(七)

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 日々は比較的穏やかに過ぎていった。ナサカもまた戦士として男たちの訓練に参加するようになったが、父親に似て運動神経がよく、覚えの早い娘は、しだいに同年代の少年たちの間でも抜きん出た能力を発揮するようになっていった。フォロガングの与えた義肢は自然となじみ、意識しなければかりそめの存在であることさえ忘れてしまう。義肢は、生身の体が成長するのと同じように緩やかに伸びていった。

 誘拐されて二年が経過する頃には、大男だった父に勝るともおとらないほどに背が伸びた。そしてその頃、ナサカははじめて聖殿の外に出る機会を得た。

 隊商の護衛がその目的だった。曠野を駱駝の隊列とともに渡り、採掘地で岩塩板を積荷とし、さらに三日三晩をかけてエグジアブヘルの国境に向かう。その先にある市で取引をして、綿糸などの貴重品を入手する。エグジアブヘル内でのメロエ人の自由取引は禁止されているので、盗賊が潜む危険な通商路を進んでまで、ナパタ人の監視の及ばない土地に向かうという危険を侵す必要があった。

 もとより、聖殿が位置するのはエグジアブヘルの辺境である。青い火山の麓に聖女王とその親族、聖女王の下部組織である神官集団といった特権階級の住む一帯があり、近郊に戦士や呪術師、ナパタの女たちの居住地があり、さらに周縁には遊牧生活を営むメロエ人の一般層が暮らす。呪術によって、生活圏のすべては『目隠し』され、エグジアブヘルでも数すくない、メロエ人が侵略によって破壊されたはずの伝統的な社会を築く場所となっていた。岩塩は、そのすべての生活の糧だった。

 聖殿の位置する曠野は、日中、摂氏五十度を超える酷暑が続く。ひび割れた大地のあちこちに、ひからびた駱駝や山羊の死骸が転がり、蜃気楼は正常な判断を鈍らせる。隊列のしんがりについて歩くナサカもまた、慣れない暑さに辟易としていた。気候に順応しきれていないのか、体調も優れない。しかしはるか前方から聞こえた喉笛には、すばやく反応した。

 駱駝の列はくずれ、その背に山のように積んだ塩荷が地面に落ちている。それらを横目に先頭まで飛び出せば、周囲は混戦状態だった。くわしいことはわからないが、おおよその予想はつく。一行は国境にさしかかったところで、不当な通行税を要求する盗賊が出没する場所でもあったからだ。

 ナサカは足を止めることなく、目の前にいた盗賊の背に飛び乗った。背後から回した腕でその首を捉え、引き寄せる。霊界の物質でできた義肢は生身の手足と比較して重くより硬質だが、一方で衝撃による圧力に弱い。

 男の首の骨を折れば、義手にも細かな亀裂が走った。地面に降り立った娘は、ついで自身にふりかかろうとする鉈をその腕で跳ね飛ばした。義肢は亀裂の方向に添って無残に割れてしまう。割れることで衝撃が吸収されるので、ナサカの生身の部分に及ぶ影響は少なくなるという仕組みだった。

 折れた腕はせきじゆんのように鋭利な形にとがりった。ナサカは迷わずその切っ先で男の喉を突き破った。

 噴き上がる血を浴びながら、腕はたえず自己回復する。割れた断端部からは黒曜に似た物質が盛り上がり、増殖してゆく。十五回の死を経験したがために、ナサカは生への執心が人一倍強いのだとフォロガングは言った。呪詛は悪霊をこの世に縛りつけ、生への渇望が悪霊に義肢という形を取らせる。義肢は、ナサカを誰よりも強靱な存在に変えてしまっていた。

 男の胸倉を掴んで、背後にあった岩にその半身を打ち付ける。乾いた峡谷の道幅を、熱い血が流れていった。そのとき視界に映ったのは、盗賊の胸もとに垂れ下がったくたびれた革紐だ。

 それと同じものを、ナサカは身につけていたはずだ。拉致され、男たちに蹂躙された際に、捨てられてしまったが――。

 視線の先にあるものに気付いたのか、「お前、ナパタの女か」という低い囁きが、目の前の男から漏れ出た。

「なぜお前のような若い娘が、このような場所に。男どもと一緒に」

 ふさわしくないと言われた気がして、反射的に腕に力が入った。周囲はすでに静まり返っていて、目の前の男の苦しそうな呻き声だけが響き、それもやがて聞こえなくなる。背筋に複数の視線が突き刺さるのを感じながら、ナサカは唇を引き結び、かぶりを振る。背骨を鉛の芯に入れ替えられたように、両肩が強張った。

 ――どうして怒らない?

 もう随分と長い間聞こえていない声が、不意にナサカの頭によみがえった。

 ――何に怒っているというのか。

 ナサカはその声に問い返した。怒ることなど、何もないではないか……。

 胃の腑が熱くなり、握った拳が震えた。ナサカは一度大地を踏みつけた。

 つむじ風が巻き起こり、視界が砂埃によどむ。口に砂が入るのもかまわずに、乱れた息を整えようと熱気を吸い込んだ。

 黒い睫毛が埃の混じった汗を弾く。右腕から力を抜くと、足もとに死体がくずれ落ちていった。


 ■


 無事に塩の取引を終え、帰路についた。体調は思わしくないままだったが、普段通りを装い聖殿までたどりついた。

 結界の内側に入ると、見慣れた景色が視界に広がった。われながらよく脱走を考えなかったものだと思ったが、隊商を迎え出たフォロガングと対面すると、そのささくれた思考も消えてしまった。彼女を好いてはいないし、尊敬の念を抱いてもいないと断言できるから、不思議ではあったが。

 フォロガングはナサカを見るなり、「聞きましたよ、大活躍だったそうじゃないですか」とあっけらかんとした態度で言った。

 嫌味のひとつでも飛ばされるのかと構えていたので、賞賛の言葉に驚いた。

「私の腕をずいぶん手荒に扱いましたね。まじないをかけ直さなければ、形を保てなくなります」

 ナサカの腕を検分して、「ついて来なさい」とフォロガングは指示した。

 彼女に伴って、火山のふもとにある洞窟に戻る。すでに日が暮れたあとで、遠くの火山口が青々と燃えているのが見えた。

 フォロガングはナサカを岩の上に座らせ、形の崩れた右腕に触れた。

「私でない呪術師でもかけ直すことは可能ですが」

「それなら、どうして」

「よいのです。お前の面倒は私が見てやりましょう、今ばかりは」

 フォロガングの反応にナサカは無言で目をすがめた。不思議といえば、この娘の態度にもずっと違和感がある。フォロガングは、ナサカの規範からずれた部分を嫌悪しているように見える。しかし、ナサカのことを気にかけずにはいられない。

 白い指先が、右腕の薄れかけた刺青をなぞった。すると金色の線が明滅する。

 独特の音階によって紡がれる歌が、静寂のなかを響き渡ってゆく。

 しばらくして、フォロガングは歌を止めて手を離した。義肢はすっかりもとの輝きを取り戻していた。しかし彼女がなかなか顔を上げようとしないのを、ナサカは疑問に思う。

 彼女はナサカの足もとに目を向けていた。

 砂の上に、鮮血が滴り落ちている。

 しかし、ナサカはどこも怪我をしていなかった。

「うらやましい」

 小さな声でフォロガングが囁く。たった一言が、空虚に響いた。

 白い娘がゆっくりと立ち上がると、熱風が背後から吹き付けた。きつく編み込んだ白い髪を揺らした風は、周囲に硫黄の匂いを漂わせた。

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