第25話:時計仕掛けの戦争②
リチャードは、去り行くイングリットの背を追うことができなかった。
空気がふいに変わったからだ。イングリットが立ち去った途端、ベケットやハンナ・テイラーや役者たちが「演技を辞めた」。そうとしか言いようがない。
急激に粘り気を帯びたハンナの両目が、玄関扉の向こうを見透かすように薄められた。
「来るわよ」
ハンナは喜悦に満ちた声色で、そっと呟いた。ひと呼吸遅れ、静まり返ったエントランスホールに銃声が響き渡った。
それはなにかとリチャードが目を背けていた、戦争の先触れだった。
銃声は遠い。リチャードが撃たれたのではない。だが、動けなかった。まだこれが現実かどうか、判断しかねていた。
最初にベケットが動いた。
「どこからだ!」
ハンナが余裕の笑みで答える。
「厨房前の廊下。巡回中に摘まみ食いをしに来た警備兵が殺されたわ」
「どちらだ?」
「帝国のネズミでしょう……あらやだ、王国のイヌも来ちゃった」
「想定内だが動きが早いな。焦っているのか」
やや遅れて、正面の方角からも銃声。今度は立て続けに撃ち鳴らされる。ベケットは舌打ちし、ジャケットから拳銃を抜いた。
「反撃しつつ、退避の準備を。イングリットは必ず生け捕りにしろ。これはそのために用意した舞台なのだからな」
「じゃあ、適当にお相手してくるわね」
ハンナはひらりと手を振って向かいの通路へと消え去った。他の見習い役者や警備兵たちも、一斉に散らばっていく。
残されたのは、ベケットとリチャード。何もかも早すぎる展開に呆然としていたリチャードの背中に、銃口が押し当てられている。
「雑用係、お前は王国軍のスパイだな?」
「な、なぁ劇団長。俺はいったい何が何だか……」
銃身で背骨を小突かれた。
「劇団に入り込んだ帝国のネズミは、イングリットをおびき寄せるために泳がせていた。裏が取れない部外者はお前だけだ」
劇団長はからくり人形のような冷酷さで、銃身を更にリチャードへ押し付けた。引き鉄の軽さが伝わってくるようだ。
それでリチャードは、腹を決めた。こいつらはもう、芝居じゃない。
「いやいや旦那、落ち着いてくださいよ! イングリットが何者だって言うんですか!?」
素人さながらに取り乱して見せたところ、後頭部を殴られた。床に倒れ伏す。この方が真実味がある。実のところ本当に取り乱していたのだが。
「質問は許可していない。王国軍の部隊規模と突入計画について話せ」
「……」
話の筋は通っている。『魔女の帳』にも相応の考えがあってこの舞台を設営していたのだ。
連合王国でいう魔女とは違う「魔女」を求めるカルト。
ベケットたちはイングリットを捕らえるために、帝国軍のスパイを使って彼女を自陣におびき寄せた。
それはつまり……イングリットがその「魔女」で、帝国軍のスパイと繋がっていて、今まさに彼女たちは『魔女の帳』に攻撃を仕掛けているってことだ。
頭が熱い。血が流れているのか。倒れた衝撃で額と鼻も打ったらしい。視界にドロリと赤く塗り込められる。
床を舐めてる場合じゃねえ。とんでもないことに巻き込まれてるぞ。
リチャードは目元を拭う振りをして、うめきながら身体を折り曲げた。
「さっさと答えろ」
無慈悲な劇団長に、哀れっぽく答える。
「クソッ……お話したいなら、殴るこたぁねえだろ……」
懐に手元が行った一瞬、内ポケットの冷たい感触を確かに掴む。ウルカを呼び起こす金時計の竜頭を引く。
「お前は王国軍の安い駒だ。大人しく従えば解放してやる。部隊の構成と配置は?」
リチャードは口に入った鼻血と共に、再度の悪態を吐き捨てた。
