第11話 城代リュシアンがヴァンの素性を改める

 エリザベートは少年の上半身を抱き寄せ、右の耳元に囁く。


「君、ここに知り合い、いる?」


「い、いません」


 エリザベートはいったん顔を離して、次は左の耳元に囁く。傍からは、親しい人への挨拶ビズ(頬の近くで唇を鳴らす)をしているように見えるだろう。


「よし。話を合わせなさい。パンのお礼をして」


「え? あ、はい」


「すべて、オック(はい)と応えてね」


 エリザベートは少年の上半身を離して声を大きくする。


「久しぶり。ヴァン。よく来てくれたね! 大きくなって、見違えたわ!」


「オ、オック」


「ありがとう。これから、トゥールーズ理髪外科医院の徒弟として、いっぱい働いてもらうから」


「オック」


「あら。マリウス。どうしたの?」


 エリザベートは、今気づきましたというふりをしてマリウスに体を向ける。


「おい。誰だ、それは」


「私の知り合いよ。ヴァンというの。言ったでしょ。夜警に参加する男に心当たりがあるって」


「な、に……。その場しのぎの嘘じゃなかったのか」


 そのとき、城門の周りに集まりつつあった野次馬達が左右に分かれて道を空けた。

 大通りの中央を三騎の騎馬が縦に並んでやってくる。先頭の馬のみ栗毛である。アイガ・モルタス近郊では、カマルグ湿地帯にカマルグ馬と呼ばれる白馬が生息しているため、この地域で馬といえば白馬だ。しかし、先頭の騎士はフランス王の臣下であり、パリで叙任された際に授けられた栗毛の馬に乗っている。彼の馬は白馬よりも一回り大きい。

 エリザベートは、先日とは別のお馬さんね、乗馬用じゃなくて軍馬かしらと思った。


「門の外が騒がしかったようだが、いったい何事だ」


 先頭の馬上から門番に声をかける偉丈夫は、アイガ・モルタスの代官と城代を兼ねるリュシアン・ド・マルティニー。彼は都市の最北西に位置する『コンスタンス塔』の見張り兵士から、騒動の報告を受け駆けつけたのだろう。平服を纏っているが、帯剣している。

 残る二騎は側近の騎士と、どちらかの従者だろう。ともに平服だが剣を腰に提げている。

 城代が来たのであれば、マリウスはもうエリザベートに詰め寄ることはできない。

 エリザベートも自分の出る幕ではないことを理解しているので、頭巾を外して一歩下がった。


「報告します」


 纏う空気が変わった門番は踵を揃えて背筋を伸ばすと、城代に事のあらましを説明する。

 少年が狼に襲われていたこと。その狼は剣を向けても怯まなかったこと。逃げていくときはまるで矢の届く範囲が分かっているかのように立ち止まり、こちらの様子を見てきたこと。

 最後に兵士は「私見ですが」と前置きしてから「あの狼は体が大きく、立ちあがれば人の大きさがあるように思えました」と述べた。


「――なるほど」


 リュシアンは上半身を捻り、側近に指示を出す。


「川に向かえ。市民が狼に襲われていないか見てこい。その後、近隣の農家に被害がないか確かめてこい。私もすぐに向かう」


「はっ」


 二騎の騎馬が城門を出ていく。

 リュシアンは手綱を引いて馬の向きを変えると、鋭い眼光で少年を見下ろす。


「貴様が、その逃げてきた男だな。俺はこの都市の城代と代官を兼務するリュシアン・ド・マルティニーだ。顔を上げてこちらを見ろ」


「は、はい」と応える少年の声は震えている。


「前髪を上げて額を見せろ」


「はい」


 リュシアンは蓄えた髭をしごきながら、一つ頷く。


「……ふむ。犯罪者の顔ではないようだ」


 彼は人相書きと少年を見比べたわけではない。彼が見聞きして記憶する犯罪者と、少年の顔つきを比較したのだ。精確な人相画を描ける者は限られているため、犯罪者の情報は言葉として伝わってくる。

 土地全体の人口が少なく、村間や都市間を移動する者も僅かなため、大凡の年齢と身体的特徴や服装などの情報があれば、犯罪者を特定することは可能だ。

 リュシアンはアイガ・モルタスの軍事を司る者として、少年の素性を改めた。そして、犯罪者の特徴と少年の顔立ちが一致しないことを踏まえた上で、あくまでも彼の第一印象として、少年の顔つきは犯罪者ではないと判断した。

