第5話 デカい

【綾瀬結愛の全力】


 これは吾妻瑞樹がまだ停学中の時の話である。


 古流武術・桧木流。

 その歴史は浅く、始まりは明治時代になる。

 諸外国からの文化の流入により多くの古流が失伝していくことを危惧し、口伝で継承されてきた様々な流派の技術を集めて記し、体系立てたのが桧木流の始まりらしい。

 つまり実戦を想定したのではなく、古来からの技法を残すため、学者的発想から生まれたのが桧木流だった。

 その結果として投げ・打撃・関節技が複合し、今でいう総合格闘技に近い、きわめて実践的なスタイルが出来上がったのだから不思議なものだ。


 綾瀬結愛がこの武術に触れたのは、単純に師範の姪孫てっそんにあたるため。彼女は師範の妹の息子の娘になる。

 優れた容姿に年齢にそぐわない豊かなスタイル。結愛は中学一年の頃からナンパな男に誘われることが多かった。

 可愛らしい名前にコンプレックスもある。だから髪を整えず化粧もせず、口調も男っぽくガサツに振る舞う。

 しかしそうまでしても評価は「ボーイッシュで気風のいい美少女」。

 ならば今度はと自衛のために武術を学ぼうと思いつき、父の勧めで伯祖父の道場に通うこととなった。


 最初の動機は純粋とは言い難かったが、結愛は武術の楽しさを知り純粋にのめり込んでいった。

 そこに入門してきたのが我妻瑞貴だった。

 なので結愛は、彼の姉弟子にあたる。


『どうも。男なのに俺の嫁、我妻瑞貴です』


 ふざけた自己紹介にちょっと苛立ちはしたが、入門してからの瑞貴は非常にマジメだった。

 基礎的な鍛錬も腐らずに反復し続ける。

 努力を厭わない彼の姿勢に感心し、なぜそこまで頑張るのかを聞いてみた。

 

『なあ。我妻はなんでここに入門したんだ?』

『妹ができたから、頼れるお兄ちゃんになりたい』


 返答はシンプルで、だからこそ清々しい。

 勝つためではなく、妹に恥じない自分でいるために強さを求める。

 そういうシンプルさが結愛の心に響いた。以後二人は距離を縮め、仲の良い友達であり良きライバルになった。

 そうして数年後、同じ高校に入学したのは完全に偶然だったが、教室で顔を合わせた二人はそれを心から喜んだ。

 彼の幼馴染や妹とも友人となり、結愛にとって高校生活はとても楽しいモノとなった。


 ……にも拘らず、瑞貴が女子生徒を性的な意味で襲ったなんていうデマが学園にバラまかれた。

 初手でデマと断じるくらいに結愛は彼を信頼しており、だからこそ好き勝手を言うクラスメイト達に我慢がならなかった。


「ほんとなんだよ? 私ぃ、我妻君に襲われたのぉ」

「分かってるって、俺たちは信じてるよ」


 瑞貴が停学中なのをいいことに罵詈雑言を撒き散らす奴ら。被害者ぶって泣いて見せる女子に、正義感を振りかざすサッカー部のイケメンぶったクソ野郎。

 みんな、みんな腹が立つ。 


(オレが……オレがどうにかしねーと)


 そうして結愛は勝負に出た。


「おい、嘘垂れ流すなよ。瑞貴がお前に告白するわけねーだろ」

「えー、そんなぁ。私、嘘なんていってないもぉん」

「いーや、嘘だね。だってよ、瑞貴は……オレと恋人同士なんだからな!」


 その時、クラスの空気が完全に固まる。

 そう、結愛は前の休み時間に教室を離れていたため知らなかったのだ。

 既に彼の幼馴染の音無梓が「私たち小学生の頃から付き合ってたしえっちもしています」と宣言していたことを!