「知らねえし、教えねえ。突入作戦は、どのみちあんたらと帝国軍とやらがご破算にしちまったしな」
背中を思いっきり踏みつけられた。
「ぐっ」
「誰だって痛みに耐えられるうちは、嘘を吐けるものだ。今からお前の指を一本ずつ折っていく。全部折れたらもう一度訊くぞ?」
ベケットの仮面じみた面構えが、リチャードを冷酷に見下ろす。別に特段残虐なわけでもない、明らかに必要性の暴力に慣れた人間の顔つきだった。
「ま、待ってくれ! 頼む、話すから!」
「まだ話さなくていい。最初は左の小指にするか」
咄嗟に口を突いた嘆願もむなしく、ベケットはリチャードの腕を固く極めた。
銃声。
咄嗟にベケットは跳ね起き、リチャードから離れて近くの柱に身を隠した。
リチャードの頭上を牽制の銃弾が斬り裂く。
「リチャードさん! ご無事でありますか!?」
幼さの残る少女の声。ゴミ捨て場に通じる廊下の奥から拳銃を構えていたのは、ウルカ・ナナヤだった。
リチャードは無事を知らせる代わりに、床を這って廊下の方へ退避した。すぐにウルカが駆け寄ってくる。彼女はリチャードの頭の怪我を労わるように覗き込んだ。
「申し訳ありません、異常事態のようなので自己判断で合流しました。小官が責任を持って安全な場所まで送り届けるのであります」
「いや、俺にも何か出来ることは」
「ありません。戦闘が始まった以上、リチャードさんは邪魔であります」
流石に年下の少女にそう言われると傷つく。だが事実だった。ウルカが拳銃の弾倉を振って排莢し、スピードローダーで再装填するまでの動作に一切の隙はない。彼女はプロで、リチャードは素人だ。
「『C』たちは城の正面を確保しているはずです。戦闘をなるべく避けつつ脱出しましょう」
「……分かったよ」
ウルカはベケットを更なる弾丸で足止めし、リチャードを立たせた。エントランスホールを回り込んで、慎重に危険地帯を縫い進む。
廊下の突き当りで足音と銃声。ウルカが急ブレーキを掛け、リチャードはあやうく少女の背中にぶつかるところだった。ウルカはすかさず角から銃口を突き出して牽制。お返しにライフルの重い弾幕が返ってきた。
「雑用係、てめぇ裏切ったなぁ!」
警備隊長だ。運悪く部下を引き連れているところに鉢合わせてしまった。
「そのガキはなんだ? 陸軍の特殊部隊ってのはずいぶんと人材不足らしいなぁ? おじょーちゃーん俺っちと遊んでくれよぉー!」
やる気のない野郎だと思っていたら、意外とお喋りらしい。ウルカが無言で拳銃弾を送り込む。だが複数のライフル相手にこの火力では分が悪い。
「俺っち、可愛い子供がだーいすき!」
更に連射される。とても強行突破はできそうにない。にしてもうるせぇ野郎だ。リチャードは何か言い返してやろうかと思ったが、ウルカが唇に指を当てて制止した。
「勝手に敵の注意を引かないでください。それと魔法を使います。少し下がってください」
子供に戦場での心構えを説かれるとは、つくづく情けない。言われた通り、リチャードは後ずさりした。
ウルカは上着のポケットから、銀色の懐中時計を取り出した。リチャードが持たされた金の時計、いわゆるαとは違うものだった。複数の魔法を使う魔女は珍しい。
「
彼女は秒針を少しばかり進めながら、早口で詠唱を呟いた。
最後の発音が終わった瞬間、彼女の輪郭が
「仕留めました、こちらへどうぞ」
次にウルカの声が聞こえたのは廊下の角を曲がった奥だった。先ほどまで目の前にいたはずの少女が瞬間移動した事実にリチャードは目を擦った。彼女の足元には、先ほどまで元気にライフルをぶっ放していた警備隊長と部下たちの死体が転がっている。
