第38話 家畜の移動を見学しに行く

 隣人に招かれて豪勢な正餐を取った二人は、主にエリザベートが身体を動かす必要性にかられたため、聖ルイ広場まで遠回りして散歩をした。広場には大勢の人がいたが空いたスペースを見つけたので、並んで座る。


「ね。午前中はどんな感じだったの?」


「柵を作る砂浜にどうやって木の棒を立てるんだろうと思っていたら、先に大きな丸太を指しました。その丸太に開けた穴に、木の柵を立てました」


「男達は大がかりなことをしていたのね」


「はい。楽しかったです」


「そっかー。楽しかったかー」


「コンスタンス塔や周りの建物の下にも、たくさん丸太が指してあるそうです」


「そうなの?」


「はい。この辺りは土壌が緩いから、網目状に杭を打って地盤を固めたそうです」


「そんなこと何処で聞いてきたの?」


「レナールさんです」


 エリザベートは一瞬、戸惑った。アイガ・モルタスでの生活がヴァンより長く、彼女よりも交友関係が広いはずの自分が知らない名前をあげられたからだ。


「……誰それ?」


「城壁工事を監督していた人です」


「あ。あー。あのちょび髭紳士」


「城壁工事の人達が事前に、砂浜に杭を打っておいてくれたので、作業が早く終わりました」


「なるほどねえ……」


 二人が雑談しながらしばらくすると、力強い鐘の音が真上から連続して降ってきた。


「家畜を移動させるようね。見学しに行きましょ」


「はい」


 都市の南に新設した檻に家畜を移動させる際には鐘を鳴らすと、午前の作業が終わるときに現場監督から説明を聞いている。今鳴り響く鐘はそれだろう。二人は、同じ目的で動きだしたであろう周囲の人波に乗った。

 家畜の移動は二箇所で行われる。

 牛は北側城壁の西側にある『ガルデットの門』から入り南側城壁の『水車の門』から出ていく。

 羊や豚は北側城壁の東側にある『聖アントワーヌの門』から入り南側城壁の『海の門』から出ていく。

 その他の動物に関しては平時と同じ扱いだ。馬は都市内の厩舎に、番犬は飼い主の家に、狩猟犬は犬舎にしまわれる。

 今回の移動対象は、城壁の外に暮らす近隣農家の家畜だ。彼らの作る牛乳やチーズといった乳製品や、豚肉の燻製や塩漬けは都市にとって欠かせない食糧だから、城塞都市全体で護る。

 エリザベートはヴァンとともに『ガルデットの門』へ向かう。路地の両端には隙間がないほど、人が集まっている。


「こんなにも大勢の人がいるんですね……」


「ねー。でも、羊さんや豚さんの見学に行った人もいるだろうし、これ都市の半分もいないよ。ここじゃよく見えないし狭いし、外に行こっか」


「はい」


 人混みを避けて二人はいったん引き返し『ガルデットの門』の一つ東に位置する『塩の塔』から城壁外に出た。

 堀に沿った道に並ぶ者達は見学人で、畑へと続く小道の前に設置された木柵の背後に立つ男達は、家畜が逃げないようにするための手伝いだろう。

 エリザベートとヴァンは人垣の薄いところに立った。初めは単なる見学気分だったが、今や家畜達を逃がさないようにするための、柵の一部だ。

 東の方が騒がしいから見てみれば、豚の一群が『聖アントワーヌの門』へ入っていくのが見える。毎朝アズが連れていく数とは比較にならないほど多い。豚は密集しており、群れが門を潜る様子はまるで一匹の巨大なムカデが巣穴に帰るかのようであった。

 遠矢一つの距離が離れているのに、豚の息づかいと足音が砂埃に乗ってエリザベート達のもとまで飛んできて頬をくすぐる。


「凄いです。こんなにも豚がいるなんて信じられないです……」


「ねー。世界には人間より豚の方が多いよ、きっと」


 東からやってくる豚は、時折人々の誘導を無視して『聖アントワーヌの門』へ入らずに直進してくる。それを、道に集まった見学人が体で遮って追い返す。彼らもまた、豚が傍にいる日常を送っているので、毛むくじゃらの四本脚の突進を恐れない。


