第12話 基本は「なあなあ」で生きていたい


 

 ウチの母さんは一度離婚している。理由は父さんの浮気らしい。

 慰謝料は払われたみたいだし、裁判所もそう判断したのだろう。だけど父さんは最後まで「浮気はしていない、信じてくれ」と泣きながら訴えていた。

 それが虚飾に塗れた悪足掻きなのか、それとも真実だったのかは、今さら確認する術がない。

 

 ただ、母さんは一切の言い訳を聞かず、全ての罪は父にあると断じた。


 その後、一か月も経たないうちに義父さんと雪乃に引き合わされた。

 会食の前には「新しいお父さんや雪乃ちゃんが気にするといけないから、父親は小さな頃に亡くなったと言ってね」と母さんに言い含められた。

 よくよく聞くと雪乃の母親は物心がつく前に亡くなったらしい。

 当時の俺は、なら両親の揃っていた自分が父さんのことを語るのは酷かなと素直に納得した。

 そして半年後に再婚。

 まあ、深く考える必要のない、なんてことのない昔話だ。


『雪乃は、俺達のこと嫌い?』

『嫌いじゃ、ないです。お父さんもお義母さんも優しいです。瑞貴さんも、いつも私を助けてくれます。……でも、なんでか、居場所がなくて』


 義父さんと母さんは仲睦まじかったけれど、子供だって色々考える。

 雪乃は唯一の家族を盗られてしまったという疎外感に苛まれていた。

 俺も何となく自分は場違いのような気がしていた。実の父とも仲良くやっていただけに、余計にそう感じられた。

 行く当てのない兄妹が肩を寄せ合い二人ぼっち。

 雪乃が心を開いてくれたのは、幼馴染である梓が女同士で仲良くしてくれたからってのはあるけれど。

 俺もお兄ちゃんだから、この子のために頑張らないとって、いつだって傍にいようとした。


『兄さんって、呼んでいいですか?』


 初めの頃は結婚自体に肯定的でなかった雪乃が俺に懐いたのは、たぶん居場所を求めてだった。

 断っておくが、家族仲が悪かったわけじゃない。

 チャラ義父さんはノリこそ軽いけど雪乃を大切にしていたし、俺のことも義息子として扱ってくれた。

 母さんだって雪乃と俺に優劣をつけたりしなかった。

 だけど俺達はお互いにお互いが一番の味方だと無意識のうちに知っていた。


 ああ、そうか。

 家族の中で唯一雪乃だけが無条件で信じてくれたのは、ある意味で当然だったのだろう。




 ◆



 

 ……うたた寝してたせいか、ちょっと昔のことを夢に見た。

 サカイケ君を追い詰めた後、訪れた初めての休日。俺は自室で梓と二人寛いでいた。

 幼馴染なので異性であってもあまり緊張しない。そのせいで一緒にいるのにぼーっとしてしまうこともしばしば。

 脳裏をよぎったのは別にどうでもいい話だから、深く考えもせず、すぐに意識の外に追い出した。


「私は、あんまり役に立たなかったなぁ」


 またしばらくだらだら過ごしていたが、不意に梓がそうぼやいた。

 ことの顛末は既に説明してある。どうやら直接的な解決に携われなかったことが多少引っかかるらしい。


「そんなことないだろ。俺のことを信じてくれた」

「上手に呼吸ができるねー、えらいねーって褒められてもあんまり嬉しくない……」


 彼女にとっては傍にいることは、呼吸に等しいのだという。

 言われた俺はとんでもなく嬉しいんだけど、言った本人は気付いていない様子だ。


「なのでちょっとは幼馴染らしいことをしておこうかなーと」


 そう言った梓は俺を自分の胸元に抱き寄せた。

 柔らかい、いい匂い。思春期な俺にとってはかなり刺激が強いが、どうにも雰囲気を崩すような発言はできそうにない。


「みーちゃん、お疲れ様」

 

 梓は俺を抱きしめた状態で、優しく頭を撫でてくれる。

 完全にされるがままになっていた。


「最近はムリしてたよね。だから、ちょっと休憩しよ?」

「ぜんぜんそんなつもりないんですが」

「でも、平気なふりしてた」


 ふりというか、梓たちのおかげで事実ダメージ軽減されてたわけで。


「みーちゃんのこと、図太いとか変人とか怖いとか言う人もいるけど。長年いっしょにいた私からすると、まず一番は“義理堅い”だと思う」

「いや、普通に約束とか待ち合わせスルーすることもしばしば」

「でも、泣かなかったし、つらそうな顔一つしなかったでしょ? 私たちが、信じたから」


 だけど何気ない言葉が俺の中心を正確に射抜いた。


「信じてもらえたなら、それに報いなきゃいけない。周囲の罵倒なんて、私たちの信頼には及ばない。そうと証明するためには、辛い顔は一切できない。だから義理堅い。私たちの存在が、貴方に弱音を吐かせなかった。ごめんね?」