「……何をしたんだ、お嬢ちゃん」
十秒ばかり、自分が寝ぼけていたとしか思えない。目の前の状況に混乱するリチャードを手招きし、ウルカは淡々と答えた。
「自分だけが動ける時間を生成して、弾幕の合間を縫って敵を射殺しました。小官はこの魔法をサービス残業と呼んでいます」
「なんだそりゃ、クール過ぎるぜ」
思わず素で感嘆してしまった。ネーミングセンスはともかく、全男子が憧れる能力である。決してやましい意味ではなく。ところがウルカは眉を下げてかぶりを振った。
「サービス残業の多用は身体に強い負担が掛かるため、『C』には使い過ぎないよう厳命されています」
ウルカが目元を指差した。先ほどまでなかった深い
「魔法には代償が付きまといます。本人の意識を問わず、であります。もちろん小官は、リチャードさんを無事に脱出させるためなら惜しまず魔法を行使しますが」
ウルカはそう言って歩き出した。彼女の背中は、小さい。
リチャードは死体からライフルを拾って後に続く。
「お嬢ちゃん、せめて背中は任せてくれ」
「小官の背中を撃たないようお気を付けください」
*
クリフはブリックフォール城の正面に馬車を停め、空に向かって威嚇射撃を行った。この一射で悪党共がビビり散らかして戦闘を停止してくれればよかったのだが、そう上手くはいかない。
「出来れば、本島で重火器など使いたくなかったな」
機関銃1挺で、ボルトアクション式ライフルを担いだ歩兵小隊を軽く蹴散らせる。有利な地形に構えれば、これが中隊だろうと大隊だろうと同じことだ。クリフは過去の戦場でそうした光景を幾度となく目にしてきた。
庭園の入口に
「
伝令は硬い口調で答えた。
「不明です。混戦に陥り、連絡が断ち切られました。帝国の工作員はもちろん、劇団の奴らもまるで投降に応じず……被験者と思しき女性たちも抵抗を続けています」
「ならば無力化を第一に考えるしかあるまい。我々も突入するぞ」
被害者の「救出」が実現不可能なら、この場の不法勢力を完全に制圧するしかない。狂信によって孕まされた女たちを突き動かすものが、洗脳か懐柔か脅迫かなんてこの際後回しだ。
兵士たちが前進を開始。庭園に侵入する。こちらの位置からは背の高い植え込みに隠され、園内のどこで戦闘が起こっているか分からない。しかし、城の上階からは下の様子が丸見えである。
クリフは内心、舌を巻いた。劇団長ベケットの指導力は大したものだ。
実力差で言えば、連合王国軍が圧倒的だ。正面から撃ち合えば2時間と経たずに城を制圧できる。だが『魔女の帳』は、こちらを帝国軍の工作員を交えた乱戦に引きずり込んだ。乱戦に、応じざるを得ない。常に背中を脅威に晒されることになる。
「敵はあらゆる奇策を用いて我々を仕留めようとするだろう」
クリフは部下に、警告した。
「よって、私は今からその奇策を引きずり出す」
そう言って、城に機関銃を掃射する。伝令が慌てて口を挟んだ。
「味方が射線にいるかもしれませんよ!」
「いないさ。私の部下は皆、優秀だよ」
それに、『魔女の帳』は乱戦に持ち込めばこちらが射撃を躊躇すると踏んでいるはず。ならば躊躇しないのが正解だ。敵の撒いた布石を一方的に踏み砕くのは戦術の基本である。もちろん、石を踏んでもケガをしないように普段から練度を高めておくのが前提だが。
早速、機関銃を危険視した敵が現れた。
城の正面に配置された窓ガラスが、一斉に砕け散ったのだ。それらは輝く雨のように、火炎瓶や携行灯の光を浴びて夜空を彩った。
