第20話 夜警をする理由と、狼の遠吠え

(えっと。さっきマリウスが夜警をする理由を尋ねて、その答えが織物職人組合の夜警? なんのこっちゃ。ほら、マリウス。ロシュに聞きなさいよ)


 エリザベートはマリウスの後頭部に念を送る。


「ロシュさん。どういうことですか? 狼がいないって分かっているのに夜警をすることと、織物職人組合になんの関係があるって言うんですか?」


「なんだ。ルネさんの下で修行していて気づかないのか?」


 ロシュは呆れたように大きくため息を漏らす。


「ルネさんは参事会役員になりたいんだよ」


「どういうことですか?」


「アイガ・モルタスの参事会役員は誰だ?」


「え?」


 四人は南西の角『ブルゴーニュ塔』の前を右に曲がり、北へ進む。


「聞き方を変えよう。この壁で囲まれた都市で、代官と司祭を除いて他に発言権の強いのは誰だ?」


「織物職人組合の長、肉屋組合の長、小麦卸商の長……ですか?」


 マリウスがあげたのは、生活に密着した商品を取り扱っていて、多額の税金を納めている者達だ。彼らは参事会役員として都市内の政治を司っている。


「そうだ。他には?」


「他……」


 マリウスが返事に窮するから、エリザベートは口を挟む。


「貿易港の管理人、漁業組合の長、銀行家、製塩業者でしょ」


「そうだ。今の参事会役員は、その組合の長七人だ。つまり、ルネさんは八人目になって発言権を強くしたいんだよ」


「それと夜警になんの関係が?」


「マリウス。まだ分からないの? 私は分かったわよ。要するに理髪職人組合も都市のために頑張ってますよーというアピール。都市への貢献が認められたら参事会役員の椅子が一個、理髪職人組合に貰えるかもって期待しているのね。動かしているお金の規模が違うから、無理だと思うけどなー」


 都市内に三件ある理髪店のうち一件が同業者から嫌がらせを受けていて客が集まらない状況だしね、とは心の中で呟いた。「高度な外科医療ができる私にもっと客を取らせて納税額を上げていけば、理髪職人組合の都市内での発言権だって大きくなると思うんだけどな」と胸の内に秘める。


「無理かどうかは置いておいて、概ねはエリザベート嬢の言うとおりだ。マリウス。親方になるにはこういったところにも考えを巡らせないといけないぞ。エリザベートは女のくせに頭の回転は速い。見習え」


「はい……」


「はあ……。最後の一言がなければロシュさんは比較的いい人なんだけどなあ。ギュイさんに何かあったら、次の親方になれるよう私が推薦してあげるのに」


「女などに推してもらわなくとも、ギュイさんのあとを継ぐのは俺だ。それにギュイさんは立派な方だ。長生きしてもらわなければ困る」


「マリウス。聞いた? ロシュさんは立派よね。女の力なんて借りなくても親方になるって」


 それはつまり、私のお店を乗っ取って親方になろうとしても無駄よという皮肉だ。それは通じたらしく「ちっ」と舌打ちが聞こえた。


「俺だってロシュさんだけでなく、ルネさんやギュイさんにだって負けない腕を持っている……!」


 年長者に対する若者の挑戦的な発言を聞いたエリザベートは、二人の仲が険悪にならないように、親方として自分が仲裁して悪役になることにする。


「マリウス。腕前で親方達に負けないのはけっこうだけど、勝ってもいけないのよ。いい? 同職組合は同じ金額で同じサービスを提供することに意義があるの。三店舗とも四ドゥニエで髪を切って一ドゥニエで髭を剃るの。何処に行ってもパンが同じ値段なのと一緒」


「っ……。それよりも、狼を探して捕まえるぞ」


「はあ。話が戻ってるわよ。狼なんているわけないじゃ――」


 とは言うものの「噂をすれば尾」いやこの場合は「噂をすれば鳴き声」であった。

 前方、都市の北から狼の遠吠えが降ってくる。まるで、星のカーテンに跳ね返って落ちてきたかのようだ。四人とも視線を北の空へ向けた。


「聞こえたな」


「はい」


 男二人が歩調を速めるから、エリザベートはヴァンの手を握る力を強くし、見つめあい、男達を追う。男達は北側の城壁に辿り着くと城壁の階段を上り始める。城壁の内側は至る所に歩廊へ上がるための階段があり、平時であれば市民も立ち入りが可能だ。

 階段の幅は半杖。一人ずつしか上り下りができない。壁に手摺りはなく、都市側には落下を妨げる物はない。ロシュとマリウスが手燭で足下を照らしながら慎重に階段を上っていく。