「謝らないでくれよ。俺はさ、間違いなく助けられたんだから。……ありがとうな」

「ん。じゃあ、一区切りついたんだから。ここで少し心を整理していこう」


 しなやかな指が俺の髪を梳く。

 心地良さに俺は完全に体を預けていた。


「心無いことを色々言われて、辛かったよね」

「……うん」

「周りの私たちに向けられる目も心配してくれた」

「自分のことより、しんどかった」

「下駄箱のゴミだって本当はもっと怒りたかった」

「さすがに、あれはな」

「お母さんの態度にだって傷付いたでしょ?」

「なんで信じてもらえないんだろうって、言いたかった」

「私たちのせいで流れた噂に関しては……」

「まあ、そこは案外楽しんだよ」


 付き合いの長さなんだろう。

 お互いリズムよく会話が続く。

 

「私はさ、特別頭がいいわけでも武術ができる訳でもないけど。みーちゃんの傍にいるってことにかけては年季の入った一流職人だからね。今はゆっくりお昼寝しようね」

「……うん。そうしよう、かなぁ……」


 俺は梓の胸に頭を預けたまま、目を瞑った。

 家族の中で雪乃が唯一の味方なら、そう在れるように支えてくれたのが梓だ。

 本当に、俺は恵まれている。 

 包み込むような温かさを感じながら、俺は眠りに落ちた。




 ◆




 こうして俺の冤罪事件は一つの区切りを迎えた。

 宇和木さんは改めてクラスメイトの前で自分のやったことを明らかにする。


『本当はフラれたのは私で、その腹いせに襲われたなんて言ってしまった。噓をついてごめんなさい』


 それは教師の前でも行われた。

 今や『我妻瑞貴は強姦魔』という不名誉な噂は否定され、タチの悪い女に目を付けられた被害者となり、逆に宇和木さんは完全に立場を失った。

 取り巻き連中には『ふざけんな!』『信じてたのに!』と罵られ、友人は『クソ女』『キモイ』とか言われて完全に孤立している。

 今や彼女と会話する人間は誰もいないが、自業自得と諦めてもらおう。


「……いや、おかしくない?」


 でも宇和木さん自身は俺に普通に声をかけてくる。

 しかもなんか不満げに。


「なにが?」

「特別棟での話し合い。別にクラスでハブられんのは当然だけど、なんかあんたは許しそうな雰囲気出してたのに」

「出した覚えが一切ないです」


 嫌いじゃないけどね、君みたいなタイプ。

 反省はしてるようだが俺だって被害者。そう簡単に許せはしない。と言っても大事にするのは俺も損だし、簡単な落としどころを作った。


「お金で解決って、一番早いと俺は思うしね」

「それはそうかもだけど……」


 彼女のやったことは普通に名誉棄損。

 刑事・民事どちらでも争えるが、事件にしない代わりに金銭での賠償を以て解決とした。弁護士を挟み公正証書を作っての、示談で終わらせたのである。

 もちろん示談金はたんまりもらっている。

 実に二百万円、+で弁護士費用も加算してある。学生同士の諍いの対価としてはかなり大きいが、それを払えば今後この事件を掘り返すことはしない、と明文化した。

 宇和木さんの両親もそれで了承。ただし示談書には「金銭の支払いは宇和木祥子本人が行い、家人は一切の援助をしない」と盛り込んだ。

 なので彼女は俺に金を支払うために毎日必死になってバイトをしている。


「いやあ、俺さぁ。大学からは一人暮らしする予定なんだよねぇ。宇和木養分さんのおかげで生活費にが余裕できそうで感謝感激です」

「養分言うな。こっちはおかげで放課後も夜も働いてんのよ」

「そりゃ当然の罰でございます。どうせ友達失くしたんだし、やることできていいだろ?」

「ひどっ……反論できる立場じゃないのは分かっているけどさぁ」


 わだかまりはあっても破滅するまで追い詰める気もない。

 彼女の高校生活は灰色のまま。それで留飲は十分下がった。

 せいぜい俺の一人暮らしのためにせっせとお金を運んできてください。


『間音くんもさぁ、最低だよね』

『ほんと。この学校クズ多すぎない?』


 クラスメイト達は浮気さんだけでなく、間男くんのことも悪く言っている。

 いや、お前らもクズ側だからな? とは言わないけどさぁ、状況が変わっても結局陰口を叩く同級生たちにドン引きです。

 今回の騒動は、女を寝取ろうとした間音小太郎が手引きしたものだと明らかになった。

 だからといって刑事事件にできるほどではなく、教師陣が一週間の停学を申し付けただけで終わってしまった。

 その停学さえ、無実の俺に罪を押し付けたことを誤魔化すための手段でしかない。

 ただし、停学期間に何故かサカイケくんのキモイ口説き文句の音声が流出し、もはやかつてのハイカースト陽キャの姿はどこにもない。

 何故っていうか明らかに雪乃がやったよね?

