第4話・あなたに近づくための道


 冬が過ぎて、あっという間に春になる。桜はまだ咲いていないけれど、埴上は空気の匂いや太陽の光から春を感じる。ゆかりのベランダにタンポポが咲いている。種がここまで飛んできたのだ。強いなあ、埴上は生命力を感じる。埴上は年度末で忙しかったが、最近は落ち着いている。心が穏やかだ、今日の気候のように。

 埴上は弟が入所している施設に面会に来ている。弟は毎回、埴上が会いに来たとき玄関まで出迎えてくれる。なんとなく来るのがわかるのだそうだ。

「あかり」

「勇太」

 埴上の名はあかりという。あかりは、勇太の手を取って握手する。勇太の表情は明るかった。

「今日も、ずっと玄関で待っていたんですよ」

 職員の人が言う。そうですか。どうしてわかるのでしょうね。さあ。楽しみだから、勘づくのかな?

「お母さんたち先週来たでしょう。お母さんとお父さん」

 うん、と勇太は返事する。施設の広間に案内される。勇太は毎回トランプをしたがる。

「何する?」

 トランプを一枚ずつ並べていく勇太。神経衰弱がしたいらしい。いいよーとあかりは言って並べるのを手伝う。

 勇太は決まってトランプで負ける。あかりも手加減しない。でも、嫌な顔一つしない。手加減をされた時のほうが勇太は怒るのだ。

 神経衰弱は今回もあかりの勝ちだった。負けたーと嬉しそうな顔で言う勇太。ポケットから何やら紙を取り出す。

「これ」

 広げてみるとそれはあかりの似顔絵だった。

「ああ、家族を描こうってときに描いたんです」

 と職員。

「ありがとう。すてき」

 あかりの長い髪の毛も緑色が好きだから緑の服も、あかりを表している。絵を描いてもらうのは嬉しいことだ。どうも、と勇太が照れくさそうに言った。


 その日埴上はゆかりの付き添いで美術の専門学校の入学式に来ていた。ゆかりは慣れないスーツを着て、他の入学者と一緒にパイプ椅子に座っている。埴上は保護者達に混ざって後ろからゆかりを見ている。在学生からの言葉で、聞き覚えのある名前が呼ばれた。ウニ君が登壇して言葉をかけている。ゆかりはどんな表情をしているだろう? 埴上はゆかりを想うと笑いがこみ上げてくる。

 ゆかりが入学したのは夜間の学科だ。二年制で昼間部に比べて学費が抑えられている。バイトも夜勤から昼間のシフトに変えてもらった。その方が安全だし生活のリズムも整うだろう。