クリフは窓を撃っていない。そして、窓ガラスの破片は不自然な軌道を描き――猛然と部隊の方に飛来し始めた。
「遮蔽物に隠れろ!」
警告を飛ばすやいなや、クリフは銃座を転げ落ちた。車体の裏に隠れ、反応の遅れた伝令を引き込む。直後、一帯に猛烈なガラスの嵐が降り注いだ。
「
路面に散乱した無数のガラス片が、それ以上動く様子はない。
「応用は利かないようだ。見掛け倒しの一発屋だな」
いきなりあれだけの量のガラスを撃ち降ろされれば確かに驚くが、二度同じ手は通用しない。魔法の速度も精度も効果範囲も割れているのだから、気を付けて対応すればいい。
クリフは馬車からライフルを取り出し、素早く初弾を装填した。
「そして、派手な魔法は本命の攻撃を隠すための目くらましだろう」
言うが早いか、最も近い植え込みの裏から大きな物体が飛び出した。生臭い牙が迫る。横っ飛びに避けて射撃。しかしこちらの弾も躱された。
すんでのところで交錯したその生物は、成牛ほどもある体躯を黒い毛皮で覆った巨大な獣だった。
「撃て撃て!」
手近な部下と共に弾幕を張る。速い。巨体に似合わぬ俊敏な身のこなしで、巨獣は別の植え込みへと消えた。
「獣の魔女……いや犬の魔女か?」
「どっちでもいいでしょう!」
部下のツッコミに、クリフは体勢を立て直しつつ「よくないさ」と呟いた。別の生物に変身する魔女は結構多いが、その生態が現実に即したものか空想上のものかは個々人による。極端な話、今の奴が火を吹く犬というトンデモ生物だったりすることだってあるのだ。
「まぁ敵もブラフを噛ませるような余裕はないか。飛び出し注意だ、植え込みから距離を取って前進」
隊伍を組んで、物陰を警戒しながら進む。機関銃による掃射を止めたため城からは撃ち放題となるが、クリフは迷わず懐に飛び込む決断をした。
冷静に考えれば、地の利が向こうにあるとは言い切れないのだ。『魔女の帳』は常に灯りを背負っており、対してこちらは遮蔽物の多い暗闇を乱戦に紛れて進める。そもそも夜戦狙撃などプロの軍人であるクリフにも難しい。所詮は付け焼刃のギャング集団だ。
クリフはハンドサインで部隊を立ち止まらせた。生垣の裏に多数の足音がする。獣の魔女による急襲から時間差で攻撃を仕掛けるはずの劇団員たちだろう。
ショットガン持ちの兵士を選抜し、フォーメーションを遭遇戦に対応させる。息を殺し、生垣の角で待つ。劇団員たちは悪態を吐きながら、無警戒に身体を晒した。
「畜生、城の中で暴れてやがる。警備隊長が死んでたぞ」
「イングリットか?」
「分からない。チンピラ崩れの無能め、給料分は働けっての!」
仕事中の私語は、コミュニケーションの円滑化に必要な場合を除いて慎むべきだ。
クリフは先頭の劇団員の腰に銃口を押し付け、まずは一射。臓物を撒き散らしながらこと切れた死体を蹴倒す。続けて連射し、後続の敵も射殺。ここでようやく劇団員たちは会敵したことに気付いた。慌てて照準を向ける彼らの心臓と脳みそを、クリフの部下たちが迅速に撃ち抜いた。
城からの灯りで死体の顔をざっと検分する。見るからに容貌や体格の優れた男たちばかりで、彼らが交配実験の種馬であろうと推測できた。できれば生かしたまま拘束したかったが、そこまでのリスクは負えない。
さて、波状攻撃がことごとく失敗したら、誰でも焦るはずだ。
「白兵戦用意!」
鋭く指示を飛ばす。ほぼ同時に、植え込みを突き破って先ほどの巨獣が飛び出してきた。隊列の最後尾にいた兵士が吹っ飛ばされる。衝突時に腕に喰い付いたのか、獣の口は血で濡れていた。
巨獣が部隊の中心に猛然と突進する。一瞬でライフルに着剣した部下たちが
