第3話 花竜の結界

「ハナちゃん、もう少し大きくなったらツキに会いに来ることができるって、お兄さん達が言ってるわよ。何だったら、お兄さん達に連れて来てってお願いすればいいじゃない」

 フウの説得に、ハナちゃんは不満そうな顔をする。まともな妥協案なので、すぐに反論の言葉が出ないのだろう。

「ハナちゃん、お父さんとお母さんが心配してるんだよ。今は帰らないと」

 ツキがハナちゃんを抱き上げた。無理に彼女の腕を掴んで自分から引き離すより、こうやって抱いて世話係の彼らに渡せばいい、と思ったのだ。

 しかし、ハナちゃんはツキの考えに気付いたらしい。

「やだっ。ツキとまだいるのっ」

 ハナちゃんがそう叫んだ途端、ツキはハナちゃんを抱いたままツルに身体を巻かれていた。

 どこから現れたのかわからないツルに、肩辺りまで拘束されている。自分が芯になって巨大な緑の糸巻きになったみたいだ。

 苦しくはないが、首から上以外は全然動かない。

「すごい……」

 ツキはびっくりしすぎて、声も出ない。

「まぁ……この状態だと一緒にいられるわね」

 子どもでも、さすが花竜かりゅうだ。一気に緑の力を放出させて、誰にも手出しができないようにしてしまった。

「……様、お静まりください」

「何てことを」

 世話係に言われても、ハナちゃんはツンとそっぽを向く。

 ツキに抱き上げられていたハナちゃんは、自由な上半身を動かしてツキの頭にしがみついた。

「あの、ハナちゃん。これじゃ、ゆっくり話なんてしてられないよ?」

 とんでもない状態にされているツキだが、穏やかに少女をさとす。

「さっきフウが言ったみたいにさ、このお兄さん達にまた連れて来てもらうっていうのはダメ? ぼくでいいなら、いつでもハナちゃんの話し相手になるよ。だけど、どうせならゆっくり座って話したいなぁ」