 在学生の言葉が終わって、式も終わった。今日は入学式だけなのでこれで解散となる。埴上のもとにゆかりが駆け寄ってくる。

「聞いた? ウニ君話してた!」

「聞いた、聞いた」

 並んで歩きだす。桜がきれいだ。今年は開花が早い。

「ウニ君もう三年生なんだって! すごいねい」

 三年ということはなにもなければ今年で二十一歳ということか? ゆかりの一つ下か、とKは考える。

「聞いてる?」

「聞いてる、聞いてる。立派だね」

 その後安いファミレスに行って昼食にした。ゆかりは、

「絵が上手くなるのかもしれない」

 と言ってウニ君の好きなチキンをひたすらに食べていておかしかった。


 ゆかりは、美術学校に行くようになってから、明るくなったように感じる。

「ハムちゃん様に、ひまわりの種とー、」

 今日はホームセンターに買い出しに来ている。埴上も自分の家に必要なものを買う。

「入浴剤売ってるよ」

「買ってみようかな!」

 ゆかりは、三田君に会ったら大変だからということで、自分でお風呂に入るようになった。いい匂いの入浴剤を選んでいる。

「化粧品も売ってる」

「うーん」

 まだそこまではゆかりも気が向かないらしい。まあ、のんびり変わって行けばいい、と埴上は思っている。埴上は化粧品コーナーを離れる。


「夜間の学科で、友達出来た?」

 と訊いた時のことだ。

「ム……」

 と言ったゆかりは、その後しばらく黙ってしまった。だから友達のことについては埴上は聞かないことにしていた。


「あさちゃんが言うには化粧はごまかしに過ぎないらしい」

「まってあさちゃんって誰?」

 知らない登場人物だ。

「あさちゃんは夜間学科のお友達にょろ」

 知らない間に友達ができていたのか。

「ごまかしかあ……」

「そう。ごまかしたいときにしよっかな!」

 と言ってカムパネルラはお菓子のコーナーに走って行った。

「私もごまかしたいときだけ化粧したいな」

 Kはつぶやいた。


 今は夜の七時。美術専門学校ではデッサンの授業が行われている。

「あさちゃん、あたしもう描けたからジュース買ってくるね」

 ゆかりは描くのが早い。

「いってらっしゃい!」

 あさちゃんは描くのが遅い。

 あさちゃんこと浅田 ゆうりはストレートで美術学校に入学してきた。つまり今年十九歳になる。あさちゃんには持病があって、高校は通信制のところを卒業している。あさちゃんはゆかりに初めて話しかけるとき、なんとなく自分に似たところを感じ取っていた。つまりあさちゃんも精神的な疾患があるのだ。

 あさちゃんはデッサンは苦手だったが、自由に描いていい課題の時はそれはのびのびと描いた。描きたいことが山ほどあるらしかった。

 ゆかりは、自由に描いていい課題の時はKの写真を見て描いた。あさちゃんには、

「誰? ビジンさんだね」

 と言われている。



 ゆかりは、あさちゃんとKが合うのを避けたかった。だってKの絵を描いていることは言ってなかったからだ。

 でも、その時はやってきた。

「私はそのときそんなに頑張ってなくて……あれ?」

 最初に埴上に気づいたのはあさちゃんだった。

「ん? あ!」

 次にゆかりが気付いた。埴上は門のところでゆかりの授業が終わるのを待ってくれていた。午後九時過ぎだった。

(どうしよう、ばれちゃう……)

 ゆかりは困惑していた。

「こんばんは、神原さんのお友達ですか?」

 と、もうあさちゃんは埴上に話しかけていたところだった。



 晩御飯まだだし、という埴上の提案で、三人は近くのファミレスに入った。どうして自分がゆかりの友達だとわかったのか、と埴上は聞かなかった。そのことがなんとなくゆかりは怖かったのだけれど、楽しい時間を過ごした。

「ゆかりは頑張ってますか?」

「はい、いつも一番にデッサンが終わります」

 えへ……と照れくさそうなゆかり。

「描くのだけははやいんだよね」

 ゆかりはチキンステーキを注文していた。

「お待たせしました、チキンステーキです」

 と、運んできたウェーターは三田君だった。

「あれ」

「あ」

 と、それぞれ面識がありそうな顔をした。

「……ごゆっくり」

 と、三田君が下がると、あさちゃんが、

「ヒカル君と知り合いですか?」

 と言った。

 三田君とあさちゃんはご近所の幼馴染だそうだ。

「しらなかった」

「だって言ってないもん」

「ふうん」

 と、少し面白そうな顔をしている埴上。

「……」

 なんとなくゆかりは埴上を睨んでしまう。


「三田君は、きっとあさちゃんのことが好きぴょん」

 数日後、学校もバイトも休みの日の昼間、カムパネルラはふてくされていた。

「なーに不機嫌になってんの、幼馴染だっていってたじゃん」

 Kはカムパネルラにアイスを差し出す。カムパネルラはそれを受け取る。

「だって……」

 めそめそしはじめるカムパネルラ。なかなかアイスの袋を開けられない。

「あさちゃんは素直でいい子だし、若くてかわいいちゃん……あ」

 みかねたKが袋を開けてやる。

「あんたねえ、そんな、あさちゃんと三歳しか違わないじゃない。それに、今よきっと」

「??」

 ふふん、と得意げな顔のKがカムパネルラをのぞき込む。

「ごまかしたいなら、今じゃないの」



 

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