 エリザベートは手を離したが、どうしたわけか、ヴァンは階段を上っていかない。


「ん。どした。怖い?」


「あの。どうぞ」


 ヴァンは手燭をエリザベートに渡そうと手を伸ばしてくる。


「ボク、夜目は利くので」


「あ。奇遇ね。私も夜目は利くの。今日くらい月と星が明るかったら、蝋燭が要らないくらい。だから、それはヴァンが使って」


「は、はい」


 ヴァンは言葉どおり夜目が利くらしく、危なげなく階段を上っていく。彼女は途中で立ち止まり振り返ろうとする。エリザベートの足下を照らそうとしたのだろう。


「いいから、いいから。ほら。狭いところで振り返るとヴァンが危ないでしょ。行って行って」


「はい」


 エリザベートはヴァンのお尻を押して、彼女の後ろから歩廊へ上がった。

 歩廊ではロシュとマリウスが胸壁に上半身を乗りだし、手燭で城壁外を照らそうとしていた。しかし、小さな灯火二つでは到底晴らせないほど深く広い闇が眼前に広がっている。


「見えない、な……」


「ええ。何も……」


 ロシュとマリウスが手燭を動かすが、灯りは胸壁の辺りを照らすのみで、地面すら判然としない。

 エリザベートは都市の北に広がる麦畑とオリーブ畑と葡萄畑の境目くらいは薄らと分かるが、狼の姿は目に入らない。


「心配は要らないでしょ。狼がこの壁を登れるわけがないんだし、川の向こうの森で迷子が仲間を探しているだけよ。ほら。いつまでも城壁の上にいると、ルー・ドラペに連れ去られて、川に沈められるわよ。まだ城壁を一周できていないんだし、早くしないと終鐘が鳴るわよ」


 という言葉に、彼女らのすぐ横に位置する『コンスタンス塔』の上から、「その女の言うとおりだ。城壁の外は我らが見ている故、心配は要らん」と声がした。夜番を担当する兵士だろう。

『コンスタンス塔』は屋上に小塔が建っており、その先端では火が焚かれていて灯台を兼ねている。アイガ・モルタスは港町なので、夜間でも火を絶やすことはなく見張り番の兵士がいる。

 エリザベートは階段を降り、夜警の再開を促す。ヴァンがすぐあとに続き、残る二名も城壁を降りた。

 四人は夜警を続ける。都市北部の大通りを東まで歩けば、一周だ。

 途中で、右手の路地から灯りが近づいてくるのが見えた。

 ロシュが挨拶のために体の向きを変え、硬直する。後ろの三人も同じ物を見て、固まった。

 蝋燭に照らされて、人の腕の長さもあるような分厚い刃物が鈍く輝く。

 それは二人組のようだ。刃物を手にする男の他に、鹿の脚のように大きな棍棒を持った男もいる。

 さすがのエリザベートも肝が冷えた。狼が城壁内に侵入するはずがないから、夜警なんて夜の散歩くらいに考えていた。武器を所持した不審者に遭遇するとはまったく予想もしない。思わず、ルー・ドラペに乗って安全な場所に逃げようかと思ったほどだ。


「おっ……! 脅かすな。その丸い体は肉屋のマルクだな」


「俺様が見上げなきゃならんほど縦に長いお前は理髪店のロシュだな」


「ああ。その物騒な物はなんだ」


「ひっひっひっ。狼が出たらこいつで倒してやろうと思ってな」


 マルクは肉斬り包丁の側面を手で叩いて鳴らした。どうやら人騒がせな肉屋組合の夜警と遭遇したらしい。


(肉屋なら動物を解体するための大きな刃物や、動物を殺すための鈍器を自衛のために持ち歩いていたとしてもおかしくはない……のかなあ。それにしてもびっくりしたあ。十字軍の生き残りが、月の光を浴びておかしくなったのかと思ったわ……。でも……。今後、都市内で惨殺死体でも出たら、真っ先にこいつらのこと疑お。怪しすぎるもん。それにしても……)


 ヴァンが一歩前に進みエリザベートを庇うような位置に移動している。

 それに……。

 マリウスは数歩、エリザベートの近くに下がっていた。


(んーっ。可愛いヴァン。そんで、マリウスは何? 私が襲われている間に逃げようとしたのかしら。私が死ねば店が手に入るかもしれないし。肉屋のマルクとやらに金でも掴ませて雇った? ま、いくらなんでもそこまで悪人じゃないよね? 見たままを信じるなら私を護ろうとしたように見えなくもないけど……)


 夜の背中に答えは書いていなかった。

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