1310年南フランス城塞都市の理髪外科医と悪魔憑き ~同業者からの嫌がらせになんか屈しない! 私は「理髪外科医」兼「公証人」でラテン語だって話せるんだから~
第37話 ミサに参加したあと、都市の行事に参加する
第37話 ミサに参加したあと、都市の行事に参加する
日曜日。水汲みをして食事を取ったあと、二人はミサに参加するために教会へ向かった。
アイガ・モルタスには教会が一箇所、礼拝堂が三箇所あり、エリザベートとヴァンは家から最も近くに位置するサブロン教会に訪れた。ゴシック様式で立てられた力強く荘厳な教会である。しかし、教会は参加者すべてを収容するほど広くはないため、隣の聖ルイ広場に人々は集まる。
広場の端に置かれた説教台に、白い
「アイガ・モルタスの敬虔なる教徒よ。都市は現在、狼という困難に苦しめられています。城壁の近くに現れることから、我々の街を襲うものは人狼ではないかと噂する声があります。悪魔を崇拝する者は満月の光を浴びると狼に変貌します。これが人狼です。人狼には剣やナイフが持つ鋼の魔力が通じないため、人を襲います。ですが、悪魔憑きは都市の中に入ることはできません。何故なら聖人達が我らを守護なさるからです。けして悪魔憑きを都市の中に招いてはなりません。許しを与えてしまえば、彼らはたちまち都市へ侵入して、鋭い爪と牙で人々を襲うでしょう」
司祭は両手の指先を重ね合わせてから左右に開き、視線をあげる。
「しかし、必要以上に恐れることはありません。古くから『一人では狼に勝てない』と言われていますが、これは翻せば、力を合わせれば狼に勝てるということです。たとえ人狼であったとしてもです。ですが、もし、狼を打ち倒したとしても、けしてその死体に手で触れてはなりません。もし触れてしまえば、その者も人狼に変貌してしまうでしょう。人狼の血には邪悪の魔力が秘められています。それこそが、異端教徒が人の魂は血に宿ると主張するゆえんであります。このような状況だからこそ、我々は隣人と手を取りあい協力しあわなければなりません。信仰と団結がアイガ・モルタスに平穏をもたらすでしょう。我々が神の愛と慈悲に護られていることを忘れてはなりません。さあ、祈りましょう」
狼の恐怖は人々に浸透しているらしく、誰もが普段以上に熱心に祈りを捧げた。
エリザベートは胸の前で手を組み、説教台の上に立つ司祭様が手にする聖書に平穏を願った。ヴァンも彼女の仕草を真似して熱心に祈っている……ように見える。
(司祭様の言葉は素敵だけど、城塞都市の新参者である私達にとっては毒になるかもしれない。特に、来たばかりのヴァン……。狼と同じタイミングで現れたこの子が悪魔憑きだと疑われてもおかしくない。隣人と手を取りあうというのは、逆に考えれば、手を取りあう隣人がいない者が悪魔憑きと見做されてもしょうがないということ……。まずい状況よね。ヴァンが悪魔憑きだと疑われないようにするためには、街の人と仲良くする必要がある。けど、もしヴァンが悪魔憑きの手先だったら……。街の一員として認められたら、悪魔憑きを都市内に呼びこむ条件を満たす)
考え事をしているうちに司祭が「イテ・ミサ・エステ(ミサの解散を告げるラテン語)」を告げた。
すると、司祭と入れ替わり、上等な平服を纏った男が説教台に立つ。テンの毛皮で編まれた帽子、羊毛を編んだ長靴下と、上着を閉じる革紐に提げられた金の鎖を見れば、男が高い身分にある者だと分かる。
男は手にしていた鐘を連続で打ち鳴らし、人々の意識を集める。
「みな、聞いてくれ。私は参事会役員の者だ。今日は南の浜辺に木で柵を作り、近隣の農家で飼育している家畜を、そこへ避難させることとなった。防御塔から矢の届く範囲に家畜を集めれば、狼も襲えないというわけだ。手の開いている男には柵の作成を、女には葦の借り入れや輸送を手伝ってもらいたい。みなが協力してくれれば昼には終わるだろう。参加する者には、白い麦で作られたパンが振る舞われる。さあ『水車の塔』の前に集まってくれ。手ぶらでも構わないが、農具を持っている者は持参してくれ」
誰もが『水車の塔』がある南へ向かって歩きだす。司祭の言葉にあったように、今は団結の時だ。背を向ける者はいない。
「ヴァン。私達も行こっか。白い麦で作られたパンって言ってたでしょ。大麦もエン麦もカラス麦も含まない、最高に美味しいヤツだよ」
「はい」
二人は行列に加わり進む。
「ごめんね。男の方は作業が大変だけど」
「大丈夫です。頑張ります」
「……これはさ、私の都合だから、どうしても無理だったら正直に言っちゃっていいからね?」
「親方。お忘れですか。ボクは農作業が得意です。村にいたときに何度か柵を作り直したこともあります。十本の指に誓って大丈夫です」
ヴァンが掌をエリザベートに向け指を広げると、自慢げに微笑む。よく日焼けし、節くれだった指だ。
「リュシアン様が働き者だと褒めてくれた手です」
「ん。そうだったね。じゃ、お互い頑張りましょ」
「はい」
しばらく歩いているとエリザベートはギュスターヴやジュールの他に、近所の男達が集まっているのを見かけた。エリザベートはヴァンの背中を彼らの方へ押しだした。そこから二人はそれぞれの作業場へ向かった。
エリザベートは都市と葦原を何度も往復して葦を運んだ。作業は午前中には終わらなかったが、空腹で音を上げるほど長引きはしなかった。
報酬の白パンを貰うと家に帰った。男の方が先に仕事を終えていたようだが、ヴァンの姿はない。鍵はエリザベートが持つ一本なので、ヴァンは家に入れないから何処かに行ってしまったらしい。
共用通路から中庭に入ったかもしれないと推測したエリザベートは、庭側の部屋に行き、蝶番を縛る革紐を解いて扉を開ける。
前日に漁師から貰った魚の残りが天日干しされて生臭くなった中庭の中央で、ヴァンが両腕を頭の上に伸ばして、子豚から白パンを守っていた。
ヴァンのお腹が大きな音を鳴らす。それが恥ずかしいのか、ヴァンは大きな声を出す。
「おっ、おかえりなさい」
「ただいま。地面に花壇があるから気をつけて」
「き、気をつけます」
エリザベートは地面に(par terre)と、花壇(parterre)の語呂合わせをしたのだが、ヴァンには通じなかった。
「むう……。これから言葉を教えていきたいけど、伝わらなかった言葉遊びを自ら解説するのはちょっと恥ずかしい……」
「なんのことでしょうか」
「なんでもない。それよりも、先に食べてたらいいのに」
「い、いえ。一緒に食べようかと思って……」
「そ。じゃ、入って。先ずは白パンをそのまま食べて堪能してから、チーズやベーコンの出番が必要か相談しましょう」
エリザベートが貰った方は半地下の貯蔵庫にしまい、ヴァンが貰った方を半分に切って二人で分けて食べた。
二人が「美味しい」とはしゃぎながら食べていると隣家から「蜂蜜を塗って軽く焼いてやる。来い」と呼ばれた。
行ってみればパンを焼いてもらえただけでなく、焼いたスズキに、塩漬けニシンとキャベツを煮込んだスープまで振る舞われた。エリザベートはつい、地中海式ダイエットを忘れてしまった。
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