 彼は騒動を起こしたとしてサッカー部も退部となり、教室の隅っこで大人しくしている。


「あの、我妻君」

「強姦魔とか、ごめん」

「すまん。俺も友達なのに、噂に踊らされて」


 どうでもいい話であるが、俺に罵倒を浴びせてきた奴の一部は謝ってきた。

 今更かよ、とは思ったが意固地になる程の執着も残っておらず「まあまあ、そんなこともありますわな」と流しておいた。

 許してはいないが、どうせ卒業したら縁のなくなる人達だ。

 こいつらに向ける感情がもったいない。つまるとこ、心底どうでもよいが健全な学校生活のためにそこそこの交流はしましょう、くらいが落としどころだ。

 穏やかさを取り戻したと言えば聞こえはいいが、戻らないものもある。

 幸いなのは、同級生には固執するほどの価値がなかったと証明されたことだろう。


「みずきちー、三年生の方にも話広めてきたよー」

「さっすが、るなちー。顔が広い」

「は? めっちゃシュッとした美少女だけど?」

「そういう意味じゃない」


 ちなみに噂の流布に一役買ったのはるなちー。

 同学年はともかく、上級生相手は彼女のコミュ強っぷりに助けられている。


「ちなみに、貸しだから」

「分かった、なんか埋め合わせはするよ」

「やった、げっちゅ? とった」


 たぶん言質です。

 るなちーは相変わらずるなちーだった。




 ◆




 さて、宇和木さんであるが、いっぺん俺のうちにも来た。

 弁護士挟んで公正証書取り交わすために話し合いは必要だからね。

 その場でウチの家族も、女性に対する暴行は単なる冤罪であり、俺には一切の非はなかったと知った。


「あっ、そうなんだー。よかったねー、みっくん」


 義父さんは軽い軽い。

 もともとどっちでもいいくらいのスタンスだったからね。


「そんな……」


 ショックが大きかったのは母さんだ。

 これまで散々俺を責めてきた。『恥知らず』と罵り『産まなければよかった』とまで言った。

 それが蓋を開ければ俺は単なる被害者。理不尽な目にあわされた実の息子を信じず、家事も放棄してきたという事実だけが残った。

 話し合いが終わった後、母さんは震えながらも俺に謝罪してきた。


「あ、の。ご、ごめんなさい、瑞貴。私は、なんてことを」

「いやあ、べつにいいよ。どうでも」


 吐いた唾は呑めぬ、というヤツだ。顔を真っ青にしているが、俺や雪乃はもちろん義父さんからもフォローはない。

 だって、母さんだけが家族で唯一俺を排除しようとした。

 もう雪乃に親愛の情は欠片もない。

 義父さんは、どう考えているんだろう。読めないけど、慰めようともしないところにその内心が現れているような気もする。


「違うの。私は、貴方が女の子を襲ったと聞いて、頭がかーっとなって。よそ様に迷惑をかけるなんて、私の育て方が間違ってたんじゃって」

「でも貴女は話を聞こうともしなかったじゃないですか」


 雪乃が冷たく指摘すると、興奮し他母さんは「違う! 私はただ!」と大声を上げた。

 ここでうだうだされても鬱陶しいし、話は早々に切り上げよう。


「別に俺は気にしていないからいいよ」

「瑞貴……!」


 一瞬、母さんの目に喜びが宿った。

 でも次の言葉で、すぐに輝きを失う。


「だってさ。母さん、再婚した時だって俺に意見を求めたことないし。俺の話を聞いたことって、今までどれくらいあった? 今回もそうだったってだけだろ」


 責める調子のない、ごく自然な言葉に母さんは愕然とした様子だった。

 ……ああ、そうだ。

 そもそも論として、母さんは根本的に俺の意見を尊重したことがない。再婚は、自分がしたかったから。俺や雪乃の関係性への配慮なんてまるでなかった。

 今回の件でそういう無神経さが顕在化した。もともと家族はうまくいっていたというよりは、義父さんの適当さのおかげで「なあなあ」になっていただけでしかない。

 たぶん別のきっかけでも破綻はしたんだろうなぁ、と思う。

 

「違うの。瑞貴、話を聞いて。私は、別にあなたを責めるもりじゃ」

「うんうん。だからいいって。ところでさ、もしも気にしてるんなら、俺大学は県外に行くつもりだからさ。独り暮らしになるから、ちょーっと生活費を援助してくれると嬉しいなぁ、なんて」

「みず、き。私は、あなたを……」


 高校卒業までお世話になって、今回得た資金で大学は一人暮らしを満喫させてもらえれば十分。

 家族だからって無償の愛はないよね。


「兄さんと、同棲かぁ。ふふ、楽しみですね」


 あれ?

 なんで雪乃もいっしょに暮らすことになってるの?

 我が妹様は、時々よく分からないことをおっしゃるので不思議です。

 というか、もしも俺と雪乃が出て行ったら、この夫婦はどうなるんだろう。

 どうなっても別に関係はないけれど。

 



 そんなこんなで、俺の冤罪は払しょくされた。

 ……かに見えた。

 しかし翌日の登校時、またも謂れのない誹謗中傷に晒されることを、俺は知る由もなかった。


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