クリフは巨大な前脚によって路面に押し倒された。脂ぎった獣臭と共に、真っ赤な舌と黄ばんだ犬歯が迫る。
だが、近くで観察できてよかった。火や毒を吐くようなトンデモ生物ではないらしい。構造は犬と同じだ。
腰からコンバットナイフを抜き放ち、クリフの胸を押さえている前脚の腱へ一突き。
「ギャンッ」
見た目通り人間とはかけ離れた悲鳴を上げ、獣の魔女は体勢を崩した。すかさず、クリフは大きくぐらついた犬頭を片手でホールドし、そのマズルの先端にも刃を突き入れる。
「ウギィッ」
続いて右眼。左眼。もう片方の前脚の腱。どれだけ強靭な肉体に姿を変えても、生物である限り守れない部位が必ずある。そして、人間としての知能を保っている限り、痛みへの耐性は低い。
もはやマウントを取ったはずの獣の方が、クリフを跳ね退けようとのたうちまわる。だが、離れてはやらない。ホールドした方の手で毛皮の分け目を探し、頸動脈を探り当てる。最後のひと刺しで、絶命させた。大量の鮮血を浴びながら、獣の骸をどかして起き上がる。
「やれやれだな」
魔女の死によって魔法が解け、巨獣はゆっくりと本来の女の姿に戻っていった。
この魔女も本来は生かして「保護」すべきだった人間だ。もともとは劇団に囚われた女性の救出を目標としていたのに、この体たらくはいただけない。現場判断で実現可能な最善策を打ってはいるが、そもそも情報総局の見立てが甘かったのではないか。
この仕事が終わったら、非対称戦への考え方を改めねばなるまい。兵士と民間人、倒すべき敵と守るべき民との境界は、昔ながらの軍隊が考えるよりはるかに曖昧らしい。
幸い死者は出なかったが、骨折などの手酷い傷を負った兵士が複数出てしまった。
「作戦は続行する。負傷者は各自離脱しろ、護衛はできない」
「馬車に戻り、機関銃で援護します!」
腕を折られた部下がクリフに食い下がるのを、背中で拒絶する。
「不要だ。負傷兵が単独で敵の注意を引いてみろ。自決と変わらないぞ」
「しかし――」
部下の言葉が途切れた。湿った音、風切り音、砕けた骨が地面に散らばる音。
「ああああっ!」
横合いから脚を撃ち抜かれた部下が、絶叫した。
「狙撃!」
全員、散開して城の壁面に身を寄せる。この暗がりで狙って脚を撃つなど、『魔女の帳』のごろつき風情には不可能だ。帝国兵がライフルを奪って狙撃したのだ。
「射点はどこだ!?」
「見えませんでした!」
「イングリットだな」
クリフは直感した。ジャンダルメリヤからのタレコミでは、彼女は夜戦狙撃に秀でていたという。それが彼女の天賦の才なのか魔法なのか定かではないが、庭園の暗がりで彼女を迎え撃つのは不味い。最も手近な城への入り口を探し、ちょうど灯りの点いたガレージが目に入った。止めてあった車両は帝国兵によるものかタイヤがパンクしている。
「ガレージから屋内に突入するぞ。この動きも敵の読み通りかもしれん、注意しろ」
撃たれた兵士はうめき声を上げ、のたうち回っている。それを見た隊員たちが、こぞって救出を志願する。
「まだ生きてる」
「自分が助けに行きます!」
クリフは銃身を部下たちの前に突き出して
「わざと負傷に留め、救出に向かった者を釣るための餌にする手口だ。あれはもう諦めろ」
手をこまねく王国軍を嘲弄するかのように再び銃声が響く。倒れた兵士の腕が穿たれた。更なる悲鳴が、仲間内に怒りと恐怖を伝播させる。
だが、蛮勇に任せて飛び出す者はいない。『C』の部隊に、英雄は必要ない。
「さぁ行くぞ、フォーメーションを厳に」
身を低くして移動、ドアをそっと開いて銃口を突き入れ、素早く侵入する。背後でまた銃声。叫びが止まった。振り返らない。
