第17話 予想外の対面

 ワローズは、夜になっても戻らなかった。確認がとどこおっているのだろうか。

 連絡の取りようもないし、情報は何も入って来ない。

 ワローズから言いつけられているらしい執事に案内されて夕食をとり、それぞれ客間をあてがわれた。

 男女二名ずつに別れ、部屋へ入る。ハナちゃんはツキと一緒にいたがったが、フウが淋しいだろ、とツキに言われて彼女と同じ部屋へ向かった。

「トーリィ、具合は悪くない?」

「ああ、問題ない。今日はクバイの街へ来てから、あまり移動をしてないからな。そう心配するな」

 トーリィは、そう言ってから「心配されるのも悪くないな」とつぶやいた。

 明かりを消して、ベッドに入る。草ではないベッドは久々だ。ハナちゃんが出してくれるベッドも悪くないが、布のシーツもやっぱりいい。

 それに、こんなふかふかなベッドは初めてだ。沈みそうな錯覚さえ起きる。薄く香っているのは、せっけんだろうか。

 ベッドのふかふか具合を堪能してから明かりを消し、ツキは目を閉じた。

 しかし、なかなか眠れない。あんな話を聞いた後だからか。

 まぁ、当然だろう。わかることはないだろう、と思っていた父親がいきなり判明し、その人が次に国をになう存在だとなれば……戸惑いもする。

 もしかして、ネマジはわかっていたのだろうか。母は父について何も話さなかった、とネマジは言っていたが、実はちゃんと告げられていたのでは……。

 もしそうなら。いつかツキが真実にたどり着いた時、トーリィが話したような王家の裏事情に巻き込まれかねない、と考えた。そして、少しでも我が身を守れるように、魔法を教えたのだろうか。

 ネマジは自分が元魔法使いで、ツキが一人で生きて行くために教えてやれることは魔法しかないから、と言って魔法を教えてくれた。

 もちろん、そういった理由もあるのだろうが、実はこういう時のために……。

 考え始めれば、何でもつながってしまいそうな気がする。

 本当に王子や、果ては王に仕立て上げられるのだろうか。

 少し想像してみたが、どうもしっくりこない。

 ツキはモザの村しか知らず、トーリィのことがなければもっとゆっくり街の中を見て回りたかった。はっきり言えば、田舎者なのだ。

 自分が住む国や王様のことは、ネマジから多少は教えられていた。だが、いざ自分の身に降りかかってくるとなると、もう想像力がついていかない。

 トーリィは傀儡かいらいだ、と言った。つまりは操り人形だ。本当に巻き込まれればそうなるだろう、というのはツキも思う。

 右も左もわからないのに、執政などできるはずがない。仕組みがわかるようになった頃には、用済みにされてしまいそうだ。

 あれこれ考えていると、小さなため息が出てしまう。

 何度目かのため息をついた時、扉が小さくノックされた。

 ツキが身を起こすと、扉がわずかに開く。

「ツキ、まだ起きているか?」

 ささやく声で尋ねてきたのは、ワローズだ。

「はい、起きてます」

 同じくささやき声で返事をし、ツキはベッドから抜け出した。

「すまないね、こんな遅い時間に」

 部屋の外へ出ると、ワローズが詫びた。部屋よりはやや明るいものの、廊下も薄暗い。

 その中で見えるワローズの姿は、昼間見たままだ。戻って来たばかりらしい。

「リージア様の件ですか」

「いや、それは明日にしよう。今は別の話がある。こちらへ」

「ぼくだけですか」

 同室にトーリィがいると知っているのに、なぜツキだけを呼び出すのだろう。

「そう……ああ、心配いらないよ」

 ツキが微妙に警戒していることに気付き、ワローズは少し笑う。

「向こうの部屋へ行くだけだ。きみをお友達から切り離そうなんて思っていないよ。彼らは……人間ではないのだろう?」

「え……」

 さらっと言われ、ツキは目を丸くする。

「わかるよ。これでも魔法使いだからね。あんなに近くで話していれば、普通の人間とは気配が違う、というのは感じられるものだよ。そんな彼らを、敵に回すつもりはないからね」

