第80話 潜行する悪意

「疲れたのか?」


 リアムが聞く。


 ノアやリアムと違い、実親の家に住んでいる婚約者候補のユリウス。

 それを不公平だと父親のインシディウス侯爵がねじ込んできたこともあるので、セシルはできるだけ、ユリウスと二人きりで接する時間を作らねばならなかった。


「共通の話題がないからどうしても話が途絶えちゃうのよ。だからと言って、話をする時間を作らないわけにはいかないし……」


 セシルは愚痴った。


「ふうん、でも俺たちでもセシルと共通の話題なんてあったか?」


 身もふたもないことをリアムは言う。


「毎日顔を合わせているとそれでも言葉は交わすからね。ユリウス殿との関係はそうはいかないからセシルも悩んでいるんだろう」


 ノアがセシルの心理を推測し解説する。


 和やかな空気が応接室に流れていた矢先、それを破る甲高い声が響く。


「セシル様、このようなところで何をなさっているのですか? ユリウス様へのおもてなしが終わられたら、お部屋にてお勉強のはずではなかったですか!」


 デローテが入ってきて、きつい口調でセシルに告げた。


「今戻るところだったのよ」


 セシルが渋々と言った風に立ち上がる。


「そのわりには腰を下ろして長居をしようとした様に見えますが?」


「今行くわよ、それでいいんでしょ」


 セシルもうんざりした口調で応酬し、部屋を出て入った。


 この二人のやり取りにリアムとノアは言葉が出ず、しばらくしてからノアが口を開いた。


「相変わらずきつい言い方をする人だね」


「セシルに対しては昔からですよ。僕に対してはそれほどでもなかったんですけど、婚約者候補になってから同じような感じになってきたかな」


「ああ、それでか。僕には最初からそんな感じだったけど、婚約者候補だからかな? でも、ユリウス殿に対しては柔らかい口調なんだよな。外部の人だからかな?」


「う~ん、それは……」


 リアムは口ごもりながら首をかしげる。


 わずか十三歳の少年では、大人の事情を含めたことはおぼろげに感づいていても、はっきり自覚するのは難しいかな。

 わざとかまをかけるような質問をしたノアは考えた。


 ノアはジェイドの記憶にも補われ、デローテの主人を主人と思わないような態度の理由を知っている。


 デローテは、息子のユリウスを使って公爵家乗っ取りを目論むインシディウス侯爵と愛人関係にあった。嫡女のセシルに対して自分が表に出ない形で他人を使い、あの手この手の嫌がらせを繰り返したり、セシルの評判を下げるような噂を広めていたりした。


「なんとか侯爵様に私がお役に立つことを見せつけなくては」


 デローテは焦っていた。


 アンジュに侍女長の地位を奪われてからは、そんなあからさまな嫌がらせは控えざるをえない。今できることと言えば、先ほどのようにユリウス以外の候補とセシルが親しくしているところを邪魔するくらいしかないのだ。



◇ ◇ ◇



「前回に比べると人員が変わったせいか、どうもマールベロー家で立ち回りがやりにくい」


 帰宅したユリウスは部屋に戻りひとりつぶやいた。


「マールベロー公爵が例の秘術に関わっていたことはわかる。ヤツめ、死ぬ前に僕に対抗しうる人間でセシルの周りを固めたんだな」


 ユリウスには前の時間軸の記憶があった。


 一人娘のセシルを陥れ、彼女の父から公爵位を譲り受けた後、彼も追い出し、これから自分が思い描いていた計画を実行していこうとする矢先、逆行した。


「セシルとはもともと合わなかったからな。そうじゃなければ、王太子との婚約破棄の後、自分が彼女を引き受けるという形でより円満に公爵家をものにすることもできたが、まあ、それは仕方がなかった」


 彼は前の時間軸のことを思い返す。


「それにしても、公爵以外の残り二人は誰なんだ? 王太子が術の中心人物である可能性も高いが、あの当時、わざわざ自分や他人の命を盾に秘術を発動しなければならない状況ではなかったはずだ」


 セシルとの婚約破棄以来、王太子の結婚生活は波乱含みであった。


 一番目の妃、魅了の女リジェンナ、処刑。

 二番目の妃、ダンゼルの妹ステラ、死産に伴う死去。


 そしてようやく三番目に娶った妃に跡継ぎが生まれ、さらに孫もできた矢先に逆行を試みるとはどうしても考えにくい。


「おかげでこちらもようやく軌道に乗った長年の計画が断ち切られてしまった。もう一度やり直しだ。とはいえ、今生で実父となったインシディウス侯爵は扱いやすいし、亡き公爵を懐柔して出させた金はいい具合に仕事をしてくれている。流れは前と同じく順調だ」


 誰も見ていない部屋でユリウスはうすら笑いを浮かべる。


 自尊感情と嫉妬心が無駄に高い『父』インシディウス侯爵。

 自分よりも地位が高く人に注目されてきたマールベロー公爵への妬み心は尋常ではないほどに膨れ上がっていた。

 それゆえに前の時間軸でも、彼を追い落とし、その家門を奪い取ってやろうという執念は常軌を逸しており、次男ユリウスはその駒として非常に都合が良かった。


 そう、父親の視点からするとユリウスはそういう存在だったが、『息子』のユリウスからしても、父の侯爵は利用しやすい存在であった。


「自分をやたら大きく見せたいという病。高すぎる自己愛は、相手を利用しているつもりが利用されていることに、おそらく死ぬまで気づかないのだろうな」


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