第12話 城代リュシアンはエリザベートに、ヴァンかマリウスかどちらかと結婚しろと言う

 純朴な少年を温かい瞳で見つめたあと、リュシアンは冷淡な目つきでエリザベートを見下ろす。


「お前には結婚相手を探してくれる父親がいないのだから、代官の私が相手を決めるのは当然のことだろう」


「それは……。だからっていきなり結婚しろなんて、横暴な」


「お待ちください、リュシアン様! エリザベートと結婚するのは俺です!」


「あんたは黙っててよ……」


 静観するかに思えたマリウスが割って入ってきた。慢性的に新鮮な話題に餓えている市民が、新たな登場人物の出現に「おおっ」と期待の声をあげる。


「エリザベート。マリウスかヴァンか、どちらでも構わないから選べ」


「そんな……」


「エリー! 俺と結婚しろ! 理髪店は俺に任せろ!」


「マリウスは情熱的な男だ。彼の何処に不満がある? 職人としての腕はお前も知っているだろう。良縁ではないか」


 だって、こいつ、私の店を乗っ取るつもりなのよ。そんなヤツと結婚するなんて、嫌に決まってる! 私はアンリさんに、理髪店を繁盛させるって誓ったの!

 ――と叫べば「誓いを果たすために夫婦で手を取りあって店を経営しろ」と言われるのが目に見えている。


「お前との仲を取り持ってくれという陳情が毎日のように来て、いい加減、私の仕事の妨げになる。マリウスならば良き相手に見えるが、お前が言うには、この街に相応しい男がいないから結婚できないのだろう? ほら、知り合いの男が外からやってきたんだ。ちょうど良いではないか。選べ」


「う、ううっ……」


 エリザベートは顔を引き攣らせて口を開閉する。

 リュシアンは馬首を巡らせてヴァンを見下ろす。


「ヴァン。エリザベートは司祭も裸足で逃げ出すほど朝から晩まで喋り続けるようなうるさい女だし性格に難があるが、見た目に文句はないだろう」


「は、はい。湖に現れる精霊のように美しいです」


「まあね! それは事実! でも、うるさい女っていうところは嘘だからね? 仮に司祭様と同じくらい私の話が長かったとしても、それは、もう、司祭様と同じくらいありがたい説教をしているんだから聞く価値があることなのよ」


「アイガ・モルタスはまだ発展途中の街だ。何よりも重要なのは、人口を増やすことだ」


「は、はい」


「お前、単純な足し算くらいはできるな?」


 混乱の渦中にあるヴァンは三度「は、はい」と小声でどもり、餌をついばむ雉のように首を縦に振る。


「私が求める一足す一の答えは二ではない。三でも四でもない。最低でも五だ」


 つまり、結婚適齢期の若い男と女が一組いるのだから、最低でも三人の子を産めということだ。


「分かりました」


「ちょっと、ヴァン! なに了承しちゃってるの!」


「リュシアン様! 俺だったら、一足す一を十にしてみせます!」


「ちょっとやめてよ。……十ぅ?! 三人に一人が病死しても、十二人も産まないといけないじゃない!」


「ふむ。このコントを見る限り、私はマリウスとの結婚を勧めるが?」


「ちょっと、リュシアン。住民を増やすことより、減らさないことを考えたらどう? 貴方も狼がうろついていないか見に行ったらどうかしら!」


「言われなくとも、行く。いずれにせよヴァンには暮らす家がない。エリザベート。しばらくおいてやれ」


「うん。それはいいけど。うちで働いてもらうつもりだし」


「ヴァン。子供の作り方が分からなければ教会に行き司祭に聞け」


「わ、分かりました。けど、大丈夫です。知っています」


「わーお。そういうことと無縁そうな人畜無害な顔つきしているのに、知っているんだ」


「エリー。こいつではお前に恥をかかせる。俺に任せろ」


「あんたは黙ってて。いい男を気取るなら、少し気を遣って口を閉じてて。というか、エリーって呼んだら、二度と口を利かないって言ったよね?」


「ヴァンにはまだ聞くことがある。しばらくはエリザベートの家を離れるな」


 リュシアンは馬を走らせるとすぐに城門を潜り、都市の外へと姿を消した。


(どうしてこうなった……。店を護りたかっただけなのに……)


 エリザベートが頭巾を被り直し、将来について考えを張り巡らせていると、ヴァンが何か思いついたと言いたげに頷く。


「いきなりのことで、何がなんだか分からないけど……。春キャベツを植えるにはいい時期です。任せてください」


「……キャベツって言った? ごめん。考え事してて聞き逃したのかも。もうちょっと大きい声で、もう一度言って」


「春キャベツを植えるにはいい時期です。任せてください」


 ヴァンは領主から褒められたばかりの指を自慢げに掲げてくる。


「……私、オック語とオイル語とラテン語とアラビア語が分かるんだけど、春キャベツ? なんのことかよく理解できなかったんだけど……。なんでキャベツ? まさか……。キャベツの中から赤ちゃんが生まれるって思ってるの? それは、親が子供に『赤ちゃんってどうやってできるの』って聞かれたときに、具体的な行為を説明しないようにするための、でまかせよ」


「具体的に? ですから畑でキャベツを……」


「……え? 冗談で言ってるんじゃないの? もしかして、都市の住民を増やそうと思ったら、私の方から色々教えて誘惑しないといけないの?」


「大丈夫です。畑と鋤さえ借りられたら、必ず立派なキャベツを育ててみせます」


「……貴方に必要なのはベツセではなく、私をその気にさせるキスベーゼよ」


 これは、いきなり代官に結婚するよう言われたエリザベートが、彼女なりに現実を嘆きつつも折り合いをつけようとして口にした自虐混じりの軽口だが、ヴァンは近代的な都市民ブルジヨワの言い回しを正しくは理解できない。

 しばし静観していたマリウスが、ヴァンを押しのけるようにしてエリザベートの前に立つ。


「おい、もう喋ってもいいか」


「え。なにあんた。私が少し黙っててって言ったから、本当に少し黙ってたの? 君は普段からそういう素直さを見せなさいよ」


「エリー。お前はそいつと結婚する必要はないだろう。ヴァンが来た時点で、少なくとも都市の人口は一人増えた。一が二になったんだ。当面、リュシアン様も猶予をくれるだろう」


「あっ。マリウス、冴えてるぅ! 確かに私は人口を増やした。たまにはいいこと言うね! メルシー、ボークー!」


「お、おう。お前だって、普段からそうやって素直に――」


「そうだ。ヴァン、紹介しておくね。こいつはマリウス。基本的に嫌なやつだけど、同業者だからあまり邪険にもできないし、適度に距離を取って関わって」


「おい!」


「あっ、あの、マリウスさん。よろしくお願いいいたします」


 ヴァンが頭を下げた先でマリウスは「ちっ!」と舌打ちをする。


「そういうことで、夜警はヴァンが参加するから、なんの問題もないってルネさんに言っておいてね。じゃ!」


「あっ、おい!」


 まだ言いたいことのありそうなマリウスを放置し、エリザベートはヴァンの手を取って歩きだす。

 軽く噴きだすような音が聞こえたから視線を向けてみれば、様子を横目で見ていた門番が笑っていた。


(うあちゃ……。大きい声で喋りすぎた。全部、聞かれていたじゃない……。ああ、もう……)


 会話に意識が取られていて失念していたが、周囲にいた市民達もコントを堪能したらしく笑っていた。

 笑いの絶えない理髪店を経営したいのであって、私が路上で笑われたいわけじゃないのよ、とエリザベートは心の中で嘆いた。

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