「……うぇ、あ、のー。こ、恋人? 我妻と?」

「そうだって言ってんだろ。あれだ、オレら同じ道場に通ってるからな。その縁で仲良くなって、いい、今じゃ、らら、らぶらぶなんだよ。だから、そいつに興味を持つなんて絶対ない」


 所作は意識的に男っぽくしているが、実のところ結愛はけっこう乙女チックだった。

 恋人同士であれば、他の女性に興味を持つなどあり得ないと本気で考えていた。


「あのさぁ、それってホントに?」

「なんだよ、嘘だって言いたいのか?」

「あ、いや、というか。勘違い? だったりしないかなーと」


 男子生徒の一人が遠慮がちながら疑いの目を向けてくる。

 その理由は「梓が恋人」という前情報のせいなのだが、結愛は「自分が女らしくないから」疑われていると判断してしまった。

 このままでは瑞貴の悪評を払えない。

 なら、痛みを覚悟で一歩踏み込むしかない。武術家としての矜持が、最後の一線をいともたやすく踏み越えさせた。


「そんなこと、あるわけないだろ。だだ、だってよ。オレらキスだって……えっちだって、もう経験してるからな!」


 この瞬間、我妻瑞貴の評価は地に落ちた。

 だってクラスの中心で二股を叫ばれたのだ。当然っちゃ当然である。


「マジかよ……」

「あいつ本気で最低じゃん」


 ざわつく教室。

 しかし結愛はそれに気付けない。今までの経緯から恋愛経験がまったくない彼女は、自分の発言の恥ずかしさに頭が沸騰しそうになっていた。


(やべえ言っちゃったよ普通に嘘だよどうしようどうしよう別に瑞貴が嫌いなわけじゃないけどまだ手も繋いでないのに⁉)


 彼女にとっては親友でライバルで、唯一の親しい同年代の異性。

 それがクラスメイトに悪し様に罵られるなんて許せない。

 ようは、瑞貴が女性を襲うような人物ではないと証明できればいいのだ。

 彼の冤罪を晴らせるなら、この程度の羞恥はなんてことない。実際には現在進行形で結愛が冤罪を仕掛けている最中である。

 

「本当にぃ? なら、どっちが先に告白したの?」

「そりゃ、瑞貴だよ」

「ええー、じゃあさ。我妻って、綾瀬さんのどこを好きになったのぉ?」


 ボロを出させようとしているのか、女子生徒は意地悪な質問をしてくる。

 結愛は頭を悩ませた。そもそも二人は親友ではあるが、彼の方に艶っぽい感情はなかったのだ。

 

(どこだ? 瑞貴がオレに惹かれる場所ってどこだ? 髪ぼさぼさだし口調男だし、ナンパな男ならともかくあいつが俺に女っぽさを感じてるとは思えない。じゃあ理由。付き合ってもいいって思えるようになった理由ってなんだ⁉)


 負けん気が強く努力を怠らないところ。失敗してもくじけずに立ち上がるところ。

 男っぽく見えるけど本当は優しく誰かのためなら傷を厭わないところ。

 瑞貴が自分をどう見ていて、どんなところか評価してくれているかはちゃんと分かっている。

 でもそれは、根も葉もない悪評に踊らされるクラスメイトを納得させるものではない。

 だからそういう内面の話ではなく、明確に、分かりやすい「付き合うに足る理由」を提示しないと恋人関係を証明できない。

 そうしてさんざん悩んだ結果、顔を真っ赤にしながら絞り出した結愛の答えはこうなった。


「………………お、おっぱい?」


 周囲の男子が恐ろしい勢いで納得し頷いた。

 なお、恥ずかしそうに胸を隠すオレっ娘の愛らしさに、瑞貴の評価の低さはアンダーグラウンドにまで突入した。


「そう、おお、おっぱいなの! オレの、これ。瑞貴大好きなんだよ! だから告白も恋人関係も全然おかしくないだろ⁉」 


 結愛は精一杯思考っていうか嗜好を巡らせ、どんどん言い訳を重ねていく。


「そりゃあもう、触ったり揉んだり枕にして寝たり挟まったりママしたり、もうオレのおっぱいほぼアイツのもんだと言ってもいいね!」


 なに言ってんの?

 もう自分で言ってて訳わかんねぇ。


「だから! あいつが他の女に余所見するわけない! つまり今流れてる噂は完全なデマってこった!」


 どうにか軌道修正してビシッと決める結愛ちゃん。

 しかしながら、彼女の発言に説得力が生まれたことで、クラスメイト達は確信してしまった。


『我妻って、こんないい子達を二股かけてやがったのか』


 彼は確実に冤罪によって追い詰められていた。




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