第196話 手の使い方

「お、お兄様……」


「深紅さんは幼い頃の自分や旭プロ関連の責任に負けて、座り込んでしまうんですか? 責任や失敗体験で挫折ざせつ、しゃがみ込むのは――再度飛躍さいどひやくするチャンスだったとは思わないんですか? 高く跳ぶ為には、深くしゃがむ必要があるでしょ?」


 俺は深紅さんと旭社長に治癒魔法をかける。

 旭社長は、娘を助けようと死力を尽くした。

 今も治癒魔法を掛けて尚、意識は朦朧もうろうとしているようだ。


 でも――。


「――深紅さん。貴方の手には、何がありますか? 指をギュッとすると、何が出来ますか?」


「……戦う為の武器、拳があります」


「そうでしょう? でも、その手は今、十全じゅうぜんに戦うだけの力が入らない状態です。それなら……手を開いて俺や仲間に伸ばせば、どうなります?」


 俺の言わんと為ている事が伝わったのか、深紅さんは自分の手を開き、見詰め――やがてうつむいてしまう。


「ウチは……怖いんです。ウチの存在意義は……アイデンティティは、強さです。そんなウチが助けてなんて、強さを諦める事を口にしたら……」


 そうして深紅さんは開いた手で――自分の身体を抱きしめるように掴む。


 その震えは、弱さを見せる事で失う事への恐怖から……だろうな。

 幼少期の頃に植え付けられた強烈な失敗体験――トラウマは、日ごとに心を蝕むと言う。


 それは大人になった今から考えれば、大したことの無い経験だったとしても、だ。

 幼少期に刻まれた傷は、実際の社会通念上のストレス以上に――大きな恐怖に成長する。

 幼い頃に付いた深い傷は、心が大きく成長するに伴い、一緒に大きく深く肥大していく。


 実際の経験以上の恐怖として、一種の強迫観念に近い行動を生み出すものだ。


 これは――これこそが、深紅さんの真の闘いだ。

 サイクロプスが真の難敵なのではない。


 気負いが過ぎ、自分が弱ければ全てを失うと恐れている。

 死地を共にする仲間ですらも、絶対的には信じきれない。


 見放されるのではと――本当に困った時、窮地きゅうちの時に助けてとすら口に出来ない。

 そんな深紅さんが乗り越えるべき――真の闘いだ。


「ウチはオーナーやお兄様のように強く、守る側になれなかったんです……。こんなウチは、要らないって捨てられる! そばに誰もいなくなって、中途半端な力を持つ化け物だとイジメられちゃう!――いや、それは怖い、死ぬより怖い! 折角出来せっかくできた仲間……美尊、涼風、オーナー、お兄様も離れて行っちゃう! いや、それはもう、いやなんだ……。だからウチは、死ぬまで助けを求めちゃ――」


「――いや、俺は離れて行きませんけど? 確かに俺や姉御は、長年の鍛錬で人間離にんげんばなれしてますが……。深紅さんは、別に弱くないですし?」


「お兄様は優しいから、そうやってこの場では混乱こんらんしたウチを無責任に慰めてくれる! でもその優しさに甘えたら、甘えちゃったら……。有用ゆうようでないと、またジワジワと失い奪われて行く! それは、そんな未来は嫌なんです! もう、あんななぶられる毎日を過ごしたくない!」


「う~ん……。『まなぶはたぐひ、しゅんまなぶはしゅんともがらなり。いつわりてもけんまなばんを、けんといふべし』。徒然草つれづれぐさの中に書かれていた言葉です。……俺も学校ではイジメられてましてね? 休み時間は図書館で借りた本ばっかり読んでたんですよ」


「お兄様がイジメられてたとか……あれ、マジなんですか?」


 大真面目な表情でそう問うてきている。

 まぁモンスターを吹き飛ばしまくってる俺ばっかり見てたら、イメージが湧かないよね。


「それがマジだとしたら……イジメてた人たちは怖い物知らずのモンスターか、やり返さなかったお兄様が真に強い人っすね。ウチは……逃げてイジメられない方法を求めちゃいました」


 それは――逃げとは言わない。

 解決に向け、正しい道を進んでいたんだと思う。


 ただ――その道を進む事になった経緯けいいから、深紅さんは追われ続けていたんだ。


 ずっと、ずっと……誰よりも強くないと、何もかもを失うと気負って。

 もう奪われる側――弱者にならないようにって。


 強くなければと言う荷を背負い、周りが見えないぐらい我武者羅がむしゃに走り、ずっと恐怖に追われ続けていたんだ。


徒然草つれづれぐさにあるこの言葉は、ですね? 形だけでも賢人けんじんに学ぼうという姿勢がある人も、また賢人である。これは賢人を武人ぶじんに置き換えても同じです。――つまり、強くなろうとする姿勢を持つ深紅さんは、強者だ。そんな意味を持つ言葉なんですよ」


「そんな……ウチが、強者の訳がないじゃないですか。所詮ウチは憧れてるだけで、何も成し遂げられなかった。何も護れずに、誰かを守る為に死ぬ事で楽になろうとした! そんな、みんなが去って行くまがものなんです!」


「俺はむしろ、人間らしく悩みながら成長しようとする深紅さんこそ――多くの人が寄ってくる本物だと思いますよ? チャンネル登録してみてくれる視聴者も、コンサートや握手会に来てくれるファンも、仲間だって――皆、そうなんじゃないですか? 最初から何もかも完全無欠な超人なんて、応援しがいもないでしょ?」


 深紅さんにとって1番手強いのは、サイクロプスなんかじゃない。

 きっと多くの人が心に抱えてる――自分の弱点によるトラウマ的体験による、恐怖だ。


 心を覆うその闇は、サイクロプスよりよっぽど大きくて、厄介なんだ。


「……深紅さんは戦闘や配信、ライブの時。或いは友人と訓練をしている時、何点の動きをする自分じゃないと認められないと思ってるんですか?」


「それは……100点。いや、120点です」


 ああ、これだ。

 ここに――求める理想の高さに、原因があるんだな。


「深紅さん。皆さんが深紅さんの働きに求めるのは――精々せいぜいが20点程度ですよ?」


「……え?」



―――――――――――

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