「だって、とう様がダメって言ったら、……や……に言っても連れて来てもらえないもん」

 また聞き慣れない部分が出て来たが、話の流れで世話係の彼らの名前だろうとは推測できた。

「そうなの? そう……なのかなぁ」

「ツキ?」

「あ、ごめんね。ぼく、お母さんもお父さんもいないから、絶対にダメって言われたこともないんだ。だから、よくわからなくて」

「かあ様もとう様もいないの? ツキ、さみしい?」

「淋しくはないよ。フウやネマジがいるし、村のみんなも優しいから」

 そうは言っても、ハナちゃんより濃い、ツキの緑の瞳にわずかな影が落ちる。

 そんな彼の頭を、ハナちゃんは小さな手でなでた。自分の方が小さいのに、その様子は子どもをあやすかのようだ。

「ハナちゃんも一緒にいるよ。だから、ツキはもっとさみしくなくなる」

「うん、ありがとう……。でも、ハナちゃんはやっぱり、お母さんとお父さんの所へ帰らなきゃね。ハナちゃんがいないと、ふたりが淋しがるだろ」

 ハナちゃんはびっくりしたと同時に、痛い所を突かれた表情を浮かべる。そういう言い方をされると、ツキと一緒に、という主張もしにくい。

「……様。ツキと一緒に、お父様にお願いされたらいかがですか」

 世話係の提案に、ツキとフウが驚く。

「それって、花竜の結界に入れってことなの? 入ってもいいの? ツキは人間で、私は白翼はくよく人よ。あ、私はこの件に関係ないかしら」

「我々は、全てを拒絶している訳ではありません。我々の居場所を荒らされないのであれば、大きな問題はありませんので」

 禁止されてるのでもなく、フウが一緒でも構わないらしい。

 それを聞いて、フウは心の中で安堵あんどのため息をついた。

 このままツキだけで行かせたら、心配で何も手に着かなくなってしまう。

 でも、行き先がどんな場所であれ、二人ならどうにかなるだろう。ツキが説明不足になれば、助け船を出すこともできる。

 ……たぶん、自分が主になって説明することになりそうだ。

「ツキもおねがい、してくれる?」

「いいよ。お願い、聞いてもらえるといいね」

 それまでツキの身体を動けなくしていたツルは、存在してなかったかのように消えた。

「では、こちらへ」

☆☆☆

 世話係の歩く後を、ツキ達はついて行く。

 ハナちゃんはもちろん、ツキと手をつないでいた。さっきまでと同じように、その反対側をフウが歩く。

 ハナちゃんが幼い、という点はともかく、ツキは両手に花状態だ。もっとも、ツキにそんな意識は皆無かいむだが……。

 歩くと言っても、大した距離ではない。彼らがハナちゃんを捜していた場所から、ほんのわずかしか離れていなかった。

 とある太い木の前まで来ると、ふたりはそのまま木の中へと入ってしまう。

「このむこーにね、ハナちゃんのおうちがあるの」

 ここが結界の入口、ということらしい。近くに結界の入口があるのでは、というフウの推測は見事に当たっていた。

 ハナちゃんはここからツキ達の世界へ来て周囲をうろうろしているうちに、この木を見失って迷子になったのだ。

「大丈夫かしら」

「ぼくも木の中に入ったことはないからなぁ。でも、大丈夫だよ。入っていいって言われたんだから。結界は術者が許可したり、条件をクリアすれば危険はないからね」

 竜に人間の魔法の基本が通じるかはともかく、ここでツキやフウを傷付けることはしないはず。

 もし何かあれば、間違いなくハナちゃんが黙っていないだろうから。

「これって、すごい経験だよ。行こう」

 ツキがフウに手を差し出す。フウがもらした言葉を「不安」ととったらしい。

 普段なら「平気よ」と言い返すところだが、フウは自分でもわからないままに差し出されたツキの手を握っていた。

 みんなでそのまま、木の中へと進む。薄いベールが、顔をなでたような感触があった。

 次の瞬間には、一面の花畑が目の前に広がっている。色とりどりに咲き乱れているが、どの花も二人が見たことのないものばかりだ。見渡す限りの花畑だが、漂う香りは優しい。

 さらにその向こうには、これまでに見たことのない大きな館が建っていた。

「あんなお屋敷、見たことないわ。お城みたい」

「あそこは……様のおすまいですが、見る者によってその形は異なります。その種族にとって、一番理解しやすい形となって目に映るのです」

「へぇ……。ぼくは本物のお城を見たことはないけど、人間の世界ではそれに近いってことなんだね」

 ツキやフウには城に見えるそれも、竜の目から見れば別の物になっているのだ。別次元とは聞いていたが、本当に世界が違うということか。

 世話係に連れられ、城へ向かって歩く。入って来た場所から広い花畑を突っ切る形になるのだが、その所々に大きな岩があった。

 岩は金色で、まぶしい程によく光っている。暖かな太陽に照らされ、輝いて見えた。いや、本当に輝いている。

 さらによく見ると、その岩が動いていた。

「ツキ、あれってもしかして……」

「花竜……だよね」

 金の固まりのような岩は、花竜だった。

 少し離れているので正確には判断しかねるが、体長だけでも軽くツキの三倍近くありそうだ。尾まで入れればもっと。幅もかなりある。

