第39話 騎馬と牛の移動に圧倒される

 エリザベートは他の観客と同じように、騎馬隊の迫力に圧倒されて言葉を失った。ヴァンも同様である。

 城壁の歩廊から見下ろす者達は安全な位置にいる余裕からか、大声を出したり指笛を吹いたりしてはやし立てている。しかし、エリザベートもヴァンも、目の前の光景に唖然とした。

 騎馬が眼前を通り過ぎる瞬間、エリザベートは馬と目があった気がした。それは単に馬の目が顔の横についているからそう感じただけに過ぎない。

 城壁が霞むほどの砂埃が巻き上がった。蹄の音はあっと言う間に離れていき、一団は『ガルデットの門』へと消えた。

 エリザベートは呆然としつつ、砂の入った目をしばたたかせる。


「迫力、凄っ……。息をするの忘れてた」


「ボクもです。踏みつぶされちゃうかと思いました」


「ねー。牛さんの方が体ががっしりしているし力がありそうなのに、お馬さんがしっかり押さえつけてたの、驚いた……」


 エリザベートが呆けたような声を出すと、ヴァンは水を浴びて目覚めたかのように、瞼をしっかり開ける。


「いえ。牛より馬の方が力が強いです」


「そうなの? 牛の方が筋骨隆々じゃない?」


「いいえ。そんなことないです。馬は脚が長くて細い印象を受けますが、牛よりも体格がいいですし、脚は筋肉の塊です。鋤を曳かせるときの労働力は比べものになりません。牛に鋤を曳かせて畝を一つ耕す間に、馬なら二つは耕します」


 農耕は得意分野なので、ヴァンの声は大きく早くなった。少しずつ素の姿を見せてくれるようになったみたいで、エリザベートはそれが嬉しくて、続きを促す。


「ねえ。じゃあ、どうして、みんな牛に鋤を曳かせているの? 馬が畑仕事をしているの全然見た記憶がないんだけど」


「馬は数が少ないんです。それに、力では劣る牛でも、馬に負けないことがいくつもあります」


「なになに。牛さんの凄いところ、教えて」


 ヴァンの言葉に、さらに熱がこもっていく。


「牛は首が短くて低い位置にあるから、二頭並べて頭に頸木を乗せて角を革紐で縛ることができます。ロバやラバみたいな、小さな馬と頭を繋げることもできます。馬と違って牛は他の動物と一緒にお仕事ができるんです。二頭で鋤を曳くと固い地面でも簡単に耕すことができます。それに、牛は頭が胴体の前にあります。人間が水瓶を運ぶときに頭の上に載せるのと同じで、牛は荷馬車を頭と肩で引っ張ります。首が長くて上に伸びている馬には真似できません」


「ほええ。なるほど。チーズのための牛乳を出す以外にも、そんな凄いところがあったんだ」


 新たな一団がやってくる。二度目のことなので、今度は地上で見学する者達も大声をあげて指笛を鳴らす余裕ができたようだ。悲鳴をあげる女達を残して、男達が半歩前に出て「アレ! アレ!(行け! 行け!)」と叫ぶ。

 エリザベートも前に出ようとするが、ヴァンが腕を掴んで後ろに引っ張ってくる。


「前に出ると危ないですよ」


「大丈夫だって。ほら。来た。来た。アレ! アレ!」


 二度目の一団がすぎると、いったい誰の物か、道に大きな糞が残されていて、それを見た誰かが笑い声を上げると、笑いの波は一瞬で周囲に広がった。

 三度目の一団が来ると観客達は慣れてしまったのか、牛飼い達の馬を操る技術を全面的に信頼したのか、ふざける者が現れだす。若い男が人垣から飛びだし、目の前を通り過ぎようとする牛の尻を叩いた。度胸試しだろう。

 牛は気にせずに走り去った。

 男は人垣に戻ると仲間に囲まれて称賛を浴びながら、意中の相手らしき少女に視線を向けた。

 四度目の一団が来ると、今度は数人の男が牛を触るようになった。騎馬隊の前に出て馬に触る者も現れる。

 いつの間にか、血の気が多い若者による異性へのアピールと度胸試しの場となり、大人達は若者をはやし立てる。観客の熱は上がる一方だ。


「ヴァンは真似しちゃ駄目よ。怪我しちゃうから」


「はい。……あの。エリザベートさん、前に行こうとしてませんか?」


「してないしてない。牛のお尻の弾力を確かめてみたいとか、思ってないから」


「駄目です。危ないです。髭を見るときの目をしてます。落ちついてください!」


「どういう意味よ……」


 幸か不幸か、五度目の集団が来るまで少し時間がかかったから、エリザベートは落ちついた。

 人々はいったい何があったのだろうと口にしながら待つ。騎馬がやってくると若者達は待ってましたとばかりに飛びだした。


「二週目ですね。最初の馬と同じです。牛飼いは何度も往復しているんだと思います」


「え。ヴァン。馬の顔の違いが分かるの?」


「分からないんですか?」


「じっくり見れば分かると思うけど、最初のお馬さんの顔なんて覚えてないよ……」


 ヴァンが指摘するように、牛は南側城壁外の囲いに追いやられていくが、牛飼いの騎馬隊は再び農場へ戻って往復している。

 六度目の集団が接近する。

 牛馬の鼻息が届きそうな距離まで迫ってくると、砂埃が夏の雲のように高く舞った。

 そして、騎馬隊が通り過ぎたあと、ずんぐりとした牡牛が一頭だけ立ち止まっていた。

 急停止できない騎馬隊は走り去っていく。


「わお。牛さん、取り残されちゃったね」


「さ、下がってください。興奮してます」


 牡牛は前のめりになって上向きの角を地面と水平にし、蹄で地を削る。

 近くにいた群衆が悲鳴をあげて散り始める。

 エリザベートはその場から動かなかった。逃げ惑う人々にぶつかる方が危険だし、動物から目を逸らすことも、背中を見せて走ることも良くない気がする。それに何より、直進するしかない牛なら、避けることは容易いと思った。だから、エリザベートは逃げない。

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