第29話 地中海式ダイエット

 エリザベートはパンのついでにソーセージを買った。ソーセージが安価で手に入るのは豚を解体する冬だ。他の季節では、成長しきっていない子豚を解体することになるため高価になる。

 一本しかソーセージを買わなかったので、ヴァンは当然それがエリザベートの分であると思っていたのだろう。だから、家に戻り腰掛けに座り――。


「ん、どうぞ」


 とエリザベートがソーセージを差しだしたら、ヴァンは目を白黒させる。


「どうぞ、とは?」


「え? よい食欲をボナペティ、って言った方がいい?」


「いえ、そうではなくて」


 脚に板を乗せた組み立て式のテーブルに、二人は鼻を向けあって座る。テーブル上には、お隣から貰った、キャベツとタマネギにローズマリーとディルを加えて茹でたスープと、買ってきたばかりのパンが二人分置かれ、ヴァンのパンにソーセージが乗っている。


「あ。食べる前の祝福はパンだけよ? ソーセージは祝福しないから」


「……ボクは食べられません」


「えー。不浄の物を食べる豚を食べると、人間も不浄の存在になるって言っちゃう~? 異端~?」


「い、いえ、そうではなく。貴重なものをボクが食べるわけにはいきません。親方が食べてください」


「休憩中はエリザベートって呼んでいいよ。ほらほら、遠慮要らないよ。えっとね、あとでちゃんと契約書を書いてあげるけど、親方は徒弟を家族同様に扱うって誓う必要があるの。だから美味しい物を食べる権利があります。ね。本当に遠慮は要らないから。ソーセージはヴァンのために買ったんだし」


「で、でも。エリザベートさんが食べないならボクが食べるわけには……」


「いやあ……。さっきヴァンの手を引っ張ったとき、あまりにも軽くて驚いたから食べてもらいたいのよ。それにね」


 エリザベートは立ちあがり、テーブルから一歩離れる。

 両手で服の上からお腹を押さえると、左右に手を回して腰の輪郭を際立たせる。


「このプロポーションを維持するために頑張ってるの。分かる?」


「え?」


 地中海式ダイエットは紀元前からある概念だが、ヴァンは理解できないだろう。痩せたがる女性の心理も、太れるほどの食物が市場に並ぶほどの豊かな生活も、知らずに生きてきたはずだ。

 エリザベートは人差し指を立てて、年上ぶる。


「私は美人です」


「はい。エリザベートさんは美人です」


「ありがたいことに、このスープのように、うちはお隣さんから頻繁にお裾分けを貰います。いっぱい食べます。するとふくよかになります。君、これがどういう意味か分かります?」


「少し……」


「健康な美人でい続けるためには、月に二、三回しかソーセージを食べたら駄目なの。そんで、ヴァンは可愛い系だから食べていいの。というか、今、ガリガリなんだから遠慮せずに食べて、冬までに丸くなってよ。寒くなったら抱いて寝るんだから」


「わ、分かりました……」


 ヴァンがソーセージに口をつけたので、エリザベートは安心して食事をとった。ヴァンに比べると食事量の少ないエリザベートが木のスプーンを置くのは早い。


「この辺りってローマ帝国時代の文化が色濃く残っていて、地中海式ダイエットもその一つなの。だから、痩せている女の人が多いでしょ。スレンダー美人の私には過ごしやすい。これが、北に行くとふくよかな人が増えるの。私みたいな痩せっぽっちは哀れまれちゃうの。北の街の人は、ふくふく、ふくよか」


 ここでエリザベートは、いくら冗談とはいえ万が一にも壁越しに隣人に聞かれないよう声を落とす。


「暴食は罪のはずなのに、どうして世の中にはふくよかな人がいるんだろうね。ご婦人の体型についてふくよかと言うのは許されるけど、教会の人に対して同じことを言うと、異端にされて火刑台に送られちゃうから気をつけるんだぞ」


「は、はい」


 富を蓄え豊かな生活を送る教会を批判して処刑される者はあとを絶たない。教会に疑問を抱くことさえ許されない。政治的な思惑が絡めば、村や町ごと焼き払われることもある。

 アイガ・モルタスはアヴィニョン教皇庁から徒歩一日の膝元に位置するため、迂闊な言動が命取りになることもある。もっとも、教会勢力の台頭を快く思わないフランス国王から派遣された城代が治める都市内では、異端を刈る颶風も穏やかだ。


「食べ終わったら一休みして、今度こそ水瓶を買いに行きましょう」


「はい」


 エリザベートは皿を洗おうとし、すぐに水瓶がないから洗えないことに気づいた。

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