 誰もワローズの前で魔法や特殊な力は使っていない。しかし、腕のいい魔法使いともなると、普通の人間ではわからないこともわかってしまうものなのだ。

 ハナちゃんやトーリィが竜だとわかったのか、というところまでは今の言葉では何とも言えない。だが、敵に回すつもりはない、というのは本音だろう。

 彼らが本気になれば、どんな素晴らしい腕を持つ魔法使いでも、無事でいるのは難しいのだから。

 ツキはおとなしく、ワローズの後をついて行く。

 休んでいた部屋からそう離れていない部屋の扉をノックし、ワローズは中へ入った。ツキも呼ばれ、部屋へ足を踏み入れる。

 窓辺には、三十代半ばくらいであろう壮年の男性が一人、立っていた。

 ゆるやかなウェーブのかかった肩より少し長い黒髪に、青い目。長身でがっしりした体格。

 そして、左手の甲には傷らしきもの。

 その姿を見て、ツキはどきりとする。

「その子か?」

 低音のソフトな声が、ワローズに問う。

「はい、この子がツキです。ツキ、ラクモ様だ」

「え……」

 見た時から予測はできたが、思わず声が出る。

 なぜ、一国の王子がこんな遅い時間、臣下の家にいるのだろう。

 いや、なぜも何もない。ワローズが話し、いやという程身に覚えのあるラクモがツキに会ってみたい、と言ったのだ。

「ツキ、お前の母の名前は?」

「……フール、です」

 答えた直後、気が付けばツキはラクモに抱き締められている。そうされる寸前、ツキの目に映ったラクモの瞳は、わずかに光っているように見えた。

「お前の瞳は彼女と同じ色だ。一目見てそう思った」

 フールと同じ、少し濃いめの緑の瞳。

 ワローズはラクモの若い時に似ていると言ったが、ラクモから見ればツキは母親の面影をしっかり残している。

「あの……母はあなたに名乗ったんですか? 母はあなたの名前を聞かなかったらしいって聞かされてます」

 強く抱き締められていたが、どうにか動く口でそう尋ねた。

「ああ、私が聞くと教えてくれた。だが、私が名乗ろうとすると、彼女は聞こうとしなかったんだ」

 では、本当に誰も、ツキの父である彼の名前を知らなかったのだ。

 ただ、ネマジだけはどうだろう。

 ワローズの話によれば、ネマジは隣国を代表するような魔法使いだった。それがどれだけすごいことなのか、ツキは想像が追い付かない。

 だが、それだけ偉い人なら、他国の王子の顔を見る機会があったのではないか。

 もしネマジがラクモの顔を知っていれば、成長するツキを見て何となくでも予想していた……かも知れない。

「すまない、ツキ。私は今日まで、お前の存在すら知らなかった」

「ぼくは……存在を知らせるために来た訳じゃありませんから」

 父の姿を求めて来た訳じゃないのに、でも今はこうして抱き締められている。事態がこういう転び方をするなんて、誰が予想しただろう。全ての事柄は、一体どんな風につながっているのか。