 つまり、リュシアンは人相学により犯罪者か否かを区別したのだ。肉体は魂の器であるから必然的に魂と同じ形になる。犯罪者の魂を宿す肉体は犯罪者の顔になるはずだ。

 身もふたもないことを言えば、見た目の印象だけでレッテルを貼ったのである。

 仮にこの場で少年が、犯罪者の顔であると断じられたとしても、異を唱えていれば異端教徒と判断されたであろう。何故なら、異端教徒は魂を含む精神世界を神が創られ、肉体を含む物質世界は悪魔が創ったと考えているからだ。肉体が魂の形になると考えるのはカトリック教徒であり、肉体と魂の形は無関係だと考えるのは異端教徒である。よって、裁判権を持つ代官が、少年は犯罪者の魂を持つ顔つきだと断じれば、それが事実となる。

 土地を移動する権利のない北フランスの農奴と異なり、ラングドックの農民は移動の自由がある。それは、南は北よりも貧しく富の格差が少ないため、相対的に農民の地位が高いからだ。そのため、身分を理由にして少年が追い返されることはない。

 ただし、希望者であれば誰でも住民になれるアイガ・モルタスでも、犯罪者と異端教徒は例外だ。よって、リュシアンは次に少年が異端教徒であるか疑う。


「両腕を上げてその場で回って全身を見せろ」


「はい」


 少年は指示に従い、動物の皮を編んで作られた粗末な服を城代に見せる。


「よし。黄色十字はないようだな」


(それは大丈夫。私が彼に知り合いのフリをする前、ちゃんとチェックしておいたから。異端教徒の知り合いがいるなんて知られたら、私まで疑われちゃうもん)


 黄色十字は、異端審問で異端と判断された者が刑罰として服に付ける目印だ。異端の完徳者(異端の教義を忠実に護る指導者的存在)は処刑されるが、改宗してカトリック教徒となった者は、黄色十字を衣服に縫い付けられる。


「貴様は異端教徒か?」


「いいえ、違います」


「では、悪魔憑きか?」


「違います」


「柄に聖遺物が収められた我が聖剣と、神に誓えるか?」


 リュシアンは腰に提げた鞘を引き寄せ、赤い宝石が象眼された柄をヴァンに向けて見せつける。聖遺物とは聖人の遺骨や歯や、衣類の切れ端などだ。聖遺物には悪しき物を識別したり、病を治したりする効果があると信じられている。

 宝石が陽を反射して眩しかったからエリザベートは一歩下がって日陰の中に身を隠した。


(悪魔憑きじゃないよね? 私、マリウスに彼は私の知り合いって言っちゃったし。もし彼が悪魔憑きだったら、最悪の場合、私まで火刑台に吊されて火あぶり……)


 エリザベートはさりげなくマリウスの様子を窺う。マリウスに口を挟む様子はないようだ。

 少年がリュシアンを真っ直ぐ見上げて宣言する。


「はい。神と聖剣に誓って、私は悪魔憑きではありません」


「よし。我が聖剣は反応しなかった。貴様は悪魔憑きではない。ならば本題に入ろう。何故、狼に追われていた?」


「あーっ。それは私のせい! 店を手伝ってもらいたくて呼んでいたのよ。それで、来る途中で狼に襲われちゃったみたい。彼は、ヴァン。トゥールーズのヴァンよ」


 エリザベートは少年の横へ移動し、脇を小突く。


「ね? ヴァン。私のせいで怖い思いさせちゃったね。ごめんなさい」


「あ、い、いえ。大丈夫です」


 エリザベートは旧知の間柄であることを示すため、ヴァンの肩を抱き寄せた。

 リュシアンの彫り深い顔の真ん中で二つの瞳が一瞬、輝く。


「……なるほど。そういうことか。エリザベート。その者についてはお前に任せて良いんだな?」


「ええ。もちろん」


「そうか。ところで、お前の職はなんだ?」


「私は、畑仕事しかできません……」


「卑下するな。畑仕事ができる、と声を大きくしろ」


「……え?」


「手を見せろ。……ふむ。働き者の手だ。この辺りは小麦だけでなく葡萄やオリーブの栽培も盛んだ。エリザベートのところで働くのが嫌になっても、その手を見せればすぐに仕事は見つかるだろう。もし見つからなければ我の元へ来い。我が髭に誓って、仕事を与えよう」


「私のところで働くのが嫌になるって、どういう意味? うちの方が、リュシアンのところよりいい職場よ」


「それはそうとエリザベート。先日、マリウスとの結婚は嫌だと言ったな?」


「え、ええ」


「ならば、ヴァンと結婚しろ」


「はあ?! って、ヴァン、なんで泣いてるのよ! そんなに嫌?!」


「い、いえ、手を褒められたのが嬉しくて……」


(この子がいっぱい働いてきたことは一目瞭然。それなのに初めて褒められたみたいな反応。この子も、頑張りが認められずに辛い日々を送ってきたのかな……)


 エリザベートが共感の眼差しを向ける先で、ヴァンは日焼けして節くれだった指で涙を拭き続ける。


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