 だとしたら、今はツキの腰辺りにハナちゃんの頭があるが、本来の姿になったらツキの倍くらいの大きさになるのだろうか。

 今はツキが見下ろしているが、ずっと上から見下ろされることに……。

「あんなに大きいんじゃ、ぼく達の世界の森や山にいたら大騒ぎになるよね」

「我々があちらの世界へ行く時は、必ず人の姿になります。大切な木々をなぎ倒しかねませんので。あの姿になるのは、必要な場合のみです」

 ツキは独り言をつぶやいたつもりだったが、律儀に答えてもらった。

 ハナちゃんや前を歩く世話係のふたりは人の姿だが、それはツキ達の世界へ行っていたから。

 そんな姿になる必要のない花竜達は、ありのままの姿で思い思いに花畑でくつろいでいる。

「とう様はね、あそこにいる……や……よりもっと大きいよ」

 遠目で見ても、大きな花竜達。ハナちゃんの父親は、それよりもっと大きい。

 今は余計とも言える情報を、ハナちゃんは提供してくれた。

 ハナちゃんに頼まれて安易に了承し、ここまで来てしまったが、巨大な竜を前にして交渉できるのだろうか。

 城の巨大な門扉もんぴは開かれており、何の障害もなく進む一行。近くまで来ると、天にそびえる巨大な塔に見える。

 本当の城なら中庭にあたるのであろう場所は、これまた広大な花畑になっていた。

「あの、質問してもいいかしら」

「何でしょう」

「ハナちゃんのお父さんって……もしかして花竜のトップだったりするの?」

 城に住むのは、人間の世界では普通「王」と呼ばれる者。ハナちゃんの家が城に見えるということは、人間で言うところの「王」がいるからではないのか。

「トップというものが何を指すか、判断しかねますが。ここは、我々花竜族のおさのおすまいです」

「じゃあ、ハナちゃんはお姫様ってことだね」

 ツキがのんきに言う。そんなツキの脇を、フウが肘でつついた。

「ちょっと、ツキ。わかってるの? 私達、お姫様をお城から自由に出してあげてくださいって、王様に談判しに行くようなものなのよ」

「あ、そうか。何だか難しそうだね」

「何をのんきに……」

 フウが横を向いて、ため息をついた時。

「あ、とう様」

 ハナちゃんがつぶやき、ツキとフウが前を見た時にはすでに金の鱗がひときわ輝く花竜がいた。

 頭ははるか上。こんな大きな身体なのに、ハナちゃんがつぶやくまで近くに来たことすらわからなかった。

「やっと戻ったか。心配したのだぞ、……」

 何度もハナちゃんの本名を耳にしているはずなのだが、やはり誰が言っても聞き取れない。

 それよりも、視界におさまらない竜の身体に、ツキもフウも言葉がなかった。

 ハナちゃん情報の通り、遠くに見ていた花竜より絶対に大きい。ツキを五人、縦に並べても足りるかどうかの体高だ。

 幅もあるが、それは太っているのではなく、体高に見合った幅である。金の鱗は、宝の山が目の前にある錯覚を起こさせる美しさだ。

 見上げていると、首が痛い。だが、ツキが見た花竜の瞳は、優しい緑をしていた。

 ハナちゃんと同じ目だ……。

 色だけで言うなら、ツキも緑の瞳。だが、そういうことではなく、雰囲気が隣で手をつないでいるハナちゃんとよく似ている。

「ああ、客人がいたのだったな。失礼した」

 ツキと目が合い、長はその存在に気付いたらしい。

 その言葉の一瞬後には、目の前に長身の男性が立っていた。

 三十代前半、といったところだろうか。ゆるやかに波打つ豊かな金色の髪は、金の鱗と同じ輝きを持っている。

 金髪という点では世話係のふたりもそうなのだが、長の前では彼らの美しさすらもかすんで見えてしまう。整った容姿も桁外れで、この世のものではないように思えた。

「……、お帰りなさい」

 長の後ろから、二十代前半くらいに見える女性が現れた。この状況だと、ハナちゃんの母親だろう。

 世界で一番画力のある絵師が、世界で一番高級な画材を使ったとしても、彼女の肖像画を描くことは不可能。

 そう思わせる程に、美しい女性だ。

 彼女の髪は真っ直ぐだが、色は長と同じく金色。そして、瞳は緑だ。

 花竜が人の姿になるとこういう姿である、という話は正しかった。

「とう様、ハナちゃんねぇ、またツキと一緒にいたいの」

 ハナちゃんは、いきなり結論を言い出す。

 事情を知らなければ「何だ、それ」と返したいところだが、長はうなずいて娘からその隣にいる少年に視線を移した。

「ツキとは、きみのことか?」

「は、はい。ハナちゃんが迷子になっているのを見付けて」

「この子も言ったが、ハナちゃんとは娘のことかね?」

「どうしても言葉……と言うか、名前が聞き取れないので、そう呼んでいます。名前がないと、呼びにくいので」

 ツキは素直に答えた。

 緊張はするが、威圧感はない。花竜の穏やかな性格が、表に出ているせいだろうか。

「では、きみ達の前では、娘のことはハナと呼ぶことにしよう」

 長くて聞き取れない名前を連呼されることを思えば、その提案は非常にありがたい。

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