「ツキ、フールのことを教えてくれないか。彼女はなぜ亡くなったんだ」

 ワローズから、ツキの母がすでに故人であることは聞いている。その理由を、ラクモは知りたかった。

 ソファに座らされたツキは、花竜かりゅうの結界内でも話したことをラクモに話す。話が進むうち、ラクモは組んだ手に額を押し付けた。

「それから三日経って、お母さんは谷底を流れる川岸で見付かったそうです。ぼくの幼なじみのお父さんが見付けてくれて……」

 ツキが話し終わっても、隣に座るラクモからしばらく言葉はなかった。大きなため息が何度も漏れる。

 彼のひざに、いくつも落ちるもの。それを見て「本当にお母さんを愛してたんだ」とツキは思う。

 ネマジからこの話を聞いた時、ツキは泣かなかった。

 ジャスやトーリィにも言ったが、自分が経験したという記憶がないので実感がない。姿を見たことのない母の話を聞いても、どこか感情移入しきれない部分があった。

 母がいない、という事実がただ淋しいだけ。

 気の毒で、健気で、しかし強い女性だったんだ、と感じ、命をかけて守ってもらえたことに感謝もしたが、ツキにとってはそこまでだ。

 しかし、ラクモは声を殺して泣いている。フールの姿を知っている彼には、彼女の行動が目に見えたのだろう。

 共にした時間がたった一晩でも、彼は確かにフールを愛していたのだ。

「あの……」

「ツキ、お前が生きていてくれてよかった」

 座ったまま、ツキはまたラクモに抱き締められる。それはどこか、不思議な感覚だった。

 子どもの頃、ネマジやフウの父リョウに抱き締められたことは何度もある。それとはどこか違う気がした。フウの母キョウにも抱き締められたが、もちろんそれとも違う。

 その力強さに戸惑いながら、それでも心のどこかが温かくなるような気がした。

「ツキ、お前はこれからどうしたい?」

「え? どうって……」

「親子として共に暮らすか? 事情が特殊だから、周りにお前を私の息子だと説得するのは時間がかかるだろう。だが、お前が望むのなら、必ず認めさせよう」

「……」

 昼間に、トーリィが色々な可能性を話していた。でも、それはツキに有無を言わさずに事を運ぶ、というような王位継承に絡む内容ばかりだ。

 今ラクモの口から出たのは、ツキの希望を尋ねる言葉。結果的に王家のごたごたに巻き込まれることになりえそうだが、無理強いではない。

 なので、ツキは一瞬詰まった。

「ぼくは……」

「お前はフールが命をかけて守ってくれた、私の息子だ。お前が幸せになるなら、私は何でもしてやりたい」

 父のランカ王と口論になり、若かったこともあって勢いで城を飛び出した。

 その時、あちこち馬で駆け回り、ある日着いたイナサの村。そこで出会った女性。

 頭が冷えて城へ戻ってから、父には色々な所を見て回った、と話した。ワローズにも似たような話をしたが、彼にはイナサの村で愛らしい女性と出会ったことも話している。

 だが、出したのは、村の名前だけ。フールの名前は、ワローズにすら話していない。

 フールについて知る人間は、自分の周囲にはいないはずなのだ。

 その彼女の名前を、目の前の少年ははっきり言った。

 ここにいるのは、間違いなく自分の息子。母親の名前が偶然同じだったとしても、これだけ彼女と似ているのだ。もう疑いようはない。

 フールと過ごした最初で最後の夜から、十六年も経って現れた。それをワローズから知らされた時には、ラクモも驚いた。

 だが、愛した女性の面影を残す子をこうして実際に見て、これまでの空白時間を何とか埋めたいと心底思う。

 そのためなら、自分が与えられるものは何でも与えるつもりだった。

 しかし、ツキは首を横に振る。

「ぼくは、王家の一員になるつもりはありません。父のことはずっとわからないままだと思っていたのに、こうして会えただけで十分です」

「私を父と思ってくれるのか?」

「だって、お父さん、なんでしょう?」

「……ありがとう」

 父を父と思うのに、何か不都合があるのだろうか。

 ツキは不思議だったが、またラクモに抱き締められた。

「ツキ、本当にいいのかい? ようやく会えたお父上だというのに。きみが望めば、ラクモ様や私が必ず何とかする。道は平坦ではないが、一緒にすごせるように手を尽くそう」

「ありがとうございます。でも、宣言してもらわなくても、こうしてお互いのことがわかっただけで、本当に満足ですから」

 欲がないと言われれば、それまで。ツキはラクモに力強く抱き締められただけで、本当に十分なのだ。

「では、ツキは村へ帰るのか? モザの村と言ったか。私があの辺りを訪れた時、そういった名前の村はなかったと思うんだが。イナサの村と近いのか?」

「近くではないですけど……あ、ぼくはお父さんが見付かると思ってこの街へ来たんじゃないんです」

 気付けば、自分中心に話が進んでいる。ツキの父のことがわかったのは、あくまでも偶然にすぎない。

 本来ならトーリィの風の実が中心で、しかもあまり時間がないのだ。

「ワローズさん、あの話は」

「ああ、申し上げたよ。ラクモ様、リージア様の件で……」

「リージアのダイヤの話か」

 ワローズははっきり言わなかったが、ラクモとリージアはあまり仲がよくない、とツキ達は街で聞いた。ラクモの口調からだと、その噂は当たっているようだ。

 その時、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。

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