02

 たしかに、愛馬ピンクパンプキン号さえ快調ならもうあと数分の道のりでしかない。ノーヘルも、彼女に関しては問題にはならないはずだ。

ウソのように調子を取り戻した愛馬を駆ってアタシは束の間のライディングを楽しんだ。


 びっしりと丘の上に貼り付いたせせこましい街並みを抜けて脇道に入ると、さらに少し高台になったとこに、錆びたフェンスに囲まれた荒れ放題の植木林が見える。

枯れた蔦に覆われたコンクリのゲートに貼られたプレートには「藤美台アルカディア」と書かれているのが辛うじて読める。

そこを抜けた細い坂の上の公団風のアパートがアタシの居城だ。

昔は同様の建物がずらりと並んだ団地だったのだが、幾たびもの切り売りと再開発に取り残され、今は四階建ての一棟が残るばかり。砂場、うんてい、ブランコ、鉄棒。朽ちた遊具の残った僅かな庭と建物は、高台と伸びきった木々のおかげで外部からはほとんど伺えない。

 たしかに建物は年季が入りすぎているが、場所は中心街に近く眺望もよし、閑静な環境で稀に見る一等地と言える。駅はまあ、ちょっと遠いけど。なぜそんなとこが再開発から取り残されているかというと、それにはそれ相応の理由があるのだ。

 ちなみに、今現在このアパートの住人はアタシただひとり。全十六戸の部屋を自由に使わせてもらっている。


 階段の下にピンクパンプキン号を停めると、アタシは101号室に彼女を招いた。どれも同じ造りなのでどこでもいいっちゃいいのだが、どこでもいいなら1号かなって。何十年も前の住人が遺していった応接セットのソファを彼女に勧めた。アタシはダイニングから椅子を引っ張ってきて彼女の向かいに座った。


「で、…まずはお名前から聞こうかな?」


 道中いくつかシミュレーションしたわりには凡庸な切り出し方。いや、こんなときは凡庸がいいでしょ。

「司さん、ご無理言って押しかけて本当に申し訳ないのですけれど、それだけ切迫した事情があるとお察しいただいて、何卒お願い致します。」

こっちの質問は完全無視。最初のジャブの応酬は完全に向こうがリードと言うことか。だがこれは想定内。

「じゃあその、お願いっていうのを聞かせてもらってもいいですか?」

「私、どうしても返さなきゃいけないんです。とても御恩を受けた方のものなので、どうしても、届けて、返さなければいけないんです…。」

ふーん。これはちょっと明るい材料かもしれない。

とりあえず怨恨怨嗟に凝り固まった類ではないようだ。でも、次の切り出し方はちょっと難しい。

「…アタシはどこに行ったらいいかな?」

「みつがいけの公園の東屋に…そこから…。」

大収穫だ。ちゃんと具体的な地名が出てきた。でもそろそろ限界かな。

わずかな会話で彼女は相当消耗したようだ。

「ごめん疲れたね。続きは明日にでもまた聞くとして…佐奈美さんでいいかな?名前。」

「佐奈美…私は佐奈美…。」

深く考えられても困る。

さっき道すがら見かけた看板から適当に拾った文字を組み合わせただけだ。

「ま、とりあえずってだけだから。あとは明日にしましょ。佐奈美さん、ここはしんどいでしょ?」

「ごめんなさい…。私、何かとても…ここは…」

「はいッ!」

掛け声とともにアタシが軽く手を叩くと、佐奈美さんはソファの上からかき消えた。

しんどいのは、アタシのほうもそれなりだった。


 たった今ご覧いただいた通り、アタシはこの世のモノならざる霊を見ることが出来る能力を、なぜか持ってる。これは家系的なもんみたいで、こどもの頃にジイちゃんが一度話してくれたような気もするがあんま覚えていない。

ただね、こんなにはっきりと実体化した浮遊霊に遭うことはめったにないのさ。

そして、それの相手をするのはこっちの体力もそれなりに削られる。

きっとそれだけ相手の思いが強いのだろうが、それにしては佐奈美さんがものすごく理性的だったのが救いか。

 普通の浮遊霊は、実体のような輪郭も言語化できる思考も持たない執念の塊でしかない。一方的な思いの残滓だけなのでこちらからの問いには答えないし、肝心な主語が抜けるなんてのも当たり前。

ここまで会話が成立するのはかなりのレアケースじゃないかな。

それでも、たったこれだけのことを伝えるために佐奈美さんはアタシの愛馬に細工をして待ち伏せしていたのだ。


 延々と愛馬を押してきた腕と腰が思い出したように悲鳴を上げる。

アタシは残っていた清涼飲料を飲み干すと、さっきまで佐奈美さんが座っていたソファに身体を投げ出した。


あー、どうすっかな。

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