第2話・優しいのはだあれ
「いらっしゃいませ!」
ゆかりはお客さんに向けて挨拶する。今はコンビニの夜勤の最中だ。
彼女はソワソワしていた。一目ぼれした彼が今日も来るかと待ちわびているのだ。
棚に商品を並べながら、初めて会った日のことを思い出す。あの日、彼は私を助けてくれた。
数日前の夜。いつものようにゆかりがレジ打ちをしていたとき、お目当てのたばこが売り切れていることに腹を立てた客がゆかりに怒鳴っていた。
「どうして置いていないんだ」
「申し訳ありません、入荷待ちでして」
「だからいつになるか聞いてんだって」
「それはわかりかねます」
平謝りを続けるゆかり。店長は所用で出かけていて。すぐ戻ると言っていたのだが、誰も頼れる人がなかった。
(ど、どうしよう)
泣きそうになりながら説明をしていると、文句を言う客の後ろから背の高い男性が前に出てきた。
「ほかの店に行けばいいじゃないすか」
「ああ?」
「彼女困ってますよ、まあ、許してあげましょうよ」
その後も彼は数分説得を続けて、やっとのことで客は退店した。
出ていく客の後姿を見送った若い男は、ゆかりに「こわいっすね」と言い、唐揚げを買って帰って行った。ゆかりは、名前も知らぬその男に恋をしてしまった。
そう、あのひとはいつも突然来ていた。ゆかりは持ち前の記憶力で思い出す。
昨日は、十時ごろ。パーカーとサンダルというラフな格好だった。おとといは、十一時ごろ。他に二名の友達がいたっけ。そして彼はやはりチキンを買っていった。
「そんなにチキンばかり食べてたら太っちゃうにょろ……」
「チキンが何だって?」
レシートの裏に彼のデフォルメされた姿を描いていると、頭上から声がした。
「絵上手いすね」
「ししししし、失礼しました!」
慌ててレシートをポケットに入れる。恐々と上を見上げるゆかり。
そこには、あの日の彼がいた。
「あ、先日は」
どうも、と頭を下げる彼。
「どうも……」
ゆかりも、頭を下げる。
「チキンお願いします」
「はい」
什器からチキンを取り出すゆかり。
「今日は大丈夫っすかね?」
「だ、大丈夫だと思います! 店長もいますし……」
「そう、ならよかったっす」
じゃ、と言って彼は退店した。ゆかりは緊張が解けてため息する。
(絵を描いているところ見られちゃった……)
ゆかりはポケットからレシートを取り出して、もう一度眺める。
つんつんした黒髪に、大きな目。パーカーに、もう秋口だというのにサンダル。彼の名前も知らないけれど、勝手にウニ君とあだ名をつけていた。
(だって、ウニみたいだし……)
お客さんが捨てていったレシートのごみを集めているときに、落とし物に気が付いた。学生証のようだ。名前は、三田 光(みた ひかる)。写真は、あの彼のものだった。
(ウニ君の落とし物だにょろ!)
ゆかりは驚きと興奮と心配。つまり心がくすぐったくなるような感覚でその学生証を眺めていた。そうそう、ウニ君はこんな顔をしている。
学生証は、近くの美術系専門学校のものだった。
(たなか美術専門学校……)
ということは、ウニ君、いや、三田さんは、絵を描く人なのだろう。彼との共通点を見つけて嬉しくなる。
(私は、本格的な絵はかいていないにょろ……だけど)
ゆかりはそっと職場の落とし物の箱に学生証を入れる。
(私もここに通ってみたいにょろん)
その日は寝つきが良かったとゆかりは記憶している。ハムちゃん様の回し車のおとがからからと聞こえる。休みの日の昼間、スマートフォンでたなか美術専門学校のホームページを見る。
「へえ、学費も頑張れば貯められそう」
「学費が何だって?」
はっとしてスマートフォンを隠す。背後にはKが立っていた。
「何調べているんだよう。今日は唐揚げだよー」
持っていたレジ袋を冷蔵庫の前において、手を洗いにいった。うがいの音が聞こえてくる。
カムパネルラは心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
(み、見られてはいないけど聞かれちゃった……)
どうやってごまかそうか考えていた。ウニ君のことと美術学校のことはまだ知られたくなかった。
「な、なーんか、学費っていくらかかったのかなって思ってさ」
洗面所から出てきたKにぎこちなく取り繕った笑みで話すカムパネルラ。ふうん、とさほど気にしていない様子でKは調理に取り掛かる。
「そんなこと気にしなくていいよ―。まあ、これから学校に行きたいのなら別だけど」
ぎくっとなる。妙に鋭いのだ、Kは。
「……いかないよう」
なんとなく居心地が悪くてハムちゃん様のケージの前に座る。ハムちゃん様はさっきあげたひまわりの種を一心不乱に頬袋にため込んでいるところだった。Kが料理をしている間、手伝わないでごろごろしているのが常だった。今日は、手伝いをしてみようと思う。
「唐揚げ作るぴょん」
「お、どういう風の吹き回し? まずは手を洗ってきて、そこにあるエプロンしてね」
Kは手慣れたように指示を出してくれる。その場を仕切る人然としている。カムパネルラはのそのそと手を洗って、ピンク色のエプロンを着けた。
Kは薄力粉や卵を準備しているところだった。
鶏肉に卵や衣をつけて、揚げる。単純な料理だが、カムパネルラにとっては魔法のように思えた。
「からあげってすごいねい」
「そう? よく作っているでしょ」
Kは何を今さら、というふうに揚げ物を続ける。
母のいなかったゆかりにとって料理の風景は心がくすぐったくなるような、嬉しいものだ。
(おかあさんみたい……ちがうけどね……)
「なにぼーっとしてんの、衣、つけて!」
ひい、と言って作業に戻る。怖いところも、お母さんみたいだ。
「で? 学校に行きたいの?」
その日の食事時、Kはカムパネルラに訊ねた。
「んんんん!? なんで?」
動揺したカムパネルラは箸を落とす。
「学費って言ってたじゃん」
Kは何事もなかったかのように食べ続ける。
「うううう、ウニ君がさ……」
カムパネルラは話し始めた。Kちゃんに隠し事はできない。
「ふうん、美術の専門学校ね」
Kは考え事しながら唐揚げを箸で突き刺す。行儀が悪い、とカムパネルラは思う。
「いいんじゃないの、行ったら」
「えっ」
Kは首をかしげてえ? とカムパネルラを見ている。
「学費、安いんでしょ。少しなら出すし」
「そんな……でも」
「でもなに」
カムパネルラは箸を拾って言う。
「絵、下手になってるかも」
「そんなことない!」
Kはすごい勢いで反対した。
「そんなことないよ。あたしを描いてみてよ」
Kの剣幕に押されたカムパネルラは、食後、Kのクロッキーをすることになった。
「Kちゃんはなで肩にょろ」
「うるさい」
すごい速さで鉛筆を動かすカムパネルラ。それを見守るK。ああ、この子は。こんなに絵を描くことが好きなのに。こんなに、才能に溢れているのに。こんなに、素直でいい子なのに。
それなのに、才能を閉じ込めていたんだ。
閉じ込めていたのは、私?
嫌な考えが頭を過ぎって、Kはかぶりを振った。
「できたっぴ」
「見せい」
そのスケッチは、柔らかいタッチで、でもしっかり芯をとらえていて、一目で上手いとわかる絵だった。
「あたしって、こんな感じ?」
「うん」
「ふうん」
カムパネルラは、Kの様子を見て、首をかしげる。
「これ、もらっていい?」
こんなにあたしって優しそうに見えてるんだ。
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