分でしっかりしなきゃ、と思って、駅まで走る構えをした。
校門のところに誰かいる。その人は傘もささずに、ただ立っている。
ちょっと怖かったので、カムパネルラは小走りでその人の横を通り抜けた。通り抜けるときに目が合った。その人はKだった。
「Kちゃん!」
「カムパネルラ……」
Kは所在無げな顔をしていたがカムパネルラを見ると安どしたようだ。そしてうつ向いた。
「ど、どうしたの? 雨降ってるよ!」
カムパネルラがKの肩を揺さぶる。服はびしょ濡れだ。こんなに憔悴したKは見たことがない。Kは、いつも余裕があって、優しくて……。
Kからの返事はない。
「い、行こうよ」
カムパネルラが手を引いて駅まで歩く。途中のコンビニで傘を買って相合傘した。カムパネルラは今までに感じたことのない悲しさと焦りを感じた。
地下鉄に乗っている間もKは喋らなかった。カムパネルラは唇をかんでずっとKの手を握っていた。Kの手は冷たかった。
Kちゃん、どうしたの? お返事して! Kちゃん!
Kの意識の外で呼ぶ声がする。覚醒状態にならないKは目が開かないような、重い感じがしてもどかしい。ああ、呼ばれているな……。起きなきゃ……。
Kちゃん! Kちゃん! うう……。どうしよう……。
声の主のすすり泣きが聞こえる。ああ、泣いてるんだ。今行くから……。いま……。
「……カムパネルラ」
「ああ!」
カムパネルラが目覚めたKに抱き着く。カムパネルラは泣いている。
「ごめん、私は、寝てたんだね」
「Kちゃん、昨日家に着いてからすぐソファでねちゃったんだよ。服もびしょ濡れで、風邪ひいちゃうと思って……」
Kにはこの家のありったけの毛布が掛けられている。カムパネルラは、寝ないでKをみていたのだ。
「ごめん、心配かけたね……」
「Kちゃん、目が覚めてよかったぴょん」
カムパネルラは涙と鼻水でかおがぐしゃぐしゃになっている。Kは近くにあったティッシュで拭いてやる。
「ごめんね、カムパネルラ、謝らなきゃいけないことがあるんだ」
「?」
「イヤリング、壊れちゃったんだ」
「!」
「ごめん、新しいのをまたプレゼントするよ」
「いいよお。Kちゃんの気持ちが嬉しいからさっ」
といってカムパネルラは笑った。
「ごめん」
Kは下を向いた。この子は何も聞いてこないけれど、きっと、どんなことがあったかは分かっているのだろう。聞いてこないのがこの子の優しいところだ、と思った。
「お風呂はいるっぴ? 入浴剤入れるよ」
「ありがとう」
この子は、こんなにつらいこと、いやもっと悲しいことがあったんだ。でも、私はこの子ほど強くない……。Kは唇をかんだ。
Kの職場ではその上司と気まずくなった。
食事に誘われても、もう行かない。自分の気持ちにそぐわないことはしないと決めた。
その結果、Kは違う部署に飛ばされてしまった。窓際で、退屈な仕事をする部署だ。こんな仕打ちがあっていいのか。わたしは、何もしていないのに。
Kはお酒の飲む量が増えた。弟の施設にも行く頻度が下がった。カムパネルラの家にも遊びに行かなくなった。ただ、仕事に行って家に帰る日々。退屈な日々の中で、弟の勇太と、ゆかりからもらった絵だけ輝いて見えた。ああ、私はあんな顔をしていたんだ。
日差しが強くなって、暑さが厳しくなってきたころ、カムパネルラから着信があった。
出てみると、すぐに家に来てほしいという。億劫だったが、地下鉄に乗って向かうことにする。
玄関のドアを開けると、困惑した顔のカムパネルラが出迎えた。
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