侵入した直後、目の前に現れたのはクリフたちと同じような軍隊仕込みのフォーメーションを組んだ男たち3人組。足元には劇団スタッフの死体の山。そしてクリフの見分が正しければ、その動きは帝国軍のものだった。
「帝国軍だッ!」
帝国兵の方も叫んだ。
「王国軍だッ!」
双方、ほぼ同時に銃を構える。まずクリフが床に膝を付いて一射、帝国兵ひとりを仕留める。後続の味方が被弾しながらももうひとり帝国兵を射殺した。最後のひとりが拳銃を乱射し、後詰めの味方の脳天を運よく撃ち抜いてしまった。味方の死体でガレージからの入り口が塞がれ、最後尾の部下が突入できない。
敵を処理できるのはクリフだけだ。
前へと身を投げ出す。跳躍した頭上を、敵弾が掠めた。床に倒れ込みながら冷静に、引き鉄を絞る。
ライフル弾が敵の喉首を穿ち、延髄を撃ち抜いた。
「被害を確認する。後衛、周辺のクリアを」
起き上がってすぐに指示を飛ばす。最後尾の部下が味方の死体を押し退け、ライフルを構えて先行する。その間にクリフは被弾した味方の傍らにしゃがみ込んだ。
「……ダメか」
彼は首元を撃たれていた。血が流れ出るほどに、虚ろな瞳が光を失っていく。クリフは止血措置のやり方を頭に叩き込んでいたが、その前提となる知識が「諦めろ」と断定してくる。
死者たちは仕事を全うした。それで終わりだ。
制圧班は残りふたり。ケイリーたち救出班の様子も分からない。先行した部下を呼び寄せようと、城の奥に繋がる廊下に目をやった。
「そこの女、動くな!」
部下が鋭い声を飛ばし、発砲した。廊下の奥で女が悲鳴を上げた。エプロンを付けた掃除婦のような身なりをした、若い女だった。
「やめて撃たないで! あんな奴ら仲間じゃないわ!」
部下は少しだけ銃口を下げつつ、女ににじり寄っていく。
「落ち着け! 『C』、どうしますか」
彼女が仮に敵意のない純粋な被害者だった場合、保護しなければならない。だが、どうやって判別する? 情報が不足したまま突入を決行した以上、こうした状況は必ず起こり得るはずだった。
女がすすり泣いている。
クリフは1秒だけ、部下を無視して周囲を見渡した。
来賓をもてなすためだろう。ガレージからホールに通じる長い廊下の壁には、いくつも絵画が掛けられ、ちょっとした画廊のようになっていた。
そうだ、両側面には大量の額縁がある。額縁には、ガラスが張られている。
「下がれ!」
クリフは叫んだ。同時にライフルを構え直す。こいつは
瞬間、部下の真横にあった額縁が砕けて無数の散弾と化した。首、脇腹、腰、腿とハリネズミのようにガラス片に貫かれた彼の身体は、ぐらりと反対方向へと倒れた。
泣いていたはずの女が、手を高く振り上げた。廊下に並んでいたすべての額縁から、割れたガラスが飛び出す。
遮蔽物までは遠すぎる。だが今撃てば、硝子の魔女を射殺できる。
自分が死んでもケイリーが作戦を引き継ぐ。クリフは迷わず照準器を目元に寄せた。
引き鉄が速いか、魔法が速いか。あと一瞬で決まる。
「――!」
突如、クリフと硝子の魔女の中間地点に位置する壁面が粉砕された。廊下に長身の人影が躍り出る。
「なに!?」
硝子の魔女は驚きながらもガラスの魔法を執行、灯りを乱反射する弾雨がクリフとその人物の方に押し寄せる。
その人物の背中を、クリフはよく知っている。
銀色の鱗を全身に纏ったその姿は、竜の魔女ケイリー・カーライルだった。
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