第18話 豚の帰還

 エリザベートとヴァンは買った葦を二階の寝室に運んだ。

 葦の形を整えてベッドにし終えた頃、表の通りからガランガランとハンドベルの音が聞こえてくる。他にも大勢の何かが路地を進んでくる音もする。


「あれ? もしかして豚ですか?」


「お。正解。多分、そう。よく分かったね」


「はい。ふーふーと言っているのは、大勢の豚の鼻息かなって」


「じゃ。私が預けている豚を受けとりに行きましょう」


「はい」


 二人は一階に下りて理髪店に移動し、エリザベートは通りに面した出入り口ドアを開ける。

 すると、窓からは見えなかったが豚の行列が家の前を通り過ぎているところだった。


「アズ、今日もありがとうね!」


「いえいえ、どういたしまして」


 エリザベートが声を掛けると、豚の一行を先導する髪の短い少年が振り返り、軽く頭を下げる。そして、行列の中から豚が一頭、エリザベートの家に入ってくる。ここが自宅だと分かっているようだ。

 つられてもう一頭、余所の子がご来店を試みるから、エリザベートは足でブロックし閉店を告げる。


「狼が出るそうだけど、大丈夫だった?」


「優秀な相棒がいるから大丈夫」


 アズがそう答えハンドベルと一度短く鳴らすと、群れの後方でアラン犬(ボルドー・マスティフの先祖とされる犬種)がワンと吠えた。明らかに這いつくばったエリザベートよりも体が大きく、アズが信頼を寄せているのも理解できる。狼くらい軽く撃退できそうだ。


「明日もよろしくね。おやすみなさい」


「おやすみなさい」


 挨拶を終えるとエリザベートはドアを閉めた。


「豚飼いのアズに一頭、預けてるの。解体するときに報酬としてモモ肉をあげて、うちは残りの肉を貰うの。お隣さんに持っていって燻製にしてもらうつもり。さ、中庭に連れてって」


「外に出すんですか?」


「そうよ」


 ヴァンが豚のお尻を押して中庭に誘導するのをエリザベートは一歩空けてついていく。さすがに農村育ちなだけあって、ヴァンは豚の扱いには慣れているようだ。

 豚を中庭に出すと、仲間の帰還を嗅ぎつけた子豚が駆け寄ってきた。


「基本的にこの子達は外ね」


「はい」


「ん? なんか変?」


「いえ……。ボクは小屋で豚や羊達と一緒に寝ていたので」


「アイガ・モルタスでも家畜を人と同じ部屋に入れているところはあると思うけど……」


 エリザベートは室内を見渡す。棚には重要な書類がたくさん保管してある。足下の床を一枚外せば半地下にワインや食糧が貯蔵してある。


「囓られたら困る物が多いから、うちは外ね」


「はい。中庭なら狼に襲われたり逃げたりする怖れがありません」


「じゃ。夕食にしましょ。お隣さんに行くよ。ヴァンのことをみんなに紹介するから」


「はい」


「おっと、その前に……」


 エリザベートは二階に上がり陽の沈む位置を確かめる。ヴァンにも、陽の昇る位置と沈む位置を覚えておくように指示する。


「これは何をしているんですか?」


「んー。理髪職人の徒弟には要らない知識だけど……。あ。例えば、種まきの季節が分かったら嬉しいでしょ? 太陽は少しずつ昇ったり沈んだりする位置が変わるの。ほら、あの塔の右から太陽が昇るときにタマネギを植えようとか、あっちの塔の左に太陽が沈むようになったら麦の収穫だとか、目安になるでしょ。私はここに来て三年だから大雑把にしか分からないけど、私に空の見方を教えてくれたお隣のジュールさんや、修道士さんは、今日は何月の何日だって精確に把握しているのよ」


「凄いです。ボクは今まで暖かくなったら種を蒔くように言われて、実ったら収穫するように言われていました。それだけでは駄目だったんですね……。こんなんじゃ、エリザベートさんとの赤ちゃんが作れません……」


「あ、あー……。赤ちゃんの件は保留で。機会を見て教えるね。私は作ったことないけど、医学校で学んだから知識だけはあるから……」


 それから二人は隣のティレル家に行き、エリザベートは集まった者達にヴァンを紹介した。

 そして、ヴァンが女であることを伝えた。中庭で体を洗えば見られることはあるだろうし、家は隣と壁を共有していて屋根は隙間の多い葦なので声は筒抜けになるから、近所の者に隠しとおせるはずがない。

 正直に伝えた上で、理髪職人組合の夜警に男が参加する必要があるという事情を説明し、しばらくはヴァンが男として振る舞うから協力してほしいと頼んだ。

 近所の者は快く了解してくれた。

 夕食は先日の予告どおりうなぎの牛乳煮で、口にした誰もが微妙な顔をする。

 しかし、ヴァンだけは満足そうに食べて「美味しいです」と笑顔を見せた。おかげで、隣家の主人からはすぐに気に入られることとなった。

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