「こっちまで来るかな」


「大丈夫です。豚が来ても、ボクが捕まえます」


「じゃあ、どっちが捕まえるか、勝負だ」


 エリザベートは、さあ、来るなら来なさいと身構えて待ったが彼女の下へ来るまでに、豚は人垣に阻まれて引き返していく。

 都市の外はちょっとしたお祭り騒ぎだ。男達は大声を出して豚を追い返し、女は甲高い悲鳴をあげる。可愛いお嬢さんと、彼女を助けた素敵な男が少しいい雰囲気になって、肩を寄せ合って豚追いを見学し始める。

 自分のところまで豚が来なくて退屈したエリザベートは、離れた位置の新しい恋人達を半目で見つめる。


「なーんで男って、こういうときは女にいいところを見せようとするんだろうね。仕事のことになると『女如きが口を挟むな』って横柄な態度なのに」


「分かりません……。でも、ボクも、もしものときはエリザベートさんを護っていいところを見せます」


「嬉しいけど、ヴァンが怪我しちゃうから逃げてね。私はツバメのように軽やかに、豚くらい避けちゃうから」


 周囲から笑い声が絶えない。家畜の大規模な移動という非日常は、狼や悪魔憑きの影に怯えていた市民にとって良い息抜きになっているようだ。

 やがて豚の移動が終わると、豚に比べると遥かに大人しい羊がゆっくり移動し『聖アントワーヌの門』が閉じられた。

 そして羊の移動で落ちつきつつあった空気を撥ねのけるように、東から騎馬が一騎、慌ただしく駆けてくる。


「すぐに牛が来るぞ。下がれ下がれ。道を空けろ!」


 騎馬はエリザベート達の前を通り過ぎ『ガルデットの門』を潜り姿を消した。


「いよいよ牛が来るって。楽しみね」


「楽しみなんですか?」


「ええ。牛は豚と違って、普段あまり近づいて見ないじゃない? だから楽し――」


 城壁の上から見学していた者達が、わあっと声をあげて、エリザベートの声はかき消された。彼女はヴァンに肩と頭を寄せる。


「来たのかな。……あ。牛さん、来た」


「え……? あれは馬、じゃないですか?」


「牛……でしょ?」


「人が乗っているから馬ですよ」


「人は牛にも乗るでしょ?」


「乗らないと思います……。ほら、馬です」


「ほんとだ……」


 接近するのはヴァンが言うとおり、七頭の白馬だ。カマルグ湿地帯に住む品種で、足腰が強い。いずれも人が乗っているが、様子がおかしい。

 エリザベート達がいる場所は、城壁沿いの堀と畑沿いの灌木に挟まれた幅二杖ほどの道だ。騎馬が三騎横に並ぶのも躊躇われるような道を、七騎が密集して駆けてくるのは不自然だ。向かって右端の騎馬は、外に膨らめば水堀に落ちてしまいかねない。

 中央の馬が先頭にいて、左右の馬は半馬身ほど後ろだが、前足の付け根が先頭の馬の脇腹に触れている。走る振動で馬の頭が先頭騎手の肘に当たるほどだ。同じようにさらに二頭が二列目の馬に密着して、七頭が一塊になっている。

 騎手達は馬を中央へ寄るように誘導しているようだ。隣の馬にぶつかるのも気にせず、長い脚が絡み合いそうなほど密集している。


「なんだろう。あれ。ヴァン、分かる? 何か問題発生中?」


「分かり、ません……。あっ! 馬の足下を見てください! 数が多いです!」


「んん?」


 エリザベートが目を細めて観察すると、砂埃の中に、やけに多い脚が見えた。彼女からは馬が七体しか見えていないが、その背後から何か別の生き物の足が見え隠れしている。


「分かりました。馬で挟みこんで、牛を誘導しているんです。牛は馬ほど賢くないので、あまり言うことを聞いてくれません。走りだすと好きなところに行ってしまいます。だから、馬で挟みこんで誘導しているんです」


「なるほど」


 一団が迫ってくると、ヴァンの推測が正しいと分かった。馬の体の陰に、時折牛の体が見える。カマルグ馬の強靱な足腰は牛飼いの体重を支えてもなお、牛を閉じこめるだけの余力を持っていた。

 騎馬の迫力に気をとられていて接近するまで気がつかなかったが、騎手はトネリコの枝から切りだした細長く真っ直ぐな刺股フィシユロウを持っている。騎手は馬と槍を巧みに操り、離れた農場から都市まで牛を連れてきたのだ。

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